表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
43/243

01話 『医療の国』



 視界が切り替わって最初に飛び込んできたのは、怒号と、鼻をつく匂いだった。


「――もっと、詰めろ! 新しい患者が二……いや、三人だ!」


「もう無理ですよ、医院に空きはないんですか!」


「そんなの、あるわけないだろう!」


 頭上には、支えられてもいないのに宙に浮いている青色の石。そこから放射された光は、大理石の床に円を作っている。


 その境界ギリギリにまで、真っ白なシーツがギッシリと敷き詰められていた。


 シーツの上には、老人や若い女性、小学生くらいの子供やガタイのいい男性などが、身じろぎもせずに転がっている。


 それぞれの腕にはチューブ状の透明な管が繋がっていて、チューブをたどると金属製のフックに吊り下げられた壺があった。


 シーツに転がっている人が一様に目を閉じているのと対照的に、その合間を歩き回る人々は、セカセカと忙しそうに何やら作業をしている。


 白色のローブに似た服……というか、まんま白衣を着ていて、首からは聴診器らしきものを提げている。


 そのうちの一人が、俺たちの存在に気付いたようだった。作業の手を止めて、のっそりと立ち上がる。


 目の下には深い隈が刻み込まれているのに、瞳は爛々と輝いている。ライオンのたてがみのような髪の毛はボサボサで、白衣はしわくちゃ。裾の方は黒ずんでいる。


 その異様な雰囲気に圧倒されて、俺は思わず半歩後ずさってしまっていた。


 床に転がっている人々を慣れた足取りで跨ぎながら、白衣の男はこちらへ向かって一直線に歩いてきた。


 俺たちの目の前で立ち止まると、小脇に抱えていた壺を俺に向けて差し出す。


「えっと、神官様たちでいいんですかね? とりあえず、手指消毒をお願いします」



 ――



 場所変わって、マエノルキア教会談話室。


 こじんまりとした部屋には、机が一つと、それを取り囲むようにいくつかのソファー。


 一脚には白衣姿の中年男性がどっしりと腰かけている。その反対側正面のソファーに俺が座り、左側にイプシロン、右側にサラという布陣だ。


 こういう時、先輩のイプシロンが代表だと思うのだが、「私はあくまで臨時聖官ですので、代表としては相応しくありません」とか何とか言って、イプシロンは辞退。


 サラには無理なので、消去法で俺が真ん中に座ることになってしまった。


 最初に口を開いたのは、対面に座る中年男性だった。


「すみません。失礼なのは承知していますが、なにぶん忙しいもので。手短にお願いします」


「お忙しいところ、突然押しかけてしまってすみません。

 こちらで魔物が発生している可能性があるとのことで、中央教会から派遣されまして。私は聖官のアル、こちらがイプシロン、サラです」


「ああ、名乗るのを忘れていました。私は医師のアトラスといいます」


 アトラス医師が軽く頭をさげてくる。


 無精髭を生やしてる割に口調が丁寧だから、偉い人なんだろうなとは思ってたけど……これが噂のマエノルキア医師ってやつか。


 ちなみに、俺が今世で医師に会うのは初めてだったりする。というか、ほとんどの人は、一生涯医師の世話になんてならない。


 じゃあ、傷病を負った時どうするのかと言うと、大抵は薬草だけで何とかする。それでどうにもならなかったら、街から祈祷師を呼んできてお祓いをしてもらう。


 そんな原始的な感じでも、この世界の人々はみんな頑丈だから、案外治ることが多い。


 とはいえ、残念ながら治らないこともある。そうなったら、どうにもならない。大人しく自分の天命を受け入れるしかない、というのがこの世界の一般的な価値観だ。


 けれど、それを受け入れない人々もいる。まあ、有力貴族とか金持ちだとか、そういう人たちなわけだが……彼らが最後に縋るのが、マエノルキア医師という存在だ。


 古来から有力者に保護されてきた彼らは、数百年もの研鑽を重ねてきた。


 そんなマエノルキア医師の名声は世界中に轟いている。大陸の東端、華からはるばるやってくる病人もいるらしい。


 つまり、俺の目の前に座っているアトラス医師は、その見た目によらず凄い人ってことだ。


 とはいえ、餅は餅屋。俺がここに来た目的は、傷病の治療ではなく魔物の退治だ。


「この教会の神官様たちは、どこにいらっしゃるのでしょうか?」


「……さあ、どこにいるのでしょうか?」


 冷たい声音でアトラス医師は言った。瞳には、侮蔑の色が浮かんでいる。


 ……どういうことだ?


 そもそも、ここはマエノルキア教会のはずだ。どうして、医師が我が物顔でいるんだろう?


 何から聞こうかと口噤んでいると、アトラス医師は大きなため息をついた。


「一月前までは、五人いたのですがね。つい三日前に、最後の神官様も失踪しましたよ」


「……失踪?」


 想定外の言葉に戸惑っていると、アトラス医師はけだるそうに髪を掻きあげた。何本かの髪の毛が、パラパラと白衣の上に落ちる。


「おそらく、病が怖くて逃げたのでしょう。会話をしている相手が突然意識を失うのですからね。怖い気持ちは分かります。

 あなた方も、別に帰ってもらって構いませんよ。どうせ褥瘡(じょくそう)の処置さえできないでしょうから、いても役に立ちませんし。

 ……まあ、我々医師は、例え仲間の半分以上が病に侵されようとも、一人も逃げ出すことはありませんが」


 アトラス医師は吐き捨てるように言うと、俺たちを置いて部屋から出ていった。



 ――



 ちょんちょんと、青ローブの右袖を引っ張られた。隣のソファーに目を向けると、サラはこてんと首を傾げた。


「帰るの?」


 ……確かに、思ったよりも歓迎はされてないみたいだ。こういう場合はどうしたらいいんだろう?


 反対側に目を向けると、イプシロンは綺麗な姿勢のまま両目を閉じていた。けぶるようなまつ毛が、二筋の線を引いてる。


 目を開いている時はツリ目のせいで、怖そうという印象を先に受けるけど、こうやって目を閉じているとその印象もいくらか和らぐ。


 どっちかというと顔立ちは幼い。中高生くらいに見えるから、俺と年は近いのかもしれない。


 イプシロンの両目が開いた。目を閉じてるのをいいことに、ジロジロとイプシロンのことを見ていた俺は、慌てて目を逸らした。


 同時、脳内に得体の知れない感触が生まれる。ちょっと熱い感覚とともに、直接情報が焼き付けられていく。


 『失踪した神官を捜索せよ』


 すでに俺の頭に生まれていた焦燥感に加えて、どうしてもこの国で失踪したという五人の神官の行方も捜したくなる。


 ……明らかに異常な感覚だ。自然と生まれた感覚じゃない。具体的に何をされたのかは分からないけど、何が原因なのかは分かる。


「あの、イプシロンさん?」


「イプシロンとお呼びください、と先ほども申し上げたはずですが」


「……じゃあ、イプシロン」


「何でしょうか?」


「実は、私はついさっき聖官になったばかりで何が何やら分かっていないのですが……この頭に突然浮かぶ感覚は、私が聖官になったことと関係があるんでしょうか?」


 サラにも同意を得ようと、俺は後ろを振り返った。


 ……そこには誰も座っていないソファーがあった。


「サラ聖官なら、先ほど部屋を出て行かれましたよ」


 イプシロンが貴重な情報を提供してくれる。俺は慌ててソファーから立ち上がった。



 ――



「……これが『眠り病』、ですか」


「そのようですね」


 俺とイプシロンは、スヤスヤと眠る少年を見下ろしていた。


 『眠り病』の患者は、どんな刺激を与えても起きることはないらしい。


 身体を揺すっても、大声で名前を呼んでも、髪の毛を抜いても、起きることはない。


 だから、声を抑える必要なんてないのに、つい小声になってしまう。それくらい、本当にただ眠っているだけのように見えるのだ。


 そんな、覚めない眠りに侵された大量の患者たちが、教会の中を埋め尽くしていた。


 一階と二階の床は、ほとんど全てが白いシーツで覆われていて、その上には薄青色の服を着た患者たちが見渡す限り転がっている。


 ある医師に聞いたところ、『眠り病』の患者はここにいる分で全てではない。


 もっと大きな医院という建物がいっぱいになったので、溢れた分をここに詰め込んでいると言っていた。


 ……思ったよりも、この国に起こっている事態は深刻なのかもしれない。


 とはいえ、アトラス医師の言う通り、ここに残っていても俺やイプシロンにできることは何もない。サラの姿も見当たらないし、ひとまず外に出てみることにした。


 扉を開けた途端、眩い光とカラフルな色彩が飛び込んできた。赤に青、黄色、ピンク――色とりどりの屋根が、快晴の空に浮かぶ太陽に照らし出されている。


 その下、石畳でキレイに舗装された街道には、大量の人々がひしめいていた。


 街道に沿ってはたくさんの屋台が並んでいて、香ばしい匂いが漂ってくる。屋台の前には椅子と机、それからパラソル。


 席の多くは埋まっていて、串に刺さった焼き魚を食べたり、紅茶を飲みながら談笑しているようだ。


 その脇を、三人組の若い女性が、笑顔を浮かべながら歩いている。三者三様の髪飾りを付けていて、どことなくオシャレな感じだ。


 そんな活気に溢れた様子を、俺は困惑しながら眺めていた。


 マエノルキアは現在、疫病に犯されている。教会もそろそろいっぱいになるらしく、これ以上患者が増えたらどうにもならないと、医師たちは絶望的な顔で語っていた。


 ……こういう時って普通、家の中に引きこもるものなんじゃ?


 その時、茶髪の少女が目の前を通りかかった。肩に竿を担いでいて、その両端から紐で木桶が吊り下がっている。


「すみません、ちょっといいでしょうか?」


「はいっ――」


 俺の顔を見た瞬間、少女は固まった。みるみるうちに、顔が真っ赤に染まっていく。


「な、な、にゃんでしょうか!?」


「……この国では病が流行っていると聞いたのですが、どうして皆さんは普通に出歩いているのでしょうか?」


 パチパチと少女はまばたきをして、不思議そうな表情を浮かべた。


「どうしてって、医院が『眠り病』は人にうつらないと発表しましたから」


「……うつるのが怖くはないんですか?」


 少女は少しの間考え込んで、首を傾げた。


「えっと、うつるもなにも、うつらないって医院は発表していますし」


 少女は真っすぐ俺の瞳を見つめていた。茶色い瞳は濁りの一つもなく澄んでいて……それが少しだけ不気味で、俺は視線を逸らした。


 感謝の言葉を伝えると、フラフラ揺れながら少女は人ごみへと消えていった。


「アル聖官、あの少女に何か?」


 俺の隣に立っていたイプシロンが、少女の背中を見つめながら聞いてくる。


「……いえ、なんでも。それより、サラを探さないと。どうしましょうか」


 パッと見た感じ、マエノルキアは結構広そうだ。少なくとも、エンリ村の数倍広いのは間違いない。


 その中から一人の少女を見つけるのは、なかなか骨が折れそうだ。


「神官服は目立ちますし、サラ聖官のことを目撃している人もいるのではないでしょうか」


「あっ、たしかに」


 イプシロンと頷きあって、同じタイミングで一番手近にある屋台へと視線を向けた。


 さっき、一瞬だけ目を向けた時は気付かなかったけど……今改めて見てみると、焼き魚を食べてるおっさんたちに混じって、青い服を着た少女が椅子に座っている。


 サラは嬉しそうな顔で、両手で持った焼き魚にかぶり付いていた。……お金は俺が管理してるから、サラに手持ちは無かったはずなんだけど。


 ため息をつきそうになるのを堪えながらイプシロンと二人でサラの元へ向かうと、向こう側も俺たちに気付いたようだった。ブンブンと手を左右に振ってくる。


「……何してんだ?」


「これ、おいしいわよ! アルも食べる?」


 右手の串を差し出してくる。思いっきり歯形が付いていた。


 ……考えてみれば、しばらくご飯を食べてないな。


 俺は屋台のおっさんの元まで歩いていった。


「すみません、一ついくらですか?」


「神官様からお金なんて、もらえねぇですよ!」


 大慌てで屋台のおっさんは答えた。俺は懐の麻袋へと右手を差し入れ、金貨を一枚摘まんだ。電気を流して、溶解した金を一粒分だけ取り出す。


「二つお願いします。あの――」


 サラを指さす。


「女の子の分と合わせて、代金はこれでお願いします」


 机の上に金粒を置く。不毛なやり取りをするつもりはないので、机の串置きから二本だけ貰って場を後にした。


「イプシロン、どうぞ」


「……私ですか?」


 断られるかもと思ったけど、イプシロンは意外と素直に受け取った。


 おっさんたちが席を譲ってくれたので、俺とイプシロンはサラの隣に座った。早速、美味しそうな香りのする焼き魚にかぶり付く。


 ……うん。なかなか美味しい。


 外の皮はパリッと香ばしく、それを食い破るとジューシーな身の味が広がる。サラが夢中でかぶり付き、イプシロンでさえちょっと表情が柔らかくなっているのも納得だ。


 あっという間に食べ終わると、イプシロンが青色の刺繍が入った手巾を手渡してくれた。ありがたく、口元を拭う。


 ふう……なんか、腹が膨れたら眠たくなってきた。


 近くに海があるのだろう。どこかから吹いてくる潮風が、晩夏の日差しに焼かれた肌を撫でていく。昼寝でもしたら、とても気持ち良さそうだ。


 とはいえ、のんびり昼寝なんて許してくれないだろう。


 イプシロンに目を向ける。ツインテールが海風に揺れている。


 それを鬱陶しそうに手で押さえていたイプシロンは、俺が見ているのに気付いたらしい。小さな口を手巾で拭ってから、


「どうしましたか、アル聖官。なにか要件でも?」


「美味しかったですね」


「はい、ごちそうさまでした」


 目尻を少しだけ下げて、はにかむような笑みをイプシロンは浮かべた。


「……なにか、私の顔についていますか?」


 イプシロンは凛とした表情に戻って、左手に持っていた手巾で口元を拭いはじめた。我に返った俺は、ちょっと舌をもつらせながら、


「い、いえ……そういえば、さっき談話室で途中までした話の続きなのですが。

 アトラス医師と話したあと、突然変な感じがして。

 あれは、私が聖官になったことと何か関係があるのでしょうか?」


「変な感じ、ですか?」


「こう、直接頭に何かを書き込まれるような、これまで経験したことのない感覚……です」


 サラにも同意を求めようと隣を向くと、サラは自分の両腕を枕にしてぐーすかと眠っていた。机の上には、空っぽの串が三本転がっている。


 ……こいつ。


 サラの真っ赤な髪の毛の間を狙って、デコピンをしてやる。


 ベチン、と派手な音がした。周りの客が会話を止めて視線を向けてきたせいで、一瞬だけ場が静かになる。


「むぬっ……」


「だ、大丈夫ですか、サラ聖官?」


 寝ぼけ眼で顔をあげたサラに、イプシロンが心配そうな声をかけている。


 サラを心配するくらいなら俺を心配してほしい。指が痛い。


「おはよう」


「ん、おはよ!」


 サラは微塵の痛みも感じていないらしく、太陽のような笑顔を返してきた。


「サラにも聞きたいんだけど、四半刻くらい前に変な感じがしなかったか?」


「む?」


「頭の中が熱くなるような、そんな感じ」


「おー、したわよ!」


 やっぱりイーナにもあったらしい。ということは、やっぱり聖官になったことが関係しているのだろう。イプシロンに聞いてみると、案の定だった。


「聖官になると、聖女からの命令が直接刻み込まれるのです。

 先ほどの部屋では、マエノルキア教会の神官が失踪したとの情報を得たので、私の方からそれを教会に報告していました。おそらく、その直後に聖女が命令を出したのでしょう」


「そうですか……つまり、失踪した五人の神官も、私たちが探さないといけないってことですよね?」


「はい。事情を聞くために生きたまま捕らえるのが理想ですが、場合によっては……」


 生死を問わない、か。下手したらこちらが殺されかねないし……まあ、そうせざるを得ないよな。


 にしても、何から手を付けたらいいのやら。そもそも、『眠り病』の原因が魔物っぽいから、それをどうにかしてくれっていう話だったはずだ。


 現地の神官様が一番事情に詳しいだろうし、まずは話を聞きたかったんだけど……その神官様たちがまとめて失踪してしまっている。


 天を仰ぐと、黄色いパラソルの向こう側には、雲一つない真っ青な空が広がっていた。



 ○○○

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ