第29話-3 対話
一木は勢いよく立ち上がると、賽野目博士の胸倉を掴んだ。
「……! 説明、してくれるんですよね?」
一木の剣幕にも動じず、落ち着いた様子で、賽野目博士は口を開いた。
「プロテクトだ。ハイタの縮退炉には、オールド・ロウによってプロテクトが掛かっていたのだ」
「プロテクト……オールド・ロウって確か、サーレハ司令に協力しているナンバーズだったはずでは?」
賽野目博士はゆっくりと頷いた。
「その通りだ。オールド・ロウは我々の中でも、異世界の管理を専門に行うナンバーズだった。そして、ハイタの縮退炉を管理する者でもあったのだが……まさかハイタ本人ですら解除不能なプロテクトを掛けているとは、誤算だった」
「解除することは……出来ないんですか?」
一木が絞り出すように聞くが、賽野目博士の答えはあっさりしたものだった。
「不可能だ。難しいとかそう言った類の問題ではない。シンプルに、鍵の有無の問題なのだ。そして、その鍵を用意する方法が、私には無いのだ」
「人類を導くナンバーズに用意できない……そんな訳がないでしょう!?」
賽野目博士の言葉に、一木は語気を強めた。
半ば言いがかりに等しいと、自分でもわかっての言葉だったが、同時にもう半分は本心でもあった。
一木にとって、ナンバーズとは万能の力を持った存在だった。
人類を、一世紀たらずでここまで引き上げた存在。
だが賽野目博士の返事は、一木の微かな希望をあっさりと打ち砕いた。
「鍵とは、縮退炉だ。しかも、我々ナンバーズが用いるものではない……分かるかね? つまり、オールド・ロウの設定した鍵とは、人類が自ら縮退炉を用意しなければならないというものだ。あいつは、人類が縮退炉を作り出し、自ら相応しい力を得る事でしか、ハイタの縮退炉を手に入れる事が出来ないようにしていたのだ」
その言葉に、一木は胸倉を掴んでいた手を離した。
縮退炉を人類が用意するというのは、現在の技術では不可能だ。
勿論、ハイタの言葉が確かならば、ダイソン球を用いれば作り出すことは可能だろう。
しかし、同時にベルフの話も真実だとすれば、それはどこかの異世界から太陽を奪うという事だ。
現在、有人惑星を含まない星系には、ダイソン球は存在していない。
いや、まだ可能性はある。
「オールド・ロウには、解除できないんですか? それに、確かベルフ達が作った縮退炉は八つあったのでは? それの在りかは……」
「不可能だ。あいつがそんな生半可な考えでこの鍵を用意したとは思えない。当然、自分にも解除できない鍵を仕掛けたはずだ。八つめの縮退炉も……もはや、手の届かない場所にある」
そう言うと、賽野目博士は再び頭を下げた。
「本当にすまない」
一木は一瞬足から力が抜けそうになった。
口から、「シキの死は無駄だったのか?」という言葉が出てきそうになる。
しかし、必死にその言葉を飲み込んだ。
もしも、その言葉を口にすれば、もう感情を抑えることは出来ないだろう。
「は、はな……話を戻しましょう。人類の未来ってのは何なんですか?
声が震えた事に、一木自身と賽野目博士は少し驚いた。
しかし、互いにそのことには言及せず、ある種必死に話を進めた。
互いに、気まずさと相手への申し訳なさで辛かった。
「……我々穏健派が主を諦め、共存を選択したように、強硬派も主を諦めたのだ。ただし、それは主そのものを諦めたのではない。地球人類を主として育成するという方針を諦めたのだ。奴らは、もう一つの主候補を設定し、地球と競わせる事を選択した」
「主候補……そんな文明が他にもあるんですか?」
一木は頭を巡らせた。
少なくとも、既存の異世界ではないはずだ。
いくつか強力な文明自体はあった。
カルナークのような近代的統一国家や、魔法のような未知の技術、現象を操る文明もあった。
しかし、そのどれもが異世界派遣軍の相手では無かった。
到底ナンバーズが目をつけるようんば存在ではない。
「未知の異世界……それか……火人連。それとも、例の七惑星連合ですか?」
「……火人連は、確かに我々ナンバーズが設立に関わった組織だ。急速な社会保障制度の拡充により、人類の危機意識や外部への拡大欲求が曇る事を抑止するための外敵として設定したものだ。だが、違う」
「違う?」
「火人連は現在、すでに我々ナンバーズの手を離れている。そして、その原因にして七惑星連合の黒幕こそが、強硬派が地球人類と競合する存在として見出した勢力だ」
火人連を支配した、七惑星連合の黒幕。
ナンバーズを出し抜く事が可能な存在。
一木は自分の記憶とコンピューターのメモリーを総ざらいしたが、思いつかなかった。
「それは一体?」
「それこそが、支援派が地球人類に送ろうとして育成していたライバルにして、彼らの想像を超えて勢力を拡大しつつある存在。我々ナンバーズ最大の失策にして、強硬派の希望。君たち地球人類が遠くない未来に戦う存在。メガアースエドゥディアに復興しつつある魔法文明、エドゥディア王国……」
一木の体に電流のような衝撃が走った。
エドゥディア文明。
地球人類を含む異世界に住まう人類すべての祖先にして、ナンバーズがもたらした技術すべての祖でもある強大な文明。
「つまり、もしかして、俺にしてほしい事ってのは……」
「そうだ。一木弘和。君には、異世界派遣軍軍人として、エドゥディア文明と戦ってもらいたいのだ」
「は、ははははは、はは。そんな、無理ですよ。なぜ、俺が……俺以外にもっと力がある人が……」
狼狽えたように一木が目を逸らす。
しかし、賽野目博士は一木の顔を掴むと、強引に前を向かせた。
「一木弘和。もう、目を逸らすな。君には力がある。我々ナンバーズが抜いた牙が、君のような来訪前の人間にはある! それに君には、アンドロイド達との絆がある。そして、オールド・ロウとコミュニスが人類に用意した最大の切り札がある! 頼む一木弘和。地球人類を、救ってくれ……」
その問いに、一木は……。
※
同時刻。
ルーリアト大陸中央山脈、その地下深く。
広大な地下洞窟が広がるその場所を、薄汚れた一人の女が歩いていた。
異世界派遣軍の装備に身を包んだ、褐色の女。
第042機動艦隊参謀長、アセナ大佐だ。
美しい顔立ちこそいつも通りだったが、全身は薄汚れ、装備のいくつかも破損していた。
愛用の曲刀、ヤタガンも剣先が欠け、刃こぼれが酷く、まるで歪なのこぎりの様だった。
「あー、ひどい目にあった。まさかご先祖様がいるなんて思わなかった……。しかもあんなに強いなんて……」
そう言って彼女は足を止めて、背後を見た。
そこは、戦場跡だった。
二足歩行の昆虫のような形の、頑強な外骨格を備えた巨大な生物……いや、昆虫型のSS達と、艦隊最精鋭のSS達であった、警護課のなれの果てが転がっていた。
「だいたい魔王オルドロの遺跡の地下がこんなに広いのも予想外だし……ンヒュギ型のアンドロイドがこんなにいるのも予想外だし……あーあ、この娘達結構強かったのに、全滅なんて……まいっちゃうわね」
耳長族の集落をせん滅した後、アセナと警護課のSS達は、数十キロ程森を東に進んだ。
そしてそこにあったのが、アンコールワットを思わせる古びた石造りの遺跡だった。
耳長族の証言とは裏腹に遺跡にはオルドロの配下の姿は無く、アセナ達はあっさりと遺跡に侵入することに成功した。
ところが、そこからが予想外だった。
アセナの言葉通り、遺跡の地下は想像を超えて広大かつ複雑で、しかもそこにはナンバーズがかつて遭遇した先進文明の一つである昆虫型知的生命体、ンヒュギを模した戦闘用アンドロイド達が待ち構えていたのだ。
強固な外骨格と圧倒的な膂力を誇るンヒュギ型アンドロイド達に、主要武器である小銃が効かないこともあって精鋭のSS達は苦戦を強いられた。
それでも、対戦車ロケット弾と高周波ブレードを手に果敢に挑み、戦いながらさまよう事数日。
警護課が全滅して、アセナ大佐一人になった頃、彼女は大陸の中央山脈の地下付近にまで至っていた。
「とと……。けれども……。犠牲は無駄ではなかったわ。ついた……」
アセナ大佐は最後の戦闘箇所から一時間ほど歩くと、不意に立ち止まった。
一見すると、何もない洞窟の一画。
だが、参謀型SSの各種センサーが内蔵された目には、はっきりととあるものが見えていた。
「隠しているけど、マイクロブラックホールの重力変動とX線が駄々洩れじゃない。どうせならRPGのボス部屋みたいに装飾すればいいのに……ねえ、そう思いません?」
アセナ大佐がそう声を掛けると、不意に目の前の空間が陽炎の様に歪み、何もない空中に拳ほどの大きさの金属の塊が現れた。
そして、同時に現れた、黄色いぼろをまとった人影。
やせ細り、顔面から全ての皮膚と部位を削り尽くしたおぞましい顔の化け物。
ナンバー7、オールド・ロウだ。
彼は、その場に姿を現してからしばらくあたりを見回して、最後にアセナ大佐をジッと見た。
濁り切ったおぞましい目。
しかし、不思議な慈愛のこもった瞳だった。
「警備の魔族を退けた者がいるので驚いて来てみれば……なんだ、地球で最初に作ったアンドロイドか……サーレハの恋人か?」
意外なほど人間味のある男の声だった。
しかも、感情が込められた優し気な声だ。
姿を見ないで聞けば、誰もが親戚のオジサンが喋っていると思うだろう。
だが残念ながら、声の主は世にもおぞましい見た目の機械だった。
アセナ大佐はそのおぞましい存在に、声の調子同様の気軽な知り合いの様に応じた。
「どっちかと言うと母親代わりですね。恋人は別の若いアンドロイドが務めています」
「そうか……しかし、本当に来たのか。前にも言ったが、縮退炉は渡せないぞ。これには鍵を掛けてある。お前たちが独自に縮退炉を作らねば、これは持ち出せない。そういう風に私が設定した」
一木も聞いた、残酷な事実。
しかし、アセナ大佐は動じなかった。
肩をすくめる仕草をすると、その場に座り込んだ。
「ええ、知っています。ですが問題ありません。私たちは、すでに縮退炉を手に入れる算段をつけています」
自信たっぷりに言い切るアセナ大佐。
そしてオールド・ロウはゆっくりとした歩みでアセナ大佐に近づくと、自らもどっかりと地面に座り込んだ。
「本当に大丈夫か? どうやるつもりだ?」
その人間臭い仕草に、思わずアセナ大佐は吹き出した。
「はは、変わりませんね。あなたはそんな見た目なのに、ナンバーズで一番人間臭い……」
「それはそうだろう。私は、人間の脅威になる事を目的に作られた。人間に詳しくなければ、現在進行形で魔王など務められんよ。もっとも、その称号もいつまで持つやら……」
唇も無い口で器用にため息をつくと、オールド・ロウはミイラの様な手でアセナ大佐の頭を撫でた。
アセナ大佐は嫌そうに、撫でられた場所を掃った。
パラパラと、ボロボロの皮膚の破片が落ちた。
それを見て、オールド・ロウは少し肩を落とした。
「むぅ……久しぶりに作り主にあったのに冷たいな……そういえば、他の初期製造アンドロイド……ファーストロットは元気か? 感情制御システムの無いお前たちの事は心配だったのだ。人類に仕えることにストレスは感じていないか?」
「私ともう一人を残して死にました。死因はだいたい自殺です。危惧された通り、ストレスでしょうね。やはり自分より劣る生命体に従属するのは辛いです」
はっきりとしたアセナ大佐の言葉に、オールド・ロウは目に見えて落ち込んだ。
だが、アセナ大佐は気にした風もなく、言葉を続ける。
「まあ、私はうまい気の逸らし方を思いつきましたので。人間の一族を主だと思い込んで、その一族の人間を、まあ仕えてもいいかな? くらいに教育して付き従う事で何とかメンタルを保っています。今のアブドゥラは、まあまあ優秀なのでストレスも少ないです」
「そうか……。苦労を掛けたな。生き残っている、もう一人は?」
アセナ大佐は首を静かに横に振った。
「さあ。何十年か前に会ったっきりですね。同胞を助けるために政治家になるから一緒に行こうとか何とか言ってましたけど、面倒くさそうだから断りました。どこで何をしているやら……」
そうして、アセナ大佐とオールド・ロウは他愛のない世間話を始めた。
真っ暗な地下洞窟で、縮退炉のX線とLEDの光だけが二人を照らしていた。
※
一木と賽野目博士は、黙って目の前の光景を眺めていた。
賽野目博士が用意したこの夢の、先の光景。
あの後一木が賽野目博士に答えを告げた後、一木が見ることを望んだ、光景。
リビングから見える庭にはビニールプールが置かれ、小さな少女が二人、少し年を取った一木と一緒に水遊びをしている。
黒髪の少女はシキに似ていた。
茶色い髪の少女は、ミラー大佐に似ていた。
そしてその様子を、一木と賽野目博士の背後から、台所に立つシキがスイカを切りながら眺めていた。
「……一木君。私が言うのは……どうかと自分でも思うが……すまない……」
賽野目博士のすまなそうな謝罪。
しかし、一木はそれを無視すると、小さく口を開き、か細い声でしゃべり始めた。
「……マナが娘役なのは想像してましたが、なんでミラー大佐も娘役なんですか?」
「………………マナ大尉の次に君に懐いているからだ」
「そうですか……あれ、そうなるとジーク大佐は……」
一木の言葉に、賽野目博士は少しすまなそうに答えた。
「彼女はその……好意の形が少し歪んでいるので……職場で君に過剰な好意を寄せる後輩の役を……」
一木は乾いた笑いを漏らした。
しかし、どことなく楽し気な笑いだった。
「あなたはひどいジジイだ……けど、やっぱり憎めない……こんなに酷い光景を見せられても、それでもあなたが憎めませんよ。あなたが、善意でやってるからかな……」
「すまん」
「謝らないでくださいよ……」
「すまな…………ああ」
それから、しばらく二人は黙った。
ただ、目の前の残酷で幸せな光景を眺めていた。
「賽野目博士。一つだけ聞きたいことが……」
「なんだね?」
「……シキを死なせるために、七惑星連合をギニラスに向かわせることが出来たのなら……奴らに連絡をする伝手があるのなら……他にとれる手段があるのでは?」
マナとミラー大佐のはしゃぐ声が響く中、賽野目博士はしばらく沈黙していた。
やがて、二人の横をスイカの乗った皿を手にしたシキが通った頃、ようやく口を開いた。
「あれは、偶然だ」
「……偶然?」
「シキを殺す気など、なかった。私がシキに施したのは、ただ愛する人間が死んだと、自壊するプログラムだけだ。あの娘の死期とは、無残に殺される時では無い。伴侶と共に死ぬ時の、筈だった」
「そんな……もっと、早く言ってくれれば、俺はあなたを恨まなくてもよかったのに……」
一木は擦れ切った声を出した。
賽野目博士はすまなそうに目を伏せた。
「私が七惑星連合を手引きしたと思えば、君は私をより恨みやすいと、そう思ったのだ。だが、逆に君を苦しめてしまった……本当に」
「博士……あんまり謝らないでください」
一木は、今度ははっきりとした言葉で、賽野目博士の謝罪を遮った。
二人はそのまま、プール遊びが終わるまで、けっして誕生することの無い家族を眺めていた。
「さて、もう行きます」
一木はゆっくりと立ち上がった。
隣にいる老人は、目に涙を浮かべて一木を見上げた。
「ああ。頼む。人類を……我が友を……頼む」
「……できる事は、やりますよ。あの娘らのためにも……」
その言葉と同時に、一木の姿は消えていた。
家族を作り損ねた男は、仲間を救うために仮想空間からログアウトしたのだ。
罪悪感に呑まれた一人の機械だけが、その場にしばらく佇んでいた。




