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14話 『雪の日に 二』



 ミーシャさんとは、一度しか会ったことがない。


 顔は……あまり覚えてはいない。


 ラインハルトと同じ茶色の、長い髪の毛だったこと。気が強そうなツリ目だったこと。


 それくらいしか覚えていない。

 

 けれど、しっかりと思い出せることもある。


 ラインハルトとの『奪嫁の儀式』の直前。


 家の裏手で偶然ミーシャさんと会って、そこで言ってくれた。


 俺のことを優しいと、結婚するのが嫌じゃないと……恥ずかしがり屋のミーシャさんが、顔を赤く染めながら言ってくれた。


 『儀式』の前日、心の籠った手紙で伝えてくれた。俺からの手紙が嬉しかったと。


 今でも、エンリ村の俺の部屋に、その手紙は丁寧に保管してあるはずだ。


 ミーシャさんは、そんな……心の優しい女の子だ。


 本当なら、俺の奥さんとなっていたはずの。


 ……けれど、ミーシャさんはもう、俺の婚約者じゃない。


 俺の婚約者じゃないけど――


「陛下、その紙……私にも見せてもらっていいですか?」


 俺が言うと、陛下は無言で手に持っていた紙を渡してくれた。


 急いで、そこに書かれている都市の名前に目を通す。


 これを書いた人も慌てていたのだろう。かなり雑な字だが、なんとか判読できる。


 昔、母上に教わった授業の内容を思い出しながら、リストに書かれている中でも、比較的大きな都市の数を指折り数えていく。


 その数が、両手に足りなくなってきた所で、俺は数えるのをやめた。


 今回、反乱が起こった都市は、規模が一万以上の物だけでも十を優に超えている。対して、セイレーン領の人口は五千に満たない。


 教会から聖官が派遣されたといっても、せいぜいが数人だろう。その数人がどこに優先的に派遣されるかと言えば……基本的に人口が多い都市。


 セイレーン領は、優先順位が低い。


 反乱、つまりは領主に対する民の蜂起(ほうき)が起こっているのに、セイレーン領はしばらくの間放置されることになる。


 もちろん、領主が持つ兵士はあるだろうが……果たして、確実に領主を、領主婦人のミーシャさんを、護ることができるだろうか?


 そこまで考えが至った時。


 俺は衝動的に動き出そうとしていた。


 すんでの所で踏み留まる。


 ――待て。


 と、自分自身に言い聞かせた。


 ……教会から、指示が出ている。俺は、陛下の護衛を第一に考えろと。


 実際、こんな風に各地で反乱が起こっているのなら、王都に残存している反乱勢力が、破れかぶれになって行動を起こすかもしれない。


 そうなったら、俺の出番だ。陛下を護る。そして、余裕があるなら暴動を鎮圧する。


 なのに、もし俺が持ち場を離れていたらどうなる? 陛下を護れないぞ?


 ……大丈夫だ。心配は要らない。


 セイレーン領の兵士たちに任せておいても、ミーシャさんくらいなら護れるだろう。


 蜂起とは言っても、それを起こしているのは一般人だ。戦闘の素人。簡単に鎮圧できるはずだ。


「ありがとうございました」


 言って、俺は手に持っていた紙を陛下に返した。


 陛下が一瞬俺の目を覗き込んだように見えたのは、気のせいだったのか、どうなのか……それは分からない。ただ、特に何を言うでもなく、その紙を受け取った。


 陛下が、ファーターさんへと指示を出している。


「まずは、情報の収集に努めよ。乱の鎮圧その物は、ありがたく教会に任せるとして……余たちがせねばならぬことは、さらなる混乱の発生を抑える事だろう。この事は、どれくらい広まっている?」


狼煙(のろし)は誰の目からでも見えますから、意味の分かる者も一定数いるでしょう。緘口令(かんこうれい)を敷くとしても、どうしても漏れるかと……」


 陛下は口元に手を当てて、しばしの黙考の後に言った。


「とりあえず、緊急法を適用しよう。手が足りぬなら、文官どもでも走らせて、早急に王都内に告知するように。嫌疑などの特にかかっていない中央騎士は、控所に待機。取調べ中の者は獄に繋いでおけ。

 近衛騎士の内、百は王都内に散らばせるように。指示に従わぬ王都民は法に則り各人で処断して構わぬ。残りの四百には、王宮の防護を固めさせよ」


 そこまで一気に陛下が言うと、ファーターさんは急ぎ扉の外へと消えていった。


 室内には、俺と陛下だけが残された。


 先ほどまでの忙しない空気が嘘だったかのように、パチパチと、暖炉の中で薪が爆ぜる音が大きく聞こえた。


 陛下は椅子に座ったまま、俺に背を向けたままに、前方を睨んでいるようだった。


 ファーターさんが来る前の弛緩した空気は消え去っていて、背中から放たれる刺すような気配は、大国の頂点に相応しい風格を帯びている。


 思わず……背筋が伸びる。


「聖官殿は、どうするのだ?」


 陛下の声が、耳朶(じだ)を打った。


「余は、ハインエル王国の国王だ。権の及ぶ全ての者に対して命令を下すことができる。

 だが、聖官殿は……聖女様の支配下だろう? 余からは命令を出すことができぬ。聖官殿は……どうするのだ?」


「それはもちろん……かねてから言っているように、陛下の傍で護衛させていただきます。先ほども聖女様から、陛下を護る事を第一に行動するように、との命令が下りましたし」


 ちょっと緊張しながら俺が言うと、陛下は何も応えずに、椅子から立ち上がった。


 陛下は上背がある。体格その物もガッシリとしていて、小柄な俺からすると圧倒されてしまう。


 ……いや、いつもなら、ただのオッサンに圧倒されることは無い。けれどこの時、国王がまとう気配に、俺は完全に圧倒されていた。


 陛下はその場で振り返り、向かい合う俺を見下ろした。


 真っ赤な瞳が、俺を貫く。


「それでいいのか?」


 陛下の重たい声が、俺を上から押し潰す。


 なぜか……陛下の目を見返す事ができない。


 俺は、陛下から目を逸らしつつ答えた。


「……何がですか?」


「これは、余の考えだがな」


 頭を掴まれた。


 グイッと、後ろへと押さえ付けられる。


 何もできずに、俺の顔面は上方へと向けられた。


 すぐ目の前には、陛下の顔。


「人は、自分にとって何が大切なのか、常に自分に言い聞かせておかねばならぬ。

 さもなくば、大切なことなど容易に見失ってしまうのが、人という生き物だからな。そして……後になって悔いるのだ。

 ――では、聞こう。聖官殿にとって、大切なことはなんだ?」


 俺は、何も答えられなかった。


 意味が分からなかった。


 ただ、陛下の濁った瞳が怖かった。


「本当に、聖官殿にとって大切なのは、余を護衛する事なのか? 聖官としての任務を全うする事なのか? 死ね、と命令されたら、死ぬのか? なぜ、シエタ卿を軟禁などしたのだ? 任務において、益となるような物を受け取ってはならぬ、と言っておきながら、なぜ、余に頼み事などしたのだ?」


 矢継ぎ早に言った陛下は、俺の頭を突き飛ばした。


 魔素を自在に使えるはずの俺は、為すすべも無く床に叩きつけられた。


 俺を見下ろしながら、陛下は静かな声で続ける。


「違うだろう。違う、はずだ。後になって後悔しても……何も戻って来ぬのだぞ」


 言いながら、陛下は椅子に掛けてあった赤ローブを手に取った。


 それを身にまといつつ、足先を扉へと向ける。


 呆然としている俺の視界の中、陛下は扉の真ん前で一度足を止めた。


「……すまぬ、少し取り乱した。だが、聖官殿には考えてほしい。何のかんのと言いながらも、余は、それなりに聖官殿の事を気に入っているのだ。

 だから、聖官殿に余のような気持ちを味わってほしくはない。よく考えて、それで出した結論なら、余からは何も言わぬ」


 ただのおっさんに戻った陛下は、疲れたような声音で言って、部屋の外へと出て行った。


 俺は……その背中を、すぐには追いかける事ができなかった。



 ○○○



 陛下の居場所は、近衛から聞いた。


 一人、廊下を歩く。


 途中、何人もの近衛や文官たちとすれ違った。誰もが慌ただしく走っている。


 いつもなら、俺の神官服を目にすれば、道を避けて頭を下げてくれたものだが、今日は少なくない割合の人が俺に気付かず、そのまま走り抜けていった。


 その事について、無礼を(とが)めたりする気は無い。


 俺は、忙しない空気の流れる王宮内から目を背けて、窓の外を見ていた。


 シンシンと、真っ白な雪が降り落ちている。


 眼下に見える庭園の緑は、白い冠を被っていた。


 噴水は、少し湧き上がった状態で凍り付いている。


 常に薄くまとっている魔素を、俺は取り除いた。


 途端、身を刺すような冷気が襲ってくる。


 ――寒い。


 久しぶりの感覚だ。


 魔素を無意識に扱えるようになってから……俺は、寒さを忘れていた。


 この、痛いようでいて、熱いような、不思議な感覚。


 ハァーと、息を吐くと、白い煙が立ち昇る。


 その煙が空気に溶け消えるまでの時間に、俺は『あの日』の事を思い出していた。


 俺の世界が変わった日。


 大切な人が二人、訳も分からないままに……雪に消えてしまった日。


 最後に、窓の外を、もう一度見た。


 真っ白な雪が、絶えず降り落ちている。

 

 その白さを目に焼き付けて、俺は扉を守護する近衛に声をかけた。



 ――



 扉を抜けると、陛下とちょうど目が合った。


 陛下は、いつも朝食を摂る時に使う椅子に座っていた。


 目の前の机には銀色の皿が載せられていて、その上には、いつだか毒が混じっていたのと同じ種類の果実が盛られていた。


 陛下はその内の一つを右手に持ったまま、口をモグモグとさせている。


 俺は陛下のすぐ傍まで向かい、陛下の真っ赤な瞳をしっかりと見つめ返す。


 ゴクリと、頬張っていた果実を飲み込み、陛下は口を開いた。


「どうかしたか……聖官殿?」


「陛下に、お願いしたいことがあるのです」


「なんだ、言ってみろ」


 俺は一度、深く息を吸い込んだ。


「少しの間だけ、陛下の護衛から離れても良いでしょうか?」


 ニヤリと笑って、陛下は手に持っていた果実に(かじ)り付いた。


 シャクシャクと咀嚼(そしゃく)して、ゴクリと飲み込む。


「……先ほども言っただろう。余は聖官殿に命令する権利を持たない。聖官殿が望むなら、好きにすれば良かろう」


「ありがとうございます」


 言って、俺は頭を下げた。


「用事が終わったらすぐに――四刻以内には戻ります。その間、陛下は夜のように近衛騎士から離れないようにお願いします」


「分かった、分かった」


 面倒そうに言って、陛下は手をヒラヒラと振る。


 その様子に若干の不安が募るが……ファーターさんたちなら、ちゃんと陛下を護ってくれるだろう。


 俺は陛下に背を向けて、扉に向かう。


「聖官殿」


 背後からの声に、俺は反射的に足を止めた。


 何か、気配がする。


 顔の横に右手をあげると、ちょうどそこに何かが飛んできた。


 固い感触のそれを掴み取って、眼前へと持ってくる。


 手の中には、洋梨のような形の、橙色の果実が握られていた。


 俺が振り返ると同時に、陛下はニヤつきながら言ってきた。


「貴重な物だからな、ちゃんと味わって食べるように」


 頷き、俺は再び扉へと向きなおる。


 ドアノブに手をかけた瞬間、背後から聞こえてきた。


「頑張れよ」


 俺は……もう、振り返らなかった。



 ○○○

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