第30話―3 もう一人のシュシュ
ポリーナ大佐の苦境は即座にワーヒド軌道上で対峙する両軍主力にも伝わっていた。
「まずいな」
地球連合軍側のダグラス大佐は焦りを隠せなかった。
ポリーナ大佐による遊撃とアセナ大佐によるゲートの守備。
この二つはいわば脱出作戦の両輪だ。
その一つ崩れつつあるという事は即ち、作戦の大前提が覆ると同義だ。
そんなダグラス大佐に対し、凶報がさらに入る。
帝都郊外でクラレッタ、シャルル、殺の三名がRONINNの隊長クラス二名と連隊規模のアイアオ人部隊によって拘束され、しかもその隙を帝都内に潜伏していたジンライ少佐とシュシュリャリャヨイティに突かれて帝城守備隊は壊乱状態だというのだ。
「なんてことだ……。あれもこれもと欲張りすぎたかな? やはりグーシュリャリャポスティの影響力確保は捨ててとっとと逃げるべきだったか……」
作戦案の見積もりが甘かったかと一瞬後悔したダグラス大佐だったが、そんなものは結果論に過ぎないと即座にその考えは捨てた。
それに、まだ作戦は始まったばかりだ。
ポリーナ大佐の苦境も、地上部隊の苦戦もまだ何とかする手立てはある。
「ダグラス大佐。敵艦隊に動きが。敵後方から大型艦が来てます。恐らく降下部隊です。その護衛と思しき部隊と、こちらへの牽制のためと思われるアウリン部隊も前に出つつあります」
前線を監視していた軽巡洋艦マンダレーから待ち望んでいた報告が入った。
そう、これからだ。
「よし。牽制部隊には護衛艦と駆逐艦の混合部隊で適当に対処しろ。敵降下部隊の第一陣が降下次第予定通りに動け。月基地とメビウス隊、地上の航空部隊も予定通りにな」
「了解しました」
テキパキと指示を出すと、ダグラス大佐は各戦線の状況をじっと見つめた。
ある程度余裕を以って立てたつもりの作戦案だったが、すでに押し込まれ状況はギリギリだ。
「まるで刃の上を渡っているようだな……」
一手のミスが即座に破滅に繋がる状況に、ダグラス大佐は悪寒にも似た感覚を覚えた。
そうしている内にも、前線では護衛艦部隊がアウリン隊とドックファイトを開始していた。
爆撃機と戦闘機と空中戦をさせるような現状を、ダグラス大佐は護衛艦のSA達に申し訳なくて恥じた。
※
「はあ? 三番隊が月の手前でもう出撃しただと?」
「その通りであります。別動隊からの報告では、現在月軌道周辺のアステロイドベルトで敵機動兵器によるゲリラ戦によって進撃困難となっているとの事です。三番隊はその最中に無断で出撃したと……」
「……アイツらは何をしているのだ」
揚陸艦の艦内で軍師長は吐き捨てるように言った。
完全に想定外の出来事だったからだ。
RONINNの三番隊は三種兵装と呼ばれる空間戦闘用装備の扱いに長けた者達で構成された部隊だ。
火星における空間戦闘とは大気圏内における空中戦と宇宙空間での戦闘を指す。
そのため三番隊は航空戦力として軍師長達と一緒に降下させるという案も当初はあった。
しかし、軍師長はその案を却下した。
この作戦における要の一つである空間湾曲ゲートの確保。
それを確実なものにするためにこの最強の空間戦力を月方面に投入することにしたからだ。
「それが何で月軌道のアステロイドベルトで出撃している? そもそも別動隊は碌に報告もしないで何のつもりだ……。だいたいエリザベットがそんな事をすると本当に思っているのか。変な口調で喋らないとパニックを起こす小心者が……」
「別動隊の指揮官と通信なさいますか?」
軍師衆付の副官の提案は魅力的だったが、火星宇宙軍の人間とカルナーク軍の軍師長が話してもろくなことにはならない。
そのことは軍師長がこの数年嫌というほど味わい尽くしてきた七惑星連合の現実だ。
「いや、いい。向こうの事は火星宇宙軍に任せる。そういう作戦になっているのだ」
そう言うと、軍師長は自身の両頬を手の平で思い切り叩く。乾いた音が軍師長の私室に鳴り響いた。
「私の戦場はここだ。私が率いる部隊が降下し橋頭堡を確保したらすぐに後続を降下させろ。敵の迎撃は我が先鋒が全て受け止める」
軍師長が副官……。
カルナーク戦当時からの指揮官たち……もとい老害達のスパイに対し心にもないことを言うと、副官は張り付いたような笑みを浮かべた。
なんとも間抜けな事に、軍師長とその指揮下の部隊が壊滅的な打撃を受ける事を疑っていないのだ。
カルナーク民族主義を未だに妄信し、火星や他の惑星の人間を差別し見下すカルナークのがん細胞にして痴ほう化した脳。
彼らの頭では地球連邦軍の基本的戦術という基本的な事象すら失われているらしい。
(そう、私の戦場はここだ。なんとしても、この戦闘で勝利し、経験を積み、膿を出し切る……)
ある意味異世界派遣軍よりハードルの高い作戦目標を心中で反芻しつつ、軍師長はたった今しがた着替えたカルナーク軍の伝統衣装を翻しながら部屋を出た。
このまま揚陸艦の装甲指揮所に移動し、降下シークエンスの指揮を執るのだ。
カルナーク軍と七惑星連合の未来への歩みを確固たるものにするのだ。
軍師長はそう自分に言い聞かせながら、重い足で指揮所を目指した。
「しかしどうにも戦力不足ですな。アウリン隊にRONINN。火星宇宙軍も頑張ってはいますが、地球侵攻艦隊と異世界襲撃部隊にも手を割かれていては……」
不意に副官が愚痴をこぼした。
もっとも、軍師長としては聞きなれた会話のながれだったので軽く相槌を打つだけに止めた。
ジンライ少佐の事を見知っている身としてはいたたまれないのだ。
「シュロー・シュウ中佐があんなにあっさりと死ぬような事が無ければ万事うまくいったものを……」
シュロー・シュウが生きていれば。
ここ数か月七惑星連合内で繰り返されてきた、非難を含んだ言葉。
惑星ギニラスで異世界派遣軍のサイボーグに殺されたRONINNの隊長の名を、軍師長は複雑な思いで聞いた。
次回更新予定は4月18日の予定です。
次回からようやく話のタイトルを回収できそうです。




