09話 『寄生』
リッパーの脳には、数えきれないほどの異物が混入していた。
その一つ一つに微小ながらも運動性能があるようで、俺が電気で刺激を与えると、ゆっくりと蠢く。
寄生虫――いや、寄生魔物とでも言うべきものが、リッパーの神経を這っていた。
ちなみに、脳内で蠢く何かの存在に初めて気付いた時……俺は、危うく嘔吐するところだった。
それくらい気持ち悪かった。
で、ついさっき老神官の頭も同じ状態だと確認できたわけで……つまりは、ここで眠っている百人以上の患者たちも同じ状態なんだろう。
俺とイプシロンは判明した事実を携えて、アトラス医師に時間を作ってもらった。
――
「……なるほど。脳内に小さな魔物が、ですか」
教会談話室のソファーに座っているアトラス医師は、腕を組みながら言った。
アトラス医師は、力の籠った瞳を俺に向けて、
「神官様の方が魔物については詳しいですし、何かしらの確信を持っているようですから……とりあえず、その方向で考えてみることにしましょう。
……どうやって、脳内に魔物がいることを発見したのかについては、聞かないでおきます」
アトラス医師の瞳には、若干の批判の色が含まれている気がする。
俺はアトラス医師から目を逸らして、窓の方を向いた。相も変わらずいい天気だ。
「……問題は、どうやって魔物が頭の中に入り込んでいるかです」
顔を正面に戻して続ける。
「正直に言ってしまうと、全く見当が付きません。なので、医師の立場からの意見を聞きたいと思って、アトラス先生を呼ばせてもらいました」
俺の言葉を聞いたアトラス医師は、腕を組んだまま天井を仰いだ。
「そうですね……そういう問題でしたら、私よりもマエノ先生の方が適役かと思いますが」
「解剖室を覗いたのですが、誰もいませんでした。医院の人に聞いても、誰もどこにいるか知らなくて……」
「なるほど」
苦笑を浮かべたアトラス医師は、ソファーから立ち上がった。
「解剖が終わってしまいましたからね。街をぶらぶらしているんでしょう。そういうことでしたら、別に紹介できる人がいます――ついて来てください」
――
教会を出て大通りを少し歩くと医院にたどり着いた。アトラス医師を先頭に建物内に入る。
一階には『眠り病』患者たちがズラリと並んでいる。その合間を縫って、奥の螺旋階段へとアトラス医師は歩を進めた。
二階――重症患者病棟には、一階と違ってベッドが並んでいる。
マエノ医師曰く、本来は一階は外来で二階が病棟だったらしいが、あっという間に病棟から患者が溢れたらしい。
アトラス医師の後ろにくっついて、さらに螺旋階段を昇っていき……俺とイプシロンは、三階に足を踏み入れた。
三階は関係者以外立ち入り禁止と言われていたので、入るのは初めてだ。
薬の材料を採取している関係で、たまに三階に行く機会があるらしいセボン神官から聞いた話だと、三階には医局――臨床課、薬剤課、研究課、疫学課の部屋が並んでいるらしい。
アトラス医師が開けたのは、疫学課の扉だった。
「失礼します。臨床課のアトラスです」
紙の香りがムワリと漂ってくる。古い紙と新しい紙が混じり合った、俺の好きな香りだ。
部屋はそれほど大きくない。せいぜいが、学校の教室と同じくらい。中央には幾つかの机がくっつけて置かれていて、その上には大きな地図が広げられていた。
地図の上には、赤色に着色された碁石のような物が数えきれないほどたくさん、あらゆる場所に置かれている。
壁に沿っては小さな机が四つ並べられていて、そのうちの二つの机では、俺たちに背中を向けて何やら作業をしている人が座っていた。
片方の椅子には、医師のトレードマークである白衣が背もたれに雑にかけられている。
その椅子に座っていた男が突然立ち上がった。
年齢は三十代ほど。濃紺の髪の毛は油で固められているようで、部屋の明かりをテラテラと反射している。
ツカツカと中央の机に近づくと、机の上に置かれていた壺に右腕を突っ込んだ。
引き抜いた拳を開くと、手のひらにはたくさんの赤石。その赤石を、素早い動きで地図の上に置いていく。
余った赤石を壺に戻して、両手をパンパンと打ち鳴らすと……ようやく、男はアトラス医師に目を向けた。
「……また、アトラス先生ですか。マエノ先生ではなくて。あの人、いちおう疫学課の課長のはずなのに、この一月以上も来ていないのですが。
いえ、来られたら来られたで邪魔ですけれどね。ただ、たまには来てもらわないと必要な書類が――」
「ネッター先生、こちら神官様です。先生の力を借りたいとのことで、連れてきました」
マシンガンのように話すネッター医師を途中で遮って、アトラス医師は俺とイプシロンのことを紹介してくれた。
今初めて存在に気付いた――そんな様子でネッター医師は俺とイプシロンに目を向ける。その目は……何というか、虫でも見ているかのような目だった。
「具体的な話をすると……お二方によると、『眠り病』は脳内に寄生する魔物が原因とのことで、その感染経路の解析をお願いしたいのです」
「……また、仕事が増えるんですか。今の状況でも、日に六刻しか眠っていないのに。僕、毎日八刻眠らないと、なんだか体調が悪いんですよ。ほら、肌が荒れているでしょう?」
言いながら差し出されたネッター医師の頬っぺたは、ツヤツヤだった。
俺は、そのタマゴ肌がアトラス医師の手で引っ叩かれないかヒヤヒヤと見守る。
俺は知っている。アトラス医師は、日に三刻の仮眠しかとっていない。
「……それでは、よろしくお願いします」
唇をひくつかせながら、アトラス医師はそれだけを言い残して去っていった。
――
「考えられる経路は主に、経呼吸器か経消化器、あるいは経生殖器ですね。
経皮膚だと何かしらの痕跡が残るでしょうから、それをマエノ先生が見逃すとは思えません。
患者分布からすると――」
椅子から立ち上がると、ネッター医師は地図の傍まで向かった。
「マエノルキア全体での患者数がこれまでに五八三人、総面積が三キルと四〇二メルで――偶然値!」
ネッター医師が叫ぶと、壁際の机で作業をしていた髪の長い女性からボソリと返答があった。
「……四割二分三厘」
「というわけなので、完全にバラバラに患者が発生しているってことですね。
つまり、経呼吸器の可能性は低いです。患者に子どもが多く含まれていることを考慮すると、経生殖器も考えづらい。
消去法で一番考えられるのは経消化器かと」
ここまで一気に、マシンガンのようにネッター医師は語った。
……たぶん、ネッター医師はめちゃくちゃ頭がいい。
頭の回転が速すぎて、それを全部言葉にしようとするから、こんなに早口になるんだろう。
けれど、凡人の俺たちはその思考に付いていくことができない。ネッター医師はせっかく長々と語ってくれたけど、ほとんど理解できなかった。
「つまり、食べ物か何かを通して魔物は拡散しているということですか?」
……イプシロンには理解できたらしい。
「そういうことですね。それも、偏りなく患者が発生していることからすると、大多数ほとんどの人が口にする食べ物が一番考えられます。
例えば水、穀物類、魚類……くらいでしょうね。当然、研究課が既に何度も検査を行っていますが……肉眼で見えない大きさとなると、もう一度検査しなおす必要がありますね」
○○○
「アル聖官、こちらお願いします。三四四番です」
コトリと、イプシロンが机の上に小瓶を置いた。
「ちなみに……これはどういう試料ですか?」
「キネストから輸入された後、マエノルキア北部の二番倉庫で保管されていた小麦、らしいです」
「倉庫って全部で何個あります?」
「五十三です」
「たしか、倉庫一つから試料を百個取るんでしたよね?」
「はい」
内心溜息をこぼしつつ、小瓶の小麦を手のひらに出す。
――放電。
「大丈夫です」
「分かりました。では――」
「あの……ちょっと休憩をもらってもいいですか?」
疫学課調査室の窓の外は赤く染まっている。
朝から、というか二日前からずっとこの作業を続けさせられている俺は、疲労の極地にあった。
椅子に座って、イプシロンや疫学課医師、たまに暇を持て余したマエノ医師とエルシアさんが持ってきてくれる試料に電気を流しているだけなんだけど……いかんせん魔素を使う作業だから、幾百とやっていると身体の芯から疲れてくる。
「あっ、本当ですね。もう定時です。では僕は帰りますから、神官様は作業を続けておいてください」
窓の外に目を向けて、ネッター医師は言った。椅子から立ち上がって荷物を手に取っている。
……聞き間違えだと思うけど、作業を続けろって言ったか、コイツ? 自分は帰って?
「あっ、そうそう。僕、そろそろお腹が空きましたね。昨日ようやく水の検査が終わって飲めるようになりましたが、水だけではお腹は膨らみませんからね。
明日からは休憩時間を減らしましょうか。――それでは、僕は失礼します」
一方的に言って、ネッター医師は部屋から出て行った。
……分かってる。この検査は俺にしかできないから、ネッター医師がいても意味は無い。
意味は無い……けどさ、なんかムカつく。
俺が疲労を押して検査をしてるのに、自分は家でぐっすりとか。
嫌がらせで検査を放棄したい気分に駆られるけど、そういうわけにもいかない。
俺とイプシロンの魔物寄生説に従って、マエノルキア全域で食事を摂ることは禁止された。
水、食料、何が原因か分からないからだ。全ての国民は、俺が検査を終えた物しか食べることができない。
まず、大事なのは水。
急ピッチで、あらゆる取水所の水の検査を昨日までに終わらせた。
続いて現在やっているのが、穀物類。主食の検査だ。それも今日の内に半分くらい終わったが……終わりが見えない。
俺は深いため息をついて、イプシロンに手を差し出した。
「次、お願いします」
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