05話 『悪意の香り』
パッと目を開く。
頭はスッキリとしていて、清々しい気分。特に何を考えるでもなく、俺は上体を起こした。
真っ白な思考のままに、顔を左右に動かす。ここは……俺に与えられている、王宮の私室のようだ。
窓から外に目を向けると、太陽が空の高い位置に見えた。ちょっとだけ西に傾いていて……午後の一時くらい。
太陽を目にして、俺の思考は急速に澄み渡っていった。
最後に見た光景。
俺のことを冷徹な瞳で見下ろす……陛下。
喉の奥から湧き上がる、熱い感触。
陛下から渡された果物を食べて、その直後に起こった現象。
答えは、明らかだ。
――陛下に毒を盛られた。
「いや……」
小声で漏らして、俺は考えを訂正する。
陛下に渡された果物、あれに毒が含まれていたことは確かだ。
だが、あの果物は元々……陛下の朝食として配膳されたものだ。つまりは、毒を盛った者が狙っていたのは、陛下。俺を狙うのなら、俺の朝食に入れれば良いはずだ。
そう結論を出して、俺はベッドに身体を倒した。緊急のことだったとはいえ、焦ってかなりの魔素を浪費してしまった。身体が怠い。
朝に気を失ってから、今の時間まで五刻ほどの休息を取れたが、万全の状態とは程遠い。
とりあえず今やることは……。
あの時の感覚を思いだす。胃袋を毒に侵される、焼かれているような感覚……。
どうやって魔素で治癒すると効率がいいか、シミュレーション。
瞼を閉じて……数分。
幾つかの状況を想定し終わって、俺は細く目を開いた。
……前向きに捉えるならば、良い経験になったと思う。
これで……次に何かしかの毒を盛られたとしても、あまり問題無いだろう。
そんなことを思っていると、扉をノックする音が聞こえた。
「はい」と俺が反応すると、静かに扉が開かれた。
「お目覚めになったのですね。お加減はいかかでしょうか?」
入ってきたのは、昨晩お世話になった医官の爺さんだった。
名前を聞いた気もするが、覚えていない。好々爺然とした、医官の柔らかな表情を捉えながら、俺は答えた。
「……悪くはないですね」
「ははは」
何が面白いのか、医官は小さく笑った。
「聖官様はすごいですなぁ。クサカブトを盛られて、ケロリとしているとは」
言いながら、医官は俺のベッド際までやってきた。
「手をよろしいですか?」
言われるがままに右手を差し出すと、医官は丁寧な手付きで俺の右腕を両手で包んだ。
人差し指と中指を並べて、手首に押し付けている。脈を測っているんだろう。
それから、俺は医官に言われるがままに目を見せたり、口を開けたり、舌を出したり、胸や腹を触られたりした。
「――問題無さそうですね。少し脱水が出ているので、意識して水分を摂ってもらえたらと」
色々と診察をした結果、医官はそう結論を出した。
俺が頷いて返答すると、医官は早速、近くの机の水差しからコップに水を注いでくれて、それを俺に渡してきた。
「すみません、ありがとうございます」
「いえいえ、大事になさってください」
医官は頭を下げて、部屋を出て行った。入れ替わるように――部屋の外で待機していたのだろう、新たに一人の老人が部屋に入ってきた。
こっちの老人の名前は覚えている。セバス。セバス宰相。あまりにもベタな名前で、こんな名前が本当に実在するのかと感動したのを覚えている。
セバスは左手に、白い布のかかったバスケットを持っていた。無言のままに部屋を歩いてきて、ベッド際の椅子に腰掛けた。膝の上にバスケットを置いている。
「さて――」
最初に口を開いたのは、セバスだった。
「こうして言葉を交わすのは、二度目ですな。一度目は、聖官様がご滞在される部屋の相談をしたように記憶しているのですが……合っているでしょうか?」
「ああ、はい。そうだったと思います」
セバスは表情一つ変えずに、小さく頷いた。
「聞くに、毒を盛られたとのことですが……陛下に尋ねてみても、言葉を濁すばかりで要領を得ないのです。当時の様子を尋ねても構わないでしょうか?」
……当時の様子。そういえば、陛下は今どこにいるのだろう? 俺は陛下の護衛をしなければいけないのに。
だが、義務感よりも、今は身体が怠い。
ただベッドに寝そべって無為に過ごすのには耐えられなかっただろうが、ここで宰相と会話をしているのなら、許されるのではないかと思った。
「陛下の朝食に果物があったのですが……それを陛下が私に譲ってくださって。果物を食べた直後に、吐血しました。おそらく、あの果物に毒が入っていたのだと思うのですが……」
「果物ですか……」
言って、セバスは下に目を落とした。セバスの膝の上には、白い布の掛けられたバスケットが乗っている。
セバスは筋張った右手で、白い布を取り去った。
「どうぞ、陛下から『聖官殿へ渡すように』と言われていた文です」
言って、セバスはバスケットの中に入っていた手紙を俺に渡してきた。それを、俺は複雑な心境で受け取る。
バスケットの中には、手紙の他に……ギッシリと果物が入っていた。色はオレンジ、見た目は洋梨に似ている。
とりあえず、俺は陛下からの手紙に目を通した。
『これが本当のエトナだ。本来、余以外が口にする事は許されぬ果実だが、見舞いだ。味わって食すように』
短く、それだけが書かれていた。俺は手紙を閉じ、セバスに向けて右手を差し出した。
「その果物、一つ貰ってもいいですか」
セバスは無言でバスケットから果物を取って、渡してきた。
ふと思いついて、俺は言ってみた。
「宰相も一ついかがですか?」
セバスは、俺に果物を渡して空っぽになっていた右手の動きを一瞬止めた。俺の顔をジッと見ている。微かに、唇の端っこが上がった気がした。
「それでは、頂きます」
言って、セバスはバスケットに手を伸ばした。それを眺めつつ、俺は早速果物に齧りつく。リンゴのような触感。ここまでは今朝と同じだ。だが――
……甘い。
確かに酸味もあるが、今朝食べたのと比べて格段に甘い。これだったら……現代日本で売っても、かなりの値が付くだろう。
「申し訳ありません」
突然セバスが言った。
「はい?」
「申し訳ありません。おそらく陛下は……毒が盛られているのを分かっていて、聖官様に渡したのです」
「……そうなのですか?」
「はい……」
セバスはここで言い淀んだ。しばしの間目が宙を泳ぎ、数秒後に俺の瞳をしかと捉える。
「これは御内密にして頂きたいのですが……」
俺は頷いた。それを確認して、セバスは再び口を開く。
「陛下には特別な力があるのです」
「……力ですか?」
困惑しつつの俺の声に、セバスは笑った。
「いえ、力と言うと大げさですな。力がある……というよりも、少しばかり普通の人よりも勘が良いのです。陛下は、人の悪意に敏感なのです。
自身に悪意を持つ人物が近くにいれば必ず気付きますし……毒を盛られたならば、口にする前に察知することができるようなのです」
人の悪意に敏感。不思議な力。……おそらく、『能力』だ。
陛下を見るに、魔素量は少ない。だが、もしも魔素量が多ければ、もっとハッキリとした『能力』として発現していたのだろう。
まあ、それはどうでもいい。セバスが言いたいのはつまり――
「陛下は、私を殺そうとしたということですか?」
「……はい。おそらくは、その解釈で正しいかと思います」
「そうですか……」
言って、俺は手に握る果物を齧る。最後の一口。美味すぎて、あっという間に無くなってしまった。
セバスの持つバスケットの中には、まだ三つの果物が残っている。
「すみません、もう一つ貰ってもいいですか?」
俺が言うと、セバスは微かに目を見開いた。数瞬後に目は普通の状態に戻ったが、代わりに口角が微かに上がっている。
「どうぞ」
「ありがとうございます」
早速一口齧りつくと、セバスは俺の顔をマジマジと見ながら聞いてきた。
「お怒りにならないのですか?」
俺は果肉をよく噛んで、ゴクリと甘い汁を飲み込んだ。
「怒ってはいないですね……」
「なぜですか?」
どうしてだろう? 陛下に殺されかけたらしい。多分、それは事実なんだろう。普通……誰かに殺されかけたら、怒るものなんじゃないか?
「……自分でもよく分からないですけれど、怒りというよりも困惑の気持ちの方が強いです」
結局俺は、思いついたことを正直に話すことにした。
俺の適当な回答に、セバスは何か考え込んでいるようだった。
沈黙の中、俺が果実を咀嚼する軽快な音だけが響いていた。
「例えば、の話ですが……」
セバスの落ち着いた声は、耳によく馴染む。
「聖官様は自身が殺害されそうになっても怒らないようですが……仮に、聖官様の大切な人――家族や恋人、友人が殺害されたならば……聖官様は怒ることができますか?」
そんなの、聞くまでもないだろう。
「当然、怒りますよ。犯人を地の果てまで追いかけて、報いを受けさせます」
「犯人を殺しますか?」
「……おそらくは」
俺の答えを聞いて、セバスは立ち上がった。
「なるほど、聖官様は……似ていますな。――ところで聖官様、私は陛下がどこにいらっしゃるか知っているのですが、ご案内いたしましょうか?」
……似ている? いや、陛下の居場所か。
重い身体を叱咤して、俺はベッドから立ち上がった。
「はい……お願いします」
――
俺とセバスは、二人して王宮内の廊下を歩いている。
見るに、セバスはすでに還暦――この世界に還暦なんて概念があるのか知らないが、それなりの老齢に至っていると思う。
にもかかわらず、足取りはしっかりとしている。順当に行けば、あと二十年くらい生きそうな感じだ。
この数日はずっと陛下にべったりしていた俺だから、こうやってセバスと二人きりになるのは結構貴重な機会だったりする。
俺はずっと気になっていたことを、歩きながら尋ねてみることにした。
「セバス閣下」
俺が呼びかけると、セバスはちらりと俺に目を向けた。
「閣下など、大それた敬称は必要ありませんよ。所詮私は、空いた椅子に収まっただけの凡夫に過ぎませんから。セバス、あるいは単に宰相とお呼びください」
「……では、宰相と」
流石に一国の宰相を、セバスさんとか気軽に呼ぶのは相応しくないだろう。改めて、俺はセバスに話しかける。
「宰相、一つよろしいですか?」
「はい」
「私はここへ任務に来る前に、王国で起こっていることを簡単には聞き及んでいます。
王国で生まれ育った身にも関わらず……恥ずかしながら、都会の様子など全く知らず……初めて知った時は、かなり驚きました」
セバスは、無言で俺の言葉を聞いている。足音だけが木霊している。
俺が言い淀むと、途端に沈黙が重く感じられて、俺は背中を押されるようにして先を続けた。
「陛下の命令によって、王都と国王直轄領において……かなりの数の民が殺されたとか」
横目でセバスを見ると、相変わらず無言で、しかも表情も変わっていない。
どうしてかは自分でも分からないが、物凄く居心地が悪い。二秒ほどの合間を挟んで、俺は早口で続けた。
「もちろん、それについて私からとやかく言うつもりはありません。ただ、私が聞きたいのは……てっきり、陛下はどこかしら錯乱していて、そのせいでこのような事をしているのかと思っていたのです。
しかし、ここ数日の様子を見るに、陛下は……むしろ、国の事をかなり真剣に考えているように見えます。それなのに、なぜ、国民を徒に殺しているのですか?」
最後まで言い終わっても、やっぱりセバスは無言だった。
数秒待っても、セバスは口を開かなかった。
自分の発言が無視されたのだと理解して、俺は顔が熱くなるのを感じていた。
あれだけの長文を語ったのに、無視されると……少し恥ずかしい。
「一つ、誤解があります」
耳に飛び込んできたセバスの声に、俺は伏せていた顔を上げた。
「陛下は徒に民を弑しているわけではありません。あくまで、法に基づいて裁いています」
やっと、セバスが俺の顔を見た。
「――と、言っても、納得してもらえないでしょうな。ですが、事実なのですよ。
罪を犯した疑いのある者はまず捕え、その間にしっかりと真偽を調べます。告憐官と告罪官の意見を聞き、審判官が刑罰を決定する……そういった正規の手続きを経て、王国法に基づき裁かれています。
最も悪なのは、王国法を守らなかった罪人ではありませんか?」
セバスの灰色の髪が、歩調に合わせて揺れている。
「それはそうかも知れませんが……王国法その物を、陛下は歪めていませんか? 何でもかんでも全て死罪では、変でしょう」
再びの無言を挟んで、セバスは落ち着いた声で言った。
「それは……私ではなく、陛下本人にお聞きになると宜しいでしょう。私にも、陛下のお気持ちの全てを推し量ることなどできませんので。
唯一、私が存じ上げていることは……陛下が、一つの信念に従っているということだけです」
ここまで言ったところで、セバスは足を止めた。目の前には巨大な扉。慣れた手付きで扉を開けると……濃厚な古紙の香りがした。
扉を開けたセバスは、足取りを緩める事無く、図書館を縦断した。
キョロキョロと本棚を見渡しつつ、俺もセバスの背中を追いかける。
一番奥まで辿り着くと、そこで足を止めた。
「ここです」
言ってセバスが示したのは、一つの本棚だった。背表紙が緑色の、分厚い本が、ギッシリと詰まっている。
首を傾げながらセバスの後頭部を見ていると、セバスは右手を上方に伸ばした。
上から三段目、右から三番目。そこにある本を抜き出して、上下をひっくり返した後に、また本の間に差し込んだ。
カツンッ、と。微かな音が聞こえた。
……まさか。
そのまさかだった。
セバスが徐に本棚に手をかけて、力を入れると、ゆっくりと本棚はスライドした。奥には……真っ暗な下り階段が続いている。
硬直したままの俺に、セバスが振り返る。
「どうぞ、この先に、陛下はいらっしゃいます」
俺は、眼前の暗闇へと目を向けた。
「……陛下が?」
「はい、おそらくは」
少し躊躇しながら、けれどもそれ以上の興奮を胸に、俺は足を進める。
特定の位置の本を操作することで開錠される、本棚の後ろの隠し通路。これぞ、ファンタジーって奴だ。
俺が完全に暗闇に身を沈めたころ、背後で微かな音がした。
少しして、視界がほとんど真っ黒に染まる。本棚が閉じたのだろう。
俺は無意識に、目に魔素を集めていた。
視力が上がる。暗闇とは言っても、本棚と壁との間から入り込む微かな光が存在しているので……ギリギリ、隠し通路の様子が見て取れた。
階段を数メートル下ると、平坦な道に出る。
細かな部分までは流石に確認できないが……通路は一本道。幅が一メートル、高さが二メートル、大人一人が通れるくらいの大きさだった。
奥に光源がある。
光を目指して歩く。そんなに遠くはない。せいぜい、十メートルくらい。
辿り着くと、そこには扉があった。扉の隙間から、光が漏れている。
扉の奥には、人の気配を感じた。
――陛下だろうか?
……いや、かなり強い気配だ。俺の記憶にある陛下の物とは全然違う。
陛下の気配はもっと微かな、一般人と同じ程度の大きさだったはずだ。扉の向こうの気配は、その数倍――『儀式』なら余裕で選ばれる程度の大きさはある。
少し躊躇する。
……陛下の気配は感じとれない。代わりに、得体の知れない気配を感じる。
陛下がいると、セバスは言っていたのに、別の誰かがいる。
……騙されたのだろうか?
セバスも陛下と同じように、俺を罠にかけようとしているのだろうか?
そう思いながら、俺は扉に手をかけた。念のため、全身には軽く魔素をまとわせておく。
扉は金属製。重たい感触。
扉が開いた。
部屋の中には、一人の少女がいた。
床に置かれた柔らかそうなクッションの上に、少女は座っていた。
揃えて閉じられた膝の上には、何かの本が開かれている。
真っ赤な瞳が、俺の姿を捉えていた。
少女が首を傾げると、シャラリと長い金髪が揺れた。
「あなたは、だぁれ?」
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