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第24話―1 修行

 頭から布を被り、目だけを露出したアンドロイドの女、スルターナ。

 ゆとりのある黒い布は、身体のシルエットを隠し、手元と目以外からの身体情報を遮断する。


 洞察力には自信のあったミルシャだったが、歯車騎士。

 地球語で言えばアンドロイド相手に、それがどこまで通用するのかは、怪しいところだった。


 それゆえ、少しでも状況を有利にするため、まずは舌で戦いを挑むことにした。


「……ふざけた女だな。訓練? はッ! 黒い布で体を隠し、動きを悟れまいとする者が偉そうに……。グーシュ様が言っていたが、お前らにとって僕たちは、未開の蛮族なのだろう? それにしては、随分と臆病な事だな」


 さすがのミルシャも、自分が随分と稚拙な事を言っているとは自覚していたが、それでも……。

 勝利を見出すためにも、まずはあの布だけでも取らせたかった。


 文字通り薄布一枚だろうと、勝利に近づかなければならない。

 そうしなければ、遠く月の大地にいる愛する主が死ぬことになる。

 そう思うと、ミルシャの脳はフル回転して、同僚や貴族の子弟が言っていた罵詈雑言を思い出そうと働きだす。

 どう考えても自分の語彙では、舌戦で勝つには不足している。


 だがそんなミルシャをよそに、目の前のスルターナ少佐はいとも簡単に布を取り払い、床に置いた。


「悪かったな。確かに、公平ではないな。このヒジャブは私が作られた時に、アブドゥラ様のお母さまがくれたものだ。保守的な方だったからな……私は嬉しかったが……」


 そう言って懐かしそうに眼を細めるスルターナ少佐は、美しかった。

 ミルシャが今まで出会ったアンドロイド達は皆美しかったが、それでもミルシャには、一際美しく感じられた。


「どうした? この顔が気持ち悪いのか?」


 スルターナ少佐の顔には、大きな傷があった。

 右頬が大きくえぐれ、歯がむき出しになっているのだ。

 しかし、ミルシャにはそれが気持ち悪いとは思えなかった。


「いや、スルターナ少佐殿。それは戦傷だろう、違うか?」


「その通りだ。アブドゥラ様が異世界派遣軍に入って最初の任地で、私は彼を守り切れず、怪我をさせてしまった。この傷はその時のモノで、戒めのためにアブドゥラ様に許しを得て残しているのだ……そうか。ルーリアトの騎士ともなれば、このような怪我は見慣れているのか……」


 スルターナ少佐の言葉に、ミルシャは首を横に振った。

 ちなみに先ほどから、饒舌に話すスルターナ少佐に隙が無いか伺っていたミルシャだったが、隙が全くないためにここは諦め、素直に会話に集中する事にしていた。


「ルーリアトでもそうそう見るような怪我では無い。けれども、僕たちお付き騎士にとって顔に負った戦傷は、名誉ある美しい傷だ。いかな美姫とて、使命のために顔に傷負った女には敵わない。僕は先ほどまで、黒い布を脱がせようと貴女を侮辱し、挑発する言葉を考えていた。だが、主のために顔に傷を負い、それをあえて残すあなたは、お付き騎士と同じ高潔な騎士だ。侮辱を考えていた事を謝罪する」


 そう言って、ミルシャは頭を下げた。

 自分でも融通が利かないとは思うが、それでもこうするべきだと感じたのだ。

 馬鹿にされるかと思ったミルシャだったが、スルターナ少佐が発したのは賛辞だった。


「よし! その意気やよし! ルーリアト剣術……実用一辺倒の合理的剣術と聞いていたが、今の精神性はいいぞ。そうだ! 剣術は、一見非合理な精神性によって成り立つものだ!」


 賛辞と歓喜の叫びと同時に、スルターナ少佐は腰の剣を抜き放った。

 細く、反りのキツイ片刃の剣だ。

 スルターナ少佐は左足を一歩引き、体を傾けて立つと、右手で持った剣の切っ先を左肩に軽く置いた。

 ミルシャの見た事の無い構えだった。


「私は、剣術が好きだ。シャルルが料理を好きなように。ジークが強襲猟兵を好きなように。(シャー)(ミャオ)を好きなように……。だから、スイッチを持った腕がどうのという、つまらない事は止めだ」


「何を……」


 ミルシャがその言葉の真意を聞こうとした瞬間、スルターナ少佐は赤いスイッチを事も無げに押して、背後に投げ捨てた。

 それを見た瞬間、ミルシャの頭の中でプツンッという音が聞こえ、怒りが脳を支配した。

 もうグーシュに会えないという絶望と怒りが、スルターナ少佐との実力差等の現実を全て消し飛ばした。


「あああああああああああああああ!!!」


 お付き騎士の剣術の最も代表的な技。

 抜刀から頭上高くに掲げた剣を、剣の重量と膂力全てを掛け、裂ぱくの気合と共に振り下ろす、必殺の剣だ。


 この技により相手が死ねば良し。

 例え避けられ、もしくは防がれても、そこから相手の状況に対する無数の対処方法があるのがお付き騎士剣術だった。


 相手の体格や装備別に膨大なフローチャートがあり、それらすべてを体に染みつくまで鍛錬し、同時に長年の実戦経験から導き出された合理的な判別や思考を身に着けるための、座学を重視する。


 それがミルシャの学んできた剣術だった。


(僕には機械の動きが分からないが……予測できなくとも反応を見れば次の動きは予測できる! 殿下を殺したお前を、僕は絶対に許さない!)


 アンドロイドの身体能力が分からないミルシャには、習得した通りの想定が出来ない。

 だが、実際の動きを見れば話は別だ。

 そのはずだった。


 対するスルターナ少佐は、ミルシャの素早い動きにも動じなかった。

 ミルシャの太刀筋をいとも簡単に見切ると、半歩にも満たない僅かな動きでミルシャの剣を躱す。

 同時に、僅かな腕と手首の動きだけで、剣をミルシャの顔面に向けてきた。


(回避から即座の反撃! だが、浅い! これなら鼻を削がれるだけで済む! 振り上げて、殺す!)


 だが、ミルシャの考えは覆された。

 スルターナ少佐は、腕を少しだけ引いた。

 すると、ミルシャの顔面をスレスレで当たらないように剣を振った。

 当たれば、ミルシャの鼻は削げていただろうに、なぜか向こうから避けたのだ。

 敵が、当たりに行った自分をあえて避ける事は、ミルシャの剣術の埒外だった。


(当ててこない!?)


「いい度胸だ」


 スルターナ少佐の呟きと同時に、スルターナ少佐の手首に僅かに力が入る。

 すると、驚くべきスピードで剣が回転するような動きを見せ、ミルシャの顎に剣の薄い腹が当たる。


「ゴガッ」


 薄い剣を手首だけで振っているにも関わらず、その威力はとてつもなく重かった。

 脳が揺れ、たまらずミルシャは膝をついた。


「まるで示現流の様な素晴らしい振り下ろし……それに、その後の動きもいいな。体系付けられた理知的な剣術の中でも、かなり出来のいい剣術だ。致命を避けた上で当たりに行き、逆に相手に致命傷を負わせる。肉を切らせて骨を断つを地で行くいい流派だ。だが、それでは私に勝てないよ」


 スルターナ少佐は軽い口調で告げると、膝を付き、歯を食いしばって倒れ伏さないように耐えるミルシャから数歩距離を取った。


「とはいえいい動きだった。だからこそ、お前にはたどり着いてほしい。高みへと……ん? あまり慌てなくてもいいぞ。まだ、グーシュ皇女は無事だ。スイッチを押してから、爆発まで五分の猶予がある。それまでにもう一回スイッチを押せば、爆発は止まる」


 それを聞いたミルシャの目に光が戻る。

 後先顧みない怒りが消え、冷静さが染みわたるように体に行きわたった。


 パシンッという大きな音を立てて、ミルシャは自身の頬を勢いよく叩いた。

 そして、未だ震える足で、無理やり立ち上がる。


「よし、いいぞ。脳震盪を起こした体で、立ち上がったな。それこそが、精神が肉体を凌駕した瞬間だ。よく覚えておけ」


 スルターナ少佐の言葉に、ミルシャは言い返そうと口を開いたが、出たのは言葉では無く胃液と咳だった。

 打たれた顎のダメ―ジは、到底この短時間で立ち直れるようなものではない。

 立てたものの、全く動くことが出来なかった。


 それでも、一旦失われたと思っていた希望が繋がったのだ。

 何としても、五分経過する前にあの機械を手に入れなければ。


「まだ爆発にも、回復にも時間が掛かるな……少し、話を聞いてくれ」


 舌を噛む。 

 吐き気を痛みで忘れる。

 目を、潰れんばかりに力いっぱい瞑る。

 眩暈が消えるように、気持ち悪さを忘れるように。


 そんな中、スルターナ少佐の凛とした声が、焦りと怒りと殺意に溢れるミルシャの耳に、妙に響いた。


「剣術とは、地球でも、そして異世界でも幅広く用いられる、人類全てに共通する最も古く……そして非効率な技術だ。そう思わないか?」


 問われても、何も言えないミルシャだが、その事には納得出来なかった。

 かろうじで口をゆがめる事で、否定の意を伝える。


「ふむ。だが、考えてもみろ。人を殺す。事この事だけを突き詰めるなら、銃は言うに及ばず、槍、弓矢、弩、投石。そういった物を用いた方が効率がいい。この事に異論はないだろう? ……続けるぞ」


 今度は、ミルシャの反応を待たずにスルターナ少佐は続けた。

 時間は大丈夫なのか不安になるが、今のままでは勝つどころか、剣を振り上げる事すら出来そうに無かった。

 ひたすらに、話を聞きながら回復を待つしかない。


「そうした非効率な武器にも関わらず、人間はそこに象徴性や精神性を見出し、非効率な武器を用いた、非効率な殺傷方法を追い求めるんだ。それは、地球でも異世界でも変わらなかった。私は、そんな人間の行動に興味を持ち、剣術というものを集めるようになった。そうしている中で、剣術におけるもっとも重要な要素を、多くの異世界で取りこぼしている事に気が付いた」


 焦りばかりだったミルシャに、少しだけ興味が湧いてきた。

 自分が剣術で成長するための大きな手掛かりが、得られそうな気がしたからだ。


「それは、精神だ。人間が剣術を追い求めると、自然とその動きは理想的な物へと収束していく。無理もない。人間は皆、同じような感覚器官と二本ずつの手足を持ち、出来る動きは大抵同じだ。そんな似通った存在を、効率的に殺傷しようとすれば、いずれ理想的な無駄のない動きにたどり着く。もちろん、その世界の装備や文化、気候などにもよるが、差は些細なものだ。私はこの事に思い至った時、絶望したよ。今まで自分が愛して収集してきたものが、全ていずれ同一のものにたどり着く、複数の過程に過ぎないと知ったからだ」


 ここでふと、ミルシャは先ほど自分の動きをスルターナ少佐が、「じげんりゅう」の様だと言った事を思いだした。


 つまりは、相手を倒す必殺の動きが、別の世界でも同様に編み出されていたのだ。

 そう考えると、スルターナ少佐の言葉にも一理あると、ミルシャは納得した。


「だがある異世界の剣豪が、その見方を変えてくれた。その剣豪は60歳を過ぎて、すでに肉体のピークを過ぎていた。彼の習得した剣術も、到底理想的な物には程遠かった。”過程”にすら至らない、未発達なものだった」


「……」


「だがその剣豪の主に命じられた試合で、当時の私は敗れた。私は理想的な剣術を身に着け、身体能力は年老いた剣豪どころか、人間を遥かに凌駕していた。けれども、敗れた。ヒジャブの袖を切られただけだったが、確かに試合の取り決め通り敗れた。あの時の外務参謀には、随分と文句を言われた」


 懐かしそうなスルターナ少佐の声には、耐えきれない愉悦が入り混じっていた。

 そして、ミルシャはようやく最低限収まった眩暈と吐き気に耐えながら、ゆっくりと目を開いた。


「剣豪は、なぜと問うた私に言った。私には精神が身についていないと。そう……剣術という非効率な殺傷手段で、ただひたすらに殺傷手段としての理想を追い求める矛盾。その理想の果て、戦闘に特化したSSすら凌駕する最後の一歩こそ、精神性だった……そしてそれは、我々感情制御型アンドロイドにも身に付けられるものだった。結局その後、外務参謀が謀略を尽くしてその異世界は武力制圧されたが、その最中戦場でまみえた剣豪を、私は切り伏せた。試合では全く見えなかった太刀筋、動きが容易に見て取れた。それは、私の心から迷いが消えたからだ。精神が、成長したからだ……」


「それは、大したものですね……それで、その剣豪との出会いが、どうしてこの訓練に繋がるんですか?」


 ようやく回復したミルシャが問いたかったことは、この事だった。

 スルターナ少佐は、グーシュの命を懸けた訓練をミルシャに強いていたが、ただ単に鍛えるというにはその行動はあまりに奇妙だった。


「簡単な事です。その日以来、私にとってこれはライフワーク……あなたに分かりやすく言うと、我が存在を掛けてするべき使命となった。以前の私と同じように、精神性の重要性を知らず、ただひたすらに理想の剣術に向け、合理という、もっとも遠く、絶対にたどり着けぬ道を歩むあなた達に向けての、私からの贈り物。理想への到達最後の一手、天下無双の剣、最後の鍵を身に着ける手伝いですよ」


「……それは、どうも……」


 ミルシャの見るところ、スルターナ少佐は狂っているように感じられた。

 だが、その一方で剣に生きてきたミルシャの心の一部は、今の無謀で異様で滑稽で残酷な状況を、喜んでいた。


 どんなに座学で学んでも。

 どんなに木刀を振るい、鍛錬しても。

 たどり着けない最後の一歩が身に付くのならば、それでいい。


 世界で一番大切な主。

 愛するあの方すらないがしろにする、悍ましい自分の騎士としての一面が、どこかでうずいていた。


「いい目だ。主への愛……私への怒り……それを内包しつつも、剣への純粋な思いが混じっているな」


「うるさい……殿下を助けるために、お前を倒す……例えこの身がどうなろうと……」


 心の迷いを振り払うように、ミルシャは殺意を漲らせて言った。

 偽りない本心の筈の言葉が、なぜか当のミルシャ自身には空虚に感じられた。

 ふと、いつかグーシュと交わした言葉を思い出す。

 ルニに出発する前夜。


 ミルシャより好奇心を優先する事を謝罪するグーシュに、ミルシャは言った。

 絶対にグーシュの邪魔になるような事はしない。自分の御心のままに生きてくれ。自分は絶対に、グーシュの前からいなくなったりはしない。


「そうだ……」


 驚きばかりの日々で、忘れかけていた。

 自分とグーシュは一心同体だ。

 グーシュを守る事はもちろんだが、自分もまた、グーシュにとってかけがえの無い存在なのだ。

 それを軽々しく、命を懸けてだの、鼻が削がれてもいいだの……。


「申し訳ございませんグーシュ殿下……僕は、自分の在り方を見失っていました」


「……覚悟は決まったか?」


 スルターナ少佐が、再び剣を左肩に乗せた。

 ミルシャはそれを見ると、剣を鞘に納めた。

 手をだらんと下げ、身体全体を脱力させ、自然体で立ち、スルターナ少佐を真っすぐ見据える。


「あんたを倒して、爆発を止める。僕も死なず、傷つかず、グーシュ殿下を助ける。なんだ、あんたが偉そうに言っていた精神性っていうのは、こんな簡単な事を思いだすことだったのか……」


 ミルシャが呟くと、スルターナ少佐は獰猛な笑みを浮かべた。

 心底、楽しそうな笑みだ。


「簡単? そんな事は無い。合理、確率、適正、正しい、真っ直ぐ、決まり通り。そういった道筋を超えて、自らの心のままに剣を振るう。その道筋をつける事が、どれほど難しいか……お付き騎士ミルシャ! 君は、一先ず至るべき高みにつま先を掛けたようだ。さあ……」


 今度仕掛けたのは、スルターナ少佐だった。

 レシプロ機のプロペラもかくやという高速で、素早く剣を回転させるように振るう。

 

 生半可な人間では一瞬で五体を失い、無残に散らばるしかない恐るべき速度。

 だが、それが迫って尚、ミルシャは動かず、両の足で艶やかな木の床に立っていた。


「さあ! 爆発まであと十五秒! いざ!!!」


 スルターナ少佐のサーベルが、ミルシャに振るわれた。

まーた難産でした。

スルターナ少佐の剣術は、サーベルを用いたポーランド式の物を参考にしましたが、凡そ架空の物です。

詳しい方には噴飯ものでしょうが、寛大なお心でお読みください。

さて、次回にてこの勝負は決着の予定です。

そしていよいよ迎える査問会。お楽しみに。


次回更新はちょっと間が空きまして16日の予定です。

よろしくお願いします。

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