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15話 『水中戦闘の方法』



 スヤスヤと、気持ち良さそうにサラは眠っている。


 そのあどけない寝顔を眺めていると、思わず色々な面倒を許してしまいたくなるから不思議だ。


「全身を診察してみましたが、大きな外傷は見当たりませんでした。眼底も繰り返し確認していますが、現在までに変化はなし。頭蓋内の出血は無いようです。……やはり『眠り病』でしょうね」


 アトラス医師が説明をしてくれる。


 俺はほっと息をつきながら、アトラス医師に頭を下げた。


「サラのこと、お願いします」



 ――



 『眠り病』の原因は解明した。失踪していた四人の神官は全員見つかった。サラも、ようやく見つけることができた。


 あとは、全ての原因を倒すだけ。


 ……倒すだけ、なんだけど。


「どうしましょうか……」


 アトラス医師からサラの容態を聞き終わって、俺とイプシロンは浜辺を目指して歩いていた。


 海中に潜んでいる魔物を倒す――その方法を、俺とイプシロンは散々話し合ってきた。サラの襲撃で一時中断していたけど、再びこの問題に直面している。


「実は、解決策……の取っ掛かりになりそうなことを、見つけたかもしれません」


 俺が自分の手のひらを見つめながら言うと、イプシロンはその場に立ち止まった。


 数歩進んでそのことに気づいた俺は、足を止めて後ろを向いた。


 イプシロンは目をまん丸にしていた。


「ほ、本当ですか……!」


 小走りで追い付いたイプシロンは、俺の手のひらを両手で握った。


「……上手くいくかもしれない、程度ですけど」


「それでも大きな進歩ですよ! いったい、どんな――」


「あら、往来のど真ん中でイチャイチャするなんて……お二人とも大胆ですね」


 マエノ医師が、向こうから歩いて来ていた。


 そこで初めて自分がやっていることに気付いたのか、イプシロンは俺の手を投げ出した。頬がほんのりと染まっていく。


「す、すみません……」


「……いえ」


「うふふ、初々しいですね」


 マエノ医師は、微笑ましいものでも見るかのような目をしている。


 なんだか俺まで恥ずかしくなってきたので……ひとまず話題を逸らそうと、俺は口を開いた。


「マエノ先生は街歩きですか?」


「はい、天気もいいですし……何より、暇ですからね」


「実はアトラス先生に、マエノ先生を見つけたら医院に連れてきてほしいって言われてまして。書類か何かが溜まっているそうですよ」


 マエノ医師はにっこりと笑った。


「それにしても、今日は天気がいいですね。お二人はどこへ向かわれているんですか?」


「……アトラス先生のところまで連行しませんか?」


 イプシロンが小声で言ってきた。


 視線を向けると、イプシロンは頬を赤く染めたまま不機嫌そうな顔をしている。からかわれたことを根に持っているらしい。


「それもいいですけど……あの、マエノ先生。僕たちはこれから海の方に行く予定だったんですけど、よければ一緒に来てくれませんか?」



 ――



「そういえば、エルシアさんはどこにいるんですか?」


 三人で街道を歩きながら、俺はふと気になったことを右隣のマエノ医師に聞いてみた。


 アトラス医師によると、マエノ医師とエルシアさんは基本的に二人で街をぶらついているらしい。でも今日は一人で歩いていた。エルシアさんの姿は見当たらない。


「エルシアはお仕事ですよ」


 俺とイプシロンは揃って足を止めた。


「……あら、どうされましたか?」


「いえ」


 イプシロンと顔を見合わせる。


 そんな俺たちを見て、マエノ医師は「うふふ」と笑った。


「エルシアが真面目に働くなんて似合わない、って思ってるのかしら?」


 肯定も否定もできずにいた俺たちは、再び歩き始めたマエノ医師の隣に並んだ。


「実際そうなんですけれどね……今回ばかりは対応せざるを得ませんでした。アルさんたちが『眠り病』の原因を解明したでしょう?

 それを聞きつけた周辺国から、続々と大使がやって来ているんです。『眠り病』に感染することを恐れて、ずっと近寄らなかったくせに……ほんと、面の皮が厚いですよ」


 マエノ医師は変わらず笑顔だが、声は笑っていなかった。


「とはいえ、いちおうは大使ですからね。最低限の扱いをしてあげないと、あとあと面倒なんです。エルシアはその対応をしています」


「……エルシアさんが?」


 俺は困惑を口に出していた。大使の接待っていうと、重要な仕事のはずだ。なんでエルシアさんがそんな仕事を……。


 ツンツンと、イプシロンが俺の肩を叩いた。


「エルシアさんは、その……あまりそうは見えませんけれど、マエノルキアで二番目に偉い方なんですよ」


「えっ、そうなんですか」


「はい」


 イプシロンはコクリと頷いた。


「たしかマエノルキアの憲法では、解剖医が国家元首、解剖助手が国家次席と定められていたはずです」


 それって、つまり……。


 隣に目を向けると、マエノ医師はのんびりとした口調で言った。


「あら、ご存じなかったんですね。そうですよ、こう見えて私って偉いんです。

 本当は大使との会談も私の仕事なんですけれど……気が乗らなかったので、エルシアに任せてきました」



 ――



「着きましたね」


 マエノ医師は栗色の髪の毛を押さえると、興味津々といったふうに俺を見た。


「せっかく誘ってもらったので、付いて来ましたけれど……ここで何をするおつもりですか?」


「マエノ先生の知恵もお借りしたいなと思いまして」


 俺は砂浜を真っすぐに歩いていくと、波打ち際にしゃがみ込んだ。海中に右手を差し入れる。


「ひとまず、見てください」


 左手で手招きすると、イプシロンとマエノ医師は俺の傍まで歩いてきた。興味深げに、左からイプシロン、右からマエノ医師が覗き込んでくる。


 ――放電。


 同時、海中で広げられた手のひらの小指と親指から、プクプクと気泡が発生し始めた。


「細かい説明は省きますが……僕は手のひらからこうやって気泡を出すことができます。

 これを上手く使えば、海中で呼吸ができるかもしれないと思っているのですが……二人はどう思いますか?」


 二人はしばらくの間、俺の手のひらから発生する気泡を眺めていた。


「これもアル聖官の『能力』なのですか?」


 先に口を開いたのはイプシロンだった。


「『能力』というより、『能力』の応用といった感じです」


「そうですか……今は右手から気泡を出していますけれど、他の部位から出すこともできるのですか?」


「訓練すれば、おそらくは」


 イプシロンは腰を伸ばすと、口元に手を添えた。


「その気泡を溜めておく頑丈な袋を用意しておけば、長時間海中で活動できるかも――」


「いえ、それは難しいと思いますよ」


 俺とイプシロンが視線を向けると、マエノ医師はその場にしゃがみ込んだ。


「ところでお二人は、人体が必要とする一刻あたりの空気量をご存じですか?」


 予期しない質問に固まっていると、マエノ医師は両手でこんもりと砂を掬い取った。


「一回量が四百セン、一刻あたりの呼吸数が六百だとすると、二十四万センですね。この砂の量が三百ほどですから、八百杯分となります」


 二十四万センというと……二四〇リットル。風呂一杯分くらいか。


 マエノ医師は砂を落とすと立ち上がった。パンパンと手のひらを叩きながら、


「もちろん、同じ空気は何度か使うことができます。けれど、動き回れば必要量は増えますし、失ってしまう分もあるはずです。

 余裕を持って考えると、膨大な量が必要な点は変わらないでしょう。それを全て賄うのは……難しいのではないでしょうか?」


 俺もイプシロンも、何も言い返すことはできなかった。


 波が砂を洗う音だけが場を満たす。


 俺は海から右手を引き抜くと、絞り出すように言った。


「でも、これが駄目なら、どうやって水の中に潜れば……」


「そうですね、例えば――」


 顎先に人差し指を当てながら、マエノ医師は明後日の方向を向いた。


「何かしらの容器に空気を圧縮して詰め込んでおくとか……あるいは、水中まで長い空気筒を伸ばす、なんていうのもいいかもしれませんね。いえ、それは水圧の関係で難しいでしょうか。

 いずれにせよ、研究課に要望を出せば、色々用意してくれると思いますよ?」



 ――



 一体どこでそんな知識を身に着けたのか知らないが、マエノ医師は海の色からおおよその深度を推測し、海底の水圧を算出し、あっという間にデータをまとめてしまった。


「それでは、研究課に話をつけておきますね」


 マエノ医師は笑顔で言うと、砂浜をあとにした。


 白い背中を見送ってから、俺は砂浜に書き込まれた複雑な数式を見下ろした。


 ……あの人、普段からもっと頑張ればいいのに。


「アトラス先生がどうしてマエノ先生のことを尊敬しているのか……分かったような気がします」


 イプシロンがポツリと言った。


 しばらく二人で、マエノ医師が消えていった先を見つめていると……知った顔が歩いてくるのが見えた。


 向こうも俺たちの姿に気付いたらしく、人の好さそうな笑顔を浮かべた。


「お二人とも奇遇ですね! こんなところでどうされたんですか?」


 セボン神官だった。


 話すのは久しぶりだ。セボン神官はアトラス医師にこき使われているらしく、いつも忙しいそうにしている。


「ちょっと試したいことがあったので。セボン神官こそ、どうしたんですか、それ?」


 セボン神官は両手で大きな荷物を持っていた。洗濯籠くらいの大きさで、中には黒い物が入っている。


「アハハ、アトラスに言われて薬草を採りに来たんです。三日前に採ってきたばかりなのに、もう無くなっちゃったみたいで」


「薬草ですか?」


 セボン神官は洗濯籠を砂浜の上に置いた。


褥瘡(じょくそう)――あっ、床ずれに良く効く薬草でしてね、たくさん必要なんです」


 籠から黒い物を取り出して砂浜に置くと、セボン神官は奥の方から一抱えもある大きな壺を取り出した。


「……薬草を採るのに、それが必要なのですか?」


 イプシロンが壺を近くで見ながら言った。


「そうなんですよ。疲れるので、あまり好きではないんですが……アハハ、僕にしかできないので仕方がないです」


 おもむろに青ローブを脱いだセボン神官は、続けて上半身裸になった。


「なっ……」


 たじろぐイプシロンを気にした様子もなく、セボン神官は壺の中に両腕を突っ込んだ。みるみるうちに、両腕が分厚い粘液の膜で覆われる。


 そんなセボン神官のことを、若干引きながら眺めていると……俺の頭に疑問が浮かんだ。


「薬草を採りに来たって言ってましたけど、どこにも植物なんて生えてませんよね。あっ、そこら辺に落ちてる海藻とかですか?」


「アハハ、そうだったらいいんですけどね」


 いつの間にか、壺の中は粘液でいっぱいになっていた。


「薬草があるのは――」


 セボン神官は立ち上がると、おもむろにベルトを外した。


「海の底ですよ」



 ○○○

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