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04話 『遺体解剖 前編』



「師匠、神官さんたちが見学したいとのことです!」


 看護師が話しかけるが、死体を弄っている女医は微塵も反応を返さなかった。


 両眼とも手元に釘付けにしたまま、一心不乱に作業に没頭している。


「……すみません。師匠いつもああなんですよ」


 どこかうっとりとした表情で女医を見つめていた看護師は、テキパキとした動作で部屋の端の方から丸椅子を引き寄せてきた。


 中々に年季の入った木椅子らしく、幾千の尻で磨かれた座椅子は艶やかに光っている。


「どうぞ、座ってお待ちください」



 ――



 地下室の中に時計はないので、どれくらいの時間だったのかは分からない。たぶん、四半刻から半刻ぐらいだと思う。


 そろそろ地下室のドンヨリした空気に気持ち悪くなってきた頃……カチリと、女医は両手に持っていたハサミのような器具を、金属製の寝台の上に置いた。


「あら、今日は人が多いのね。初めましての方が三人に……セボン神官は失踪したと聞いていたのだけれど」


 死体を弄っていた時の張りつめた雰囲気と一転して、その口調は柔らかなものだった。


 両手に着けていた手袋を外し、頭を覆っていた手巾を解く。


 すると、ウェーブのかかった栗色の髪の毛がふわりと広がった。


「アハハ、見つかっちゃいました、この人たちに」


 言いながら、セボン神官は俺たちを指差した。俺とイプシロンは同時に立ち上がる。サラは隣の椅子でグースカと眠っている。


「はじめまして。中央教会から来たアルと申します。こちらはイプシロンです」


「あらあら、ご丁寧に。私は医師のマエノと申します。どうぞ、よろしくお願いします」


「――師匠はただの医師ではありませんよ!」


 看護師が突然俺の眼前に出てきた。


「師匠はこの国で唯一の解剖医なんです!」


「アハハ。そして、エルシアさんはその唯一の弟子なんだよね」


「そうです!」


 イェーイと、エルシアさんとセボン神官がハイタッチをしている。


 ……何だこのノリ。エルシアさんって清楚な見た目なのに、ひょっとしてアホなのか?


 俺とイプシロンが困惑していると、マエノ医師はほっぺたを薄く染めながらエルシアさんの頭をコツンと小突いた。


「恥ずかしいから止めなさい。……それで、ここにいらっしゃったということは、病気の治療に来たわけではありませんよね? どういったご用件ですか?」


「聖官様たちは『眠り病』の調査をしに来てくださったそうなんです。それで、この国で最も『眠り病』に詳しいのはマエノ先生だろう、と思って連れてきました」


 セボン神官の言葉を聞いたマエノ医師は、口元に手を添えた。


「なるほど……。そういうことでしたら、もちろん歓迎です。実際に見ていただいた方が早いでしょうから――エルシア。アルさんたちに手袋と髪留めを用意してあげて」



 ――



「ああ、これです、これ! ここを見てください!」


 マエノ医師がピンセットで示した場所には、黄色くて赤黒い、グチャグチャのよく分からないものがあった。


「アル聖官、すみません。もう……無理です」


 言うや否や、イプシロンは口元を抑えながら地下室から出て行った。


 ちなみにセボン神官はマエノ医師の講釈が始まった直後に退出していて、それから数分と経たないうちに退屈したサラも、既に部屋の中にはいない。


 現在ここに残っているのは、マエノ医師、エルシアさん、俺の三人だけだ。


「ここ、黒くなっていますよね。血栓が詰まり壊死しているのでしょう。これが直接の死因かと思います!」


 マエノ医師は、はぁはぁと息が荒い。トロンとした目つきでぐちゃぐちゃの何かを見つめている。


「へえ、そうなんですか」


 全然分かっていないが、適当に相槌を打っておく。


 ……もう、何刻経っただろうか?


 幸いにして、俺にはグロ耐性があったようで精神的には問題ない。ただ、何をしているのかも分からないまま突っ立っているのは、サラでなくとも飽きてくる。


 それからまた数刻が経ち、夢現の狭間を漂っていた俺は、マエノ医師の興奮した声で覚醒した。


「それでは、次はいよいよ……頭を開いてみましょうか!」


 エルシアさんが壁から物騒な刃物を持ってきている。長さ五十センチほどのノコギリ。その両側には金属製の持ち手が付いている。


「おそらくは『眠り病』の原因は脳にありますからね! 残念ながらこれまでの二体の御遺体からは何も見つけられませんでしたが、今回こそは……楽しみです!」


 薄々勘付いていたけど……マエノ医師は変態だ。あまり関わっちゃいけない人だ。


 俺が静かにドン引きしていると、ノコギリを寝台の載せたエルシアさんがマエノ医師にチョップをした。


「いたっ」


「師匠、それは流石に不謹慎ですよ」


 カランと、ピンセットが寝台の上に転がった。


「……そうですね。すみません。ちょっと、高ぶっていました」


「それに、外はもうすっかり夜ですよ。続きは明日にしませんか?」


 コクリとマエノ医師は小さく頷いた。手袋と手巾を取ると、数刻も立ちっぱなしだった疲れを感じさせないしっかりとした足取りで、奥の部屋へと消えていった。


 その背中を、エルシアさんが恍惚とした眼差しで見つめている。


「……むふっ。師匠……かわいい」


 エルシアさんの顔は、屍を弄っているマエノ医師の顔とよく似ていた。



 ○○○



 マエノ医師、エルシアさんと一緒に医院の外に出ると、イプシロンが青い顔で入り口の石階段に座っていた。


「あれ、サラとセボン神官は?」


「……お二人なら、私が上がってきた時には既にいませんでしたよ」


 イプシロンはふらふらした足取りで立ち上がると、神官服の襟元を整えた。


「あっ、そういえば……教会へ先に帰ってるって、セボンさん言ってました」


 マエノ医師の隣に立っていたエルシアさんが、今思い出したかのような口調で言った。


 セボン神官は教会。サラは……。


「あら、もう真っ暗」


 マエノ医師が空を見上げながら言った。


 そう、すっかりと時間は夜。サラの就寝時間はとっくに過ぎている。昼間ならいざ知らず、この時間では元気に活動はできないだろう。


 小さな頃から森の中を駆け回っていたサラは方向音痴ではない。自力で教会に辿り着けるはずだ。


「こんな遅くまで付き合わせてしまって、ごめんなさいね」


 マエノ医師が頭を下げると、柔らかそうな栗色の髪の毛がふわりと揺れる。同時に、大きな胸元がゆっさりと揺れた。


 ……何というか、マエノ医師って色っぽいよな。


 露出は少なくて顔と手先くらいしか肌は見えないのに、服では隠せない曲線だとか、柔らかい口調、仕草の一つ一つに、妙な艶っぽさがある。


 その時、俺の視線をエルシアさんの頭が遮った。


「アルさんたちは教会に行くんですか?」


 俺はイプシロンと視線を交わしてから頷いた。


「はい。もう暗いです、そうしようかと思っています。その、明日以降は――」


「もちろん来てくださいね! 朝の七刻から骨開けをしますから!」


 エルシアさんの陰から、目をキラキラさせたマエノ医師が顔を覗かせた。


 ……見てても分からないから、明日は勘弁してもらいたかったんだけど、そんなことは許してくれないらしい。


 俺はため息をつきそうになるのを堪えて、笑顔を浮かべた。


「分かりました。四半刻ほど前に伺います」


「はい、待っています。それでは、今日はここでお別れですね。私とエルシアの家はあちらなので」


 マエノ医師は白魚のような指先で、大通りの教会とは反対側を指差した。


 昼頃は快晴だったのに、今夜は天気が悪い。月は雲に覆われていて、瞬く星だけが覗いている。

 

 街道を照らすのは、ここ医院と少し離れたところの教会、それと幾つかの大きな建物から漏れる光。


 それ以外には、ぼやっとした頼りない街灯がポツポツとあるだけだった。歩けないこともないが、薄暗い。


 俺はマエノ医師とエルシアさんの顔を交互に見た。


 どちらも生粋の変態だと知っているから、俺にとっては全く魅力的ではないけれど……美人さんだ。しかもサラと違って戦闘能力はない。


「暗いですし、よければ家まで送りますよ」



 ――



「先ほど実際に見ていただいた通り、『眠り病』患者の腹胸部に特徴的な変化はありません。

 心臓内の血栓は、『眠り病』の原因ではなく、長期臥床の結果として生じた物と考えられます。

 やはり、眠りに最も関係するのは脳ですし、『眠り病』の原因は脳にあると見ているのですが……」


 マエノ医師は少しの間を開けて、小さくため息をついた。それが妙に色っぽく聞こえて、不覚にもちょっとだけドキドキしてしまう。


「今回のご遺体の前に、既に二人を解剖しています。その際に当然、じっくりと、隅から隅まで脳を見せていただいたのですが……残念ながら、何も異常は見つけられませんでした。解剖医としては、なかなか矜持を傷つけられるところです」


「大丈夫です! 師匠なら必ず原因を見つけることができます!」


 エルシアさんは、胸前で両拳を握りしめている。マエノ医師はエルシアさんに笑顔を向けながら、


「もちろんです。明日の解剖が……待ち遠しいですねぇ」


 マエノ医師の瞳は爛々と輝いていた。その目がグルンと俺に向く。


 ――殺気。


「だから、明日もぜひ来てくださいね! イプシロンさんも!」


 風切り音が聞こえる。


 俺はとっさに右腕を盾にした。


 魔素をまとう余裕はなかった。無防備なただの右腕。


 対して、俺の首を目掛けて迫る刃には魔素が宿っていた。


 このままだと、紙のように腕は断ち切られるだろう。そして――


「油断が過ぎますよ、アル聖官」


 イプシロンが冷静に言う声が聞こえた。


 十メルほど離れた場所にイプシロンとマエノ医師、エルシアさんの姿が見える。


 ついさっきまで俺がいた場所を通過した刃は、弧を描いて闇の中に消えた。


 そこに誰かの気配を感じる。目を凝らしても何も見えない……いや、違うか。フレイさんが言っていた。こういう時は――


 動揺しているせいか、うまく魔素を操作できない。けれど、どうにかこうにか目元に魔素を集めようとした時、突然周囲が明るくなった。


 雲の切れ間から、月がのぞく。


 月光が差し込み、凶賊の土気色の顔を照らし出した。


 両手には半月型のナイフを握っている。


 さっきは、あれを投げてきたんだろう。


 男はクルクルとナイフを回転させると、両腰の鞘にカチリと差し込んだ。


「いやぁ、失敗した失敗した。絶対殺れたと思ったのにさ」


 楽しそうに笑う男は、青色のローブを身にまとっていた。舐めるような視線で、イプシロンのことを物色している。


「で、さっきのはお嬢ちゃんの『能力』でいいのかな? 全く、余計なことをするよね。せっかく、痛みなく殺ってあげようと思ってたのにさ。あとでお仕置きだよ」


「それはこっちの台詞です。あなたは失踪していた神官の一人ですね。教会の人間に手を出すということが何を意味するのか、その身でもって理解していただきます」


 真剣な表情を浮かべるイプシロンの隣で、マエノ医師とエルシアさんは吞気に話している。


「あら、どこかで見たことのあるような……誰だったかしら?」


「師匠、あの人ですよ! 昔、師匠に告白して玉砕した、一番若い神官さん」


 少しの間考え込んでいたマエノ医師は、はっとした顔で両手を打った。


「そうそう! 確か、リッパーさんです」


 それは一月前、最初に姿をくらました神官の名前だった。



 ○○○

2022/11/20

リッパー神官の『能力』がアルに作用するのはおかしいので、修正しています。

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