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03話 『国王警護 後編』



 俺の斜め前方を歩いていた陛下が、突然立ち止まった。


「なあ、聖官殿よ」


 言いながら、陛下は振り返った。その顔面には、困惑した表情が張り付いている。


 次年度の予算について、宰相――セバスとかいう爺さんを始め、加齢臭豊かな老人たちに囲まれながら話し合っている時でさえ、陛下はもっとリラックスした表情をしていたと思う。


「聖官殿が余の護衛をせねばならぬ、というのも分かるのだが……何も(かわや)まで同行する必要は無いのではないか?」


「そういう訳にはいきません。いつ何時刺客が訪れないとも限らないですから」


「……せめて、扉の外で待っていてもらえぬか?」


 陛下は、扉の取っ手を掴みながら言った。


 正直、俺もそうしたい。……が、駄目だ。


 聖国で読んだ資料によると、一流の暗殺者は全く魔素を放出しない、なんて芸当もできるらしい。

 

 神官でも何でもない普通の人でさえ、微弱な魔素を常に放出している。これは、気配だとか、存在感だとか、そういうふうに一般に理解されている物だ。


 それを完全に絶たれてしまったら、直接目で見たり、音を聞いたりする以外では、賊を認識する事ができなくなる。


 碧色の霧にしても、あれは物体そのものを認識しているわけではない。魔素を認識しているのだ。


 結局、何が言いたいかというと……。


「きちんと、護衛させてもらいます」


 俺の断固とした回答に、陛下は小さくため息をついた。



 ――



 三十路のおっさんの「恥ずかしいから、耳を塞いでてねっ!」をありがたく頂戴した俺は、両手で耳を塞ぎながら、おっさんの排便シーンを堪能した。


 国王護衛任務に就いてから、二日目の朝。


 今の所、特に言うべきことが起こることもなく、ひたすらに退屈な時間を過ごしている。


 朝起きて、すぐに陛下の私室へと向かう。不寝番(ねずのばん)をしていた近衛と引継ぎをして、日中の護衛は俺の仕事だ。


 まあ、寝ている間も碧色の霧を出して、陛下の部屋へと繋がる階段は常に監視しているが、実物の人が護ってくれているに越したことはない。


 ファーターさん――近衛騎士団長が選び抜いた人なら、夜間を任せても安心だしな。


 日中は、会議やら書類仕事をひたすら続けるおっさんを見守り、一緒に風呂に入り、一緒に便所に入り……で、寝る段になったら近衛の人と引継ぎをして、俺は自室へと向かう。


 簡単に言えば、一日の流れはこんな感じだ。


 現在、俺と陛下は執務室に向かっている。


 互いに無言で、目を合わせるようなことも無い。


 陛下の身長は百八十近く。対して、俺は百七十にちょっと足りないくらいだ。


 自然、歩幅の差は大きくなり、陛下の緩やかな足音と、俺の忙しない足音が、人の疎らな廊下に響いている。


 時折、雑用係らしき人が床を布切れで磨いてたりするが、一年の聖国生活を経て、俺にとっては既に日常の光景だ。


 通過する際に手を止めて頭を下げてくる雑用係たちに、これといった感慨が湧くことも無い。


 普段なら、意識の端にさえ登ることは無かっただろう。道端の雑草をいちいち気にすることが無いように。


 今日に限って俺の意識が向いたのは、前触れも無く陛下が足を止めたからだった。


「精が出るな」


 陛下が目を向けた先には、十歳前後の少女がいた。


 さっきまでは窓拭き掃除をしていたようで、一部が灰色に汚れた布を手に握りながら、深々と頭を下げている。


 季節は真冬。冷たい水に長時間さらされたせいだろう。少女の指先は真っ赤だった。


 少女のか細い声が、顔をうつ伏せのままに聞こえてきた。


「……ありがとうございます、陛下」


 少女の返答に、陛下はさらに何かを言おうとしてか口をモゴモゴしていたが、結局止めたらしい。


 「邪魔をしたな」と言って、再び陛下は歩き出した。


 俺も無言で後を追いかけ……少女の隣を通過するときにチラリと横目を向けた。


 少女は肩くらいまである明るい茶髪を、ポニーテールにまとめている。特段マッチョということもなく、幼い少女に見合った華奢な外見だ。


 ただ、一点気になることと言えば……ちょっと一般人にしては魔素が多い。神官に選ばれるか選ばれないか、微妙なライン。


 とはいえ、仮にこの少女が刺客だとしても、問題無く無力化できるだろう。


 少女が視界から消えると同時に、俺の認識からも少女の存在は消えた。



 ――



 快適な睡眠を貪っていた俺は、非常事態に目が覚めた。


 ――侵入者。


 深く考えることなく、碧い霧に電気を流す。


 応じて、不埒者(ふらちもの)が全身の筋肉を硬直させ、その姿勢のままぶっ倒れるのが分かった。


 寝ている間も、俺は碧い霧を陛下の私室へと繋がる階段に設置している。


 ぶっ倒れた誰かは、階段を数段転げ落ちたところで、ようやく止まったようだった。


 代わりに、別の誰かが新たに碧い霧の中に侵入している。誰かは分からないが、とりあえずそいつに対しても電気を流しておく。


 慌てながらベッドから起き上がった俺は、寝間着のままに部屋を飛び出す。当然、靴なんて履く余裕は無い。


 扉を吹っ飛ばす勢いで廊下に出た俺は、驚いた表情を浮かべる近衛を無視して廊下を駆ける。


 ペタペタと、裸足の足が、大理石っぽい白い石を跳ねる音が響く。


 現場に到着した時、想像通りに、二人の人物が気絶していた。


 一人は、体の各部に鎧を身に着けている近衛兵。……というか、ファーターさんだ。つい先ほど会ったばかりである。


 今夜の不寝番がファーターさんだったので、引継ぎの際に、二言三言、言葉を交わした。


 もう一人は、近衛兵とは違った格好をしている。真っ赤なローブを身に着けている。


 階段の上から、下の方に向けて転げ落ちたようで、頭を下に向けてうつ伏せで倒れている。顔は見えないが……ガタイはそこそこ良い。


 ――というか、陛下だ。


 冷や汗を流しながら、事態に駆け付けてきた近衛兵に医官を呼んでもらうように頼んだ。その背中を見送って、俺は陛下の手首を握る。


 脈は……ある。普通にある。元気よく拍動している。


 良かった、生きているらしい。


 とはいえ、それで安心はできない。


 仮に陛下が階段の最上段から落ちてきたのだとすると、十段近く……結構な距離を落下している。頭を打っていたら大変だ。


 俺は陛下の頭を両手で鷲掴みにし、そこを起点として全身に電気を流した。


 そうすることで、一瞬で、陛下の全身の構造が頭の中に入ってくる。


 頭の先から爪先まで。あんなところやこんなところも。体内も。


 それによると……特に不調は見当たらない。


 強いて言えば、胃がちょっと荒れ気味か? ストレスでも溜まっているんだろう。


 ここまでしてようやく一息ついた俺は、大人しく医官の到着を待つことにした。


 数分と経たずにやって来た医官は、既にお年寄りと呼べる年齢だった。七十くらい。


 神妙な面持ちの医官は、チラリと俺に目を向けた後に、慣れた手付きで陛下の身体の各所を確認していた。


 暇なので、その医官に雑談を振ってみると、医官は十数年前に、マエノルキアへ留学に行っていたことが判明した。


 医官は若かりし頃のアトラス医師を知っていて、その話題で結構盛り上がった。


 弛緩した空気の中、医官との雑談を続けながら、俺は陛下を肩に担いで陛下の私室へと運び込んだ。


 陛下が目を覚ましたのは、二刻後のことだった。


「おはようございます、陛下」


 寝ぼけたような表情を浮かべる陛下へと、そう言ってやる。


 陛下は状況を理解できていないのか、子どものような態度で「ああ、おはよう」と言った。


 俺が陛下の顔をガン見していると、次第に陛下は目が覚めてきて、濁った赤い瞳に力が宿ってくる。


 タイミングを見計らって、俺は口を開いた。


「陛下、私は言いましたよね? 夜中、無断で階段を降りてはならないと」


 陛下の目が、俺から逸らされた。


 構わず、俺は続ける。


「何はともあれ、陛下にお怪我が無くて良かったです。……それで、陛下はどのような御用事がお有りだったのですか?」


 俺の問に陛下は答えなかった。無言で寝返りを打って、俺に背中を向けた。


 子どものような態度に、俺はため息を一つついてから、陛下の私室を後にした。



 ○○○



 国王護衛任務に就いて三日目の朝。


 近衛に挨拶をして室内に足を踏み入れると、頭に寝癖を盛大に付けている陛下と目が合った。


 途端、ボーっとしていた陛下の顔が、苦い物でも食べたかのように歪んだ。


「おはようございます、陛下」


「……ああ」


 低い声で言って、陛下は床に足を下ろす。


 室内の小机に向かい、そこに置かれていた水差しを直接口に押し付けた。ゴクゴクと、喉仏を何度か上下させてから、陛下は水差しを小机に上に放った。


 互いに何を話すでもなく、ソファーに腰を下ろした陛下の傍に、俺は直立していた。


 ……しばらくして。


「なあ、聖官殿よ」


 前方を向きながら陛下が言った。


「はい。どうしましたか?」


「聖官殿の仕事は分かっている。余の護衛をすること。そのために、ほとんど常に余の傍を離れられないこと。

 だが、そうだな……今日の夜。一人で行動させてくれぬか?」


「駄目です」


 俺がピシャリと言うと同時に、部屋の扉がノックされた。


「失礼します、陛下。係の者が朝餉(あさげ)を持ってきました」


 扉の向こうからくぐもった声が聞こえてきた。陛下が「通せ」と言うと、控えめな音を立てつつ扉が開いた。


 入ってきたのはメイドだった。


 年の頃は十代後半から二十代前半あたり。ちょっと緊張している様子で、身体の動きが固い。


 メイドは陛下に、次いで俺に深々と頭を下げてから、台車を引きつつ部屋を横断する。


 台車に乗っている朝食は一人前。俺は既に済ませているので、陛下の物だけだ。


 今朝、俺に用意された食事は中々に豪勢なものだったのだが、比して、陛下の朝食はシンプルだ。


 焼いたパンに、何かのスープ。新鮮な果物に、薄っすらと色の付いた液体。


 もちろん、庶民のものと比べたら掛かっているお金は桁違いだろうけれど、一国の主の食事としては、イメージよりも貧相だ。


 メイドは手際よく皿を小机の上に並べると、もう一度深々と頭を下げて部屋を出て行った。


 メイドが皿を並べている間、陛下はずっと無言で、メイドが部屋を退出してからも無言だ。


 陛下は食事に手を付けようとせず、濁った赤い瞳で、それを凝視していた。


「陛下?」


 耐え切れず俺が問うと、陛下は視線を上げ、横方にいる俺に顔を向けた。


「ん、いや……少し、物思いに(ふけ)っていただけだ。……聖官殿は、朝餉は既に済んでいるのか?」


「はい、自室で頂きました」


「満腹か?」


「いえ、満腹というほどではありませんが」


「そうか、では――」


 言いながら、陛下は俺に向かって、器から取った果物を差し出してきた。


 形は洋梨に似ているが、色はオレンジのような橙色だ。皮にはいくつか水滴が付いていて、瑞々しい印象を受ける。


 初めて見る果物を興味深く観察していると、陛下は続けて言った。


「これ、いらぬか? 余は酸い物は苦手でな」


「……それほど酸っぱいのですか?」


「いや、度を越して酸いわけではない。甘酸っぱい、というのか? 他の者は甘いと言っている」


 陛下の瞳をしばしの間見つめた俺は、数秒の後に果物を受け取った。


 折角くれると言うのだから、断るのも角が立つだろう。それに……ちょっと味に興味が湧いた。


 陛下から受け取った果物を右手に鷲掴んだまま、俺は両手を背中に回して左手で右手首を握った。


「なんだ、食べぬのか?」


 陛下が、不満そうな表情を浮かべながら言ってきた。


「ああ、はい。今は任務中ですから」


「構わぬ。今食べて、感想を聞かせよ」


 どこか毅然(きぜん)とした態度の陛下に困惑したが……特に拒否する理由も無いので、俺は言われるがままに果実を唇に押し当てた。


 前歯を皮に押し当てるようにして一口(かじ)り取る。


 ちょうどリンゴを齧ったのと同じくらいの抵抗の後に皮は破け、(ぬめ)った感触の果肉が、口の中に転がり込む。


 陛下が言っていた通り、結構酸味がある。でも、甘いっちゃあ、甘い。段ボールに潜む、ハズレの蜜柑(みかん)のような味がする。


 ゴクリと飲み込んで、俺は陛下へと目を向けた。命令された通りに、感想を言おうと思ったのだ。


 ただ一言、「美味しいです」と伝えようと思って、俺は陛下へと目を向けた。


 そこで、初めて気が付いた。


 陛下は俺を凝視していた。


 赤く濁った瞳には、何の感情も伺えない。


 まるで、研究者が実験動物でも見ているかのような、感情に乏しい目だった。


 その目に、得体の知れない気味の悪さを感じていると――


 湧き上がる。


 喉の奥から、何か熱いもの。


 食道を逆流してくる。


 嘔吐を我慢する時のように、慌てて飲み込もうとしたが、間に合わなかった。


 けれど、手のひらで口を押さえることはできた。


 陛下の顔面に吐瀉物を撒き散らすなんてことに、ならずに済んだ。


 鼻と口から噴出した何かは、手のひらにぶち当たってから、手と顔の隙間から飛沫を上げた。


 真っ赤な霧が見えた。


 ボタボタと、液体が床に落ちる音が聞こえた。


 俺は、口を押えていた自分の右手のひらを見る。


 暗い赤色。


 独特の感触に滑り、窓から差し込む朝日を気色悪く反射している。


 ――血。


 状況が理解できない。


 理解できないうちに、俺の身体にはさらなる変化が現れていた。


 足腰から力が抜けた。


 視界が下に落ちるとともに、再び喉の奥から何かが込み上げてくる感覚。


 緊急事態だということは分かる。


 湧き起こる嘔吐感は放置して、俺は自分の身体に起きている事態を冷静に把握しようと努めた。


 まず、口から出血しているということは、消化管のどこかしらに傷ができたということだ。


 とりあえず、腹の辺りに全身の魔素を集中させた。途端、喉をせり上がってくる液体の勢いが低下するのが分かった。


 均衡状態。鎖骨下の辺りで、熱い感触が数センずつ上下している。


 何が起こっているのか、分からない。


 ――とにかく、腹に魔素を注ぎ込み、傷害を治すことに努める。


 額を滝のような冷や汗が流れている。


 俺の魔素量は、一般人よりはずっと多いが、聖官としては特別多くはない。


 考えなしに使っていたら枯渇することもある、それくらいの量だ。


 刻一刻と目減りしていく魔素量に、心臓が止まりそうな思いをする。


 いや、実際。このままだと、数分後には心臓が止まっているかもしれない。


 ……ぼんやりとした頭にネガティブな考えが浮かんできたころ。


 ようやく、俺の鎖骨の辺りにあった灼熱感が徐々に降下していった。

 

 その感覚に安堵を覚えつつ、周囲に目を向ける心の余裕が、ちょっとだけ生まれてきた。


 視界の下、ツルツルとした石製の床は、赤い。


 本来なら、真っ白な床があるはずなのに……これが全部俺が吐き出した血なのだとしたら、かなりの出血量だ。


 重たい身体を動かして、俺は頭を後方にガクリと傾けた。


 特に、何かの意図があったわけではない。強いて言えば、そこに、何か気配を感じての、無意識の行動だった。


 床と同様に、目を向けた先も赤かった。


 赤く(まだら)に染まったソファー。


 そこに座ったまま、俺を見下ろしている男。


 濁った赤い瞳が、俺を見ていた。



 ○○○

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