第10話―4 火星宇宙軍
「ああ、了解した。うまくいったら迎えをくれ。座標は送った通りで……」
アセナ大佐はミユキ大佐の体でサーレハにそう告げると、再び薄暗い地下空間にある自分の体へと意識を戻した。
つい先ほどまでバッテリー節約のためにスリープモードに移行していた体を起こし、目を開けると相変わらず不気味なオルドロが壁にもたれかかっていた。
「……随分と慌てていたが……お前らしくないな」
さも当然のように先ほどまでの通信内容を把握しているオルドロにアセナ大佐は一瞬怪訝な表情を浮かべたが、すぐに思い直した。
ナンバーズが量子通信を盗み聞きしたくらいで慌てていては、きりが無い。
アセナ大佐は身を起こすと、親代わりのナンバーズに少しだけ見栄を張るべく余裕ありげに微笑んだ。
「いえいえ、さっきのは演技ですよ」
「演技?」
オルドロが首を傾げる。
乾いた皮膚がパラパラとこぼれるように剥がれ落ちた。
「ええ。アブドゥラは二手三手先を読んで行動できる子ですが、想定外の事態には少し弱い子なので……ですが、私が慌てるそぶりをすると冷静になるんです。親代わりの私が出来る一番のサポート、という奴ですよ」
浮かべた笑み自体は見えだったが、言葉の内容自体は真実だった。
今代のサーレハだけではない。
廃墟になった中東の都市で赤ん坊を拾った第二次大粛清の時から、ずっとサーレハ一族の子供を育ててきたのだ。
アセナ大佐には、あの一族の人間の思考ならすべてが分かる自信があった。
だからこそ、上手くいく。
アセナ大佐は笑みを浮かべたまま、生暖かい目でアセナ大佐を見つめるオルドロの背後にある縮退炉を見た。
サーレハは必ずやエドゥディア帝国の縮退炉、通称””風の杖”搭載の戦艦ハストゥールをこの星系に引きずり出し、人類の未来を切り開いてくれるはずだ。
(さあ、勝負はここ数時間……アブドゥラ……勝利を!)
決意と共に、アセナ大佐は最後に残った数個の有機バッテリーの玉を一気に飲み込んだ。
※
『こちら地球連邦異世界派遣軍第042機動艦隊所属第3強襲戦隊旗艦クリス・カイル。所属不明艦隊に告げる。貴艦隊は異世界派遣軍が地球連邦加入交渉中の異世界現地政府が領有する星系に無断侵入している。外惑星管理法に基づき我が艦隊が星系の保安任務を代行する。ついてはそちらの所属、及び目的を早急に告げよ』
たっぷり数分間の司令部の沈黙の後、クリス・カイル達に告げられた命令は所属不明艦隊へ所属と目的を尋ねると言うありふれた……そして本来ならすでにやっているべき当たり前の命令だった。
正直言えばクリス・カイルとしては目の前に湧き出るようにゲートを通過してくる艦隊を先制攻撃で沈めてしまいたい所であったが、相手が火星宇宙軍であればそうはいかない。
交戦規定上の問題に加え、火星という政治的なデリケートさ。
そして何より、火人連に所属してはいても彼の艦隊を運用しているのは(火星に住む人間がどう言おうとも)地球人なのだ。
(どんなに合理的で、こちらの被害を減らせるとしても……人間を命令も無く殺すなどできる訳が無い)
クリス・カイルは独り言ちた。
感情制御型アンドロイドにとって、地球連邦政府の利益に次いで重要視されるのが人間の生命保全だ。
連邦政府及び傘下組織の要人、一般地球人、異世界人、連邦政府の利益に反する地球人、連邦政府の利益に反する異世界人の順に尊重されるそれは、おいそれと棄損していいものでは無い。
(とはいえ、相手は重統制艦を含む大規模な火星宇宙軍艦隊だ。サーレハ司令は打撃艦隊抜きでどうするつもりなんだ?)
クリス・カイルが疑問を抱く最中も、空間湾曲ゲートからは無数の火星宇宙軍と思しき艦隊が湧き出てきていた。
その数はすでに数百を超えている。
『クリス! 相手からの返信はないわ。命令通りワーヒドの軌道に移動しましょう』
シャーニナからの通信を受け、クリス・カイルは指揮下の三隻に惑星ワーヒドの衛星軌道へと進路を向けるように指示する。
『相手へ所属と目的を尋ねる通信を入れ、反応があれば交渉を行い、無ければ即座に惑星ワーヒドの軌道上へと向かえ』
それが艦隊司令部からの命令だった。
「強襲戦隊を惑星軌道へ集結……まさか、サーレハ司令は……」
強襲戦隊は重巡洋艦で構成された部隊で、その役割は地上におけるかつての騎兵に近いものだ。
即ち敵の艦列が乱れた、あるいは敵が逃げ腰になった際に突撃して相手を蹂躙するのだ。
そして、宇宙空間において高速移動する相手へ肉薄するために用いられるのがスイングバイと呼ばれる加速方だ。
簡単に言うと星系内の一定以上の質量をもった天体の軌道上を高速で移動し、その遠心力で一気に加速するのだ。
ハンマー投げの選手を天体、ハンマーを艦隊と捉えるとイメージしやすい。
強襲戦隊が星系内の手ごろな天体の周囲を回り、その間に戦列艦を中心にした艦隊主力が相手艦隊を遠距離砲撃で弱らせ、隙を見て強襲戦隊が突撃する。それが異世界派遣軍の基本戦術だった。
つまりサーレハ司令はあの膨大な相手艦隊に対して、正攻法で挑む気なのだ。
手早く単縦陣を組み、加速を始める指揮下の艦隊を見た後、思わずクリス・カイルは背後にいる火星宇宙軍の艦隊を見た。
(あそこに……突っ込むのか)
高揚感を超える緊張が、重巡クリス・カイルにのしかかってきた。
次回更新予定は4月16日の予定です。




