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10話 『王都の朝』



 ラインハルトの剣は、四年前のあの日――『奪嫁の儀式』の時と、なんら変わっていなかった。


 上段から一直線に切り裂く、剛腕の剣。


 少女の細い首を切断することなど、小枝を切るに等しかった。


 少女の頭が、地面に落ちた。


 ゴロリと転がって……ちょうど、顔がこちらに向く。


 ボサボサの長髪の間から、虚ろな瞳が俺を見ていた。


 遅れて、傷口から血飛沫を噴出していた身体が、地面に横倒しに倒れた。


 最初の勢いこそ無くなったが、未だに、首の断面から赤い物が(にじ)み出ている。


 そんな様子を視界の隅に捉えながらも、俺が関心を向けていたのは……ラインハルトだった。


「なんだ? 誰か、聖官殿の知り合いでもいたか?」


 隣から、陛下の声が聞こえた。


 さっき、俺が「ラインハルト」と呟いたのを聞いていたのだろう。


 陛下への返答を考えるわずかの時間……俺はどう答えようか、迷っていた。


 肯定するか、否定するか。


 俺はチラリと、襤褸(ぼろ)をまとっている罪人たちへと目を向けた。


 肯定と、否定。


 どちらが、ラインハルトにとって益となるか。


「いえ――」


 俺が答えた瞬間、ラインハルトはようやく俺の存在に気付いたようだった。


「特に知り合いなどはいませんが」


 陛下の隣にいる俺を捉えて、一瞬目を見開いたラインハルトは、次の瞬間にはさっきまでと同じ顔に戻っていた。


 テキパキと、少女の亡骸(なきがら)を移動させている。


 転がった頭を両手で拾い上げて、相応しい場所に、丁寧に並べている。


「ふむ、そうか。……それで、聖官殿。処刑の様子を目の当たりにしての感想は?」


 俺は処刑場から目を切って、陛下へと顔を向けた。


「ちなみに、あの子はどんな罪で処刑されたのですか?」


 「ん?」と呟いて虚空を眺めた陛下は、近くの近衛へと声をかけた。


「おい、お前は分かるか?」


 否定を返した近衛は、慌てて処刑場の柵を乗り越えて、全身鎧の兵士の元へと向かった。


 近衛は、いくらもしないうちに戻ってきた。


「お待たせしました、陛下、聖官様! 中央騎士によると、『王国法第五十八条 私財貸与の禁止、付三十三』の違反による物、ということです」


 一ミリも理解できなかった俺を他所(よそ)に、陛下は頷いた。


「先日、新たに付け加えた物だったな……それで、具体的には?」


「……それが」


 近衛は陛下から目を逸らし、言いにくそうに口を(つぐ)んだ。その様子に、陛下が苛立(いらだ)つのが分かった。


「なんだ、早く言わぬか!」


 ビクリと肩を震わせてから、近衛はハキハキとした声で言った。


「それが……あの少女は孤児院で暮らしていたそうなのですが、自分よりも年下の子に、自分の食事の一部を与えた、とのことです」


「そうか。たしかに、そういうことなら、審判官に瑕疵(かし)は無いな。了解した」


 近衛に言った陛下は、俺に濁った瞳を向けた。


「――とのことだ」


「……自分の食事を他の子にあげて、なぜそれで処刑されるのか、理解が追い付かないのですが」


「王国法でそのように定まっているからだ」


 陛下はピシャリと答えた。


 法律でそう決まっている――それに、俺は反論することができない。


 俺はこれまで……各国の法律に則って、山賊や盗賊を殺してきた。


 彼らと同じように、あの少女は法律を破った。


 だから、処刑された。



 ――



 処刑場の見学を終えた我らが陛下御一行は、最敬礼をする王都民の間を練り歩きながら、さらに王都の奥まで進んでいった。


 ここまでで俺が受けた印象は……清潔、だった。


 王都にはゴミが落ちていない。前世の感覚で言えば当たり前だが、この世界では異常なことだ。


 聖官として色んな国、色んな都市を歩いてきたから知っているのだが、大抵の街は汚い。


 一番多いのは、大通りだけは綺麗に整備されていて、そこから分岐する路地にはホームレスが張り付いている、というパターンだ。例えば、塩の街――ガルシアはそうだった。


 まあ、マエノルキアは例外的に清潔だったが……あそこは医療の国だ。基準にしてはいけないだろう。


 入り組んだ路地とかに入ったりもしたけど、王都は、大都市の路地とは思えないほどに清潔だった。


 路地から出た俺は、空を見上げながら言った。


「陛下、そろそろ帰りませんか?」


 だいぶ太陽は傾いていて、空はオレンジに色付いている。


 朝は曇っていたけれど、王都を歩いている間に雲は消えていった。この綺麗な夕焼けを見るに、明日は晴れそうだ。


 陛下は顔を夕日に染めながら言った。


「ん、もう満足か? 聖官殿がそう言うのなら……そうだな、そろそろ王宮に戻るか」


 陛下の声に、護衛の近衛たちが一斉に方向転換をした。


 その時、ようやく他の護衛たちもその存在に気づいたようだった。


 いつの間にか、周囲から人気(ひとけ)が消えていた。


 代わりに……覆面を被った、見るからに不審者然とした集団が、視線の先から現れた。


 数は、二十と少し。


 近衛たちが一斉に剣を抜いた。


 金属の軽やかな音が響き渡る。


 こちらの数は五十、しかもエリートたる近衛騎士たちだ。


 対して向こうは二十余人。


 明らかに、向こうが不利だ。


 だが、万が一ということがある。


 こいつらの目的は、おそらく――


 俺の隣で、陛下は臆した様子もなく、堂々と立っている。


 陛下を殺すことができれば、あいつらの勝ち。


 二十人もいたら、一人くらいは刃が届くかもしれない。


 あいつらは、そう思っているのだろう。


 近衛兵たちの間には、緊迫した空気が流れている。


 ――手に凶器を握った賊たちが、一斉に走りかかってきた。


 俺は、碧色の霧を即座に膨張させ、電気を流した。


 走った姿勢のままで硬直した賊たちは、勢いそのまま、地面で顔を削る。


「おおっ!?」


 陛下が興奮した声をあげた。何人かの近衛たちが、困惑した目を向けてくる。


 俺は、一番近くにいた近衛に声をかけた。


「すみません、賊たちを拘束してもらえますか? 痺れているだけなので。王宮に連れ帰り、尋問なりなんなり、やってもらえればと」



 ○○○



 いつもより、ちょっと早めに目が覚めた。


 身支度を終えて、特にやることも無いので、さっさと陛下の部屋へと向かおうと思った。


 部屋の扉を開けようとして……ふと思い立った俺は、(きびす)を返す。

 

 向かうは部屋の奥、そこにある窓だ。


 なんとなく、左手で窓ガラスを触ってみる。


 時刻は早朝。任務の開始から約二十日が経過し、もうそろそろ二月に入ろうかという季節だ。


 指に触れたガラスは、ヒンヤリと冷たかった。今日は晴れだから、余計に冷えているのかもしれない。


 白んできた空の下には、王都の様子を観察することができる。

 

 最初に受ける印象は――青い、だ。


 大通りから、そこから分岐する路地に至るまで、微かに青く染まっている。


 石畳には例外無く聖砂が練り込まれていて……その青い色が、王都には染み込んでいる。


 全体を捉えた俺の目は、次に細かな部分へと向けられていく。


 まず、最も手前に見える城壁を越えると、豪奢な建物が立ち並ぶ区画――貴族街がある。


 二階、三階建てなんて当然で、色ガラスや彫刻などによって、どの建物も装飾されている。


 一際背が高い建物として、三つの尖塔を持つ純白の建物――王都教会が見える。


 貴族街の外側には城壁とよく似た壁があって、ここを越えると、一気に小さな建物が増える。


 城門から一直線に続く大通りに沿っては、貴族街と同じような巨大な建物があるが、そこから逸れて路地に入って行くと、小さな家が密集している。


 とは言っても、決してボロ屋というわけではない。昨日見た感じだと、エンリ村の俺の家よりは普通に大きかった。


 ……まあ、王都を取り囲むさらに外側にある壁――街門付近まで行くと、中々に貧相な建物だったが、そこに住んでいる人たちは、それでも一応身綺麗にはしていて、ホームレス的な風ではなかった。


 これが王都だ。


 千八百年、興隆はあれど、ずっとここにあり続けた都市。


 五十万の民が生活しているはずの、大大陸西側の中心。


 ――すでに日の出にも関わらず、街行く人の数は余りにも少なかった。


 王都に暮らしている民だけでなく、世界中から商人や旅人が王都にやってきているはずなのに、大通りや路地に見られる人影は疎らだった。


 今日までの約二十日、俺は毎朝この光景を見てきたはずなのに、その時には何も思わなかった。


 そんなもんか、と思っていた。


 昨日、初めて王都の様子をこの目で見て……やっと、話には聞いていたことを実感できた。


 陛下はちゃんと仕事をしている。それは、ずっと一緒に行動しているからよく分かる。


 文官が絶えず持ってくる文書に目を通し、承認し、時には苦言を呈し代案を出したりもする。


 内容も多岐にわたる。


 農作物の取れ高だとか、ケヘナ領内の川の堤防に補修が必要だとか、共和国製品に対する関税だとか、ポルト冲で大規模な海賊団がいつの間にか壊滅していたらしいとか。


 そして、一番多いのが……審判官から上がってくる、裁判についての報告だった。


 とはいえ、王都民の大半が既に処刑されてしまったわけではない。


 セバスは、五万人を処刑した、と言っていた。王都と、王国全土に点在する国王直轄領、全てを合わせて五万人だ。


 そこに住む民が具体的に何人かは知らないが……王国全体で人口が何人か、くらいは知っている。


 一千万。


 前世で言う、ヨーロッパの半分くらいの国土に、これだけの数の人間が住んでいる。


 肥沃(ひよく)な大地が、豊富な雨が、これだけの人間を養っている。


 それに対して五万となると……例えば、エンリ村みたいな村から、一人ずつ選んで殺していったくらいの割合だ。


 王国全体に影響が出るような人数ではない。実際、俺はエンリ領にいる間、王都でこんなことが起こっているなんて全く知らなかった。


 じゃあ、なんでこんなに王都の朝は閑散としているのか?


 ……それは、王都民がいつ自分の番が来るかと、怯えているからだろう。怯えて、各々の家に引き籠っている。


 あるいは、自分の大切な人が罪に問われて、悲嘆に暮れているのかもしれない。

 

 今も怯えている王都民は皆、こう思っているのだろう。


 ――陛下に、早く死んでほしい。


 こんな怖い思いをさせる王様なんていらない。何でもいい。暗殺でも、病死でも、事故でもいい。何でもいいから、消えてくれ。


 例えば……。


 左手に、碧色の剣を発現する。


 例えば俺が、聖女様の御意思だとして陛下を(ちゅう)すれば、俺は正義の人として、もてはやされるのだろう。


 可哀そうな王都民、それと国王直轄領民、全てを救った英雄として。


 ……たしかに、可哀そうだとは思う。


 昨日だって、まだ年端のいかない少女が、訳の分からない罪で処刑されているのは、見ていて快い物ではなかった。


 ――だけど、それが何だ?


 左手の力を抜くと、碧色の剣は細かな光の粒子に変じて、空気へと溶けていった。


 ……可哀そうだとは思う。だが、それだけだ。

 

 そもそも、俺に与えられているのは、陛下の護衛任務だ。陛下を殺害したら、完全な命令違反になる。


 聖官として一年近く、あんなに豪華な部屋に住まわせてもらって、美味しい物を食べさせてもらってきたのだ。何かを貰ったのなら、対価を支払わなければならない。


 そして、俺に求められている対価は、聖官として任務をこなすこと。教会の命令を遵守すること――


「……いや」


 小さく呟いて、俺は窓から手を離した。


 言い訳は止めよう。


 確かに、俺には教会の命令に従う義務がある。


 だけど……本当の理由は違うはずだ。


 窓に、背中を向ける。


 赤色の絨毯の上を歩く。


 一歩、足を進めるごとに……俺の脳裏には、様々な記憶が、浮かんでは消えていた。


 ――満面の笑みを浮かべるエトナを眼前に描いた。


 ――エトナの溌剌(はつらつ)とした声を耳に聞いた。


 ――嫉妬丸出しで俺を睨み付けてくる、真っ赤に濁った瞳を見た。


 ――泣酒(きゅうしゅ)が見つからず、泣きそうになっている陛下を思い出した。


 最後に、ジャニマでの任務……そこで、師匠が言っていた言葉を、俺は噛み締めた。


 『任務中に私情を挟むなど、話になりません』


 ……そうだ。


 あの時、俺に背を向けて走っていった紫髪の少女と、俺は同じだ。


 盗賊団への潜入中に、そこにいる人たちを好きになってしまった……あの少女。


 護衛任務中に、子煩悩のおっさんと笑顔を絶やさない少女のことを好きになってしまった……俺。

 

 どっちも、同じだ。


 もちろん、仮に陛下の手が、エンリ村とかシエタ村まで迫っていたら、嫌だと思う。


 だが、王都及び国王直轄領以外に対して、陛下は裁判権を持っていない。それぞれの領主――父上と、ラインハルトの父親が握る権利だ。


 つまりの所……俺の大切な人たちは、安全な場所にいるのだ。


 ――赤の他人がどうなろうと、俺には関係無いだろう?


 心の中で呟いて、俺は扉を開けた。


 一人だけ、危険な場所にいる……大切な友人のことを考えながら。



 ○○○

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