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11話 『再会の友』



 陛下の部屋に向かうと、珍しく陛下は既に身支度を終えていた。


「おはようございます、陛下」


 「ああ――」陛下は俺の顔を見たまま、口を(つぐ)んだ。


「どうしましたか、陛下?」


「いや、何でもない」


 と言っている陛下は、どこか様子がおかしかった。


 ニマニマと薄く笑っている。気味が悪い。


 その後、いつものように朝食が運ばれてきた。メニューはあまり変わらない。今日は、パンに飲み物、果物、ハムっぽい塩肉だった。

 

 白い、小さめの果実を(かじ)りながら陛下は言った。


「今日の日程だが、午前中はいつものように机仕事をするが……昼餉(ひるげ)の後に訪問者がある予定だ」


 陛下に対する訪問者は大して珍しくも無い。王国の地方貴族やら、どこかの商人とかが、何日かに一回はやってくる。なので、俺は慣れた調子で尋ねた。


「謁見の間ですか?」


「いや、今日は応接室だな」


 陛下の答えに少し驚く。陛下が誰かと会う時は、大抵は謁見の間だ。


 俺が初日に陛下と会った部屋。陛下が誰かと会う時、大抵はこの部屋が使われる。


 対して、応接間が使われることは少ない。俺は一度しか見たことが無い。


 その時は、陛下が招いたという、王国の歴史学者が相手だった。陛下はかなり楽しそうに議論を交わしていた。全く興味が無い俺にとっては、眠気との戦いだったがな。


 ……今日も、同じような感じだろう。


 昼食後の眠気は一段と手強そうだ、と思いながら、俺は小さくため息をつくのだった。



 ○○○



 昼食を終えて応接室に向かうと、扉の前には近衛が一人立っていた。


 俺と陛下が接近すると機敏な動作で頭を下げた。


 「よい」と陛下が言うと、近衛は顔を上げる。


「で、中にいるのか?」


「はい、半刻ほど前に入室し、中で待機しています」


 陛下が頷くに従って、近衛は扉の方を向いた。コンコンと二度ノックすると、内側から扉が開かれる。


 中から現れたのは別の近衛で、陛下を目に捉えると即座に頭を下げた。


 陛下はそれを気にも留めず、俺の方へと顔を向けた。


「聖官殿、行くぞ」


 陛下の行動に当惑する。


 いつもなら、何も言わずに部屋に入っていくし、俺も黙って陛下の背中を追う。


 わざわざ「行くぞ」なんて声をかけてきた意味が分からない。


 ……なんだか、今日は陛下の行動がおかしい。


 朝会った時、それから午前中の仕事の最中にも時々、陛下はニヤニヤ笑っていた。


 室内に一歩踏み入った瞬間、そんな困惑は全て吹き飛んでいた。


 そして……数瞬後には、今朝からの陛下の奇行の理由を理解していた。


 室内では、一人の人物が待っていた。


 椅子から降りて、床にひざまずいている。


 昨日と違って、全身鎧を着ていない。王国の紋章が胸元に刺繍された、暗い赤を基調とした服を着ている。


 入口で立ち止まっている俺を置いて、陛下は応接室の奥へと向かった。


 四つ並んでいる一人掛けソファーの内、奥の一つへと座る。そこでようやく我を取り戻して、俺は慌てて陛下の後方へと向かった。


 首を捻って、陛下が俺に目を向けてきた。


「何をしているのだ、聖官殿? 聖官殿の席は――そこだぞ」


 陛下の指は、隣のソファーを指していた。


 陛下のニヤニヤ顔を見返す俺は……苦い顔をしていたと思う。


 仕方なく、指示されたソファーに腰を下ろすと、陛下はラインハルトに声をかけた。


「シエタ卿も、もう良いぞ。座れ」


 陛下の声に従って、ラインハルトはぎごちない動作で二つのソファーの間へと進み、どちらに座ろうかと迷っていた。


 そこへ、陛下が顎を動かしたのが横目に見えた。応じて、ラインハルトは俺の正面のソファーに腰を下ろす。


 ソファーが軋む音を最後に、室内には沈黙が満ちた。


 ……とてもじゃないが、口を開ける空気ではなかった。


 ラインハルトは、無表情に机へと視線を落としている。


 陛下は、腕を組んだままに強烈な存在感を放っている。


 俺は……口を閉じたまま、考え込んでいた。


 陛下は、なぜラインハルトを呼んだんだろう?


 それ以前に、なんでバレたんだろう?


 俺と、ラインハルトが知り合いだということが。


 ――いや、俺とミーシャさんの婚約は王宮に届けられている。そこから調べるのは可能か?


 けど、だとしても……どうしてラインハルトをわざわざ王宮に呼んだ?


「――さて」


 陛下の呟きは、室内に大きく響いた。


「どうやら、聖官殿とシエタ卿は知り合いであるらしいな。……いや、もっとだな。シエタ卿の妹君と聖官殿は、かつて婚約していたと言うではないか。

 ――なれば、聖官殿とシエタ卿は元とはいえ、義理の兄弟。気を利かし、歓談の席を設けさせた。存分に、語り合うと良いぞ」


 陛下の声に、俺とラインハルトは互いを見つめ合う。ラインハルトの困惑した表情を見ながら、もっと混乱していた俺は口を開いた。


「……元?」


 ラインハルトは、目を瞬いた。


「……元兄弟?」


 もう一度、俺が言うと……ラインハルトはようやく、俺が言わんとしていることを理解したようだった。


「はい。元、です」


 似合わない事に敬語なんて使って、ラインハルトはそう言った。


「なんだ、聖官殿は知らないのか?」


 陛下が割り込んできた。俺は、混乱したままに顔を向ける。


 陛下は、素で驚いた様子の表情で……その事実を伝えてきた。


「聖官殿と、シエタ卿の妹君……確か今は、セイレーン子爵婦人だったか。両者の婚約は解消されているぞ」


「……セイレーン子爵婦人?」


 それって、ミーシャさんの事か?


 セイレーンって……エンリ村の隣にある、国王直轄領の名前だけど。


 何となく腹の底では理解しつつも、俺は信じられない思いでラインハルトへと目を向けた。


 すると、ラインハルトは言いにくそうに口を開いた。


「アル聖官が『儀式』によって『選ばれた』との連絡が入ったので、慣例に従い妹とアル聖官の婚約は解消しました。

 本来なら、『選ばれた』当人の承諾も必要なのですが……アル聖官の所在が分かりませんでしたから、代理としてアル聖官の父君――エンリ卿の承諾を頂き、手続きを進めさせてもらいました」


 ……そう言えば、そんな慣例もあったな。


 貴族の、しかもその跡取りが『選ばれた』場合、貴族同士の婚約は破棄するという慣習があった。


 ……俺、ミーシャさんとの婚約、破棄されてたのか。


 でもって、俺の代わりにセイレーン領の領主と結婚したのか……。


 なんか、物凄く負けた感じがする。


 仕方の無い事だと分かっていても、いつの間にか婚約を破棄されていて、しかも相手の女性は既に別の人と結婚してるなんて……。


「ははは、聖官殿のこんな顔、初めて見たぞ!」


 陛下は機嫌よく笑っていた。


 呆然としている俺の視界では、ラインハルトが陛下の方を見たままポカンとしていた。


 そんなラインハルトの顔に気づいたのか、陛下は笑うのを止めた。


「ん、なんだ? どうかしたか、シエタ卿」


「いっ、いえ……失礼しました」


 途端に萎縮したラインハルトを見て、今度は俺が驚く番だった。


 あのラインハルトが萎縮……いや、そういえば、ラインハルトは奥さんの尻の下に敷かれてるんだったな。案外と権威には弱いのかもしれない。


「そう畏まらずとも良いぞ、シエタ卿」


 「聖官殿もだぞ」と言って、陛下は俺に目を向けた。


「もとより、余がシエタ卿を呼んだのは、聖官殿と会わせるためだ。余の事は気にせず、置物だとでも思って、昔話などに花を咲かせるとよい。

 一つ言っておこう。この室内での会話を余は聞いていない。仮にどのような発言があろうとも、不敬罪には問わぬこととしよう」


 そこまで言った陛下は、椅子に深く腰掛けた。腕を組み、両目を閉じている。


 俺とラインハルトは互いに目を見合わせ、一緒に陛下へと視線を向けた。


 陛下は腕を組んだ姿勢のまま、微動だにしない。


 もう一度互いに視線を交わし……代表して俺が陛下へと声をかけた。


「あの……陛下」


 無言。


「……陛下」


 無言。


「あの――」


「聖官殿」


 目を閉じたまま、陛下はボソリと言った。


「いつも(かわや)で余が感じている居心地の悪さは、この比ではないのだぞ。元より聖官殿の方針だ、これくらい我慢しろ」


 ……ごめんなさい。


 心の中で謝って、俺はラインハルトに目を向けた。


「ラインハルトさん、久しぶりです」


「う、うん……」


 小さく返事をして、ラインハルトはチラチラと陛下を見ている。


「陛下のことなら気にしなくていいですよ。自分で、何を話しても良いって言ったんだから……肩肘張る必要は無いので。陛下、そこら辺はしっかりしてると思いますし」


「……そう?」


 訝し気な目で陛下を、次いで俺を見て、ようやくラインハルトは普通に話し始めた。


「ねえ……アルくん。君、陛下とそんなに仲が良いのかい?」


 俺はちょっと考えてから、首を振った。


「仲というか、陛下はあくまで護衛対象なので。まあ、長時間一緒にいるし、それなりには打ち解けてると自分では思ってますけど」


 俺の言葉を聞いてから、ラインハルトはポツリと呟いた。


「……噂は本当だったんだね」


「噂?」


「ああ、王都というか……中央騎士団で噂になっててね。教会から聖官様が派遣されてきて、陛下の護衛をしてるって。

 ……まあ、まさかアルくんだとは思ってなかったけどね」


 へえー、噂になってるのか。


 まあ、ずっと陛下と一緒にいるから目立つだろうしな。昨日なんか、王都をウロウロしたから、じきに陛下の護衛を聖官がしているということは、知れ渡るだろう。


 ああ、そういえば。


「そういえば、ラインハルトさん、中央騎士団に入ってたんですね」


 「うん」と、力なく笑って、ラインハルトは言った。


「念願叶ってね。中央騎士団に来ないか、という話自体は二年くらい前から来てたんだけど、実際に入団したのは去年だよ。

 僕としては領主の仕事をしっかりやらないと、って思ってたんだけど……父さんが後押ししてくれてね」


「二年前っていうと、まだ僕がエンリ村にいたころじゃないですか。中央騎士団から誘いが来てるなんて、手紙に全然書いてなかったですよ」


「まあ、その当時は、それほど乗り気じゃなかったからね……」


 なんて言うラインハルトを見ながら、俺は衝撃の手紙が届いた日の事を思い出していた。


 子どもが生まれたという、あの手紙。


「それと、ちょうど『儀式』の前日でしたっけ。子どもができたって、突然なんなんですか。それまで全然、そんな話無かったのに……」


「ああ、あれは……そうだね。何となく、恥ずかしくて」


「恥ずかしい?」


 ラインハルトは苦笑しながら答えた。


「覚えてるかな? それまでの手紙でずっと、オルヴィアの事が嫌いだのなんだの言ってたのに……身籠った、なんて言いにくくて。

 でも、ミーシャがアルくんの所に嫁いだらバレてしまうから……って気持ちで、あの手紙は書いたんだよ」



 ――



 一刻くらい経っただろうか? ラインハルトとの会話の種は尽きることが無く、お互いに色んな話をした。


 中心となるのは、手紙のやり取りをしなくなった、『儀式』の日以降の話題だ。


 内容は、お互いに波乱万象って感じだった。


 俺の方は、言える事と言えない事があるので、基本的には師匠と一緒に取り組んだ任務の事とか。


 ラインハルトの方は、中央騎士団に入団してからの、王都周辺や街道沿いに出没した魔物を討伐する話とか。


 ラインハルトもラインハルトで言えない、あるいは言いにくい話題があるようで、時折歯に物が挟まっているような物言いになっていた。


 いつからか、室内には寝息が響いていた。


 腕を組んだままの姿勢で頭を垂れて、陛下は眠っていた。


 その様子をラインハルトがジッと見ていた。


「どうしました?」


 「いや……」小声になって、ラインハルトは続けた。


「……陛下、本当に寝てらっしゃるかな?」


 俺は陛下へと目を向けた。顔を伏せながら大きな寝息を立てている。


「たぶん、寝てると思いますけど……」


 俺が答えると、途端にラインハルトは真剣な表情になった。


「……アルくんに聞きたいことがあったんだ」


 声を潜めて、陛下の様子をチラチラと伺いながら、ラインハルトは言った。


 その様子に、俺はどこか嫌な感じを抱いた。


 嫌な感じの正体を捉えきれないままに、俺自身もなぜか声を潜めていた。


「……なんですか?」


「アルくんは聖官、つまりは聖女様直属の神官ってことだよね」


 ちょっと違うが……まあ、似たような物か。


「まあ、そうですね」


 俺の応えに、より一層険しい表情をしたラインハルトは、続けて尋ねてきた。


「聖女様直属の神官に、陛下を護衛する任務が出ている……という理解で正しいかな?」


「そりゃあ、はい」


 ラインハルトが何を言いたいのか分からず、俺は困惑していた。


 ラインハルトは、俺の目を真っ直ぐに、まるでそこから何かを得ようとしているかのように、真っ直ぐに見つめている。


「それは……聖女様が、陛下の行いを善しとしているってこと?」


 俺は、ラインハルトの質問にすぐには答えられなかった。


 聖女様が何を考えているか、そんなことは分からない。


 ただ……少なくとも、聖女様が今の王国の状態を歓迎しているかというと、決してそんなことは無いと思う。


 それらの事を、俺はラインハルトに伝えた。


 俺の言葉を聞いて、しばしの間両目を閉じていたラインハルトは……数秒の後に、力強い瞳で俺を捉えた。


「……最後に一つ。もしもの話だけど……例えば反乱なんかが勃発したら、アルくんはどうするかな?」



 ――



 ラインハルトが退出した後、部屋の中には俺と陛下だけが残された。


 相変わらず、陛下は腕を組んだまま目を閉じていて、室内には寝息が響いている。


「陛下。寝たふりは、もう良いですよ」


 俺が言うと、ピタリと陛下の寝息は止まった。


「なんだ、気付いていたのか」


 呟いて、陛下は立ち上がった。


 机を回って……俺の対面、さっきまでラインハルトが座っていた椅子に腰かける。


 見慣れたおっさんの顔ではなくて、国王の顔となっている陛下は、ソファーの肘置きに頬杖を付きながら口を開いた。


「で? 気付いていたのなら、なぜシエタ卿に嘘を吐いたのだ?」


「それは……陛下にも聞いてほしかったからです」


 俺の答えに、陛下は困惑した表情を浮かべた。


「余に……聞いて欲しい?」


「はい」


「余に、反逆の意志を聞いて欲しかったのか?」


「ああ、いえ……そこまで具体的に考えていたわけではないですが……」


 陛下は無言のまま、真っ赤な瞳で俺を貫いている。


「ただ……どちらでも良かったのです。特段不穏じゃない内容なら全く問題無いですし、さっきみたいな内容なら……陛下にも聞いてほしかった」


「ほう。つまりは、シエタ卿に目を付けてほしかったのか? 余はこの部屋で聞いた内容については不問に処すが、部屋を出たなら……その限りでは無いぞ?」


「承知しています」


 陛下は、一度目を閉じた。


 再び開かれた瞳には、強い力が宿っている。


「シエタ卿とは、仲が良いのではないか?」


「はい。だから、陛下にお願いしたい事があるのです」


「お願い?」


「はい」


「なんだ、言ってみろ」


 陛下の低い声に、俺は唾を一つ飲んでから続けた。


「先ほど確認してもらった通り、私の友人、ラインハルト・シエタは少々錯乱しています。なので、軟禁するための部屋を一つ頂きたいのです」


「軟禁だと?」


「はい。このまま野放しにしていては、いずれは誰かに迷惑をかける事になるので。予防的措置として、先に捕まえておきたいのです」


 俺の言葉に、陛下は一瞬目を見開いた。


 次いで……ニヤリと口を歪ませた。


「なるほどな。シエタ卿は狂っていたのか。だから、シエタ卿が仮に何を言おうとも、それは狂人の戯言(たわごと)に過ぎぬ、ということか?」


 肯定を返して、俺はソファーから立ち上がった。


 扉を開けると、そこにはラインハルトが倒れていた。


 周りには、巻き添えを食らった近衛が、何人か倒れている。


 筋肉質な身体をお姫様抱っこして、俺はラインハルトを室内に連れてきた。


「もちろん、私が任務に就いている間だけで構いません。任務が終了すれば、シエタ卿のことは私が何とかします。だから……少しの間だけ、お願いできませんか?」



 ○○○

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