第23話―1 艦隊見学
グーシュは少しだけ憂鬱な気分でワーヒド星系の月面に向かう、重巡洋艦オダ・ノブナガのブリッジで椅子に座っていた。
その姿は、昨日までの甲冑ではなく、異世界派遣軍の簡易制服に身を包んだものだ。
さすがに、ずっとあの格好では疲労するので、適当な服を借り受けたのだ。
だが、普段なら着心地よく格好いい服に浮かれているはずのグーシュは、すっかり落ち込んでいた。
それと言うのも、目覚めて早々に嫌な事が立て続けに起きたからだ。
ピザ臭いゲップで目覚めたのがそもそも最悪だった。
あんなにも美味しい食べ物の香しい香りが、なぜ自分の胃からしてくるだけであんなにも最悪な匂いになるのか、偏食でもっぱら果物や菓子が主食だったグーシュには理解できなかった。
ミラー大佐が目を覚まさない事もだ。
ミルシャと一緒に泣きながらいくら声を掛けても、ミラー大佐は目を覚まさず、まるで本当のぬいぐるみになってしまったかの様だった。
結局、心配になってミユキ大佐を呼んだのだが、いくら事情を聞いても何も教えてくれず、はぐらかされたままこうして月面の施設見学へと連れ出されてしまったのだ。
その上ダメ押しなのが、ミルシャがいない事だ。
出立の直前に黒ずくめのスルターナ少佐がやって来て、ミルシャを連れて行ってしまったのだ。
ミルシャが望んでいた剣術の訓練をしてくれるという事だが、お付き騎士を自分から引き離す行為にはさすがのグーシュも憤慨した。
だが、最悪な事に当のミルシャが乗り気になってしまったのだ。
何やらスルターナ少佐が耳打ちすると、慌てた様子で訓練に行くことを了承したのだ。
ミルシャが鍛錬好きな事を知って、そこを突いたに違いない。
何より、大好きなミルシャが自分と離れる事を了承したのが腹立たしかった。
何かあったらどうするつもりなのかと、グーシュは腹の底がムカムカして仕方なかった。
とはいえ合理的に考えて、この宇宙の場でグーシュが危険にさらされるような事は、まずありえないという事は、グーシュにも理解出来た。
それでも、グーシュの心中は穏やかでは無かった。
こうした事が積み重なって、ミルシャが自分の元から離れてしまうのではないかという不安がもたげてきたからだ。
自分が地球連邦の大統領になる事が、本気で可能だと思える女がグーシュという人物であったが、ことミルシャの事となると、その自信がどこかへと行ってしまうのだ。
そんなモヤモヤを抱えたままグーシュが思案していると、隣で腕を組んでいたノブナガが心配そうにグーシュを見つめているのに気が付いた。
グーシュは、ミルシャに対する当てつけの様な気持ちで、ノブナガの頬に自分の頬をくっ付けた。
人間と変わらない柔らかいほっぺたの感触が心地いい。
さらに、朝食で飲んだ牛乳の様な甘い香りが、ささくれだった気持ちを癒してくれた。
「グーシュ姉、到着しましたよ。ワーヒド星系最大の資源生産プラント、カスクレーター基地です」
カス、クレーター。つまりはラト語で”一番クレーター”を意味する場所だ。
重巡オダ・ノブナガが降り立ったのは、その基地の中心部に位置する宇宙港だ。
グーシュが外の映像に目を向けると、広大なクレーター全体に広がる無数の箱のような施設と、忙しなく働く無数の小型艇と作業機械が見えた。
箱の様なと言っても、その規模は数キロ四方の大きさの巨大な倉庫や工場施設で、立ち並ぶビルの中には高さ数百メートルに及ぶものもある。
その規模は、下手な都市を遥かに超えるものだ。
実際、グーシュにとっては今まで見たどんな大都市よりも大きなものに感じられた。
「凄いな! 帝都よりも巨大かも、いや巨大だ……」
その規模に圧倒されたグーシュが驚きを口にすると、ミユキ大佐が口を開いた。
「そうっすね……直径140キロのクレーター全体がこうした施設で埋まってるっす……だから規模だけなら確実に帝都以上っすね」
「何!? この規模の施設が……このクレーター全体にあるのか!?」
「そうっす。さらに、クレーターの地下部にも同規模の施設があるっす。全七層、地下五百メートルまで施設はあるっす」
この解説を聞いたグーシュの心中からは、先ほどまでのモヤモヤや憂鬱な気分は消え去っていた。
あるのは、この巨大施設の事を知りたいという、巨大な好奇心だけだった。
「く、詳しく知りたいぞ! ミユキ大佐!」
「あー、グーシュ様。詳しいことは施設の担当者、ポリーナ大佐に聞いてほしいっす。解説役を奪ったら、すねるっすから……」
そうして、はしゃぐグーシュはミユキ大佐に先導されて、ノブナガと腕を組みながら下船した。
降り立つと、事前に聞いていた通り体がフワフワと軽かった。
この月面の重力は、地上の六分の一しかないのだ。
無重力とは一味違う感触に、隣にいるノブナガとしばしはしゃぎ、子供の様に笑いあう。
「お前な……グーシュ様の護衛だってことを忘れさんなよ……」
背後からミユキ大佐のキレ気味の声が聞こえたが、グーシュの心には響かない。
そうしていると、突然グーシュとノブナガに影が差した。
「どうも、お待ちしておりました、グーシュリャリャポスティ閣下。私は艦隊兵站参謀のポリーナ大佐です。以後、お見知りおきくださいね」
グーシュが後ろを振り向くと、見上げんばかりに背の高い女が見降ろしていた。
身長は一木よりも頭一つ分高く、地球でいうところの二百三十cmほどもあるだろう。
首にはルーリアトの北方でも冬場に付ける、ふっくらした布で出来た襟巻きを口元をしっかりと隠すように巻いていた。
その上、頭にも灰色の毛皮で出来た分厚く暖かそうな帽子をかぶっていて、さほど寒くも無いこの施設内でなぜ、と思うほどだ。
それに合わせという訳ではないだろうが、来ている服も足首までを覆う長いコートで、縦に二列並んだ金色のボタンが、グーシュから見ても高級感を感じさせた。
だが、一番グーシュの目を引いたのは襟巻きと帽子の間から除く慈愛に満ちた優しい眼差しと、分厚いコートからでもはっきりと分かる大きな胸だった。
それらは溢れんばかりの母性に溢れていて、グーシュは思わず亡き母の事を思いだした。
「……母上……」
ぼそりと思わず口をついて出た言葉にグーシュは赤面した。
出会い頭に「美しい」とか「可憐だ」などと女性に言った経験はたくさんあるが、まさか「母上」などと妙齢の女性に言うなどとは思わなかったのだ。
「す、すまないポリーナ大佐……この口からつまらない言葉を漏らした事、謝罪させ……むぐっ」
珍しく、グーシュは自分を恥じた。
しかし、そんなグーシュを、隣で腕を組んでいたノブナガごと、ポリーナ大佐はギュッと抱きしめた。
「え? ぽ、ポリーナ大佐殿?」
「すいませんグーシュ様。驚かせてしまいましたか? 大丈夫! 事情は分かりませんが、私と初対面の方はだいたいグーシュ様と同じような事を言いますので……よろしければ好きなだけ甘えて構いません!」
「で、出たっすー! ポリーナ大佐の溢れる母性! やっぱりグーシュ様もいちころっすね!」
ミユキ大佐がはやし立てると、ポリーナ大佐がキッと睨みつける。
「こら、ミユキさん! 失礼な事を言わないでください。いちころだなんて……そもそも私は元々、人間さんを癒すためのアンドロイドですから、仕方の無いことなのです。だから、グーシュ様もどうか、お気になさらずに」
「な、なーに……事情はよくわからんが、気にはしていない…………うん……すまないが、もう少しだけ……」
その後、一分ほどポリーナ大佐にハグされたグーシュは、俯いたまま手洗いの場所を尋ね、ノブナガの先導でそちらに歩いて行った。
「……ポリーナ大佐わるかったっすよー。けれども、慰安用アンドロイドだった事は言いたくないって言ってたのに、いいんすか?」
ミユキ大佐に聞かれると、ポリーナ大佐は少し考え込んだ。
そこでふと、自分のコートの先ほどグーシュを抱きしめたあたりが、濡れているのに気が付いた。
ちらりとミユキ大佐の方を見ると、ポリーナ大佐はその部分をさりげなく自分のマフラーで隠した。
「ああいう地位のある方が、私で癒されてくださるなら、そんなことは気にしませんよ……それに、私たちが思っている以上に、グーシュ様は……」
「グーシュ様は?」
ミユキ大佐が問い返したところで、グーシュはノブナガと一緒に戻ってきた。
その表情は、いつもと変わりないものだった。
「いやー、すまんすまん。あまりに魅力的なぼでぃだったもので、ついな……すまなかったなポリーナ大佐」
「いいえ、お気になさらずに。さあ、それでは施設の案内を始めましょうね。ノブナガ、グーシュ様をしっかりエスコートしてあげてくださいね」
「おう、まかせろ!」
そうして、ポリーナ大佐を先頭に歩き出すグーシュ達。
それを最後尾で見つめながら、ミユキ大佐は嘆息した。
(みんな大好きポリーナちゃん……とは言うけれども、ポリーナは自分の事を、好きになれてるんすかね……)
ミユキ大佐はそんなことを考えつつ、一番最後にエレベーターに乗り込んだ。
そうして一同は、最初の見学先である、地下一階層のトウモロコシ栽培場へと向かった。
という訳でグーシュの施設見学開始です。
とはいえあまり長くせず、月面の施設やアンドロイドに関する解説をサラッと済ます予定です。
その後はミルシャの修行、そして査問会の予定です。
よろしくお願いします。
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