12話 『暗雲』
「聖女様」と、私に声をかけてきたのは、ベータだった。私と違ってベータは前触れなく転移してくるから、いつもビックリしてしまう。
「どうしましたか?」
「華の皇帝からの親書です」
言って、ベータが巻物を手渡してきた。
『巻物』を見ると、弧帝を思い出して鬱な気分になる。一瞬受け取るのを躊躇してから、私は華からの親書とかいう巻物を手に取った。
糸を解いて中に目を通してみると、角ばった文字が直線に並んでいる。
華語で書かれた文章だ。
幸い、つい数年前に華出身の聖官が出ているから、容易に解読することができる。
巻物には華語の後に教会語でも同じ内容が綴られていたが、やはり現地語で書かれた文章の方が正確だ。
私は華語で書かれた文章の方に目を通した。
『アル・エンリ神官の身柄を引き渡せ』
要約すると、そういった内容だ。
さもなくば、茶葉の輸出を停止するそうだ。確か……前回、数か月前の親書では、茶器の輸出を停止すると書いてあった。
当然そんな物は無視したのだが、実際、現在茶器の流入が制限されている。この親書を無視したら、今度は茶葉の流入も実際に制限されるのだろう。
茶器も茶葉も、そのほとんど全てを華からの輸入に依存している。茶器は禁輸されようとも、そうすぐに影響が出ることはないが、茶葉は消耗品だ。すぐに枯渇するだろう。
嗜好品は無くとも死にはしないが、無くていい物ではない。民衆にとって、茶葉の禁輸は死活問題だ。
小さく溜息をつきながら、私は手に持っていた親書を焼却場に転移させた。
「全く、同じ内容の親書を何回も。去年から何度目ですか」
「五度目です」
「いい加減、うっとうしくなってきました。私が出向いて皇帝を粉砕しましょう?」
言いながら、数十年前に会談した、皇帝の顔を思い出そうとする。
当時既に中年だった皇帝は幾らか前に崩御したが、その息子も今は同じ年代だろう。ちょうど今、似た外見のはずだ。
……そう言えば。
「当代の『赤』は華の近衛長でしたよね。すでにかなりの高齢になっているはずですが、未だに代変わりしないのですか?」
「依然、壮健のようですよ。すでに七十近いはずですが、『東方無双』の二つ名に曇りは無いとの情報が入っています」
……『東方無双』か。弧帝を知らないからそんなことを言えるのだろう。
まあ、弧帝には『緑』の称号を当てているから、名前だけは知っているだろうが、『赤』と同格か格下に思っている程度か。無知が羨ましい。
ちなみに、『青』の称号は私が持っている。
称号という制度は、弧帝に媚びを売るために、千年ほど前に私が作ったものだ。
残念ながら、弧帝は毛ほどの関心も示さなかったけれど……惰性で続いている。
案外、空席の『赤』を与えてやると、どの国も喜んでくれるから……せっかくなら、『緑』や『青』も普通の人間に限定してみようか?
そうすれば、新しい『緑』はフレイ聖官だとして、『青』は……やっぱり、風音聖官だろうか?
「――聖女様」
思考が流れそうになった所を、ベータの声が引き留めた。
「華に返書を送る必要はあるでしょうか?」
「……いえ、必要ありません。代わりに、ヨルムガルトの教会を通して、華への塩の輸出を制限させて下さい。
補償は……そうですね、ヨルムガルトの国家予算十年分と同等の金を送っておくように」
「承りました」
と言って、ベータは目を閉じた。デルタに指示を送っているのだろう。
数瞬後にベータは目を開き、灰色の瞳で私の事をジッと見つめてくる。
「……なにか、言いたいことがあるのですか?」
「はい。アル聖官のことです」
「ベータがなんと言おうと、アル聖官を華に引き渡すつもりはありませんよ」
「いえ、それについては私も同意しています。教会の者を他国に売り渡すなど、私たちの信条に反しますから」
「では、何についてですか?」
ベータは少し言い淀んでから、
「……なぜ、華はアル聖官の身柄を求めるのでしょうか?
アル聖官は教会に来る前には、ずっと王国の辺境にいたようですし、華の皇帝と関わりを持てるとは思えません」
「それについては前回結論が出たではありませんか。アル聖官は弧帝の眷属です。どうせ弧帝がまた何かを企んでいるのでしょう」
「たしかにそうかもしれませんが……一度調べてみてもいいのではありませんか?
ちょうど、イオタが外の空気を吸いたいと言っていますし、ついでに……たしかエンリ村でしたか。その村の様子を調査させてみるのは?」
やんちゃな妹の姿を頭に思い浮かべる。
そう言えば、数年前から聖国の外を散歩したいと言っていた。
……でも。
「イオタに調査なんてできるでしょうか? ……というか、教会の機密事項を色々と漏らされそうで嫌なのですが」
「だからこそです。エンリ村のような田舎だからこそ、多少機密が漏れても問題が無いでしょう」
……一理ある。
まあ、このまま聖国の中にイオタを留め置いていたら、数年内に勝手に消える可能性もある。
それと比べたら、どこに行くか分かっている方がいいかもしれない。
「分かりました。では、数日内にイオタに出国許可を出しましょう」
用は終わったと思って、私はベータから机の上に視線を落とした。
数センにわたって、書類が積みあがっている。今日中に仕上げなければならない分だ。
辟易として、溜息を吐こうとした所で――
「もう一つ、いいですか?」
私と目が合った瞬間に、「アル聖官のことです」とベータは言った。
無言で先を促す。
「つい先ほど、聖女様がアル聖官に下した任務ですが、少し荷が勝ちすぎませんか?」
……なんだ、そんなことか。
私は書類を一枚左手で取って、右手で羽ペンを取った。署名を紙に書き込みながら、ベータの問に答える。
「私も最初は、クルーエル聖官に任せるつもりでしたよ。それを、クルーエル聖官が辞退して、アル聖官を推薦したのではありませんか。
それに、クルーエル聖官の言う通り、確かに王国出身者の方が適当ですし、加えて、アル聖官は貴族の出です。問題無いでしょう」
「私が言っているのは、そこではありません。多少国王の不興を買おうとも、そんな些末な事はどうでも良いのですから」
ベータの言葉を聞いて、私は羽ペンの動きを停止させていた。
……ベータにらしくない物言いだ。大抵は明朗に物事を述べるのに、今のは、どこか歯に物が挟まったような言い方だった。
「つまりは、ベータは何を言いたいのですか?」
真面目に話を聞く気になって、私は羽ペンをインク壺に突っ込んで、背もたれに体重をかけた。
「聖女様も知っての通り、現在の王国は特殊な状況です。クルーエル聖官のように、強靭な精神を持ち合わせていれば心配無いでしょう。
けれど、アル聖官はまだ十六です。成人に達しているとはいえ、不安定ではありませんか? もっと、経験豊富な聖官に任せるべきかと」
特殊な状況……確かに、特殊な状況かもしれない。たしかに、考え無しの聖官を派遣するのは躊躇われる。
けれども――
「アル聖官なら、大丈夫でしょう。何度か会話をした事がありますが、彼は年齢に見合わず、成熟した精神を持っているように感じました」
自分の考えを述べてみたが、見ると、ベータは納得していないようだった。表情の変化は無いが、微妙に……視線が、重たい。
私は仕方無く……一つ、付け加えた。
「すでに指令を下してしまいましたし、このまま任せましょう。
仮に失敗したとしたら……後始末はちゃんと私がやりますよ。私が命令したのですからね。面倒事を、ベータやイプシロンに丸投げしたりしません」
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