02話 『国王警護 前編』
真っ白な雪が、降り落ちていた。
一片が、フラフラと揺れながら窓ガラスに張り付くと、一瞬の後に溶けて消える。
その様子に微かな虚しさを感じつつ、俺は室内に目を戻した。
近くの暖炉では、橙色の炎が揺らめいている。室内は暖かい空気に満たされていて、青ローブなんて着ていてはちょっと暑い。ローブの下は冬服で固めているからなおさらだ。
とはいえ、神官服は教会関係者の制服みたいなものだ。任務中に脱ぐわけにもいかない。
仕方なく、冷えた窓ガラスに身を寄せることで、気分を紛らわしているわけだが……。
ぼんやりと視線を向けた先では、羨ましくも、赤ローブを椅子にかけ、しかも腕をまくり上げている国王がいた。
巨大な机の上には、難しそうな本や、書類の束が、所狭しと置かれている。
国王の目の前のスペースだけは取りあえず整理されていて、そこには、数枚の紙束を持つ、国王の両腕が置かれていた。
全てに目を通し終えたのか、両手で紙束を持ち、端っこを机でトントンと揃えた後に、机上に置いている。
しばらくの間、机の上で指を組んでいた国王は……ため息をつくと、椅子に座ったまま、顔だけをこちらに向けてきた。
「聖官殿、教会は華と戦でも始めるつもりなのか?」
国王の発言の意図を捉えかねて、俺は無言で国王の顔を見つめ返すことしかできなかった。
そんな俺の表情をどう理解したのか、国王は「まあ、余に言えることでもないか」と呟いて、顔を前に戻す。
国王の前方。机を挟んで反対側には、初老に差し掛かった文官が立っている。
「――論外だな。ここで華に塩を売ったならば、短期的には莫大な利益を得ることができるだろうが、そのせいで被る長期的な不利益の方が圧倒的に大きい。
華の機嫌を損ねぬように、適当に土産物を見繕っておけ。親書の原案は余が用意しておくから、細かな部分は任せる」
「承りました。親書の形式は、赤式文書で宜しいでしょうか?」
「構わぬ」
文官は深々と頭を下げてから、執務室を後にした。
そちらへ目を向けることもなく、国王は机の上に紙を用意して、羽ペンで何かを書き込んでいる。
……王国に赴く前。現在の王国について、図書館で簡単に調べておいた。
それによると、国王に対する印象はかなり悪かったのだが……案外、真面目に仕事してんだな。
俺が見ている間に、国王は時折目元を揉んだりしつつも紙に文章を書き連ねていき……数分後には完成したようだ。紙を、机の端へと放っている。
国王は椅子に座ったまま両手を天井へと掲げて伸びをして、またもや唐突に俺の方へと振り返った。
「聖官殿も、こんな所にいては暇だろう。王宮内を散歩していても構わぬのだぞ」
「いえ、これが私の任務ですから。陛下の傍を離れるわけにはいきません」
「ふんっ、任務か」
国王は顔を歪ませた。
「たしか、聖官殿は言ったな。余を護衛するように命令された、と。それは、常に余の傍を離れてはならぬ、ということと同義なのか?」
「……というと?」
「つまりだ」国王は濁った瞳で俺を貫きながら言った。
「余を護るためには、余の傍にいることもたしかに大切だ。だが、他にもすべきことがあるだろう。
例えば、余を護る手勢として近衛騎士たちがいるが、彼らと情報のやり取りをするなり……あとは、王宮の構造を理解しておくことも大切なのではないか?」
……うーん、まあ、確かに。国王の言うことも最もだ。
普通の人が護衛任務をするのなら、そういったことも大切だろう。
だが――
「それについては問題ありません。
大抵の賊なら、その数がどれだけであっても、どんな状況でも、私一人で陛下を護りきることができますから。
常に陛下の傍にいること、それが最も重要だと考えております」
国王は胡散臭そうに俺をねめつける。
「それは傲慢というものだろう。見るに、聖官殿はまだ若い。自信を持つのも結構だが、まだ経験が足りないようだな。人一人の力など、たかが知れているぞ?」
「私よりも戦闘能力が高い人がいることは理解しています。
ただ……失礼を承知で申し上げますと、私が苦戦するような相手ならば、そういった細々としたことは、意味を成さないかと存じます」
俺の言葉に……国王はニヤリと笑った。
「ほう。王国最高の武勇を誇る近衛騎士たちを、細々とした者たちだと、聖官殿はそう考えているのだな? 言うではないか」
否定も肯定もできない。
せっかくオブラートに包んで言ってあげたのに、と思いながら、微妙な表情を浮かべている俺に、国王は挑戦的な目を向けてきた。
「そこまで自信満々に言うならば……是非とも、聖官殿の実力とやらを見せてもらおうではないか」
――
「……はあ」
国王から説明を聞いた中年のおっさんは、困惑を浮かべながら漏らした。
「模擬戦ですか?」
チラリと、中年は俺に視線を向けた。
「聖官様と?」
「ああ。余が知る中で、最も武芸に秀でているのはお前だからな。天下の聖官殿とお前が戦ったら、どうなるか興味があるのだ」
中年は、王宮の所々で目にする兵士と同じ恰好をしていた。全身甲冑ではないが、要所要所は金属製の装備を付けている。胸元の赤い布地には、見覚えのある紋章。
あれは……王国の紋章だったか? カッコいい。
「私としては、聖官様にお手合わせしていただけるなど、願ってもみない機会ですが……」
言いながら、中年は俺に目を向けている。
「私は構いませんよ」と俺が答えると、中年は小さく頭を下げてから言った。
「それでは、よろしくお願いします」
――
場所は移動し、俺は武骨な部屋にいた。
室内の……訓練場か何かか? 部屋の端っこには、木剣や槍の詰まった木樽や、金属盾が置かれている。
俺たちがその部屋に来た時、兵士たちが数人訓練していた。国王の姿を認めると、兵士たちは即座に動きを止め、最敬礼をしてきた。
中年が前に出た。
「訓練中にすまないが、少しの間ここを借りてもいいか?」
「団長。それは構いませんが……」
視線が一瞬、俺に向けられた。
すぐに目は逸らされて、中年――団長とその兵士は、ゴニョゴニョと何かを話していた。
無事話がまとまったらしく、数分後には、兵士たちは部屋から消え去っていた。
代わりに、二階の踊り場的なところに、兵士たちは移動していた。国王も同じ場所にいる。
というか……兵士の数が増えている。ぞろぞろと、十、いや、二十人くらいの兵士が、上からこちらを見下ろしている。
やっぱり、何歳になってもたくさんの人に注目されるのは慣れない。討滅対象の盗賊や魔物だったら、何百いても全く気にならないんだけどな。
ザワザワとした上の様子を努めて気にしないようにしていると、団長が話しかけてきた。
「聖官様。模擬戦は、どのように行いましょうか? 見た限り、帯剣はしておられないようですが……無手戦がお好みですか?」
「ああ、いえ。普段は収めていますが、剣を使いますよ」
左手に碧色の剣を発現させる。
「――なっ」
団長が声を上げると同時に、頭上がどよめくのが聞こえた。
目元を擦るなんてベタな事をしてから、団長は言った。
「……今、その剣が突然現れたように見えたのですが」
「ああ、これは」
なんて説明しようか。
ローから聞いて、どんな仕組みでこの剣が俺の身体を出たり入ったりしているかは理解しているが……説明しようと思うと、面倒くさい。
「……あまり気にする必要はありませんよ。そういうものだと思ってもらえれば」
俺の答えに、団長は微かに不満そうな表情を浮かべたが、深入りするつもりは無いらしい。俺から視線を逸らし、壁際へと目を向けた。
「ともかくも、聖官様は剣を主として使っていると――」
団長は、壁際の木剣がたくさん入っている樽へと向かう。
訓練場の中央付近に立っていた俺たちからすると、壁までは十五メートルほど。
団長が壁際に到着し、木剣を物色し、二本を手に取って戻ってくるまでに一分ほどかかった。
うち、一本を俺に差し出してきた。
「職務の手前、私は大きな傷を負うことができません。実剣ではなく木剣でもよろしいでしょうか?」
「分かりました」
木剣を受け取る。
うん。かなり上質な木剣だ。
中に木の繊維がギッシリ詰まっている。それなりの重量感がある。こんなのをまともに食らったら、普通の人は骨が折れるだろう。
「また、これは近衛騎士内での模擬戦での決まりなのですが……同様の理由で、相手に致命的な怪我を負わせること、つまりは頭や胸部を強く攻撃することも、遠慮していただきたいのですが……」
「構いません。そちらの決まりに従って、行いましょう」
団長は力強く頷くと、俺から距離を取りながら言った。
「どちらかが負けを認めれば終了です。それではお願いします」
二メートルほど離れた位置で、団長は木剣を構えている。
俺と同じく、構えは正眼。
剣先は全く動いておらず、切り裂くような気配が伝わってくる。
怪我をさせないように、とかさっきまで考えていたが、そんな心配はいらなそうだ。危機管理くらいは自分でできるだろう。
思考を切り替えつつ、意識を研ぎ澄ませる。
「両者とも、準備はいいか?」
頭上から国王の声が降ってきた。
俺も、もちろん団長も、返事はしない。
互いに、眼前のみに集中している。
シン、と静まり返っている空間に、国王の低い声が響いた。
「――では、始めよ」
国王の、開始の合図。
同時、団長が何の前触れも無く目の前に現れた。
瞬間移動?
『能力』持ちなのか?
――いや、違う。
団長は単に、足を前方に踏み出しただけだ。
ただ、その動作があまりにも自然だったために、突然目の前に現れたように見えたのだ。
ゴーレムのような、正真正銘の瞬間移動をする相手にさえ、容易に対応できるはずの俺は……この時、完全に出遅れていた。
慌てて木剣を動かす。
団長の剣筋に木剣を滑り込ませると、鼻先数センで衝突する。
幸いと言うべきか、剣の重さはそれほどではなかった。
団長の形相を見るに、かなりの力を振り絞っているようだが……軽い。
驚くべきことに、団長からはほとんど魔素を感じられない。
普通の人よりはちょっと多めだが……そこらの木っ端神官にさえ及んでいない。
つまり、この団長は、単純な剣技のみで、これほどの実力を誇っているということだ。
――いったい、どれだけの回数、剣を振ってきたのだろう?
団長は初撃を簡単に受け止められたことに全く動揺せず、流れるように次の動作に移行している。
団長の頭が落下した。
そう思わせるほどに、自然な動きで腰を落とし、俺の胴部を木剣で横薙ぎにせんとしている。
今度は、しっかりと団長の動きを捉えていた俺は、思いっきり後方に跳んだ。
神官服を木剣が掠る。
団長は、その瞬間には既に、前方へ踏み込んでいた。
バランスを欠いている俺に向かって、先ほど剣を振った勢いを使いつつ、左足で蹴りを入れようとしている。
団長の靴先は金属製だ。
先端は、尖っている。
そんな凶器が、あと二センで俺の腹部に到達する。
――避けられない。
俺は背筋に電気を流し、瞬間的に加速した肘で、凶器を叩き落とした。
必中の攻撃。
それを防がれたことに、団長は唖然とした表情を浮かべている。
全身の筋肉を、電気で無理やりコントロールした俺は、木剣を叩きこむ。
俺の動きは、人間の限界を超えている。
だが、目で捉えられないほどではない。
団長は、顔面に迫る木剣を認識しているはずだ。
だが、最後まで目を逸らすことなく。
それが意地だとでも言うように、団長は木剣を睨み付けていた。
「……」
ふわりと、団長の前髪が風に揺れ動いた。
俺の木剣は、団長の額に激突する寸前で停止していた。
団長は、無言で目を閉じた。
再び目を開けると、清々しい声で言った。
「参りました」
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