第1話―1 残骸
グーシュリャリャポスティは人生の絶頂期にいた。
目の前には皇帝である父と自分の理解者である一木が手を握り、その二人とグーシュを称える臣民たちで広場は満ち、称える声は帝都を包み込んでいた。
(全ては、わらわの全てはここから始まるのだ……今日、ここからわらわは、海向こうに……憧れの未知へと踏み出すのだ!)
グーシュは自分でも自覚できるほどに浮かれていた。
だが、ある種無理からぬことだった、
物心がついて以来、自身の周囲にあった自分自身を押さえ付け、邪魔をする要素全てが消え去り、自己とその周囲全てを自分の理想へと塗り替える機会を得たのだ。
理想の帝国。
理想の理解者。
理想の構造。
未知へと旅立つ。
その夢へと至るため、必要だと思ってはいても手に入らなかったものが全て手に入ったのだ。
だが。
いやだからこそ。
油断した報いは、すぐにもたらされた。
「グーシュ……」
国葬会場での演説が段落し壇上から後ろに下がったあと、一木が酷く落ち込んだ声で話しかけてきた。
あまりの様子に、グーシュばかりかその場にいた皇帝やガズルも怪訝な表情を浮かべた。
「……父上、先に帝城に戻っていてください」
「いや、グーシュ様……」
「我が国に関わる事ならば、余も……」
不穏な空気を察したグーシュが、皇帝に先に帰るように促す。
それに対し、皇帝と数人の官吏も反射的に情報を聞こうと口を開いた。
「まあまあ兄上。お疲れでしょうし、わたしが聞いておきますよ。それに、こういった場合まずグーシュや私に情報を伝えて、その後で兄上や帝国に伝えた方がうまく回りますから、ねえ、兄上?」
その場を一木の雰囲気からただならぬ気配を察知したガズルのとりなしによって、皇帝たちを先に返す事が出来た。
そんな様子を横目で見ながら、グーシュは少しキツイ口調で一木を注意した。
話があるにしても、一木の先ほどの態度はあまりに不審過ぎた。
あれでは、ルーリアト帝国側の人間は不安になって当然だ。
だが、そんな怒りは一木の言葉によって吹き飛んでしまった。
「ミラー大佐が、死んだ」
「下らん冗談はよせ」
グーシュの頭は一木の言葉によって真っ白になったが、自分でも驚くほどすぐに否定の言葉が飛び出した。
「……え? 一木代将、何を言っているんですか? み、ミラーちゃんが、死んだ?」
だが、背後にいたミルシャはそうはいかなかった。
困惑した様子で、出血で青白い顔が死人の様にさらに白くなっていた。
グーシュは思わず、一木にミルシャに配慮した言い方を選ぶように注意しようかと一瞬迷った。
このままではミルシャが気絶するのではないかと危惧したからだ。
「はい……今、連絡が……」
しかし、見た目通り本当に機械の様な一木の硬い言葉が、グーシュの注意より先にミルシャの心を打ち砕いた。
一木の返事を聞いた瞬間、ミルシャは床に膝をついた。
グーシュは慌てて、ミルシャを支えるため駆け寄った。
「殿下……そんな……嘘だ……」
「一木! 事情を説明しろ! なぜミラー大佐が死んだのだ!?」
「まずは、ガズル様の家の……仮説司令部に戻りましょう。俺も、まだ……状況が……」
グーシュの叫びに対し、一木は尚も機械の様な声で応じた。
ここでようやく、グーシュは目の前の男がこの場で一番衝撃を受けている事に気が付いた。
この機械の体の優しい男は、今グーシュの胸で泣いている少女よりも、よほど激しく打ちのめされているのだ。
「わかった。すまん、一木……お前の方が……」
「……」
グーシュの謝罪に対し、言葉は無かった。
程なくして、状況を把握したマナと警護課のSSが現れ、グーシュと一木達をガガーリン装甲車に誘導した。
一木とミルシャは半ば抱えられて装甲車に乗り込んだ。
※
ガズル邸の周囲は物々しい警備下にあった。
コソコソする必要がなくなったからか、グーシュが目にしただけでも中隊規模の強化機兵と歩兵が周囲を固め、屋敷のあちこちに装甲車や戦車から取り外した重機関銃が据え付けられていた。
それだけではない。
先ほどビラをまいた護衛戦隊のうち四隻の護衛艦が直上に控え、75mm速射砲を邸宅の周囲に向けている。
(間違いない……この帝都には、何かがいるのだ。異世界派遣軍ですら脅威に感じるような何かが……)
だが、グーシュが察したその事実はある事を示していた。
(誤報では、無いのだな……)
そのことを自覚した瞬間、胸が締め付けられるような苦しさがグーシュを襲った。
あのつっけんどんな顔が浮かんでくる。
時折見せた、甘えるような視線が浮かんでくる。
丸っこい体になった時、ミルシャと三人で過ごした時間が浮かんでくる。
その度にグーシュの心は合理的判断とは逆に、ミラー大佐の死を否定する気持ちが強くなっていった。
横を歩くミルシャの手を強く握る。
指の取れた、血のにじむ冷たい手。
前を歩く一木の背を見る。
落ち込んだように、丸まり悲しみに満ちた背中。
後ろを歩くマナ大尉を見る。
落ち込む一木を心配して、一心に見つめる目。
(ああ、そうか……ここまで材料がそろっても……ミラー大佐の死を否定する要素が無くても……)
グーシュの目から涙が滲んできた。
この期に及んで、この先にある扉をくぐれば、すっかりなじみとなったあの憎まれ口が聞こえてくると、そんな甘い考えが浮かんでくる。
(非合理でも、信じたくなるのだな……合理を否定する気持ちとは、こういうものか……)
やけに重い音を立てて、ガズル邸のある一室の扉が開かれた。
使用人用の大部屋だった部屋で、寝台が多く並ぶ部屋だ。
その寝台のうち三つに、美しい女たちが寝かされていた。
細身の、剃刀のように研ぎ澄まされた女が二人、驚いたような少しひきつった表情で寝ている。
そして一番手前の寝台に、少しぽっちゃりとした美女が、安らかな笑みを浮かべて寝ていた。
「ああ……」
まだ、グーシュの心には希望があった。
寝ているだけだ。
動画で見たどっきりに違いない。
またあの小さな体になっているのだ。
「ミラーちゃん……嘘だ、嘘だよぉ……」
ミルシャが泣きながら駆け寄った。
(さあ起きろ! 笑え! ミルシャを驚かせるには今が一番だぞ!)
思考にすらならない願望が心からあふれ出す。
だが、ミルシャがあの大きな胸に顔をうずめて泣きじゃくっても、あの馴染みのアンドロイドは身動き一つしなかった。
「ああああああああああ! ……ミラー……ミラー!!」
自分が駆けよれば、ミラー大佐は目を覚ますという最後の願望に縋り、グーシュは駆け出した。
途中、身動き一つしない一木の横を通り過ぎた。
その姿はまるで飾り甲冑の様で、グーシュは初めて一木を不気味に感じた。
そして、グーシュは寝台に寝るミラー大佐に駆け寄った。
その安らかな笑顔の、柔らかい頬に手を振れ、顔を近づけた。
だがその感触は冷たく、硬く、まさしく人形そのものだった。
よくしゃぶっていた煙草の甘い香りもせず、車両や銃と同じ、金属と樹脂の匂いがした。
ここでようやく、グーシュはアンドロイドの死を認めざるを得なくなった。
泣き叫ばない理由が消えてしまったので、グーシュは悲しくて大声で泣いた。
するとミルシャと自分の鳴き声に交じって、一木のモノアイがゆっくりと回る音も、小さく、小さく聞こえてきた。
次回更新予定は18日となります。
次回もお楽しみに。




