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03話 『セボン石鹸』



 ホームレス生活三日目のセボン神官は、見た目の割に臭くはなかった。


 砂浜の上であぐらをかくセボン神官の周りを、俺と、海から上がってきたサラとイプシロンが囲んでいた。


「アハハ、これが僕の『能力』なんですよ」


 言いながら、セボン神官は右腕をまくった。色白で筋肉のない腕に左手のひらを擦り付けると、次第に泡立ってきた。

 

 ……申し訳ないけど、気持ち悪い。イプシロンも俺と同じ感想らしく、肩にかけた神官服を両手で握りしめている。


 ちなみにサラは、セボン神官の腕に指を滑らせていて楽しそうだ。


「僕の『能力』は、洗浄能力のある体液を出すことでしてね。夏場なんかは身体を洗わなくても快適なので、すごい重宝するんです」


 無精髭の生えた口を大きく開けながら、アハハと笑っている。


 漂ってくるのは爽やかな香りなのに、なぜかそれと同時に不潔感も漂っている。


 そんなセボン神官の様子に若干身を引きながらも、口を開いたのはイプシロンだった。 


「それで、なぜ逃走などしたのですか? どういう処分が下るかは知っていたはずです。現在、あなた方五名に対して、捕縛命令が出されているのですよ」


「アハハ……じつは、込み入った事情がありまして」


 セボン神官はぽつぽつと、力なく語り始めた。


 マエノルキア教会には、五人の神官が配属されていた。

 

 最初の神官が失踪したのが一月前。『眠り病』が報告されてから八日目のことである。


 消息を断ったのは一番の若手神官で、性格に若干の難がある奴だった。それまでに何度か問題も起こしていたため、姿を消したこと自体に違和感はなかった。


 どうせ、何かをやらかして、それが発覚する前に姿を消したのだろう――四人の神官はそう判断した。


 神官の任務を投げ出して姿を消すことは重罪だ。四人の中で最も戦闘能力の高い神官が、捕縛のためにすぐに動きはじめた。


 ――そして、三日後。その神官が失踪した。


 実力からすると、若手神官に破れるはずもない。普段の勤務態度も真面目で、他の三人からの信頼も篤かった。


 では、どういうことなのか。


 いずれにせよ、神官五人中二人が失踪などという失態、中央教会に知られたらどんな処分が下されるか分からない。最も古参の神官が、事態の隠蔽をすることを決定した。


 その古参の神官が何の前触れもなく失踪したのが、さらに五日後のことだったという。


「ここまで来ると、なんだか怖くなってきましてね……」


 内心、得体の知れない恐怖に震えながら過ごしていたという。残されたのはセボン神官と同年代の若手神官。互いに励まし合いながら何とかやっていた。


 このころになると既に『眠り病』は猛威を振るっていた。


 患者は日に日に増えていき、医院の床は全て埋まった。


 医院の要請に応じて、セボン神官は教会にも患者を受け入れる判断をした。


「もし『眠り病』が命を奪う病だったら、魔物の発生がすごいことになっていましたよ」


 セボン神官は疲れたように笑った。


「幸いそうではなかったので魔物は増えませんでしたが……その代わり、医師たちに頼まれる膨大な雑用をこなす毎日でした。アトラスがまた容赦がなくて――」


 そのままセボン神官は続けようとしたけれど、疑問に耐えられなくなった俺は溜まらずに口を挟んでいた。


「『眠り病』で死者が出ると、魔物が発生するんですか?」


 潮騒の音が聞こえた。セボン神官が呆けた顔で俺を見つめている。


 ……あれ? 俺ってそんなに変なこと言ったか?


「ああ、アル聖官は生え抜きではないのですよ。今朝、聖官に抜擢されたばかりで」


「えっ!? そ、そうなんですか! ……そんなこともあるんですねぇ」


 じろじろとセボン神官が見てくる。俺が居心地悪く座り直すと、セボン神官の方を向いていたイプシロンが俺の方に身体を向けた。


「私から説明しましょう――魔物の発生には大きく二つの規則性があるのです。

 一つは、大量に人が亡くなった場所では大量の魔物が発生するということ。先ほどのセボン神官の言葉は、これを前提知識にしています」


「……初耳です」


「魔物に関する情報は秘匿されていますから。通常は神官に任じられた際に、必要な情報を与えられます。

 アル聖官の場合は神官を経ていないので、その機会がありませんでしたが……多くの情報を今後知っていく必要がありますね」


 そう語るイプシロンは、歯に何かが挟まったような様子に見えた。何か隠し事をしているのか? 内心そう思いつつ、俺は笑顔を浮かべた。


「そうなんですね。ところで、二つの規則性とのことですが……」


「はい。もう一つは、強力な魔物の周りでは魔物の発生が抑制されるということです。

 この際ですから、加えて説明しておきますけれど……そういえば、アル聖官は元々王国の地方騎士の息子でしたよね。証石と呼ばれている青い宝石に覚えはありませんか?」


 覚えも何も、証石と言えば、地方騎士の証明となるものだ。


 つまりは、地方騎士にとって最も大切なもの。俺が知らないはずがない。


 俺が「知っています」と答えると、イプシロンは一度頷いてから続けた。


「地方騎士は定期討伐を行った日に、証石を使って聖女へのお祈りをすることになっていますよね。

 実は中央教会は、証石を通じて魔物の発生情報を集めているのです」


「発生情報?」


「主に、どこで何匹の魔物が出現したのかです。王国、帝国中からの情報が中央教会に集められています。

 そして、その情報は先ほどの二つの規則性をもとに解析されます。解析の結果、強力な魔物が発生したと判断された場合には、神官や、アル聖官のような聖官へと指令を出すことになります」


「それも初耳ですが……神官以外には秘匿されているのですか?」


「もちろんです」


 何のためにしているのかも知らず、五年間、千回近く行ってきたお祈りの意味を、俺は今始めて知った。


 地方騎士だって、魔物に相対する点では神官と同じだ。なのに、地方騎士には情報が秘匿されている……。


 胸の奥に生まれたもやもやを、細く息に吐き出す。俺はセボン神官に小さく頭を下げて、先を語ってもらうように促した。


 互いに励まし合って頑張っていたセボン神官たちだが、三日前。とうとう、また一人の神官が失踪したらしい。


 そんな素振りは全く無かったという。本当に突然、姿を消してしまった。


 ただ一人残されたセボン神官。四回も続けば分かってしまう。次は自分が失踪することになるのだと。


 だから、その前に自分の意思で姿をくらますことにしたという。


「……つまり、怖くなって逃げだしたということですか?」


 イプシロンが簡潔にまとめた。


「えっ、えっと……はい、そうです」


 セボン神官は納得していないようだが、確かにイプシロンの言っていることに間違いはない。だから、反論できずにいる。


「たとえ恐ろしくとも、逃げ出すことは許されません。処分は後日おって伝えますから、とりあえずそれまでは神官としての責務を果たしていてください」


 イプシロンのダメ押しに、セボン神官はがっくりと肩を落とした。



 ○○○



「……どの(つら)さげて帰ってきた」


「アハハ……久しぶり」


 セボン神官を連れて教会に帰ってくると、アトラス医師が歓迎してくれた。


 二人は知り合いだったらしい。アトラス医師よりも一回り年下のセボン神官がタメ口なのを見るに、それなりに仲が良いのかもしれない。


 アトラス医師は拳を握り、セボン神官の顔面へと右ストレートを叩き込んだ。


 極度の疲労にあるアトラス医師のパンチは、ヘロヘロだ。セボン神官も神官なので魔素の操作くらいはできるだろう。これくらいの衝撃は屁でもないはずだ。


 アトラス医師の太腕が衝突すると、鈍い音とともにセボン神官の頭が地味に回転した。普通に痛そうなやつ。


「……これで許してやる」


「悪いね……アトラス」


 セボン神官が続ける。


「それで、なんだけど。こちらの方たちにマエノ医師を紹介してもいいかな?」



 ――



 連続六十時間勤務を終えたアトラス医師は、仮眠を取りにいってしまった。とはいえ、マエノ医師とやらに紹介してもらう許可は貰うことができた。


 教会のすぐ近くには、教会よりもさらに巨大な建造物があった。入り口にはバカでかい彫像が置かれていて、扉の脇の石板には『マエノルキア医院』と刻まれている。


 内部の状況は教会と似たようなものだった。大量の患者たちが床に敷き詰められたシーツの上で眠りこけている。


 その合間を縫うようにして奥へと進んでいくと、地下へ伸びる階段があった。


 途中で合流した看護師らしき服装の女性を先頭に降りていく。


 突き当りには金属製の扉。看護師が慣れた様子で開けてくれた。


 不気味な音を立てながら開いた扉の奥には、金属製の寝台が一つ置かれていた。


 寝台の上には、顔に白布をかけた裸の男性。ガリガリに痩せていて、アバラや骨盤が浮き出ている。


 薄暗い地下室の中、その男性だけが煌々と照らされていて、得体の知れない液体に塗れてテカっていた。


 室内には、グチュグチュと湿っぽい音が響いている。


 発生源は男性の腹部。縦に切り裂かれた腹部には、二本の金属製の器具が挿入されていた。それが蠢くたびに音が発生している。


 仰向けに寝そべる男性の傍に立ちながら、両手で金属具を操っているのは……若い女性だった。



 ○○○

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