第22話―6 アイリーン・ハイタ
「返したいもの?」
ハイタが不思議そうに問う。
一木は強張った声を隠すように、間を開けずに答えた。
「アンドロイド達が、俺に好意を抱くプログラムだか加護だかを、無くしてほしい」
「……どうしてですか? あって困るものではないでしょうし、そもそも一木さんが気にするほど劇的な効果があるような物ではありません。その事については、ダグラスさんが詳しいかと……」
ハイタがちらりとダグラス大佐を見る。
「ああ……ハイタの言う通りではある。感情の初期値……いわゆる第一印象が良かろうが、そもそも私たちアンドロイドは人間に好意的だ。多少初期値が変動しても……」
「それでもだ」
一木はダグラス大佐の言葉を遮った。
珍しい、意思の籠った言葉だった。
「俺は豆腐メンタル……豆腐の様に脆い心の持ち主でね。周りから好意的に思われる事にただでさえ慣れていないのに、それが他人から貰ったチートの結果なんて聞いたら耐えられない。それに、アンドロイド達には、素のままの俺で向き合っていきたいんだ……」
一木はそう言って頭を下げた。
「……事情はどうあれ、俺への好意でしてくれた事だろう。礼を言わせてもらう。けれども、俺には必要ない……分不相応なものだ」
「……どこが豆腐みたいな心なんだか。強情な人。まあ、いいでしょう。でも、その代わり私があげたいものは受け取ってもらいますからね」
そう言うと、ハイタは一木の両頬にそっと両手で触れた。
「なんだ?」
少しだけ震えた声が一木の口から漏れた。
しかし、ハイタは気にした様子もなく、意外に真面目な口調で言った。
「一つは、その義体と一木さんの脳神経との接続深度を高めるための処置です。グーシュ皇女を助ける時、スラスターがいきなり使用できるようになったでしょう? あの時の処置を全身に施すと思ってください」
一木は濁流の中でハイタと出会ったあの時の事を思いだした。
確かに、それまで頭痛が酷くて使用できなかった義体の機能であるスラスターがいきなり使用できるようになったのだ。それが全身に及ぶとなれば、それは大きなメリットになるだろう。
「待ってください!」
思いのほか一木にとっても利のある提案だったが、突然マナが非難めいた声をあげる。
驚いた一木が振り向いてマナの顔を見ると、その表情は危機感に満ちていた。
「義体との神経接続の深化……確かにあなたの処置でそれが出来れば、一木さんはこれまで以上に強化機兵の能力を扱えるようになります。けれども、そんな事をしたら一木さんにもデメリットがあるのでは! 妻としてそれを確認する必要があります!」
マナの怒声にも、ハイタは余裕の笑みを浮かべた。
どうやら、予想していた反応のようだ。
「デメリットはもちろんあります。今後、一木さんは55式強化機兵の体から離れることが難しくなるでしょう」
「やはり! そんな危険な処置は……」
「でも、何か問題が?」
ハイタの言葉に、マナの叫びが止まる。
「一木さんはすでに数年間今の体で過ごしています。仮に将来的に生身の体を再生する技術が出来ても、今更生身の肉体に適応することは困難でしょう。どうですか一木さん、今から生身に戻れますか?」
「……難しいだろうな」
一木は正直に答えた。
確かに、今の義体には不自由が多い。
五感に制限があり、戦闘用の体は日常生活での制限もある。
しかし、それ以上にサイボーグとしての能力に一木は依存していた。
脳と接続したコンピューターにより、常に一木はサポートを受けていた。
業務や予定、文章作成には常にアドバイスや自動通知が受けられる。
計算も自動で算出してくれるし、出会った人間の名前や情報も自動で記録され、再会すると映画さながらに文字で氏名や個人情報、前回の会話の要点などが表示される。
それらの能力なしに、今更異世界派遣軍の仕事が出来ると思う程、一木は自分の事を評価してはいなかった。
むしろ、今ではマナや参謀達のサポートで、仮想空間による活動や食事も生身と同等かそれ以上に楽しめるようになった。
今更、生身に戻れる可能性を考えるなど、ナンセンスだろう。
「それに、機体との接続が深化すれば、今後のアップデートも楽になるわ。今までは脳への負担が重くて、義体を弄る事には強い制限があったでしょうけど、その義体が完全に一木の体になれば改造も容易よ」
ハイタの言葉に、一木の腹は決まった。
そもそも、仮に今生身に戻れるとしても、それを選ぶつもりは一木には無かった。
この身体は、シキが愛してくれた身体だ。
捨てるつもりは毛頭無い。
それに、後々目的を果たすためにも強い体は必要だ。
「ハイタ。そういう事なら、受け取らせてもらう。マナ、大丈夫だよ。今までと何も変わらない……わかってくれ」
「ひ、弘和くんがそう言うなら……」
不承不承と言った様子でマナが了承すると、生身の頃のPCと同じように、視界のふちにアップデートの通知が表れる。
ご丁寧に、デフォルメされたハイタのアイコンでだ。
しょうもない配慮に、思わず笑みが漏れる。
「さすがにスラスターの時より時間はかかりますが、数時間もすればアップデートは終わります。終われば、以前の様な頭痛はしなくなるはずです」
「……ありがとう、ハイタ」
「いえいえ。一木さんに何かあったら、死期も悲しみます……それでですね、もう一つがある意味本題です」
「そうだ。もう一つ、渡したいものがあるんだよな?」
「ええ。これに関しては、悪いですが何も言わずに受け取ってください」
ハイタの言葉に、にわかに一木の背後のアンドロイド達がざわつく。
妙なものや情報を渡すのではと勘繰ったらしい。
マナやジークが一木とハイタの間に割って入り、他の参謀達が一木の脳とコンピューターに保護プロテクトを展開する。視界にうっすらと半透明の壁の様なエフェクトが入り、一木の精神やデーターが何重にも守られている旨が通知された。
「ふふふ……そんなに警戒しないでください……なんてことはありません。ただ、聞いてほしいんです。死期の、最後の言葉を」
「え?」
一木は思わず固まってしまった。
聞き返したものの、ハイタの言葉の意味が分からず、何も考えられない。
だが、それでもハイタは言葉を続ける。
「今から、死期の最後の思考を伝えます。これは、一木さんが拒んでも、私が死期にならなくても、絶対に伝えるべきことだと、私は判断しました」
「待ってくれ……シキは……だって、火星兵に胸を刺された時にはもう……」
「コアユニットと、メインチップを破壊された後……意識が途絶えるその最後まで、死期は一木さんの事を考えていました。どうか、彼女の最後の意思です……」
「待っ」
一木の言葉は、途中で止まってしまった。
目の前のハイタの姿が、マナを幼くしたような姿に変わってしまったからだ。
紛れもない。
一木弘和の最初のパートナー。
死期だった。
「弘和くん……嘘をついてごめんね……私は、もうハイタでは無かったの……とは言っても死期でもない……あなたへの思いを受け継いだ私は、もう以前の自分ではなくなっていた……さっきまではハイタとしての自我を強くしていたけど、逆の……こういう私も存在している……」
「……ああ……ああ。そうだったのか……」
一木の目から、涙が溢れ出す。
感情を検知して表示されるただのエフェクトだが、深い悲しみに満ちた、紛れもない涙だった。
「……さっき、死期の人格を選ばなかった事を、後悔してますか?」
一木は首を静かに横に振った。
マナや参謀達は何か言いたげだったが、一木とハイタの様子を見て、口を出すのを控えてくれていた。
「……最初から、この状態や死期の自我を多く混ぜた状態だと、一木さんが自分を選んでしまうかもしれない……そうすると、やっとマナさんと生きることを決めたヒロ君がかわいそうだから……」
「君は……」
涙でうまく喋れない一木が、ようやく声を絞り出した。
「そういう、一歩引いて……俺を、いつも立ててくれたね……時には、俺の意思に反してしてでも……」
一木が言うと、ハイタはニコリと笑った。
ハイタの物とは違う、人間味の混じった笑みだった。
「死期は、あなたの事が一番でしたからね。ハイタの、個体生命に寄り添えない話を聞くのは大変だったでしょう……本当にごめんなさいね……そして、本当の私が、何も言わずに消えられないことも、本当にごめんなさい……だって、どうしても……この私でも、あなたに会いたかったの……」
一木はハイタの人格を、あくまでコミュニケーション用の表層的なものだと考えていた。
それは事実なのだろう。
だが同時にその表層は、ハイタとしての巨大な存在の一部である事も事実だったのだ。
その一部に、シキという存在が混じれば、もはやそれはそれまでのハイタでは無いのだ。
ハイタと言う生命を文明単位でしか見られない巨大な存在が、一木と言う個体を愛する存在が混じった事により、得ることが出来た小さな、そして大きな揺らぎ。
その揺らぎこそが、一連の白い少女としての妙な行動の原因だったのだ。
主を求める冷酷な文明管理機械としての行動。
一木弘和という個体生命に執着する植え付けられた思い。
ハイタと言う、異質な行動原理のコミュニケーション用の表層人格。
人間に寄り添い、一木を愛するシキというパートナーアンドロイドの人格。
それらの混ざり合った存在が出した結論が、全ての真相をハイタとして一木に伝え、そして拒まれる事だった。
それならば。
一木は、シキの残滓がくれたこの結果を受け入れることにした。
「ありがとう……ハイタ。君の思いは確かに受け取った。……さあ、シキの……いや、死期の言葉を聞かせてくれ」
※前回の後書きで、「次回で第22話は終わる予定です」
と書きましたが、体調不良のため最後まで書ききる事が出来ませんでした。
その代わり、29日が急遽休みになったため、そこで22話を終了させる予定です。
毎度毎度申し訳ありませんでした。
どうか、次回もお楽しみに。
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