第18話―3 休暇
その頃、一木の部屋では。
ガックリとうなだれて、ポロポロと涙を流すマナを、一木が膝の上に乗せて慰めていた。
「もう落ち着けよマナ。ああは言ったが、そんなに嫌な臭いじゃないよ。かすかに甘い香りもするし、俺は牛乳も好きだから慣れれば大丈夫だよ」
そう言って、マナの頭に顔を埋める一木。
匂いセンサーの感度的には無意味な行動だったが、生身の行動様式は中々消えるものでは無かったし、今の一木は自分のためにあれこれ工夫してくれたマナの事が愛おしくて仕方なかった。
「でも、私はやはりダメなパートナーです。弘和君が好きな香りを、こんな変な匂いにしてしまって……シキさんと同じ香りだったんでしょう? ”4-6、二十代女性型”は……」
「そうだけど……気にすることは無い。確かにシキの思い出が詰まった香りだったけど、それはあくまでシキとの思い出だ。マナがどんな匂いになったって、そういう事全てがマナとの思い出になるんだ。だから、もう泣かないでくれよ」
「うぅ……」
なおも落ち込むマナを抱きしめたまま、一木は乏しい恋愛経験を振り絞って次の言葉を考えていた。
そして、結局洒落たことを何も思いつけずに、自分の願望そのままの言葉を、マナの耳元で囁いた。
「なあ、マナ。徹夜明けで今日は今から寝ようと思っていたけど、仮想空間じゃなくて、このまま寝ようか?」
マナは驚いたように顔を上げ、その手で一木の顔に触れた。
固く、無機質で、拳銃弾にも耐える顔。
強化セラミックの被膜で覆われた強化ガラスの奥に光る、モノアイ。
それらをひとしきり、優しく撫でる。
「でも……現実で眠るのは凄く辛いって……それなのに弘和君に無理はさせられません」
ひとしきり泣いて、眼球洗浄液が空になったのか、涙の止まったマナが首を振る。
確かに、マナの言う通り現実で眠るのは……正確に言うと、この身体でいることは、一木にとって辛い行為だった。
瞬きも、息も、顔の筋肉を動かすことも、身体を伸ばすことも出来ない。
感覚は全て、データとして間接的な捉え方しかできない。
今の一木は慣れたが、生身の頃や仮想空間で感じる五感と義体の感覚は、全く異なる。
しいて言えば。
視覚は画面越しの映像。
嗅覚はマスクをしたまま。
味覚はアンドロイドと共有しなければ感じられず。
触覚は触れた情報と、疑似的な触感だけ。
聴覚は全て、義体のコンピューターによって調整された音だ。
だが、それでも。
今の一木は、このまま眠りたかった。
「確かに、辛い。けれど、俺はこうしたいんだ。君の匂いを、今の体で感じたい。どうあっても、これが今の自分の身体なんだ」
一木はそう言うと、またマナの頭に顔を埋める。
そして、マナの香りを嗅いだ。
嗅ぐという行為に程遠くとも、意識して嗅いだ。
お世辞にも言い匂いとは言えない、牛乳の、乳臭い香り。
それでも、自分の事を思って、こんな事までしてくれた事が、たまらなく嬉しかった。
だが嬉しさによる温かさの一方で、シキへの罪悪感がチクチクと胸を刺すのを感じる。
それでも、その痛みを意識して無視する。
忘れることは出来ない。忘れてはいけない痛みだ。
それでも、このマナという娘のため、この痛みを恐れてはいけないのだ。
「弘和君……」
「マナ……」
硬い、人殺しのための体で、人間を救うために作られた機械の少女を抱きしめると、一木は久しぶりに現実空間で眠りについた。
アンドロイドの体温と、ミルクの香りと、徹夜の疲労感のおかげか。
心地いい眠りだった。
そんな光景が繰り広げられている一木の部屋の前で。
動きをピタリと止めて、寄生虫のかば焼きを持ったシャルル大佐が佇んでいた。
「今日ほど、参謀型の聴覚に感謝したことはありません……」
シャルル大佐はポツリと呟くと、踵を返した。
あんなにいい雰囲気の場所に、かば焼きを持って入るほど無粋なアンドロイドでは、無い。
「恋愛クソ雑魚の殺ちゃんなら、入るかな……はぁ……このかば焼きどうしよう……保存する方法調べなきゃ」
液体窒素があったのはどこか。
そんな事を考えながら、シャルル大佐は、食堂へと戻っていった。
七時間後。
すっかり夕方になった頃、一木は目を覚ました。
意識を覚醒させると、目の前には一木に抱きかかえられたまま、目をしっかりと見開いたままのマナがいた。
いつ見ても、何度見ても見慣れない光景に、一木は驚きを隠せなかった。
アンドロイドには、基本的には睡眠という行為は必要ない。
ただし、類する行為がまるで必要ないのかというと厳密には違う。
アンドロイドは精神にストレスがたまるとストレス量を眠気として感じ取り、スリープモードに入り、ストレス軽減を行う。
このスリープモードになる事を一般的に睡眠、眠るとなどと呼称する。
ちなみにSSの場合は眠気を感じず、コンピューターによる警告にとどめる作戦モードに通常は設定されており、任務中に眠くなることは無い。
ただしこのままだと、負荷がたまり機構的に良くない影響が出かねないため、後方で精神負荷を眠気として感じ取る日常モードへ移行させたり、部隊ごとに軽減処理を行ったりといったケアが行われる。
このように、アンドロイドも睡眠同様の状態になるのだが、これらの行為はあくまで調整機能に過ぎず、もちろん毎晩のように頻繁に行う必要はない。
しかし、人間と生活を供にするパートナーアンドロイドともなると、主人との生活バランスを取るために、夜同じ時間にスリープモードに入る。
一木も当然、シキと同じ時間に床に就いていたのだが、ここで問題が発生する。
アンドロイドがスリープモードに入るのは、ストレス軽減のためだ。
ところが、アンドロイドにとって最もストレスが軽減されるのは、スリープモードによる軽減処理以上に、人間と触れ合っている時に他ならない。
つまり、人間と生活リズムを合わせようと一緒に眠るときこそ、最もスリープモードに入る理由が無い時なのだ。
当然、スリープモードに入る必要が無いため、多くのアンドロイドは眠りにつく大好きな主人の顔を夜通しジッと見ている。
それが当人にとって一番幸せなのだから仕方ないのだが、目が覚めたその時、瞬き一つせずに顔をジッと見ているパートナーアンドロイドと顔を見合わせると、どうしても驚いてしまう。
今のマナも、同じだったのだろう。
眠り、モノアイから光の消えた一木の顔を幸せな気持ちで凝視していたに違いない。
それを思うと、驚きの声を上げるのも悪い気がして、一木は必死に声を押し殺した。
「おはようございます、弘和君」
「お、おはよう、マナ」
「私、ミルクの香りになってよかった」
「ん? どうしてだ?」
「仮想空間で並んで寝るのも好きですけど、こうして弘和君に包まれて寝るのも素敵。だって、仮想空間だと私の方が大きいから……」
確かに、現実空間では一木が2mに対して、マナは180cmだが、仮想空間では一木のアバターの身長は170cm程で、逆転してしまう。
ハグなどされると、どうしてもマナが一木を抱きしめるような格好になった。
「……だからって、あまり変なフレーバーは止めてくれよ」
「どうしようかな……人間はお肉が好きだからベーコンの香りを……」
「いやマジでそれは止めて!」
思わず大声を出した一木に、今度はマナの方が驚いた表情を浮かべた。
しばらく見つめあった二人は、どちらともなく笑い出した。
「ふふ……さあ、弘和君。こうしているのもいいですけど、明日に備えて仮想空間で休みましょう」
「そう、だな。風呂に入って、何か食べよう」
「はい」
眠った筈なのに、どことなく疲労感を。
ただし、心地いい疲労感を感じながら、一木は椅子に座りなおした。
その後、マナにブドウ糖を入れてもらい、一緒に仮想空間へ入った。
マナと一木の、二人の部屋へと。
そのはずだったのだが。
仮想空間にマナと一緒に入った一木は困惑していた。
それも当然だろう。
そこには、先客が居たからだ。
全員が思い思いの姿勢でくつろぎ、山の様な酒のつまみを前に、ワイワイと騒いでいた。
首席参謀 ダグラス大佐。
ジョッキに注がれたビールをグイグイと飲んでいる。
内務参謀兼外務参謀 クラレッタ大佐。
ダグラス大佐の隣で赤ワインを優雅に飲んでいる。
外務副参謀 ミラー大佐。
今は、元の人間の大きさで、ポリーナ大佐に抱っこされている。
情報参謀 殺大佐。
胡坐をかいて、ダグラス大佐と一緒に酒を飲んでいる。
文化参謀 シャルル大佐。
キッチンで何やら調理中だ。
作戦参謀 ジーク大佐。
収納ボックスの、一木の娯楽アーカイブを漁っていた。ヤメテ。
兵站参謀 ポリーナ大佐。
一際大きい体のためか、窮屈そうに寝そべっている。
艦務参謀 ミユキ大佐。
他の参謀にお酌していたのか、酒の瓶を持って端に立っていた。
そんな、だらけた面々を前に立ちすくんでいると、一木達に気が付いたダグラス大佐が声を掛けてきた。
「おお、一木司令。待ってたぞ。ささ、主役がそんな所でどうする、一杯やれよ」
気軽に声を掛けてくるダグラス大佐だが、一木は叫ばずにはいられなかった。
「あんたら、人の頭の中で何やってんだ!?」
一木の声が、空しく自分の脳内に響き渡った。
何とか出来上がりました。
日刊更新の時を思い出します。
おかしいところはおいおい修正しますので、ご勘弁を。
次回からは再びグーシュ視点。
サーレハ司令、久しぶりに登場予定。
更新は29日か30日の予定。
よろしくお願いします。
イラストギャラリーを追加しましたので、よろしければどうぞ。
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