06話 『マエノルキア穴場巡り』
「あら、こんな所でどうしたんですか?」
医院入り口の石階段に座っていると、マエノ医師が話しかけてきた。
マエノ医師の顔を見て、俺はようやく今朝の約束を思い出した。
そうだった。朝の七刻から解剖を見学する約束だった。
日の出とともにサラの捜索をしていたので、完全に約束のことを忘れていた。
太陽は既に空高く昇っている。俺は慌てて立ち上がって、マエノ医師に頭を下げた。
「すみません! 今朝は約束を忘れていて……」
マエノ医師は腰に手を当てて、頬をぷくりと膨らませた。
「もうっ、そうですよ。いつまで経っても来ないから、わざわざ教会まで出向いたのに……そこにもいないですし」
マエノ医師は俺の肩に手を乗せると、軽く力をかけてきた。その力に逆らわず、俺は再び石階段に座った。隣にマエノ医師が腰を下ろす。
「明日の朝七刻。今度は忘れないでくださいね」
「……はい。ありがとうございます」
マエノ医師は太腿に両肘を乗せると、手のひらに顎を乗せた。
「それとリッパー神官についてなのですが、まだ目を覚ましていません」
「えっ」
昨日の晩の説明によると、明朝には目覚め始めるだろうとのことだった。だから、解剖の始まる前の六刻から尋問を始める予定だったんだけど……。
「それって、大丈夫なんですか?」
「脈や呼吸は正常に戻っていますし、今日中には問題なく目覚めると思いますよ。
おそらく、エルシアが通常の十倍も投与してしまったので、効果が想定よりも長引いているのだと思います」
十倍って……エルシアさん、あんな軽い調子で、そんなに恐ろしいことをしてたのか。
「ところで、教会を訪れた際に聞いたのですけれど、サラさんも行方不明になったそうですね。見つかりそうですか?」
「いえ、方々を探してみたのですが……まだ見つかっていません。目撃情報だけはたくさんありましたが」
サラは解剖室から逃走したあと、マエノルキアをうろうろしていたようだ。
神官服姿の少女。当然のことながら、その姿は目立つ。
マエノルキアのあらゆる場所で、多くの人がサラを目撃していた。
その人たちに話を聞いてみたところによると、サラは何か問題を起こすこともなく、ただ街中を歩きまわっていたらしい。
そして、サラの目撃情報は昨日の夕方を最後にプツリと途切れている。今日の目撃情報は、今のところ一つも見つかっていない。
半ば愚痴っぽく、そんなことを吐き出すと、マエノ医師はふんわりとした口調で言った。
「……もし良ければですけど、私がマエノルキアを案内しましょうか?」
隣を向くと、マエノ医師はウインクを返してきた。
「こう見えて、私の趣味は街歩きなんです。普通の人では知らないような場所も知ってるんですよ」
――
「へえ、こんな場所があったんですね」
「うふふ、私の一押しですよ」
マエノ医師は誇らしげに胸を張った。俺はマエノ医師の豊かな膨らみから視線を外して、周りに目を向けた。
マエノルキア郊外。石畳の一つを取り外すと、地下に伸びる穴があった。そこから繋がっていたのが、このレンガで囲まれた空間だ。
そんなに広くはない。せいぜいが六畳くらい。高さは三メートルほど。空間の壁には溝があって、梯子代わりになっている。
薄く砂が積もっている床にはランプが置かれている。オレンジの光が照らす空間には、俺とマエノ医師以外には何も無い。もちろん、サラもいない。
まあ、マエノ医師も「たぶん、いませんけれど」と前もって言ってたので、落胆はない。それよりも、この空間に対する好奇心が勝る。
「ここは何のために作られた場所なんですか?」
「そうですねぇ……」
マエノ医師は人差し指で唇を撫でると、薄っすらと笑った。
「突然ですけれど、アルさんは怖い話は苦手ですか?」
「……怖い話? いえ、特に苦手ではありませんが」
「そうですか! それなら、良かったです。えっと、この部屋の由来ですよね」
マエノ医師は床からランプを拾って、近くのレンガ壁に近付いた。
灯りが近寄ったことで、レンガの中に一つだけ大きな物が混じっていることに気付いた。マエノ医師は、そのレンガの表面を艶めかしい手つきで撫でる。
「ここに刻まれている文字が見えますか?」
文字?
目を凝らすと、確かに薄っすらと何かが刻まれている。
かなりの年月が経っているのだろう。石の表面が風化しているせいで分かりにくい。
けれど……何とか判読できた。
――『全ては私の力不足』――
そう刻まれていた。
「……日本語?」
思わず声に出して言うと、俺のことをジッと見つめるマエノ医師の視線に気が付いた。
「あ、いえ……なんでもありません。それより、この文字は何なのでしょうか?」
「この文字は、マエノ医師が刻んだと伝えられているものです。この部屋に死体を詰め入れる際、本人が手ずから記したとか。
彼独自の暗号らしく、具体的な内容については分かっていないんですけどね」
「……死体?」
「そうです、死体です」
にこりとマエノ医師は微笑んだ。左右に大きく両腕を広げる。
「この部屋いっぱいに、死体を何重にも重ねて詰め込んだんです。疫病で汚染された死体を街から隔離するために、死者の尊厳を無視して、この部屋に廃棄した、というわけですね」
疫病? 死体? マエノ医師が? マエノルキアではちょっと前にも疫病が流行っていたのか?
しかも今回の『眠り病』とは違って、大量の死者を出すような?
そんな話、エンリ村では聞かなかったけど……。
「あら? 予想していた反応ではありませんね。あまり怖くありませんでしたか?」
「いえ、怖いというか、どちらかと言うと……困惑しているというか。
その、『眠り病』の前にも他の疫病がマエノルキアで流行っていたなんて、知らなかったもので。
この部屋がいっぱいになるほどの死者が出たとなると、大変だったですよね……」
それほど大きくないけれど、この部屋いっぱいとなると、少なくとも百人以上は犠牲者が出たということだ。マエノ医師の知り合いにも、犠牲者がいたのかもしれない。
神妙な表情を浮かべていた俺を、しばらく見つめていたマエノ医師は……クスッと可愛らしく笑った。
「これは私の失態ですね。ひとまず、医院に戻りましょうか」
――
俺とマエノ医師は、医院の前に立っていた。
数段の石階段を昇ると踊り場のようになっていて、その奥には建物内に通じる扉が三つある。踊り場の左右には、巨大な彫像が二つ置いてあった。
「これがマエノ医師、こちらがエルシアです」
マエノ医師が順に、男像、女像を指差しながら言った。
「数百年前。この国がまだ医療の国と呼ばれていなかったころ、全域で非常に致死率の高い疫病が流行しました。
世界中に広がる前に疫病の流行を食い止めたのが、当時町医者をしていたマエノ医師です。そして、その助手の名前がエルシア。
この出来事を切っ掛けとして医療の国が誕生し、二人の名前にちなんでマエノルキアと呼ばれるようになったんですよ」
マエノ医師がマエノルキアの歴史を説明してくれる。それを聞いて、俺はようやく合点がいった。
つまり、さっき訪れた空間は数百年前の遺構ということか。そしてあの空間に、疫病に感染した遺体を大量に放り込んだと。
俺は踊り場に立つ、線が細い男の彫像を見上げた。
「ところで、このマエノ医師と、隣に立っているマエノ医師には、何か関係があるのでしょうか?」
「ええ、もちろんそうですよ。マエノ医師が疫病の原因を突き止めるのに、解剖が決め手になったという逸話に因んでいるのです。
代々の解剖医はマエノを、その弟子がエルシアを、それぞれ受け継ぐことになっています。当代は私とエルシア、というわけですね」
へえ……歌舞伎と同じような仕組みなのか。
納得のいった俺が感心しながら二つの彫像を眺めていると――ガチリと、奥にある扉が開いた。
扉を開けたアトラス医師は、すぐに俺とマエノ医師の存在に気づいたようだった。一直線に向かってくる。
「マエノ先生!」
「あら、アトラス先生」
「疫学課が、マエノ先生が定例報告に現れてくれないと、ボヤいていましたよ。たまには顔を出してあげてください」
「そういえば、しばらく行っていませんねぇ」
「それと、リュードルフからの親書が床に転がっていましたよ! もう半月も前ではないですか。早く返書を書いてください!」
「うーん……アトラス先生、代わりに書いてもらえますか?」
「私は忙しいんです!」
アトラス医師は大きなため息を漏らすと、荒い手つきで髪の毛を掻き上げた。充血した鋭い瞳が俺に向けられる。
「アル神官、聞きましたよ。リッパー神官が見つかったそうですね」
「はい。昨日の晩に」
「錯乱していたため、仕方なく拘束したと申請がありましたが、無茶はしないでくださいね」
アトラス医師の視線には、強い力が籠もっている。その視線に貫かれながら、俺は内心母上に感謝していた。
こういう時、母上から学んだ技術は役に立つ。俺は肯定を返すことなく笑顔を浮かべた。それから、素早く話題を転換する。
「それと、アトラス医師も知っていると思うのですが、サラがいなくなったんです。もしも見かけたら、教えていただけると嬉しいです」
「ええ、もちろんです。セボン神官を見つけてくれた恩がありますからね。医院は全面的に協力しますよ。国民にも、サラ神官を目撃したら報告をするよう、指示を出しておきました」
「えっ、本当ですか! ありがとうございます!」
「これくらい何でもないですよ」
アトラス医師は男らしくニカリと口を歪めた。それから、キッとマエノ医師を睨む。
「では、マエノ先生。お願いしますよ!」
怒鳴るように言ったアトラス医師は、荒い足取りで医院の中へと戻っていった。
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