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13話 『深紅の番人 前編』



 甲板の床板が、砕け散る音が聞こえた。


 サラが消える。


 瞬きにも満たない時間で、サラは俺の眼前に迫っていた。


「あっ――」


 やばい。


 本能に従って、思いっきり後ろに跳んだ。


 腹に全力の魔素を注ぎ込む。


 豪速の拳が、腹へ叩き込まれるのが見えた。


 吹っ飛ぶ。


 甲板の手摺(てすり)は、シャー芯以上に容易く砕けた。


 サラの姿がどんどん遠くなる。


 さすがのサラでも海の上までは追ってこれないらしい。


 ……海の上。


 下を見ると黒い海。


「ひぅッ――!?」


 笛のような音が喉から漏れた。


 考える暇なんてない。身体が勝手に動いてた。


 足を振り上げると、身体が半回転した。


 両手を海面へと向ける。


 ――放電ッ!!


 左手で火花が散った。直後、右手に着火する。


 閃光と同時に、身体が一瞬持ち上がった。


 この程度では衝撃を殺せない。無我夢中で魔素を両手に注ぎ込む。


 点状の閃光が暗闇にラインを描いた。バイクのような小刻みの爆音が轟く。


 一つの爆発を起こすだけでも、ゴッソリと体内の魔素が消費されているのが分かる。


 ロスが多いせいだろう。電気の大半は海水に拡散してしまっているし、せっかく生まれた水素も、ほとんどは大気に逃げている。


 もっと繊細にコントロールすれば能率も上がるだろうが……分かっていても、そんな心の余裕はない。


 海が怖い。


 絶対に落ちたくない。


 それ以外、考えられない。


 体内の魔素が枯渇する。


 限界を超えて、使ってはいけない――たぶん、生命活動に使われている分の魔素まで削られ始める。


 朦朧(もうろう)とする意識の中、俺は……いつの間にか、甲板の上に戻っていた。

 

 甲板に転がる俺を、サラが覗き込んでいる。


「……さっきの、なに?」


 サラの瞳は、満天の星空に負けないくらいキラキラと輝いていた。


 当然のことながら、反応する力なんて残っていない。


 返事をしない俺に、サラは小さく首を傾げた。右の拳を握りしめる。


「ちょっと、イタいかもしれないわよ?」


 にっこりと微笑むサラの顔――


「くっ……」


 突然の眩しい光に、俺は反射的に目を閉じた。


 なけなしの力を振り絞って、全身の筋肉に力を込める。


 こんなのは、サラの拳を前にしては何の意味もない。


 ここで、死ぬのか――


「アル聖官、いったい何をしていたのですか……」


 イプシロンの声が聞こえる。


 薄っすらとまぶたを開けると……ぼんやりとした視界の中央に、心配そうに覗き込むイプシロンの顔が見えた。


「……ここ、は?」


「教会の談話室です」


 イプシロンは短く答えると、その場にしゃがみこんだ。俺の腹の中央辺りを優しい手つきで押さえて――そこを中心に、魔素を注ぎ込んでくる。


 今になってジンジンと痛み始めていた腹は、イプシロンの魔素に触れているうちに幾分楽になってくる気がした。


「事情を説明していただけますか?」


 魔素を注ぎながら、イプシロンが聞いてくる。


 俺は寝そべったまま、周りへと目を向けた。イプシロンの言うとおり、そこは見覚えのある部屋だった。


「どうしてここに……船の上にいたはずなのに」


「海上におかしな光が見えたので……ひょっとしたら、と思って転移させてみました」


 そう答えると、イプシロンは俺の腹から手を放して立ち上がった。


「お腹の傷は、これで多少は楽になると思います。……その痣を見るに、サラ聖官と戦闘になったのですか?」


 起き上がろうと腹筋に力を入れた瞬間、ズキリと痛む。


 動きを止めて下に目を向けると、服には大きな穴が開いていた。その穴の奥に、神官たちの腹にあったのと瓜二つの痣が刻まれている。


 俺はゆっくりと立ち上がると、壁際へと向かった。窓から見える景色の下半分には、真っ黒な海が広がっている。


「……はい。サラに会いました」


 先ほどの一部始終をイプシロンに説明する。


 俺の話を聞き終わったイプシロンは、独り言のように呟いた。


「やはりサラ聖官の頭にも魔物が……」


 窓からは、波の砕ける音が微かに聞こえてくる。


 灰色の瞳を伏せながら、イプシロンは窓枠を手のひらで撫でた。 


「失踪した四人の神官全てに、魔物が寄生していました。同じく姿を消していたサラ聖官の頭にも、魔物が寄生していた。そして、サラ聖官の言動は明らかに異常。

 ……神官たちも『眠り病』を発症する前は、サラ聖官と同じ状態だったのではないでしょうか?」


 イプシロンが真っすぐに見つめてくる。


「……脳に魔物が寄生すると、精神に異常を来してしまうってことですか?」


「いえ、おそらくは……」


 言葉尻を泳がせたイプシロンは、ゆっくりとした口調で続けた。


「四人の神官と、サラ聖官以外……一般人が、異常な行動を取っていたという話は聞きません。単に『眠り病』を発症して、眠り続けているだけです」


 たしかに、五人だけが違う経過を辿っている。四人の神官は結局、他の一般人と同じように『眠り病』を発症しているけれど……。


「ひょっとしたら、魔物は宿主を見定めているのかもしれません。宿主が神官や聖官のような戦闘能力の高い存在であれば……自分のことを守らせる兵として利用している、とは考えられませんか?

 だからこそサラ聖官は、教会関係者や医師を攻撃しようとしているのではないでしょうか?」


「……でも、そんなことって」


 言いながら、俺は昔読んだ魔物図鑑のことを思い出していた。


 あの図鑑の中には、人の精神に影響を与えるような魔物も載っていた。


 たしか蜂の姿をした魔物で……人の頭皮に寄生して、その人の攻撃性を高める力を持っていたという。


 その魔物のせいで戦争が起こり、国が二つ滅んだと図鑑には記されていた。


「強力な魔物であれば、そういうこともあり得ます。ただ、サラ聖官が同じく仲間のはずの神官たちを攻撃していることを考えると、不完全な物なのかもしれません」


 ……確かに、そう考えると全て説明が付く。


 俺は壁にかかっている時計にチラリと目を向けた。


「サラはこれから医師を襲撃すると言っていました。サラなら海を泳いで陸に戻るのに四半刻もかからないはずです。今この瞬間、やって来るかもしれない……ですよね」


 俺は言いづらいものを感じながらも、続けて言った。


「あの、実はさっきの戦闘で魔素がほとんど完全に底を付いていて……正直に言うと、サラを止められる自信が全くありません」


 まあ、さっきの戦闘では万全の状態だったのに、何もできないままにやられてしまったわけだが。


 というか、サラ……強くなってなかったか? フレイさんとの模擬戦の時と比べて、速さも重さも、三割増しになっていた気がする。


 暗い気持ちでそんなことを考えていると、イプシロンは軽い口調で言い放った。


「サラ聖官は私が無力化しますから、心配は無用です」


 自信満々という感じではない。単に当たり前のことを言っているような口振りだった。


「……サラは強いですよ。イプシロンの力を疑うわけではありませんが、あまり侮らない方が」


「もちろん、侮ってはいません。あのフレイ聖官に鍛えられ、クルーエル聖官に認められたのならば、かなりの実力を持っているはずです。

 ですが、どれだけ戦闘に長けているのだとしても、私の相手では……」


 イプシロンはそこで言い淀んで、困惑した表情を浮かべた。


「……忘れているのですか?」


「何をですか?」


「聖官コウソクについてです」


 一度も聞いたことのない単語だった。


「えっと、その……聖官コウソクっていうのは?」


「……聖官に任命される際に説明がありませんでしたか?」


 俺の表情を見て、イプシロンは遠くを見つめる瞳をした。


「たしか、アル聖官に説明を行ったのは……ベータでしたよね」


「はい」


 苦虫を嚙み潰したような顔をしたイプシロンは、俺にペコリと頭を下げてきた。


「うちのベータが、本当にすみません。謝罪したところで今更どうにもなりませんが……謝らせてください」


 顔を上げたイプシロンは、申し訳なさそうな表情を浮かべながら言った。


「聖官コウソクというのは、聖官を縛るための(くびき)のようなものです。今は時間がないので細かい説明は後日に回しますが……実際に経験してもらえば、話が早いでしょう」


 イプシロンは俺に手のひらを向けた。


「――えっ」


 突然、視界が切り替わった。


 天井と、俺を見下ろすイプシロンの顔が見える。


「聖官拘束の効果によって、私は聖官を『能力』の対象とすることができます。私の『能力』は他物転移ですから、こうやって――」


「おわっ……」


 再び視界が切り替わると、俺はイプシロンの正面に立っていた。


 重力の方向が突然変わったせいで身体がよろめく。


 俺の肩を支えたイプシロンは、俺がバランスを取り戻すのを待って手を放した。


「自由自在に、何度でも聖官を転移させることが可能です。実感してもらえたと思いますが……これでは、まともに戦えませんよね?」



 ○○○



 今日も今日とて晴れ模様で、一昨日から三日連続のいい天気だ。


 季節は夏。とはいえ、マエノルキアには海から涼しい風が吹き込んでくるから、それほど暑くは感じない。今のように日向で微睡むには絶好の気候だ。


 ……いや、微睡んでいては駄目だ。


 教会入り口に腰を下ろしていた俺は、太腿を摘まんで迫りくる眠気を撃退した。頬を両手で叩いて、気を引き締め直す。


「今日も、天気がいいですねぇ……」


「そうですね……」


 横から聞こえてきた声に、再び微睡みそうになった俺は、違和感を覚えて隣へと目を向けた。


 そこには、半分目を閉じかけているマエノ医師が座っていた。


「アル聖官が『眠り病』を解決してくれたおかげで……暇で暇で。街歩きも駄目って言われちゃいましたし……。どこかに、いい感じの御遺体とか……転がってないでしょうか?」


「……転がってないでしょうね」


「そうですよね……」


「――というか駄目じゃないですか! 危ないから、建物の中に入っていてください!」


 あまりにも自然にそこにいたので、危うくスルーするところだった。


「ふふっ、だから街を出歩かずにここにいるんですよ。アルさんが私のことを守ってくれるんですよね?」


 マエノ医師が流し目を向けてくる。


 ……そういうのは止めてほしい。もしもエルシアさんにこんなところを見られたら、何をされるか分からない。


 キョロキョロと辺りを見回していると……隣から寝息のようなものが聞こえてきた。


 見ると、マエノ医師は自分の膝を抱きしめながら、気持ちよさそうに眠っていた。


 ……この人って、本当に肝が据わってるよな。リッパーに襲われた時も全くビビッてなかったし、今だって、いつサラが殺しに来るか分からないのに。


 俺は半ば呆れながら、再び無人の街道へと目を向けた。


 一昨日の晩、アトラス医師に事情を説明して、教会と医院の周りには誰も立ち入らないようにしてもらった。それから、医師には建物から出ないようにも言ってもらっている。


 本当は医師を一か所に集めて守りたかったんだけど、たとえ身に危険があったとしても患者を放置するわけにはいかないと、アトラス医師に言われてしまった。


 そういうわけで、俺が教会、イプシロンが医院を守ることになった。


 ……一昨日の晩から、俺は教会の一階やこの階段の辺りに詰めている。


 今のところ、サラが現れる様子はない。本当に現れるのかも分からない。


 いつまでも道を封鎖するわけにはいかないし、俺とイプシロンの集中力も限界だ。今日中にサラが現れなかったら、また別の方策を考えようということになっている。


 俺はマエノ医師の寝息を聞きながら、青い空を見上げた。


 一筋の煙が、空に立ち昇っている。


 ――それに気付くと同時、俺は勢いよく石段から立ち上がっていた。


 無人の大通りを疾走する。


 目指すのは白い煙の根本――イプシロンがあげた信号弾の、その直下。


 そこに、サラがいる。



 ――



 聖官拘束の効果を自分の身で経験して、俺はその威力を信用していた。


 いくらサラでも、あんなふうに突然転移されてしまったら、どうにもできない。初見なら尚更だ。


 そう思ってたから……医院に辿り着いた俺の目に飛び込んできた光景を、俺はすぐには理解できなかった。


 イプシロンは、上空五メートルほどを飛んでいた。


 腹部を殴られたのだろう。身体は二つに折れ曲がっている。


 口からは真っ赤な血飛沫。


 イプシロンの身体は未だに上昇を続けていて……さらに数メートル持ち上がってから、ようやく最高点に到達した。


 放物線を描いて、上昇は落下に転じる。


 呆然とその光景を眺める俺の視線の先で、イプシロンの身体は石畳に叩きつけられた。


 ベキャッと、人体から発生しては駄目な音が聞こえた。


 ピクリとも動かないイプシロン。


 その傍に、サラが立っていた。



 ○○○

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