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第15話 老皇帝

「陛下、またです。今回は近衛騎士側です。第二歩兵隊隊長のカカロが護衛の騎士もろとも殺されていたそうです」


 皇帝の執務室で、ルーリアト帝国皇帝は宰相からの報告を静かに聞いていた。


 机の上には未決済の書簡が重なり、さながら無数の塔が立ち並ぶかのようだった。


「そうか……馬鹿者どもが……」


 ポツリと呟いた皇帝の声には張りが無かった。

 表情にも力が無く、目に見えて憔悴しているのが見て取れる。

 

 そんな皇帝に、宰相はグーシュが行方知れずになって以降、幾度目かになる言葉を掛ける。


「陛下……お気持ちは察しますが、どうかお気を確かに。そろそろ執務を行っていただきませんと……」


「わかっている……」


 宰相の言葉に、皇帝は少し力を込めて言葉を返した。

 そして、震える手で筆を持つと、山のような書簡に目を通し始めた。

 しばし、紙をめくる音と、筆が紙を滑る音だけが執務室に流れる。


 そんな皇帝の様子を見ていた宰相は、少し躊躇った後、再び口を開いた。


「……陛下、やっと執務に戻られた所に重ねて申し訳ないのですが……」


「イツシズとセミックの争いの事だろう……」


「その通りです。このままでは陛下の支持基盤である改革派が壊滅してしまいます。どうか、両者の仲裁を……」


 しかし、宰相のその言葉に、皇帝は静かに首を振った。


「まだ早い……セミックはむしろ余の言葉を待っているだろうが、イツシズは納得するまい」


「そうでしょうか? イツシズ殿は冷静沈着、道理をわきまえた方だと……」


「おぬしもまだまだ甘いな」


 宰相の言葉を、皇帝は笑い飛ばすように否定した。


「あ奴の冷静な顔は、演技に過ぎん。心の内は自分をどう価値のある人間に見せるか、自分を馬鹿にした人間にどう報復するか……その事しか無い……まあ、むしろそれに留意すれば扱いやすい男なのだがな……」


「イツシズ殿が、ですか?」


 宰相は信じられない思いだった。

 イツシズは近衛騎士団と帝都駐留騎士団を人事担当官という立場で牛耳る、皇太子を中心とする改革派のトップだ。

 その人物が皇帝の言うような短慮な人物などと、信じられない思いだったのだ。


 そんな宰相の様子を見て、皇帝は再び乾いた笑いを漏らした。


「ふふふ……セミックもお前と同じだろうな……それ故、あやつはイツシズを見誤り、この度の事態を招いたのだ。イツシズのような冷静な男なら、守旧派への対処を優先してセミックとの対立を棚上げする。大広間の一件やコレクの殺害を警告ととらえ、一旦攻撃を手控える、とな」


「なるほど、この度の近衛騎士団とお付き騎士達の抗争はそう言った理由でしたか……」


「セミックも無能では無いのだが、身内や身近な人間ほど能力や本質を見誤る癖がある……ある意味グーシュに似ている……まあ、それだからルイガの奴が気に入ったのだろうが」


 皇帝の言葉に、宰相は呆然とした。

 セミックとグーシュ皇女が似ていると言われても、納得できる部分が全く無かったからだ。


 そんな宰相の様子をみて、皇帝は面白そうにカラカラと笑った。


「文武両道だが抜けた性格のルイガと、表向き真面目で好かれるが他者を見ることが苦手なセミック。主従を入れ替えれば、どこかで見た事のある連れ合いだと思わんか?」


 宰相の脳裏には、城内でいつも二人一緒にいた、先ごろ行方知れずになった第三皇女とそのお付き騎士の姿が浮かんでいた。

 

 そんな宰相をよそに、皇帝はここ最近癖になりつつある、過去の思い出語りを始めた。


「ルイガの奴……グーシュが三歳だから……八歳の頃か。余の所に来て、お付き騎士はいらないからグーシュとずっと一緒に居たい、などと言いだしてな。余が駄目だと言ったら、泣きながらそれならお嫁さんにすると言いだした……それを聞きつけたシュシュの奴が私を嫁にしろと言ったら、また泣きながらシュシュを突き飛ばして、そうしたらシュシュの奴がルイガに掴みかかって……余は二人を抱いて、喧嘩は辞めろと叱った。そうしたらグーシュがよちよち歩いてきて、わらわも抱っことせがんで……ああ、あの頃は……よかったな…………本当によかった。妻のリャリャ……ルイガ、シュシュ、グーシュ。みんな揃っていた……」


 家族の思い出を話していた皇帝は、十歳も若返ったようだったが、話しているうちに、またグーシュが行方知れずになった日に戻ってしまった。


 先ほどイツシズの事を演技をしていると言った皇帝だったが、宰相の見るところ、皇帝自身が優れた皇帝という演技をこの二十年し続けていた。


 ひょっとすると、この度の皇太子と第三皇女の争いが、自分のせいだと思っているのかもしれない。

 宰相はそう思ったが、さすがに皇帝には何も言えず、いたたまれない気持ちでその様子を見守る事しか出来なかった。


「……結局ルイガは、目つきのきつくて体格のいい、グーシュと真逆の娘をお付きに選んだ……しかし今思うと、内面的にどこかグーシュに似た娘を選んだのだろうな……その癖、余に小言を言われるのが嫌で、見た目はグーシュと逆の娘を選んだのだ」


 このままでは、際限なく皇帝の思い出話が続くと思った宰相は、不敬ながらも皇帝の話を遮った。

 今は、帝国の事を第一に考えてもらわねばならない。


「陛下、今はそのルイガ様を取り巻くお二方の抗争を何とかしなければ。陛下のお言葉で、どうにかイツシズ殿を説得できませんか?」


 宰相の言葉に、皇帝はやや不満げな顔をしたが、それでも現状のまずさを自覚する理性は残っていた。

 ため息を付くと、皇帝は自身の方針を口にした。


「仮に説得しようが、命令しようが、イツシズの行動は収まるまい。今はただ耐えるしかない。近衛とお付きのどちらか、もしくは両方が疲弊したのを見計らい、余が仲裁するしかない。内容は双方の疲弊具合を見て決めるしかないだろうな。まあ、セミックとルイガの関係には手を付けさせず、そのうえでイツシズに新しい役職を与え、権限を増やすあたりが妥当か……」


 結局のところ、この争いは度胸試しのような物だ。

 セミックにしろイツシズにしろ、相手を全滅させることまでは望んでいない。

 

 頭に血が上っている今のイツシズは別だろうが、それもやがて冷める。

 そうなれば、落としどころを探り始めるはずだ。


 だが、最終的な決着のためには、勝者と敗者が必要になる。

 どちらかが争いの終結を言い出せば、そちらが敗者となる。


 互いにそれは避けたいがために、際限なく争いは続く。

 つまり皇帝は、両者が同時に争いをやめたいと思ったタイミングを見計らい、仲裁しなければならないのだ。


「そこまで軽率な御仁だと見抜いているうえで、まだ重用されるので?」


「もっともだがな……ほかに人が居らぬ。騎士団を抑え、守旧派を抑え、穏当な改革を志向する者など、そうはいないのだ」


 皇帝の言葉に、宰相は黙るしかなかった。

 一言でいえば人材不足だ。


 イツシズという使い勝手のいい人材に、皇帝もその周辺も、この二十年頼りすぎた。


 現皇帝の就任前から、皇帝の入れ札選定という大改革を担った人材だけに、就任当初からイツシズという人物に大きな借りがあった事が、今になってまで尾を引いているのだ。


「……リャリャがまだ生きていて……ルイガとグーシュが一緒に政をやっていてくれればこんな事にはならなかった。グーシュには悪いことをした。あの子にはリャリャの教えが呪いの様にこびりついてしまった。ルイガには悪いことをした。余とリャリャの失策のせいで、あんなに愛していた妹を……。こんな事なら古代の慣例を復活させて、ルイガにグーシュを嫁にやればよかった……」


 皇帝の言う通り、大昔は兄妹婚が行われていた。

 ただし、現在ではあまりいい顔はされない行為だ。


 皇族や貴族の場合、やむを得ない場合は選択肢になる場合もあるが、通常は他の手段を考える。


 宰相は冗談なのか判別が付かず、返答することが出来なかった。

 

「陛下…………」 


 それでも、再び始まった皇帝の回想と後悔を、諫めなくてはならないと、止める方法を考え始めた宰相。

 ところがその思考は、廊下を走るけたたましい足音によって、中断を余儀なくされた。


 宰相は皇帝に一礼すると、執務室の扉を開けて一旦外に出た。

 そうして程なく待っていると、宰相府の部下がバタバタと走ってきた。

 そして部下の男は汗も拭わずに叫んだ。


「た、大変です!」


「何事だ騒々しい! また連中の抗争か?」


 やや不機嫌な口調で尋ねる宰相。

 しかし、部下の男の言葉は、宰相の想像を超えるものだった。


「ポスティ殿下が生きておられるとの話が……」


「何!」


 驚いて声を上げる宰相。

 そして、そんな宰相の背後の執務室の扉が、勢いよく開いた。

 開けたのは皇帝だった。


 先ほどまでの、落ち込み切った老人とは思えない素早い動きで部下の男に近づくと、狼狽える男の両肩をがっしりと掴んだ。


「本当か……本当にグーシュが生きているのか!?」


「へ、陛下……未確認の情報です……それでもよろしければ……」


「どこだ! どこで生きているのだ!」


 男はちらりと宰相の方を見た。

 宰相が、やや諦めたような様子で頷くのを見ると、男は話し始めた。


「帝都で急速に噂が広がっているのです。なんでも、ルニ子爵領にてポスティ殿下が自らを殺害せんとしたイツシズ一派と戦う事を宣言したと……」


「そんな馬鹿な! あり得ん……そもそもガイス大橋の崩落からどうやって生きていたというのだ」


 宰相は思わず大声を出した。

 それはもっともな言葉だったが、部下の男は尚も続けた。


「それが、例の海向こうの使者が未知の技術で助けた、と……さらにポスティ殿下の境遇に同情して、彼らも殿下に協力を表明。帝都への帰還はもうじきだという……噂です」

 

 唖然とする宰相をよそに、皇帝は嗚咽を漏らし、床に倒れ込んでしまった。

 愛娘の生存情報の片鱗だけで、老いた皇帝は歓喜に飲み込まれへたり込んでしまったのだ。


 そして当然。

 この情報はイツシズとセミック、そして皇太子の耳にも入っていた。

次回更新は8月3日の予定です。

これから暑くなるようです。

皆さん、体調管理に気を付けましょう。

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