19話 『夢の後』
これは夢だ。
はっきりと、俺はそのことを理解していた。
「ほんと、アルくんは強くなったよね。僕なんかじゃ全然歯が立たないよ」
両手をひらひらと振って、ロンデルさんは言った。ロンデルさんの手に握られていた木剣は、少し離れた地面に転がっている。
「……ロンデルさん」
「ん、どうしたの?」
ロンデルさんは俺の記憶のままだ。最後に話したあの日から、年を全く取っていない。
対して、俺は成長していた。十五歳。そういう設定だと分かっている。
「ロンデルさんの淹れるお茶が飲みたいんです。家にお邪魔してもいいですか?」
ロンデルさんはパチパチと目を瞬いてから、いつもの微笑を浮かべた。
「どうしたの、そんなに畏まっちゃって。僕のお茶でよければ、いつでも淹れてあげるよ」
――
ロンデルさんの家に着くと、俺は定位置となっている椅子に座った。
机の上にお盆が置かれる。そこから湯呑を一つ手に取ると、イーナは俺の前に置いた。
「どうぞ、アルさん」
「ありがと」
もう一つをロンデルさんの席に置いてから、イーナは俺のちょうど正面の席に腰を下ろした。
最後の一つを両手で取っている。
それを確認して、俺は湯呑を傾けた。いつもの味が口の中に広がる。苦さの中に、爽やかな甘さ……。
美味しい。
ふと視線を感じて、俺は正面を向いた。
イーナは湯呑の縁に唇を当てながら、上目遣いに俺を見ていた。
「どうかした?」
「その……今日のお夕飯は何がいいかなって、思いまして」
「夕飯?」
でも、まだそんな時間じゃない――そこまで考えて、俺はこれが夢の中だということを思い出した。
それと同時に、窓から夕日が差し込んでくる。
やっぱり、俺の自由になるみたいだ。ということは……ラーメンとかカレーとか、前世の食べ物であったとしても、俺が願えば何でも食べられるのだろう。
「……クッキー」
「はい?」
「クッキーが食べたい。イーナが昔作ってくれた、人型の」
「……それって、お菓子ですよ?」
イーナが呆れた顔で言ってくる。けれど……俺が今一番食べたいのは、あの時のクッキーだった。
「……分かりました。お菓子なら、幾らでも作ってあげます」
次の瞬間、机の上に木皿が出現した。
その皿いっぱいに人型のクッキーが乗っている。そのほとんどは割れてしまっていて、ちょっと残念な感じだ。
「お客様、ご注文の品ですよ」
ちょうど良い所で、ロンデルさんが戻ってきた。
机の上に新しい湯呑を置くと、ロンデルさんはイーナの右隣の椅子に腰掛けた。
「あれっ、なんでお父さんもお茶を?」
「アルくんが、どーしても飲みたいって言うからね。やっぱり、イーナの淹れるお茶じゃ物足りないのかな?」
「――そっ、そんなことは! そんなことは……ない、ですよね?」
イーナが自信なさげな表情で見つめてくる。そんなイーナに、ロンデルさんは可笑しそうな視線を向けている。
思わず、笑みが漏れるのを俺は感じていた。
この光景を……いつか、この目で見たい。
椅子から立ち上がると、イーナとロンデルさんはよく似た表情で俺の顔を見上げた。
「久しぶりにロンデルさんと会えて嬉しかったです。でも……もう行かないと」
神官服を羽織って、二人に背中を向ける。
「そっか。僕のお茶が飲みたくなったら、またいつでも来てね」
「はい……必ず、また来ます」
それだけ言い残して、俺は玄関の扉を開けた。
○○○
深紅の瞳と目が合った。
「えっ……」
サラは目をまん丸に見開いて、俺の顔を凝視している。
一目見た瞬間に違和感があったけど……サラの髪の毛、少し伸びてるな。初めて会った時にこれくらい長かったら、最初から女の子に見えていたかもしれない。
それに――
「……なんだ、その格好?」
サラは白い服を着ていた。膝上丈のミニスカート。頭には存在意義不明の小さな帽子が乗っかっている。医院では唯一エルシアさんだけが使っている、なんちゃってナース服――もとい、解剖助手の由緒正しい服装だ。
俺に質問されて、サラは我に返ったらしい。
「アルっ!!」
勢いよく抱き着いてきた。
「がッ……!?」
身体中から変な音が聞こえた。
微妙にぼやけていた思考が、痛みで一気に冴え渡る。慌てて魔素で保護すると――さらに強い力が全身を締め上げた。
「アルっ! アルっ!」
「さ、サラ……やめ」
ヤバい。
考えてみたら、俺程度の魔素でサラの力に耐えられるはずがなかった。
身体が軋む。
――ガチャリと、ちょっと離れた場所の扉が開くのが見えた。
「サラ聖官。医院には他の方もいますから、静かに……」
入ってきたのはイプシロンだった。なぜか、イプシロンもサラと同じナース服を着ている。
部屋に入ってきたイプシロンは、扉を開けたままの姿勢で固まっていた。目を見開いたまま、俺のことを凝視している。
「た、助けて……」
唯一自由に動く右腕を持ち上げて、必死に助けを求める。俺の様子に気付いたイプシロンは、慌ててこちらに駆け寄ってきた。
「サラ聖官っ! いったん落ち着いてください!」
――
イプシロンに聞いた話によると、俺は十日あまり眠り続けていたらしい。
特に身体に異常はなく、ただ眠っているだけ。まんま『眠り病』の症状だったので、最初の数日はそう思っていたのだが――
「魔物を倒した数刻後から、患者たちは続々と目を覚まし始めました。そんな中、アル聖官だけが眠り続けていたんです。アトラス先生には、呼吸ができなかったせいで脳に障害が残っているかもしれないって言われて……本当に、よかったです」
ベッド脇の椅子に、イプシロンとサラは座っていた。
しんみりとした様子のイプシロンの隣で、サラは不満そうに唇を尖らせている。
……どうやら、俺が眠っている十日の間に、二人はだいぶ打ち解けたらしい。イプシロンがサラを叱っている時の様子を見て、そう思った。
二人の姿を見ていると……いい加減、俺は質問を抑えられなかった。
「ところで、どうして二人はそんな恰好をしているんですか?」
「それは――」
「アルがよろこぶって聞いたから!」
突然割り込んできたサラは、満面の笑みを浮かべながら立ち上がった。
「わすれてたわ! アルが起きたら、聞くつもりだったの!」
サラはくるりとその場で回った。ミニスカートがふわりと持ち上がって、少し際どい。
サラは回転を止めると、仁王立ちで言った。
「どう?」
「……どうって言われても」
「うれしい?」
にっこりと、太陽のような笑顔が向けられる。
「……あ、ああ。嬉しい、嬉しい」
早口で言うと、サラは嬉しそうに頭を差し出してきた。
……ちょっとだけ呆れながら、深紅の髪の毛をワシャワシャと雑に撫でてやる。
「イプシロン、聞いてもいいですか?」
「……これは、エルシア先生の提案です。私とサラ聖官がアル聖官のお世話をしたいと言うと、この服を持って来られて……最初は断ったのですが、サラ聖官も一緒になって勧めてきまして」
「それは仕方がないですね」
「はい」
エルシアさんには……なんというか、逆らっちゃいけない感じがする。そこにサラのゴリ押しまで加わったら、俺でも着てしまうかもしれない。
とはいえ、改めて指摘されると恥ずかしくなってきたらしい。モジモジしながら、ちょっぴり赤くなっている。
俺はイプシロンから視線を外して、布団の上に目を向けた。窓から差し込む陽光が、四角く形を切り取っている。
窓から吹き込む海風には、マエノルキアの喧騒が乗っていた。
○○○




