第36話―2 お嬢様はお怒り
恐怖。
その感情は人間においては克服すべきものだが、SSにとってそれは別の意味を持つ。
公道を抑止するマイナス要素ではなく、素晴らしきセンサーとしての役割だ。
高度な人間的感性を身に着けた個体だけが感じる事が出来るこの感情の有効活用こそ、優秀なアンドロイドにとって必須技能と言えた。
だからこそ。
ポリーナ大佐はこの時、この恐怖という最高精度のセンサーに従った。
残存する姿勢制御スラスターを全て用いて回頭。
方向はゲート方面。
ほとんど直線移動しかできず、減速に用いる最低限の推進剤以外は使い切るつもりで行った全力の機動。
それでもまだ恐怖は消えない。
水面下から怪物が迫ってきているのに幼児がバタ足で移動しようとしているようなもどかしさと恐怖が拭えない。
その時だった。
『でもでも~♪ わたくし負けませんわ~♪ だってわたくしRONINN三番隊隊長”魔王”エリザベットですわ~♪』
調子はずれの歌が聞こえてくる。
全周囲から、微妙にずれて、歪なハーモニーを奏でて。
「そうか……この恐怖の原因」
回頭を終えたポリーナ大佐はメインスラスターを最大出力で吹かしにかかる。
その最中、自らが感じる恐怖の元に思い至った。
「エリザベットの声に……とてつもない憎悪がこもっているからだ」
そう呟くと同時に全力加速したポリーナ大佐は瞬時に戦場を離脱した。
背後をセンサーで感知すると、初撃とは比べ物にならない密度の全周囲レーザー攻撃がたった今いた場所に降り注いでいた。
今行った全力加速が無ければ確実にやられていた。
「ああ、ブリャーチ! ここまで人間相手に苦戦するなんて……全体の戦況は……」
戦闘中碌に確認できていなかった戦況を確認する。
ゲート方面は未だ接敵せず。
月方面は基地の軌道上が制圧され、すでに小型艇が制圧部隊を送り込んでいる。
軌道上はほぼ拮抗。
地上は帝都に内外からRONINNが襲撃を掛けた上、歩兵部隊が帝都に直接乗り込むという強硬策を行った結果すでに地上戦に突入。
一木とグーシュの脱出すら厳しい状況。
「最悪だ……」
ポリーナ大佐はチラリと月面基地を見る。
敵艦隊の約半数が向かった月基地では、敵はさらに艦隊を二つに分けていた。
一つは軌道上を制圧する艦隊。
もう一つは月面上に降下して制圧部隊を送り込みつつ基地の地上施設や防衛設備を破壊する部隊だ。
「侵攻及び制圧状態は……まだ始めたばかりか。もう少し……本格的な内部制圧戦まで待ちたかったけど……」
本来の予定ならば、これを行うのはまだまだ先の筈だった。
だが、エリザベット達に手こずった結果がこのざまだ。
「ふがいない……」
ポリーナ大佐は悔恨の言葉と共に、月面基地の自爆装置を起動した。
それと同時に基地最深部に設置された200kgの反物質が電磁波による周囲との遮断を解かれ瞬時に周囲の物質と対消滅を起こす。
それによって生じた膨大な破壊力は、基地内部へ敵の制圧部隊を誘い込むために待機していた少数の捨て石部隊とそれと相対していた火星宇宙軍陸戦隊を巻き込みながら基地全体を焼き尽くしていく。
しかもそれだけではない。
クレーター内部を円柱状にくりぬいて建造された基地は、その最深部から生じた膨大な爆発エネルギーによりくりぬかれたクレーターを銃身、基地構造物を弾にした超巨大な砲と化した。
軌道上の火星艦隊はその膨大なエネルギーと残骸をもろに喰らう形となり、損害が続出した。
遥か離れた宙域で起爆したポリーナ大佐もその光景を見ていた。
しかし、ポリーナ大佐にとってはその光景は満足いくものではなかった。
「……いい所三分の一か。やはり最深部まで入り込ませてから起爆したかったな」
悔しさを少しだけにじませると、ポリーナ大佐は一直線に次の戦場である空間湾曲ゲート宙域へと向かっていった。
※
ポリーナ大佐が撤収した後の月軌道宙域。
無数の残骸と小惑星が漂うその宙域に憎悪の籠った、しかしそれを感じさせない甲高い声が響いた。
『外れた……? いいえ、おレーザーの出力が急に落ちましたわー! というかシステム起動できてませんでしたわー!』
声はするが、その発信源は見当たらない。
ただただ、オープン回線にのった声だけが響く。
『なにこれー!? ハナコさんお最終兵装お使いになられてるんですのー!? 事前に言ってくださいましー!!!』
叫び声が響く共に、宙域に10の光点が輝く。
スラスター噴射の光だ。
その数秒後には光点のちょうど中心位置に10の金属の塊が集まり、ロボットアニメじみた動きで合体した。
RONINNの空間戦闘用機動兵器。エリザベットの機体だ。
その後もしばらくキンキンとわめき散らかしていたエリザベット機だったが、叫び疲れた頃にようやく一息つくと最も近い味方であるゲート攻略艦隊の方角へと向かっていった。
このようにジンライ・ハナコの最終兵装の影響はワーヒド星系の最果てと言っても過言でもないこの場所にまで及んでいた。
だが、その影響が最も大きい場所。
それこそ、帝都周辺の戦闘だった。
次回更新は8月27日の予定です。




