06話 『碧い鳥 前編』
「あなたは、だぁれ?」
誰何の声には何も答えず、俺は最大限の警戒を保ったままに辺りの様子を伺った。
室内はとてもファンシーな空間だった。至る所にぬいぐるみ的な物が落ちていて……マオさんの部屋と似ている。
違う点と言えば、マオさんの部屋が青を主体としているのに対して、この部屋は暖色を主体としている点か。
なんだか、あったかい空気を感じた。
陛下は……いない。
俺がキョロキョロとしている間に、少女はクッションから立ち上がって、軽やかな足取りで俺に接近してきていた。
俺のすぐ傍で立ち止まった少女の背丈は、おおよそ俺の胸の辺りだ。百三十から百四十セン。
見上げてくる少女の瞳は……赤い。
「お父様の、お友達ですか?」
……お友達?
俺にお友達はいないぞ? エンリ村では、同年代からハブられてたからな。おっさんの知り合いしかいない。強いて言うなら……ラインハルトくらいか?
「私はお友達ではありませんよ」
少女は不思議そうな表情を浮かべた。
「お友達ではないのですか?」
「はい」
「そうですか……」
言って、少女は柔らかい笑顔を浮かべた。
「それなら、私とお友達になりませんか?」
「……」
さっさと本題に入るか。
「すみません、一つお尋ねしたいのですが」
「はい?」
「この部屋に陛下はいらっしゃいませんか?」
パチパチと目を瞬かせて、少女はぷくりと頬っぺたを膨らませた。
「皆さん、陛下陛下って……あなたも、私の相手をして下さらないのですか?」
少女の姿が、イーナに重なって見えた。
性格は似てないが……妹がいる身としては、年下の女の子ってだけで、つい甘くなってしまう。
「……分かりました。私とお友達になりましょうか」
少女は心の底から嬉しそうな笑顔を浮かべた。そのテンションのままに、俺の右手を掴んでくる。
「こっちに来てください!」
少女に引っ張られるがままに、俺は足を進めた。
少女は至る所に落ちているぬいぐるみを避けながら、部屋の奥へと向かっていく。
少女が床にしゃがみ込むと、ヒラヒラのスカートがふわりと広がった。
「どうぞ!」
少女に言われて、俺は向かい合うように腰を下ろした。
眼前には、嬉しそうな笑顔を浮かべる少女がいる。邪気なんて全く感じられない、無垢な表情。
「なにをしますか?」
「何……と申しますと?」
少女はキョロキョロと辺りを見回すと、すぐ近くに落ちていた布製の人形を手に取った。
人形の下半身は存在しておらず、そこから中に手を挿し込むことができるらしい。
「お人形さん遊びに……」
言って、再び少女は辺りをキョロキョロした。
右手で、近くに落ちていた、指と同じくらいの大きさの黒い棒を鷲掴む。
「お絵描きもできますよっ!」
輝くような笑顔を向けてくる。
……さすがに、お人形遊びは勘弁願いたい。
「それなら、お絵描きの方でお願いします」
「わかりました! ちょっと待っててくださいね……」
周りをキョロキョロ見回してから、少女は腰を捻じって後方に目を向けた。
「あった」と小声で呟いて、薄黄色の、最高級の紙を指先で摘まんだ。
俺と、少女の間のスペースに紙が置かれる。
「どうぞ!」
笑顔で、黒い棒を差し出してくる。
取りあえず受け取ってみるが……どうしたらいいか困る。
そんな俺に構わず、少女は近くに転がっていた別の黒棒を手に取った。
それを、紙の上に滑らせ始める。
なるほど……この黒棒は炭か何かか。
少女の手の動きには躊躇いが無い。その割に、描かれる曲線は繊細だ。
黒棒を紙に押し付ける強さを調節して、線の太さを変化させている。
何を描いているのかは……分からない。
けど、絵が上手い人のオーラが出ている気がする。
――唐突に、少女が顔を上げた。
「神官さんは描かないのですか?」
「ん?」
俺も描くのか?
戸惑いながら黒棒を紙面に落とすと、視線を感じた。
目を前に向けると、キラキラした真っ赤な瞳が俺に向けられている。
その視線は気にしないようにしながら、何を描くかを考える。
……とりあえず、『へのへのもへじ』を描いてみた。
「これはなんですか?」
少女が不思議そうな声で聞いてきた。
「人の顔ですよ」
「わぁ、そうなんですね! ちなみに、誰の似顔絵ですか?」
少し考えてから、俺は答えた。
「陛下の顔です」
「お父様の?」
少女はジッとへのへのもへじを見つめると、ぎごちない笑顔を浮かべた。
「た、たしかに……お父様に見えます!」
「ありがとうございます! ……ちなみに、どの辺りが上手く描けていると思いますか?」
少女の唇の端が、引き攣るのが見えた。
視線を紙の上に落として、必死に俺の絵のいい所を探そうとしている。
そんな少女のことを、俺は笑顔を顔に貼り付けながら見下ろしていた。
……お父様。
陛下のことを、お父様と呼んでいた。
そういえば、この子……目が赤い所が陛下と似ている。
髪の色は……この子は明るい金髪なのに対して、陛下はくすんだ暗い金髪。違うっちゃ違うが、同じ系統だ。
ただ、顔立ちは全然似ていない。平凡な陛下の顔面と違って、この子は余裕で美少女の範疇に入る。
総合すると、見た目だけでは何とも言えない。
言えないけれど……陛下をお父様と呼ぶのなら、この子は陛下の娘なのだろう。
普通ならそうだ。
けれど、俺は確信できずにいる。
なぜなら……王女は十二年前に、死んでいるはずだからだ。
――今回、護衛任務に就くにあたって、俺は陛下のことについてある程度調べている。
護衛対象と仲良くする必要はないが、勘気に触れるようなことがあれば、護衛に支障が出てしまうかもしれない――そう考えたからだ。
そして……気を付けるべき過去が、一つだけあった。
十二年前、一人の王妃が死亡している。
レイネ・ハインエル従妃。
レイネ妃が死んだ時、そのお腹には子が宿っていた。しかも、陛下にとって初めての子ども。
陛下は従妃と結婚する数年前に、正妃と結婚していたのだが、子宝に恵まれていなかった。
出産に際し、静養を兼ねてレイネ妃は田舎へと馬車で移動していた。その途中で、盗賊に襲われた……とされている。
護衛も合わせて、そこにいたはずの全ての人が行方不明になり、ボロボロの馬車だけが発見された。
当然、レイネ妃のお腹にいた陛下の子も、死亡した……はずだ。
以来、陛下には子どもが一人もいない、そのはずだ。
だが……だとしたら、目の前にいるこの少女はなんなのだろう?
俺が思案に暮れていると――少女の声が聞こえた。
「あっ、分かりました! この、目の辺りがお父様に似ていると思います!」
嬉しそうな笑顔を向けてくる。
「……分かりましたか? そこは特にこだわって描いたんです。ただ、まだ完成とはほど遠いので……よければ、一緒に描きませんか?」
俺の提案に、少女はこてんと首を傾げた。
「一緒に?」
――
数分後、陛下とは似ても似つかないゲテモノが完成していた。
フリフリのドレスに、髪の毛にはリボン。周囲には花が咲き乱れ、蝶々が飛んでいる。
顔面は明らかに中年親父なだけに、そんな顔でドレスを着て、花畑の中で女の子座りをしている図は、中々にインパクトのある絵だ。
「かわいいです!」
少女は満足げに頷いている。
俺も満足だ。絵を描くのを通して、だいぶ打ち解けることができた。
「――そう言えば、まだ名前を聞いていませんでしたよね? 教えてもらっても構いませんか?」
一瞬、キョトンと目を瞬いた少女は、すぐに満面の笑みを浮かべた。
「私は、エトナです! 神官さんは?」
「私は、アル・エンリと言います」
「アルさんですか!」
少女改めエトナは嬉しそうに、「アルさん、アルさん」と何度も小声で言っている。
最後に「ふふふっ」と笑って、
「私の初めてのお友達の名前は、アルさんです!」
跳ねるような口調で言って、エトナは眩しいくらいの笑顔を浮かべた。
俺は……半ば無意識に、エトナの頭を撫でていた。
エトナは、一瞬だけビックリした様子だったが……すぐに嬉しそうな、それでいて少し恥ずかしそうな表情を浮かべた。
エトナの髪の毛は、見た目の通り滑らかな感触だ。
そのまま、数秒。エトナの頭を撫でていた俺は、名残惜しいと思いながらも頭から手を放した。
――そろそろ時間だ。
ここに陛下がいないと分かったのだから、そろそろ陛下を探しに行かなければならない。
立ち上がると、床に座ったままの少女はコテンと首を傾げた。
「そろそろ帰りますね」と俺は言おうとしたのだが、その前にエトナの方が口を開いた。
「次は、お人形遊びをしましょうっ!」
眩しいくらいの笑顔。
直視できない。
俺は少女から目を逸らしながら答えた。
「すみません。やらねばならないことがあるので……そろそろ帰ります」
心を鬼にする。今は仕事中だ。
一歩、右足を踏み出し、次いで左足を動かそうとしたところで、その左足を何かに掴まれた。
目を向けると、エトナが潤んだ瞳で、俺のことを見つめていた。
「もう、行ってしまうのですか……」
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