ルーリアト大陸年表
この年表には一部ネタバレが含まれます。
一章読了後にお読みください。
紀元前
神話の時代
・女神教の記録にのみある古の楽園エドゥダーの時代。人類は魔法による高度な文明を築いていたと言われる。ボスロ帝による女神教大粛清により資料が散逸し詳細不明。
大陸歴元年~
・記録や遺跡により、この時代から人類がルーリアト大陸に居住し始めた事が確実視される。耳長族の神話でも”難民”の漂着と”七体の悪魔”の記述がある。
・女神教経典によると、人類は女神ハイタによって月光を道としてこの地へと連れてこられた。そして人類の統治をハイタの六人の息子達に任せた。
・暴の者スート、騎士の祖シュー、智者ラフ、商者ヒーダ、統率者ミュニス、魔王オルド・ローによる治世開始。ハイタや六人に関しては、人間の王という説と神という説の双方があり決着がついていない。そのため彼らが同時に存在したのか、歴代の存在なのかも不明。
10年
・川の騎士の伝説
川で溺れていた少女を、ハイタの息子の一人である祖シューが助けたという伝説。少女はシューの妻となり、間もなく身ごもったと伝えられている。
11年
・神魔の乱勃発
少女が出産に反対する集落の古老達を、ハイタ達の信奉者(女神派)と粛清した事がきっかけで起きた争い。以後人類はエドゥダー派と女神派に別れて抗争状態に陥る。ハイタと息子達は静観。同年少女は長男ポーナレスを出産。
16年
・神魔の乱集結
勝利した女神派によりハイタの息子を象徴とし、それに長が仕える統治体制が確立する。それまではエドゥダーの風習にこだわる古老を中心とした体制だった。
26年
・少女と女神派、ハイタを神として崇める女神教を創設
この段階ではハイタを頂点として、六人の息子にも様々な意味合いや信仰があったと思われる。現代ではハイタ以外の信仰はボスロ帝の焚書の影響もあり薄い。
37年
・ルリ王国建国
少女と女神派、ルリ王国の建国を宣言。国名は集落の名から。初代王にはポーナレスが即位。
45年
・東西大開拓の開始
人口増加に対応するため、ポーナレス主導で大規模な開拓団が組織される。それまで平和的交流のあった原住民である耳長族と軋轢が生じ始める。
・シューの妻の少女死去
少女の名前は残っていない。少女への信仰心が発生する事を恐れた女神教関係者が消したと言われている(諸説あり)。
48年
・西部開拓が海に行きついた事により、ルニ開拓地を以って終了。人類の居住地が半島である事が判明する。以後この地をルリ半島と称する。
50年
・キロスの虐殺
現在のキーロス領で大規模な耳長族集落と遭遇。開拓団の先鋒が皆殺しにされる(諸説あり)。
・ルリ騎士団結成
ポーナレス、報復を宣言。それまで自警団規模だった軍備を騎士団として再編する。
52年
・オルドロによる魔物大移動
ポーナレス率いる騎士団、進軍途中に魔物(原住生物)の群れと遭遇し壊滅状態に陥る。ポーナレス自身も負傷。これは魔王オルドロによる魔物たちの大移動に騎士団が巻き込まれためだと言われている。騎士団は撤退し、ポーナレスも王都に戻った直後に亡くなる。
・ポーナレスの息子カーラルア、二代目王に即位。まだ幼いため、この後シューが直々に王国と騎士団を率いたと言われている(シューが騎士の祖と言われる所以)。
※シューが騎士団を率いたので騎士の祖になったのか、そもそも彼が騎士だった結果王国軍が騎士団になったのかは不明。
※そもそも騎士と言う言葉は古エドゥ語の<ソーラール>が語源。「真っすぐ荒ぶる」という意味で、現代のルーリアトの上級武官を表す言葉とは意味合いが違う。
53年~600年代中頃
・大東征時代
シューによる耳長族との長きにわたる戦乱。以後数百年に渡り半島を拠点として大陸に領土を拡張する戦争が断続的に続けられた。この時代活躍した四人の騎士がダスティ、キーロス、コールル、ラトの四公爵の先祖となる。
※以後時代を下るごとにハイタの息子達の記述は歴史書からは消えていくこととなる。神話関係の資料がボスロ帝によって焚書されたため、ハイタの息子達についてはシューとオルドロ以外不明な事が多い。
658年
・ポーナレス四世、ルーリアト王国建国を宣言
南方蛮地の大森林にまで耳長族を追い込んだことにより、ルリ王国は半島国家から明確に大陸国家となった。以後ルーリ(集落名)アト(大きい)王国と称する。
661年~
・ポーナレス四世による第二次大開拓開始
大陸を征した王国だったが、中央山脈の向こう側は未だに未知の土地だった。開拓の終了による経済の停滞や増え続ける人口のはけ口を求めて、ポーナレス四世は山脈越えの大開拓を宣言する。以後耳長族との戦争終結により困窮した騎士達を中心とした、多くの貧民が山脈近くに集まる事となる。
672年
・ポーナレス四世死去。彼には子供が無かったため、後継には女神教神殿で巫女をしていた姉のキャッシャが付くこととなった。以後、女神教による政治介入が常態化する。
703年
・大崩落
中央山脈にトンネルを掘っていた第4開拓団が崩落により壊滅。崩落後の野生動物による襲撃も含めると死者約10万人(諸説あり)。以後、中央山脈に生息していた凶暴な野生動物が王国内に跋扈するようになる。
707年
・大遭難
中央山脈を踏破して越えようとしていた第1開拓団の生存者が帰還。断崖絶壁の道なき道。凶暴な野生動物(腕程もある肉食昆虫。水場に擬態した食人植物。高い知性を持つ巨大猿の集団。大型爬虫類等々)の襲撃。飢え。内乱などにより、開拓団は壊滅していた。開拓団総員2万人、生存者8名。
710年
・大陸統合体結成
中央山脈付近の開拓村の住人達が王国による強引な開拓圧力や不足する支援に反感を強め、騎士達を中心として組織化を図る。相互支援、相互防衛を軸にした緩い繋がりだったが、以後順次規模を拡大していく。
716年
・蛮地の盟約
大陸統合体、南方蛮地の耳長族穏健派と秘密裏に同盟を結ぶ。資料によると王国側もこのことを察知していたようだが、この時期正統派(王派閥)と神殿派(女神教派)による構想が激化していたため対応が取れなかった。
718年
・王都大火
ルーリアト王国王都で大規模な火災が発生する。正統派代表のカーシュミャナユキティによるクーデターにより生じたと言われている。なおクーデターは失敗に終わり、カーシャと仲間は処刑された。この一件により神殿派以外の王族と正統派がほぼ壊滅。以後王国は完全に女神教により牛耳られることとなる。
719年
・女神教教主兼ルーリアト王国国王ザード一世即位
721年
・大陸独立戦争勃発
ザード一世即位に伴う戴冠式特別税に反発した大陸統合体と南方蛮地穏健派が兵を上げる。これに正統派残党も加わり反乱は瞬く間に大陸全土に広がる。
729年
・コルル会戦にて王国軍大敗
現在のコールル領付近で行われた大規模な会戦で、王国軍が歴史的な敗北を喫する。ザード一世も戦死。以後王国軍は戦況を立て直す事が出来ず、ザード二世から六世までの王たちは瞬く間に戦死、あるいは暗殺されて死んでいった(この件の反省から王の身辺警護のためお付き騎士制度が始まる)。
739年
・ザード七世降伏により独立戦争終結
女神教教主兼ルーリアト王国国王ザード七世は大陸統合体に降伏。ルーリアト王国の大陸側領土は全て大陸統合体に帰属し、ルーリアト王国は再び半島国家へと縮小を余儀なくされる。
740年~
・戦国時代の始まり
大陸統合体旧王国領土の分配を巡り分裂、内乱状態へ。ルーリアト王国も再び正統派と神殿派による抗争が激化。
846年
・耳長族の北上開始
それまで南方蛮地に潜んでいた耳長族が大挙して北上を開始。いくつかの小国家が虐殺の憂き目にあう。
850年
・ラトの和約
女神教の仲介で主要戦国領主とルーリアト王国の間で和睦が成立。共同して耳長族に対処する事が決まる。以後耳長族の北上が落ち着く900年代まで断続的に戦争が続く。
860年~
・建国ラッシュ
和睦により戦国領主達が同盟や併合により国へと再編される。これによりいくつかの列国が誕生し勢力を拡大していく。
901年
・蛮族平定
北上政策の首謀者である耳長族の酋長ネン・ンンが病没。それに伴い耳長族穏健派が降伏。以後南方蛮地は耳長族が自治を行い、大陸南部のスーロナウ王国が統治することとなる。この時代以後、スーロナウ王国を始めとする列国が完全に大陸の主導権を握り、ルーリアト王国は一地方勢力へと没落する。
914年
・アズジによる外洋探検
大商人アズジにより私財をなげうっての外洋探検が試みられる。水場=危険生物の群生地という特性上、船という存在が未発達だった大陸だが、アズジはエドゥダー時代の古文書を発見。それに記されたと様々な資料を用いて探索船を建造した。断崖絶壁しかない大陸からの出航は困難を極めたが、耳長族の協力により南方蛮地の奥地にある外洋に通ずる湖から出航したと言われている(現在でも湖の位置などは不明)。
出航後のアズジ達の行方は不明。死の間際のアズジによると思われる手紙が手紙鳥によって大陸に届けられており、その内容から生存の可能性は低いと見られている。
※アズジの手紙(と言われる文章)
「今大陸から一日。バニフなど小物だった。今船より大きい物が下にいる。長く大きい。夜の海に光が見える。バニフを丸呑み。顔(判読不能)た。ダメ。さよなら。海には来(判読不能)」
930年
・ルーリアト王国王都でボスロキュキュキスティ誕生
945年
・ボスロ、大陸制覇計画を策定
制覇計画と言っても遊びの様なものだと周囲のものは考えていた。だが、現存する計画書を見ると後の統一戦争の動きと完全に一致する。
951年
・カロナ湾の獣道崩落
この年、南方蛮地中部にあったカロナ湾の外洋を繋ぐ海底トンネルが地震により崩落した。カロナ湾はこの海底トンネルによりバニフの幼体が入り込み生育する大陸唯一の場所で、立地条件や環境などから他の危険生物もいない、安全にバニフを始めとする海の幸を獲ることが出来る大陸唯一の漁が可能な場所だった。
952年
・ボスロの乱
主要王族と何らかの理由で対立したボスロは、討伐隊を率いて来た二人の兄を始め、兄姉九人と父王を殺害し自ら国王への即位を宣言した。
・大陸救済宣言
ボスロ王はカロナ湾の獣道崩壊により食糧不足が発生し、近い将来大陸に飢餓が訪れると全土に書簡を送り、飢餓による地獄から大陸を救うために大規模な間引きを行うと宣言。書簡を受け取った各国はボスロ王が乱心したと判断。対応を話し合うため列国会議の開催を決定する。
・サリュー国の虐殺(ボスロの第一次虐殺)
半島根元にあるサリュー国がボスロ王の軍勢により攻撃を受け文字通り全滅する。以後ボスロ王は降伏を受け入れた勢力は助命した上で戦奴へ。一瞬でも抵抗した勢力は皆殺しという苛烈な侵略戦争を開始する。疾風のように素早い侵攻と虐殺行為はこの後も繰り返され、ボスロの虐殺は最終的に歴史書に記されただけで第六十二次に及ぶ。
954年
・大陸連合の結成
大陸の主要国、ボスロ王の蛮行に対して一致団結して対処することを宣言。大陸連合を結成し共同して立ち向かう事を確約する。
957年
・女神教神殿打ちこわし
帝国軍による半島内外の女神教神殿に対する大規模な打ちこわしが発生。ボスロ帝の命令により一般信徒には手出しされなかったが、多くの神官や修道女、施設や資料が炎に包まれた。これ以後女神教は政治的権限とそれまでの信仰形態を失う。
961年
・山脈の戦い
ボスロ王率いる王国軍、中央山脈麓で大陸連合主力を野戦で撃破。
・ボスロの殺戮宣言
ボスロ王、連合軍参加国の全住民の殺害を宣言。連合未参加国に連合に参加しないように勧告する。これ以後大陸側に統一された勢力は現れず、戦争は一方的なものとなる。
969年
・大陸平和宣言
ボスロ王、反抗勢力の壊滅と間引きの終了を宣言。ただし、以後も断続的に残党狩りは続いた。
帝国歴元年(大陸歴970年)
・ルーリアト帝国建国
初代皇帝にはボスロが即位。
・帝国統治令の発布
統治令の発布により、虐殺で無人となった主要都市や農村への帝国人の移住が開始される。かなり強引な移住だったため現地人、移住した帝国人問わず混乱や争いが多発。食糧不足による飢饉も発生した。四公爵家の現在の領地への移動や、ボスロ帝のお付き騎士や護衛兵達の半島西部への移動もこの時期行われた。
2年
・ボスロ帝の長女、リュリュリュリュカスティ誕生。
後の二代皇帝。血の女帝リュリュ帝である。
17年
・ボスロ帝崩御
死因は自殺。ある朝突然自分の体に火をつけて命を絶った。一向に改善されない帝国の状況を憂いていたと言われる。
最後の言葉は「我が帝国が腐ってしまう!」
この「帝国の腐敗を防ぐ」という晩年のボスロ帝の意思が「権力の分散による腐敗防止」という帝国の国是となり、性急な改革へと繋がっていく。
・リュリュリュリュカスティ、二代目皇帝に即位
ボスロ帝には他に子が無く、リュリュリュリュカスティが15歳にして皇帝に即位した。
20年
・騎士団の粛清と近衛兵団の近衛騎士団への改編
ボスロ帝の死と幼いリュリュ帝の即位により、反乱や権力を奪おうとする謀略が多発した。しかしリュリュ帝は信頼する騎士のゼーガに命じて騎士団内の綱紀粛正を実施。その功績を以ってゼーガと自分の思い通りに動かせる暴力組織として近衛騎士団を創設する。
22年
・言語統一令及び違反者処理令の公布及び施行
・商業改革担当官吏にゼーガの弟のゼーゼを任命
23年
・治安維持令及び近衛騎士団への治安維持全権付与令の公布及び施行
・治安維持令違反者の強制重労働刑への自動処置令
992年の政策も合わせたこれら政策により、大陸全土で膨大な血が流れた。一説によるとこれら強引な改革と粛清による死者は統一戦争を上回ると言われている(諸説あり)。
62年
・リュリュ帝崩御
病没。行いに反してゼーガとゼーゼに看取られながらの静かな最期だった。なお、この頃にはようやく大陸全土も落ち着き始めていた。
63年
・ボスロ帝の末息子であるサールティ二世が三代目皇帝に即位
子供のいなかったリュリュ帝の後継者を巡り帝国は揺れたが、唐突にゼーガとゼーゼによりボスロ帝の隠し子としてサールティ二世が連れて来られ、多少の抗争の後三代目皇帝として即位した。なお、サールティ二世がリュリュ帝とゼーガとゼーゼどちらかの息子であることは公然の秘密だった。
65年
・臣民保護令の公布及び施行
サールティ二世は帝国を癒し、ボスロ帝の遺言通り帝国を腐敗から守る事を宣言。臣民を皇帝と貴族が守る「民衆主義」を掲げた改革を行っていく。ただし、その原動力はゼーガの近衛騎士団による強権だった。
71年
・四公爵家に皇族会議の開催権限を付与
73年
・大陸連合令の公布
これにより”属国”として統治されていたかつての敵国に、帝国連合加盟国として一定の権利が与えられた。
76年
・皇帝の政策助言組織として貴族院が設置される。
・ゼーガとゼーゼ、騎士団幹部に暗殺される。
77年
・皇帝の政策助言組織として大商人や有力者による民衆会議が設置される。
80年
・帝国に対する意見集約組織として属国による属国議会が設置される。
属国議会は、属国の意見を集約して帝国に提言として伝える組織である。意見集約には入れ札による投票と属国により構成された派閥間による話し合いが用いられる。
以下は属国の派閥(勢力順)
属国統合体
旧スーロナウ連合
アズジ共和国
騎士主権領地連合体
82年
・サールティ二世の次男ガズル、帝位継承権を放棄
84年
・ダナン男爵領反乱
帝都西部のダナン男爵が税の減免などを求めて乱を起こすも、緊急動員された近衛騎士団によって鎮圧される。この際、現場で早期鎮圧に貢献したとしてイツシズ・バダクが皇帝より直々に褒章を受ける。
86年頃
・サールティ三世と頭角を現しつつあった近衛騎士イツシズが秘密裏に手を結ぶ。
以後、イツシズの工作により次期皇帝を入れ札で選ぶ動きが加速する。
88年
・サールティ二世崩御
死因は過労。
・サールティ三世第四代皇帝に即位
国葬直後に皇帝選定が行われ、唯一の候補者サールティ三世が第四代ルーリアト帝国皇帝に即位する。サールティ三世は入れ札選定の功績により即位直後からボスロ帝の意思を遂げたものとして高く評価された。
89年
・イツシズ、近衛騎士団人事担当官に就任。ゼーガとゼーゼ以来の強権と評される辣腕を振るう。
90年
・サールティ三世正妻のシュシュとの間に長男ルイガリャリャカスティを設ける
同年には大陸南部の子爵領で後のお付き騎士セミックが誕生。
93年
・サールティ三世の次女シュシュリャリャヨイティ誕生
100年
・サールティ三世の三女グーシュリャリャポスティ誕生
101年
・のちのグーシュリャリャポスティのお付き騎士ミルシャ誕生。生誕地不明。
102年
・ルイガリャリャカスティ十五歳にして甲冑戦闘術の一等師範の資格を得る。
103年
・帝城官吏追放事件
帝城の衛兵、官吏、女官等合わせて31名が帝都追放刑を受ける。事件の詳細は伏せられたが、シュシュリャリャヨイティを中心とした”不誠実”な行為を行う集団の構成員だったと言われている。シュシュリャリャヨイティは以後病気療養を名目に表に出なくなる。
・近衛騎士団による綱紀粛正
イツシズ提言による帝国の官吏、軍人、女官、貴族に対する大規模な綱紀粛正が行われる。実質的な粛清であり、八百人以上が処罰される。これ以後イツシズは”帝国の支配者”と呼ばれることとなる。
・綱紀粛正に伴い過激と見なされた説話や絵画、売春宿や賭博が規制される。
105年
・皇室教育官にダビダ教授と弟子の説話師アイムコが招かれる。
暴言や異常行動の目立つグーシュリャリャポスティの教育のために招かれた。以後、グーシュリャリャポスティの素行は落ち着いていく。
109年
・サールティ三世の正妃リャリャ死去。
113年
・シュシュリャリャヨイティ遭難事件
シュシュリャリャヨイティが嫁ぎ先候補のダスティ領に赴く際、山中で遭難した事件。彼女は五日後に救助されたが、護衛とお付き騎士のコンロは山中で遺体で見つかった。事件の詳細などに不明な点が多いが、当事者たちは何も語らない。
115年
・兄妹の変
朝礼の場でグーシュリャリャポスティにルイガリャリャカスティが侮辱されたと思い込んだ皇太子護衛官が、グーシュリャリャポスティのお付き騎士ミルシャを訓練中に殺害しようとした事件。幸いミルシャは無事だったが、グーシュリャリャポスティが報復のため挙兵するという噂が広がり、帝都に緊張が広がった。結局何も起こらなかったものの、グーシュリャリャポスティは兄に謝罪し、実質的な謹慎生活に入る。
116年
・ラト公爵家四男サッパ・ラト失踪
彼はグーシュリャリャポスティの親友だった。
118年
・海向こうの来訪
ルニ子爵領に海向こうの国と称する正体不明の軍勢が来訪。
・ガイス大橋崩落事故
ルニ子爵領に全権大使として向かう途中のグーシュリャリャポスティがお付き騎士と護衛兵ごと転落する事故が発生。以後グーシュリャリャポスティは行方不明となる。
地球版と違い大半が本編で生かされておりません(笑)
おそらく作者も気が付いていない矛盾点もあると思います。
もし気が付かれた場合は教えてくださると助かります。
ちょくちょく更新していきたいと思いますので、よろしくお願いします。
次回更新予定は21日ないし23日。地球の年表を公開したいと思います。