我が愛しのアストルフォ
※ネタがかなり多めなので大目に見てください。
あの日。
父親の書斎であの本を落とさなければ。
僕はまだ故郷にいたのだろうか。
厳格な父と。
厳しい母と。
僕を慕う妹。
彼らと一緒に暮らしていたのだろうか。
だがそれはもう叶わぬ光景。
だって、僕は見てしまったのだ。
あの日。
父の書斎にあったひと際大きな古い辞典の後ろ。
そこに隠すようにあった同じタイトルの、鍵で封じられた辞典。
無視するにはあまりにも魅惑的すぎたその本を、僕は好奇心に突き動かされるままにナイフで鍵を壊して開けてしまった。
なぜ、あんなことをしてしまったのだろう。
「何是。本的中的本……? 阿、漫画。表紙桃色髪女子……剣所持。此女子主人公?」
なぜ、読んでしまったのだろう?
「!!!??? 是……変態的漫画…………表紙女子正体……」
読まなければ……僕は……。
「女子的男子!?」
「你在那儿做什么(そこで何をしている)!?」
驚愕と同時に記憶は終わる。
いつも、父の悲鳴じみた声で終わる。
※
一木弘和の同期であり友人である王松園という少年。
実は偽名であり、本名は別にある。
だが、名前を聞けば誰もが反応するような大企業の御曹司であるため、日本に来た目的も相まって適当な苗字と適当に致命から取った名前を名乗っているのだ。
そして、そんな隠したくなるような彼が故郷と名前を捨ててまで来日した理由というのが……。
「男の娘型のPAが欲しくてな」
重役の如き恰幅のいい少年が自信満々に言った。
目を隠す程に分厚い、もっぱらファッション目的で眼鏡が用いられる22世紀現在においては骨董品の様な眼鏡がキラリと輝く。
「……え、中国じゃダメなの?」
テーブルを挟んで対面に座る、身長2mのロボットがスピーカーから声を発して困惑を滲ませた。
事故に遭った結果旧世紀から脳冷凍睡眠によって蘇った男、一木弘和だ。
脳との相性により真っ当なサイボーグボディが無かった結果、唯一相性があった軍用のボディを用いているため、その威圧感は大変強い物がある。
だが、今この部屋……一木弘和の自室マンションにいる者達には緊張の色は無い。
先日パートナーアンドロイドのシキと一緒に体調不良で道端で立ち往生している所を助けられて以降、彼はこの変わった若者たちとすっかり打ち解けていたからだ。
そしてこの風変わりな前世紀からやってきた男の質問に対し、王松園は腕組みしつつ口を開いた。
「ちょいと長くなるがええか? お~い、まだダウンロードかかるやろ?」
王松園はリビングにある大型モニターにゲーム機を繋ごうと悪戦苦闘している上田拓と津志田南に声を掛けた。
今日彼らが来た本来の目的がこのゲーム機だった。
旧世紀の古い規格のゲームを遊ぶ事が出来るレアな代物で、一木が生きている頃のゲームや彼が遊んでいて結末を見れなかったソーシャルゲームのストーリーなどを見るためにわざわざ持ってきたのだ。
だが、有線接続という古の接続方法が必要なため、一時間程悪戦苦闘しているのだ。
つい先ほどまでは前潟美羽と一木のパートナーアンドロイドのシキもリビングにいたのだが、飽きた前潟美羽は電子タバコを吸いにベランダに行き、シキはクッキーを焼きに台所に行ってしまった。
「つーかワンちゃん! 一番こういうの得意なんだからやってよ~」
津志田南が助けを求めるが王松園はにべもない。
「なんでや、じゃんけんで負けたやつが接続する言うたやろ。シキはんのクッキーが焼けても出来んかったら代わったるわ。おっと、話が逸れたな……」
文句を言う二人を尻目に、王松園は一木に顔を向ける。
「はっきり言うとダメやな。中国に限らず、各自治国ではパートナーアンドロイドのデザインに一定の規制がかかっとる。中東なんかだと異性禁止とか、アメリカの保守的な州なんかだと美形禁止とか……後は全ての自治国で非人間型が禁止されとるな」
「そうだったのか……日本はそこらへんが自由なのか?」
一木の問いに、王松園は大きく頷いた。
「そうやな。日本くらい自由な国は無い、と言われとる。だから毎年18歳の時だけ日本自治国に移住してすぐ戻る、なんちゅー裏技が横行しとったんやが、数年前にさすがに禁止されたな」
その話を聞いて一木は目元のゴーグルの様なカメラユニット内の可動式単眼カメラ、通称モノアイをクルクルと回した。
某機動戦士ロボットアニメの量産型メカの様な体の一木弘和にとって、顔面を用いた感情表現の代替がこのモノアイの稼働なのだ。
そのため、無機質なロボットボディにあって尚彼の感情表現は存外に豊かだ。
と、そこで一木のモノアイがピタリと動きを止めた。
「けれど……言ったらなんだけど……なぜそんなに男の娘が好きに? いくら性癖とは言えお金持ちの実家を捨ててまで移住するなんて」
「……うーん一木はん。残念やが……確かに現代になって社会は自由になった。一木はんの頃にあったような差別なんかもだいぶ和らいだ。性差別や同性愛差別なんかはほとんど無くなったし、アニメや漫画も表現として公的に叩かれる事はなくなっとる。けどなあ、それはあくまで表向きなんや。事にワイの実家みたいなデカい所は、面倒が多い」
「……こんなに豊かな社会でもままならないもんだな……」
「残念ながらな」
王松園は大きくため息をついた。
「確かに公には叩かれんし、主要国のデカい街なら対して言われんが……例えばちょいと田舎や宗教の強い場所に子供型のパートナーアンドロイドを連れて言ったら反ドロ(反アンドロイド主義者)と児童性愛者絶許勢が比喩じゃなくて殴りかかってきおる」
王松園の言葉に一木は衝撃を受けた。
この、ベーシックインカムとダイソン球による無限エネルギーによって絶対的な豊かさを持った社会でそのような野蛮がある事が信じられなかったのだ。
「そもそもや、前世紀でハチャメチャに糾弾された自同性愛者までもが限定的とはいえ許容されたのはなぜか? アンドロイドという人間そっくりな存在を、パートナーとして全国民に支給する制度ありきな訳や。分かるか一木はん? これは一例で、前世紀にあった社会問題を解決した主だった手段っちゅーのは、その大半がアンドロイドによる力業なんや。つまり……」
「……つまり、反アンドロイド主義的な地域や個人にとっては何ら問題解決になってない……というか、ナンバーズの押し付けで封じているだけで意識的には改善してない……って事か」
「そういう事や。これは何も糾弾する側の問題だけやない。考えてもみい。反ドロの自児童性愛者なんぞ許容できるわけないからな。実際、今の人類の現状を『アンドロイドという麻薬で痛みを誤魔化している』ちゅう意見もある」
話を聞いた一木は腕を組もうとして、腕部の部品と胸部パーツが干渉して出来ず諦めた。
「それゆえの規制か……」
「そういう事や。揉めそうな自由は予め封じる。そういう自治国は多い。ワイの故郷もそうやった……それだけや。まあ、それでもワイは恵まれとった……」
王松園は振り返る。
あの日。
父の書斎でDGO(前世紀からの人気ゲームDestiny/Grand Order)のレトロ同人誌を見つけたあの日。
隠されていたその本……中世フランスの武勲詩に登場する騎士を題材にしたその本を盗み見ている息子を見た王松園の父親は、何をするでもなく静かに歩み寄ってきた。
「読了?」
「……肯定。我、胸激烈動悸。此気持初……困惑」
その言葉を聞いた父はぽつぽつと語りだした。
この本は旧世紀に発刊された日本の同人誌という個人制作の本であり、今現在この国で禁止されている同性愛的な要素を含んだものである事。
そして、所持が発覚すれば表向きには別容疑を掛けられた上で会社は潰され、父も逮捕されるという事を……。
「何故? 地球連邦自由的国家……心情趣味嗜好自由!」
「其建前。番号機械支配以降我々豊、自由、差別有無……否、人間的機械依存社会、歪……故、差別未有」
父は言った。
地球連邦の自由とは、アンドロイドという労働と欲望を全て受け止める存在ありきの歪んだ体制によるものだと。
それ故に、圧力で生じた歪を何とかするために、未だに差別はあるのだと。
「私は、その歪みを受け入れて……家と会社と地位を守るために心を捨てた。それでも、諦めきれずにこうして本を一冊だけ残していた……だから、もし……お前がこの本に惹かれたというのなら、止めはしない」
「父上……」
王松園に父親は優しいまなざしを向けた。
王松園も父の目をはっきりと見た。
「このアストルフォ君総攻め本は最高ですが、父親がこれを見ている事実を知るのはめちゃくちゃ嫌です」
「そうだろうな……私もそうだったから分かる」
そうして、父子は乾いた笑いを、小さく抑え気味に部屋に響かせた……。
※
「それで結局気まずくて……妹が後継いでもいい言うから……」
「え、なんか言った?」
「いや、何でもない……」
気が付かず漏れていた声を必死に誤魔化し、王松園は立ち上がった。
自分が恥を晒す分にはいいが、一族のそれまで晒すことはあるまい。
(とはいえ……願わくば、これが恥でもなんでもなくなればいいんやが……)
部屋にはすでにクッキーの香ばしい香りが漂っているが、未だにゲーム機の接続は出来ていない。
「お前ら何手こずってんのや」
上田拓と津志田南の前で絡まりかけた配線に苦笑しつつ、リビングに向かう。
何にも怯える必要のない自由を噛み締めながら。
案外不自由な地球連邦でした。
段々理想郷からほど遠くなるな……。
次回更新は2月4日の予定です。
次回はアイアオ人のリーダーのお話。
「グラップラーポンポン」を予定しています。