05話 『失踪』
ガリガリの解剖体。『眠り病』の三人目の死者。
本来なら『眠り病』は死に至る病ではない。治療法は見つかっていないが、きちんと処置をすれば生かすことはできる。
もちろん、他の国では難しかっただろうが……この国、医療の国と呼ばれるマエノルキアには、その技術があった。
血管経由での栄養投与。
筋肉が硬直しないためのマッサージ。
排泄物の除菌処理などの、新たな感染症が流行しないための対策。
その他にも様々の治療を、マエノルキアでは施すことができた。
残念ながら、ホームレスだった彼は適切な治療を受けることもできず、その人生を終わらせてしまった。
ガリガリの身体からしてかなり衰弱していたようだが、幸いにして餓死ではなかったそうだ。
マエノ医師によると、死ぬ時は苦しみを感じることもなく、それこそ眠るように旅立ったと思われるらしい。
そういう話を聞くと、寝台で眠っているご遺体に温かみを感じるような気がする。最初に見た時は不気味だったけど、今ではそういう気持ちはない。
そんなご遺体が寝そべる寝台の隣には、もう一つ同じ寝台がある。ついさっきまで空っぽだったそこには、新たな身体が固定されていた。
「離せ、クソがぁ!! 俺が誰だか分かってんのか!! 俺は神官だ――」
「はいっ、お注射ですよー」
エルシアさんが腕へと注射を突き立てると、リッパー神官は白目をむいた。
ヒューヒューと喘鳴を上げ、ピクピクと痙攣をしている。
……大丈夫か? リッパー神官、死にそうだぞ。
「聞きたい情報がありますから、まだ生かしておいてくださいよ?」
俺の背後から、同じ感想を抱いたらしいイプシロンが口を出した。
「大丈夫です! ただの鎮静剤ですから!」
エルシアさんは笑顔で言っているが……涎を垂らしながら意識を失ったリッパー神官の姿を見ていると、本当に死んでしまったんじゃないかと心配になってくる。
その時、解剖室の扉が開いてマエノ医師が入ってきた。
「はぁー、身体拘束の許可証を作ってきましたよ。これで、アトラス先生に文句を言われることはないはずです」
「あ、マエノ先生。ありがとうございました」
イプシロンがマエノ医師に頭を下げた。マエノ医師はにこりと微笑むと、
「いえ、これも私の仕事ということになっていますから……それにしてもアルさんってお強いんですね。びっくりしちゃいました」
「いえ、大したことありませんよ。むしろ、まだまだ修行が足りません」
俺とリッパー神官の戦闘は一瞬で終了した。
リッパー神官はナイフ使いこそ上手かったが、魔素の扱いは俺の目から見ても未熟な物だった。
魔素の宿っていないただのナイフなんて、怖くも何ともない。切りかかってきたのを冷静に受け止めて、首筋に電気を流して終了だ。
とはいえ、最初にイプシロンが助けてくれなかったら、あの時点で全てが終わっていた。戦闘内容としては、赤点だろう。
俺は完全に沈黙したリッパー神官をチラリと見てから、マエノ医師に向き直った。
「それでは僕はセボン神官を呼んできます。半刻くらいで戻りますので」
「はい、分かりました」
「戻りしだいできるだけ早く尋問を始めたいのですが……リッパー神官はどれくらいで目覚めるのでしょうか?」
エルシアさんに目を向けると、注射器の片付けをしていた彼女は、そのままの姿勢で動きを止めていた。
「エルシア、どうしたの?」
「師匠。その……えっと、アルさん。尋問って今からするんですか?」
「そのつもりですけど……」
俺の返事を聞いたエルシアさんは、ぎこちない笑みを浮かべた。
「たぶんその人、明日までは目を覚まさないかな……なんて」
えへへと笑うエルシアさんを尻目に、マエノ医師はスタスタとリッパー神官の傍まで歩いていった。
長いまつ毛に彩られたまぶたを閉じて、首筋に指先を添えている。
「脈が三十ほどしかありませんね。まだ若いですから、命の危険はありませんが……エルシア。何ミリ投与したの?」
「五十ミリ――」
「ばかッ!」
マエノ医師が怒鳴ると、エルシアさんはビクリッと肩を震わせた。
「そんなの致死量ギリギリでしょ!」
「だってぇ……アイツ嫌いだから」
エルシアさんの言葉にマエノ医師は小さくため息をついた。それから、俺に申し訳なさそうな目を向ける。
「すみません、そういうことみたいですから……尋問は明日ということで」
――
マエノ医師とエルシアさんを、中心部から少し外れた一軒家へと送り届け、翻って俺とイプシロンは教会へと帰ってきた。
とっくの昔に日は沈んでいるにも関わらず、相変わらず医師たちは教会の中を駆けずり回っている。
仮眠を取って復活したアトラス医師も、精力みなぎる顔で一人の患者の処置をしていた。
アトラス医師は忙しそうなので、比較的暇そうな……とは言っても皆さん忙しそうなので、一番近くにいた医師に、セボン神官の居場所を聞いてみる。
それによると、昼に訪れた談話室にいるとのことだったので、イプシロンと二人でそこへ向かった。
扉を開けると、部屋のソファーにセボン神官は座っていた。いびきをかきながら気持ち良さそうに眠っている。
俺とイプシロンは数秒間顔を見合わせてから、俺の方が前に進み出た。
肩を軽く揺するけれど、なかなか目を覚まさない。それでもしばらく続けていると……徐々にヌメヌメとした感触がするようになってきた。
「……」
――放電。
「ふがッ!?」
飛び起きたセボン神官は、左肩を押さえながら悶絶している。
「……アル聖官」
そんなに強い電気は流してないはずだけど、洗浄液のせいでたくさん流れてしまったらしい。
俺はイプシロンの視線を無視して、素知らぬ顔でセボン神官に声をかけた。
「おはようございます、セボン神官」
「ん……あ、ああ。アル聖官」
「実は先ほどリッパー神官が見つかったので、お知らせに来たんです」
「えっ、本当ですか!」
――ことの次第を説明すると、セボン神官は腕を組んだ。
「そうですか……尋問。あの、どうしても私も参加しないと駄目でしょうか?」
「できれば、同席してもらうとありがたいです。同僚の目から見て、何か気付くことがあれば教えていただけたらと」
イプシロンの言葉に、セボン神官は渋い顔をした。
「なにか不都合でも?」
「リッパー神官とはあまり仲良くありませんでしたけれど……やっぱり、同僚ですから。苦しんでいるところは見たくないんです。アハハ……甘いですよね」
セボン神官は床に視線を落としてから、顔を上げた。
「分かりました。朝の六刻に解剖室――」
室内の壁には時計がかかっている。針が指しているのは夜の十一刻だ。時計にチラリと目を向けたセボン神官は、人のよさそうな笑顔を浮かべた。
「寝坊しないように頑張らないとですね!
あっ、そうそう。マエノルキアにいる間、聖官様たちはここで寝泊まりしてもらえたらと。
本当は一人一部屋ご用意したかったのですけれど、アトラスが許してくれなかったので。何か要りようの物があれば、私に言ってくださいね!」
たしかに、もう夜も遅い。そろそろ眠たくなってきた。
「ところで話は変わりますけれど、セボン神官。サラ聖官がどこにいるかご存知ですか?」
ソファーから立ち上がろうとしていたセボン神官に、イプシロンが話しかけた。
「サラ聖官ですか? ……解剖室を出てからは、一度も見かけてないですけれど」
セボン神官はキョトンとした顔で答えた。
俺はイプシロンと顔を見合わせて……お互いに、嫌な予感を抱いていることを見て取った。同時にソファーから立ち上がる。
――それから、俺とイプシロン、セボン神官は、日付が変わるまで教会と医院の中を隅々まで探した。
けれど、サラの姿はどこにも見当たらなかった。
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