第33話―7 さようなら
「全てって!? あなたは一体何を……」
狼狽えた一木を抱き締めたまま、ハイタは両の手にさらに力を込めた。
優し気な動作だったが、このかりそめの空間にあっても込められた力はあまりにも強く、一木は自身が砕けるような錯覚を覚えた。
「う、ぐぐぐ……」
「ヒロくん……弘和……弘和君……あなたは、あまりにも脆い」
ハイタが一木の名を呼ぶ。
ところが、その声色はハイタだけのものではない。
シキとマナとハイタ。
三つの女の声が混ざったような独特で薄気味悪い、優しくて愛おしくて独善的な声がする。
そして声は、困惑する一木をよそに続いていく。
「身体強度っていう意味じゃないわ。歪な心と低い自己評価。そしてあまりにも弱くて脆い存在に依存している現状。それら全てをひっくるめて、あまりにも脆い」
ギリギリと締め付けられながらも、一木は必死にハイタの言葉を読み取ろうと試みる。
本来胸の奥にあるはずの脳が、頭を締め付けられている現状において軋みを上げているのは不思議だなと、奇妙な達観が思考を邪魔する。
そこでようやく気が付いた。
今の一木は、強化機兵の体では無い。
仮想空間のアバター姿だった。
個性のない中肉中背の体が、ハイタに抱き締められて軋んでいる。
「そして案の定、あなたも……マナちゃんも死にそうになったじゃない。だから私、もう放っておけなくて。だからね、私が全てを捧げてあなた達を助けてあげる」
その言葉が紡がれると同時にさらに一木を抱き締める力が増した。
ギリギリという音が比喩ではなく自身の体から聞こえる現実が、この現実感のない仮想空間において異常な恐怖を与えて来る。
「私の縮退炉はもうすぐ新しいナンバーズとなる。それがヒロ君がいる今の地球を守ってくれる……。だから、縮退炉の無い私と私に残った残りのエネルギー……それはあなたとマナちゃんにあげる」
瞬間。
急激に締め付けられる圧迫感が薄らいでいく。
一瞬安堵を浮かべた一木だったが、状況は想像を超えていた。
なんと、自信の体が抱き締めているハイタと一体化し始めていたのだ。
粘着質の物体と物体をくっ付ける様に、べた付いた自分とハイタの肉体が急速に混ざり合っていく。
自己消失の恐怖という根源的恐怖、とでもいうのだろうか?
一木は思わず声にならない悲鳴を上げた。
「大丈夫だよ弘和君。あなたにあげるのは私のエネルギー……正確には縮退炉からのエネルギーを元に位相空間に構築した非現実仮想電池に保存してあるエネルギーの使用権利を譲渡する……それだけだから」
訳の分からないSF用語で説明されようが、一木の恐怖は和らがない。
得体の知らない女に吸収されながら「私のチョースゴイ電池を使う権利あげる♪」と言われて喜べるわけが無いのだ。
「とはいっても大した事ができる訳じゃないよ。だって、そのエネルギーの大半はあなたの損傷した脳と生命維持システムの現実改変を伴う常時補修に使うんだからね」
その言葉と共に、一木の眼前からハイタは姿を消していた。
何もない真っ白な空間にいるのはアバター状態の一木だけだった。
吸収されようとしていた痕跡など何一つない。
耳が痛くなるような静寂だけがあった。
『これであなたは大丈夫。後は……マナちゃんだね。実はあの子を助けるのはちょっと難しいの。だって、死にかけていたあなたと違ってあの子はもう、アンドロイドとしては死んじゃってたから』
脳内に響くような、通信とは違う異様な声が響いた。
先ほどまでのハイタでも、混じりあった声でもない。
マナ大尉の声だ。
「でも大丈夫。あの子には私に残った……人格維持構築機構をあげる。私の中にある私とシキとマナちゃんの人格情報を基にハイタが人格を得たプロセスを再現することで、マナちゃんをまた作ってあげる。創作物みたいな勘とか愛が働かない限り、違和感は無いはずよ」
一木はハイタの言葉の意味を……圧迫感も恐怖も無い状況でゆっくりと反芻していく。
ハイタとは即ち、縮退炉という巨大な発電機と一体化した超高性能で人格を備えたAIだ。
その存在が、一木弘和というたった一人の人間のために、全てを捧げてくれる。
縮退炉を、一木が暮らす地球連邦政府のために捧げ。
自信に残った縮退炉の残余エネルギーを死にかけた一木が命を繋ぐために譲り。
マナ大尉という一木にとって大切な存在を疑似的に再生するために自分のAIとしての基盤システムをまっさらにして譲ってくれる。
文字通り、自己存在の全てを捨ててくれるというのだ。
「君は……なんでそこまで……なぜ! 君は!!!」
叫ぶ一木の声は真っ白な空間に一瞬で吸い込まれ、わずかな反響すらしない。
だが、そんな空間において一木に聞こえる声だけは、如何なる声色だろうと、どこまでも優しい。
『どんないきさつでも……嘘っぱちでも、洗脳でも、作ったものでも……一木弘和という人間が、私に愛を教えてくれた最初で最後の存在だから、ね』
カチ。
部屋の電気のスイッチのような小さな音とともに、空間から光は消えて闇が訪れた。
ハイタの声はまだ聞こえたが、急速に擦れ、小さくなっていく。
『……さあ、最後の仕事。あのサイボーグを何とかしなくちゃ……ちょっとだけ、ヒロ君はマナちゃんの体で待っててね。次、元の強化機兵に戻ったら、マナちゃんと一緒にこの星から撤退して……それで、終わり』
最後の言葉は、吐息の如く。
『さようなら』
一億年生きた女はそう言い残して一木の前から消えた。
次回更新予定は7月28日の予定です。
それでは次回 第34話 大馬鹿野郎 おたのしみに。




