第5話 決意と謀略
グーシュは急ぎ、自室に向かった。その扉の前で、一瞬様々な思いがよぎる。
自分にとっていちばん大切な物を守るため、一線から身を引くと決めた。
しかしその決心全てを、自ら放り投げてしまった。
「やはりわらわは、まだ見ぬものを……未知を知りたい」
だが、その結果……。
ガチャリ。
立ち尽くしていると、不意に扉が開かれた。ミルシャだった。
「遅いと思ったら……話はもう聞いています。子爵領に行かれるのでしょう? 早く準備しなければ。さあ、お早く」
グイグイとグーシュの手を引き、室内に引っ張り込むミルシャ。と、不意に揺れるミルシャの髪の隙間から、後頭部を縫ったあとが見えた。あの時の怪我だ。
「キャッ……」
瞬間、グーシュはミルシャを後ろから抱きしめていた。こうしていると、どんどん不安が増してくる。
このまま不安に押し負けて、「父上、兄上、やっぱり怖いから止めます」と言えば楽なのかも知れない。
「どうしたんですか、殿下? 昼間っからご盛んなのも程々に……」
「いやお前……もう少しわらわの悩みを察しろ……」
その言葉にミルシャは本気で驚いたようで、ビクリと体が震えた。
「殿下に悩みがあったなど、初めて伺いました」
「いや、わらわにも悩みくらい……」
お前のことで悩んでいる、と言えばこの生真面目な付き人はどれだけふさぎ込むだろう。そんな気持ちも知らずに能天気なミルシャに、グーシュは少しムッとする。
「嘘ですね。豪放磊落で、女の子大好きで、好奇心の塊で、欲しいものは全て手に入れる、それが殿下です。そんなお方が何を悩むのですか」
一々的を射て 当を得ていた。なんだかんだでこの付き人は、グーシュの事を一番理解っているのだ。その癖、核心の部分は理解っていないのだが、とグーシュは苛々して声を荒げた。
「お前が心配なのだ! 今回全権大使をつい引き受けてしまった。海向こうからの使者と会えれば、大陸の彼方の事がわかる。海の上を船で行ければ、知りたかったことが分かる。知らない物を、未知を知ることができる……だがそのために、また兄上や爺たちとやり合うことになれば、お前をまた傷つける……」
言ってしまった。グーシュは全てを吐き出した。それを聞いたミルシャは、ゆっくりとグーシュの方を振り向いた。そしてニコリと微笑むと、
「えっ? ぐが!? 」
足払いをかけて、グーシュを押し倒した。
「殿下……僕の事をなんだと思っているのですか? 僕は殿下を守る為にいるのですよ! なんのために殿下に不満言われながら腹筋が割れるまで鍛錬したと思っているのですか! 」
「それはそれでいいと最近は思っ……て違う。だがお前がいなくなったらわらわは……」
「いなくなりません」
ハッキリと、強く意思を込めてミルシャは言い切った。
「……本当にか? 」
「はい。僕は生涯殿下にお仕えすると決めたんです。この言葉に二言はありません」
そう言うと、ミルシャは静かに起き上がり、グーシュを抱き起こした。
「失礼いたしました」
バツが悪そうにミルシャは謝った。正直他の皇族なら手打ちにしてもおかしくはない行為だが、グーシュは気にしなかった。
「気にするな。そうだな、付き人に、お前の事が心配などとは。お前の事を侮辱したも同然だ、許せ」
結局、ミルシャもあの時の事を気にしていたのだろう。グーシュはそう推察した。
自分だけがミルシャへの罪悪感と喪失の恐怖を感じていたと思っていたが、ミルシャもまた、グーシュの行動を妨げてしまった自分の弱さを恥じていたのかもしれない。
先程の考えは撤回しよう、グーシュは思った。やはりこの娘は一番の理解者だと。
「許します、我が主。そして、ですからどうか、僕を信じてください。もう、あなたの道を邪魔するような事は致しません、どうかあなたの自由な御心のまま、生きてください」
力強くグーシュは頷いた。
心は決まった。海向こうからの使者に会い、邪魔するものは排除してしまおう。その過程で兄上と対立しても構わない。優秀の兄のことだ、そうそう無茶なことはしないだろうが、邪魔するなら容赦する気はない。
(それに、もしミルシャがいなくなっても、簡単な話だな)
ミルシャの目を見つめながら、グーシュは自らに誓う。
(その時はわらわも死のう。そうすればその後のことであれこれ悩むことも無い)
狂気にも近い決意を固め、自らの欲を満たすため国政に関わる事を決めた。
「あの女! また調子に乗りおって! 」
「皇太子殿下、このまま野放しには出来ませんぞ! 」
「今度はあの付き人を完全に殺ってしまいましょう、そうすれば肝も冷えましょう」
その頃ルイガも自室にいた。
周囲には取り巻きの高級官司や軍の高官がおり、口々に先程のグーシュの行動を咎め、対応を叫んでいた。
彼らの中では、グーシュは数年前まで皇太子に盾突き帝位を狙っていたが、付き人を事故に見せかけた事に萎縮して帝位競争から脱落したと見なされていた。そんな脱落者が海向こうのとの交渉においてしゃしゃり出てくるなど、明らかな規則違反と言える。
しかし、ルイガはそんな取り巻きの声には応えない。その表情は感情を押し殺すように、ヒクヒクと頬が引きつっている。
その様子に徐々に声が収まった頃、先程まで声を発しなかった二人の人物。ルイガの背後に控える付き人のセミックと、皇太子派のトップでもある近衛騎士団幹部のイツシズ。そのうちのイツシズが、おもむろに口を開いた。
「皇太子殿下、これは看過できませんぞ? 」
イツシズの言葉に、ルイガはうろたえたように応えた。その様子に取り巻き達は驚く
「イツシズ! そんな事はいうな。グーシュはああいう性格だ。隙を見せた私も悪かった。だから遠くの異国との初期交渉くらいで目くじらを立てることは……」
「ルイガ様……」
一歩、歩み寄ってイツシズが静かに声を発する。
「ぐっ……」
近衛騎士として、小規模な反乱等での実戦経験もあるイツシズの圧力に、ルイガは押し負ける。
「海向こうのとの交渉とはすなわち、この大陸の代表たるわが帝国が取り仕切る事案。その最初の接触をとりなしたとあれば、その功は次期皇帝決定評定においても無視することは出来ますまい。ましてや……」
すっ、とイツシズはルイガを指差した。
「あの様な醜態を晒しては大きな負の要素となりましょう。貴族や民衆議員達は目ざとい、評定の際は必ずや突かれましょうや」
「……すまぬ」
「イツシズ将軍、その態度と言い方は度が過ぎるぞ」
イツシズの言葉にセミック、ルイガと同い年の付き人が、短い黒髪を静かに揺らしながら諌めた。キツイ目つきが強い非難の色のため一層キツくなっていた。イツシズはそれを見て、少し頷くと一歩身を引いて、頭を下げた。
「殿下、少々度が過ぎました。お許しください」
「いや、私も悪かった。しかし……グーシュなぜまた。三年前のことで納得してくれたのでは無いか……あいつが引いてくれれば兄妹で闘う必要もないのだ……」
結局の所、ルイガリャリャカスティとはこういう男だった。確かに頭脳明晰で武に優れていたが、心がそれらに追いついていなかった。
三年前のミルシャの件も、朝礼で致命的なまでにグーシュにやり込められたと判断したイツシズ達が起こしたものだった。グーシュにとっては、兄妹での切磋琢磨に過ぎなかった、朝礼での皇帝からの試験にも似た問も、ルイガにとっては自身の立ち位置をかけた決死の戦いだった。
ルイガはどうしても、グーシュが抱いていた皇帝からも認められた優秀な跡継ぎ、という実像に心が及んでいなかったのだ。
(それでも、我らはこの御方を次期皇帝にせねばならん)
そんなルイガがグーシュすら誤解する程皇太子としての職務を行ってこれたのは、ひとえにイツシズ達取り巻きによる支援によってだった。それほどまでに取り巻き達は、グーシュと他の皇族に危機感を覚えていた。
(早々に嫁いだ色ボケの第二皇女を始め、政に興味も示さず遊び呆ける若い皇族……そして例外はあのグーシュしかおらん。あいつを野放しにすれば帝国は瓦解しかねん。常識知らずの異常者が皇帝になるなど放って置けるか)
いかに民衆や兵士にいい顔をして支持を集めても、グーシュの事を支持するなどイツシズ達にとっては論外だった。グーシュの最短で物事をなそうとする性分と、伝統や前例を嫌い行動する性急な部分が嫌われたためだ。しかし、イツシズはそれとは違う、ある点でもグーシュを危険視していた。
(あの時……お付きの女を怪我させた時、我らはあの女が何らかの報復に出ると思っていた。性急に物事を進めようとするあの性格からすぐに事に出ると想定して備えていた。だが、あの女は何もなかったように謝ると、そのまま何もしなかった……)
グーシュにとってはそれはミルシャの安全を第一に考えた論理的な行動であったが、イツシズらにとってはあまりに不可解な行動だった。
激情型で、事あるごとに兄である皇太子に張り合ってきたグーシュが、お気に入りのお付の女を傷つけた事に対して、逆に謝罪した後謹慎し、その後は一気に表から引いた。そしてその後は謀略も無く無為に過ごしている。
これはイツシズ達にとってはあまりに恐ろしい動きだった。グーシュにとっては抵抗の意思がない事を示してのことだったが、イツシズ達にとってはいっそのこと裏でルイガを誹謗中傷でもしたほうがよほど安心できたのだ。
グーシュのあまりに割り切りが良すぎた性格が、長年謀略の中生きてきたこの老人たちを恐れさせていた。 この恐れとルイガの甘さ、グーシュのルイガ達への過大評価と誤解がこの三年の平和をもたらしていたが、全てがこの時崩壊しようとしていた。
「ルイガ皇太子殿下……」
「!? な、なんだイツシズ」
ルイガ様、でもなく皇太子殿下、でもなくルイガ皇太子殿下、とイツシズが呼ぶ時。もれなくそれはルイガにとって厳しい提案がなされるときだ。そして理を説かれると、ルイガはそれに反対することが出来なかった。
「もはや温情をかけ続けること能わず。偉大なるルーリアト帝国の為に、ご決断のときです」
「イツシズ……だめだ、グーシュは大切な妹なのだ……死んだ母に頼まれたのだ……」
察したルイガが涙目で懇願するが、もはや止まらない。イツシズは帝国の為に進言する。
「グーシュリャリャポスティ殿下を弑します」
(ああ……母上……)
ルイガが頭を抱えても、イツシズの言葉は止まらない。それにルイガは逆らえない。いや、理解っている。これ以上兄妹で争えば、次期皇帝決定評定は荒れる。未だ未成熟な皇帝を入れ札で決める仕組みは、本当の対立による決定に耐えられないだろう。それが何年先だろうと関係ない。ルイガの見立てでは、評定の決定に権威が発生するまで、あと二代程度は満場一致での決定を行わなければ、帝国は大きく軋むだろう。
そのためにも自分がしっかりしなければならない……誰もが自分を皇帝と認める状況を作らなければ、帝国と大陸の平和が失われる。
「……仕方ないのか、やるしか無いのか……」
(「グーシュは人とは考え方が違うから、あなたが守ってあげて」)
母が死ぬ前、語った言葉がルイガの脳裏によぎった。だが、言葉を守る事は出来ない。
「……して、いつ実行する? 交渉が関係するからな、準備を気が付かれないように慎重に行いつつ、見極ねばな」
「いえ、皇太子殿下。」
「ん? 」
「一番油断しているときに致しましょう」
こうして帝都の夜は更けていく。決意と、謀略を秘めて。
誤字・脱字等ありましたら、よろしくお願い致します。




