13話 『雪の日に 一』
陛下を寝室まで送り届けた俺は、自分の部屋に戻る前に……ちょっと寄り道をすることにした。
階段を下り、一旦建物から出て、庭園の傍を通る。
さらに歩くこと数分。別の建物の入り口に辿り着いた。そこを警備している近衛に挨拶して、建物内に入れてもらう。
無人の廊下。つい数刻前も通ったので、道は覚えている。
階段をいくつか昇っていくと、目的地が見えてきた。扉の前に近衛が二人立っているから、一目で分かる。
近衛たちは、俺を認めると同時に深々と頭を下げた。
「ご苦労様です。……どんな様子ですか?」
俺が問いかけると、背が高い方の兵士が答えてくれた。
「目覚めた当初は混乱していた様子でしたが、今は落ち着いているようです」
「そうですか……少し、中に入ってもいいですか?」
「どうぞ」
近衛たちが道を開けてくれる。
俺は扉の真ん前まで進み、軽くノックをした。
「ラインハルトさん、アルです。中に入っても構いませんか?」
少しの間を置いて……「はい」と扉越しに聞こえた。
扉をゆっくりと開ける。
部屋は、それなりに大きかった。
流石に陛下の部屋や、俺が今使わせてもらっている部屋ほどではないが……その半分程度はあるだろうか? それでも十二分に大きい。
ラインハルトは灯りも付けず、窓際の椅子に座っていた。
目は俺を見ておらず、窓の外に向けられていた。
なんて話しかけたらいいか分からず……俺はただ、ラインハルトの事を見ていた。
「アルくん」
落ち着いた声で、ラインハルトは俺の名前を呼んだ。
ようやく、こちらへと顔を向けた。
「今夜の月は、暗いね」
「……もうすぐ月替ですからね」
「うん、そうだっけ? ……まあ、座りなよ」
ラインハルトは、対面の椅子を手で示した。
戸惑いながら、俺は部屋を横断して……椅子に座った。
てっきり、怒られるかと思ってたのに、そんな様子はない。
静かに、俺のことを見据えている。
「今日って、何日だっけ?」
「二十九日です」
「ああ、そうか。なら、明日が新月か。だとしたら明日の夜は、もっと暗いね」
「ですね。まあ――」
窓から、夜空を見上げる。
「かなり雲が出てますから……月があっても暗かったかもしれないですよ」
「ああ、確かに。明日は雨が降るかもしれないね。……いや、これだけ寒かったら、雪が降るかな?」
二人して、夜空を眺める。
糸のように細いとは言っても、やっぱり夜空では月が一番明るい。
風に流された雲が月を遮ると、一段と暗くなった。
「アルくん、聞いてもいいかい?」
暗闇に、ラインハルトの声が聞こえた。
「僕をこうして捕まえているのは、アルくんの意志かな?」
「……はい」
「やっぱり、僕があんなことを言っちゃったから?」
「いえ、違います――」
俺が答えると、ラインハルトが動く衣擦れの音が聞こえた。
「ラインハルトさんが、あの時なんと答えていようとも……方法が違ったとしても、結局どこかで僕は、今と同じようにラインハルトさんを王都から隔離していたと思います」
ラインハルトの返事は無い。
ただ、俺の声に耳を傾けている気配は伝わってきた。
暗闇に包まれているせいだろうか? 気付けば……俺は、言うつもりの無かったことまで語っていた。
「僕にとって……こんなことを言ったら迷惑かもしれないですけど、ラインハルトさんは初めてできた友達なんです。
エンリ村では、父上と同年代の人たちには優しくしてもらってましたが……十二年生きて、ラインハルトさんが、初めてできた友達だったんです。
だから……こんな危険な場所に、居てほしくなかった。あんな考えを抱いているなら、なおさらです」
沈黙の後、前方の闇から声が返ってきた。
「僕にとっても、アルくんは大切な友達で……今でも、大切な弟だよ。そんなアルくんに心配してもらうのは、嬉しい。だけど、今――」
言葉が切れた。
無言で待っていると、数秒後に淡々とした声が聞こえてきた。
「僕は、この目で見てきた。いや、この手を汚してきた。アルくんも知ってると思うけど、審判で死罪になった人を処刑するのは、中央騎士団の仕事なんだ。
色んな人がいた。昨日みたいにまだ幼い子どもから、妻子のあるかもしれない男の人、穏やかに生きていたのだろう、お婆さん。
その人たちの首を……僕は落としてきた。些細な罪。いや、罪とも言えないようなことで、その人達の命は奪われた……僕が奪った。最初は、仕事だと思ってこなしてきたけど……もう、限界だった。
そんな時、声をかけられたんだよ。狂乱の王から人々を救わないか、と言われた。だったら……手伝うしかないじゃないか。
コツコツと、少しずつ計画を立てて……もう少し、もう少しで、決行するって時に……教会から、陛下の護衛が派遣されてきたとの情報が入った――」
雲が切れた。
弱弱しい月光が、ラインハルトの顔を照らす。
ラインハルトの目は、しっかりと俺の目を捉えていた。
「それが、アルくんだった。アルくんが聖官として……聖女様の御意思として王国にやってきて、残虐の限りを尽くす陛下を守護した。
……僕たちは間違っていたのかな? 陛下を護る事が聖女様の御意思なんだとしたら、陛下を弑そうとしている僕たちは、聖女様の御意思に反している事になる。苦しんでいる人たちを見殺しにすることが、聖女様の御意思になる……」
怒りなのか、悲しみなのか、無力感なのか、俺には想像ができない。
色々な感情がごちゃ混ぜになって……ラインハルトの声は、震えていた。
「アルくん、もう一度聞かせて欲しい。……聖女様は、皆を見殺しにするのかい?」
縋るような目。
そんな目を、向けてほしくない。
受け止められない。
……けれど、目を逸らすことは許されない。
俺は、聖官なのだから。
「聖女様が具体的に何を考えているかは分かりません。ただ、僕に対しては……陛下を護ること、そして仮に王都で暴動が起こったなら鎮圧する事、この二つが任務として下っています」
ラインハルトの言葉と比べて、俺の言葉は軽かった。
「ただ、一つだけ言えるとすれば……」
再び、月が雲に隠れたのだろう。
瞬きの間に、周囲は夜闇に包まれていた。
「僕は、千人が処刑されるよりも……ラインハルトさんの首が落とされる方が嫌です」
椅子から立ち上がる。
入り口の扉へと足を向けながら、俺は感情を抑えて続けた。
「陛下を護ることが、僕に与えられている任務です。……だから、しばらくの間、ラインハルトさんにはこの部屋にいてもらいます。
心配要りません。すぐに全て終わりますから。もう少しの間だけ、この部屋にいてください」
○○○
翌日、王都は雪だった。
昨日の晩に予感していた通り、空には分厚い雲がかかっていて、それが見える限りの遠くまで続いている。
俺は執務室にいた。
絶えず降り落ちる白い点を眺めていた。
そういえば……これが、今の任務に就いて二度目の雪だ。
初日、まだ陛下とも全然打ち解けていなかったころに、今日と同じように雪が降っていた。
あの時は……。
――と思いながら、俺は視線を室内に向けた。
暖炉では橙色の炎がゆらゆらと揺れていて、室内を温めている。ちょっと暑いくらいだ。実際、陛下は腕をまくり上げているし……俺も、神官服を着崩している。
扉が開き、文官のおっさんが何枚かの紙を手に部屋に入ってきた。それを陛下に渡し、淡々とした声で説明をしている。
今朝から、幾度となく見た光景だ。
実際、陛下の机の上には、同じように持ってこられた紙の束が、数センチ積み上がっている。
これらは全て、反乱分子に関する報告書だ。
……昨日、俺が気絶しているラインハルトの思考から読み取った情報を元に、芋づる式に捕まった者たち。今後、もっと増えるのだろう。
どうやら、中央騎士団内に、陛下を斃そうとしている勢力があったらしい。中々に大規模なようで、○○長、みたいな役職名が付いている人も、下手人に名を連ねている。
ラインハルトも言っていたように、実際に処刑する側に立つと思う所があるのかもしれない。
ちなみにだが、俺がラインハルトの頭から情報を読み取れたのは、偶々運が良かったからだ。
普通なら、覚醒している状態の人に質問をして、俺が知りたい情報について考えてもらう必要がある。
ラインハルトの場合は、かなり強固に考えていたから、寝ている状態でも読み取ることができた。おそらくは……普段から、悩んでいたのだろう。
もちろん、ラインハルト本人に、ラインハルトから得た情報を元に反乱分子を捕まえたなんてことを、教えるつもりは無い。
教えても意味が無いし、ただショックを与えるだけだろうから。
――それは、陛下が資料の一枚を読みながら、ちょうど欠伸をした時だった。
「陛下!」という叫び声と共に、扉が勢いよく開けられた。
「慌ててどうした、ファーター? 驚いたではないか」
その割に、陛下の声は冷静だった。
緊迫した表情で……ファーターさんは、手に持っていた一枚の紙を陛下に渡した。
「それがっ、各地の直轄領、地方領において、同時に反乱が勃発したとの報告が。そこに書かれているのが、主な場所です」
――『任務。王国内で多発的に反乱が発生。聖官を幾名か派遣したので、アル聖官は国王の安全を第一に考えること』――
頭に直接書き込まれると同時に、言いようのない焦燥感が生まれた。
教会からの新たな指令だ。
とはいえ……聖女様から元々言われていた事と変わらない。
俺は自分が為すべきことを今一度確認し、口を開いた。
「陛下、ファーター閣下。中央教会から、乱の鎮圧のために聖官が派遣されたようです」
見るからに、ファーターさんの表情が和らいだのが分かった。
ファーターさんから渡された紙に目を通していた陛下が、俺に負けず劣らず冷静な声音で言う。
「聖官が派遣されたのなら問題無いだろう。アル殿と同じような者たちなら、千や二千が暴れようとも相手になら――」
突如、陛下の声が詰まった。
それから、ゆっくりと振り返り……そこに立っている俺に、目を向けてくる。
無言で、手に持っていた紙の、その一点を指で示していた。
何事かと思いつつ、俺は身を乗り出し――
『セイレーン領』
その文字列を見た。
……セイレーン領。
セイレーン領と言えば……エトナ村の隣。北の森の、その向こう側にある国王直轄領。
そして――
「たしか、シエタ卿の妹君が……ここに嫁いでいるのではなかったか?」
○○○




