00話 『夢の前に』
知り合いに勧められて、小説なるものを読んだ。
頭の痛くなる、意味が分からない内容なら、興味は無かったんだけどさ。ものすごくいいと言うから、読んでみた。
普段文字を読まないから、知らない単語があった。
嬌声、女の漏らす艶めかしい声。そんな単語があることを初めて知った。
本は終始、嬌声が絶えない内容だった。
知り合いがどうしてこんなものを勧めてきたのか分からない。こんな文字の羅列ではなく、本物を抱けばいいのにさ。
知り合いは、顔はそんなに良くないが、とにかく口が上手い。適当な女なら、この本を読んでる時間で落とせるだろうに。
そう思うからこそ――俺は今日も街に繰り出すのだ。
――
今日の獲物は、まだ空が明るい内に目星を付けておいた。
久しぶりに幼い肢体を味わいたい気分。近所に住んでる、年なんかは知らないが……多分十歳くらいの少女が良さそうだ。
警戒心の強い父親はついこの間『眠り病』にかかったらしいから、家には母親とその少女しかいないはず。
母親とはこれまでに何度も顔を合わせているから、何とかなるだろう。
夜道を歩き目的地にたどり着くと、玄関の扉を叩く。
しばらく待っていると、家の中で人が動く気配がした。ギイィという音とともに、木製の扉が開く。
「……神官様、こんな時間にどうしましたか?」
中から現れたのは、寝間着姿の母親だ。
髪には寝ぐせがついていて、薄めの寝間着にはシワがよっていた。暗がりの中に、胸のふくらみが白っぽく浮かんでいる。
俺の下腹部が急速に膨らみあがるのが分かった。
……予定変更かな。
「この間、夫さんが『眠り病』にかかったと聞いたから、様子を見ようかと思ってね」
「ああ、そういうことでしたか。わざわざありがとうございます……」
「やっぱり、母親と娘の二人だけだと心細いでしょ? 良ければ俺が今晩護衛してあげようかと思ってるんだけど……どうかな?」
我ながら無理のある話だが、問題ない。『能力』発動。対象は、目の前の女だ。
同時、女の瞳がトロンと蕩けるのが分かった。
「……そうですね。悪い人がいないとも限りませんし。どうぞ、神官様――中へ」
言って、女は玄関扉を大きく開く。無事、俺を中へと招き入れてくれるようだ。
それじゃあ……いただくとするか。
――
本物の嬌声とやらを満足いくまで堪能したので、俺はさっさと自室に戻ることにした。元気があれば娘の方の相手もしてやろうかと思ったけど……また次の機会に。
俺の住処は教会の中にある。
俺の記憶にある夜の教会は気味の悪いほど静かだったが、ここ数日は様子が違う。
なんでも、とうとう医院に患者が入りきらなくなってきたということで、教会の床にまで白布を敷き、その上に患者が転がされている。
当然、それの世話をする医師たちも昼夜関係なくウロウロしていて、いつになく教会の中は活気に満ちていた。
「遅いお帰りですな、リッパー神官。どちらまで行かれておりましたのかな?」
白服の医師の中に、一人だけ青服の老神官。立場的には同格だが、一応は俺の上司となるジジイだ。
「……ちょっと夜風にあたりに、散歩に」
「ほう、やはり若い人は私などと活力が違いますな」
俺の適当な返しを疑う素振りも見せず、ジジイは微笑む。
……こいつ、何を言いたいんだよ。
俺にはジジイなんかと会話している暇はない。さっさと寝床に飛び込んで眠りたい。
「今日も、昨日も、一昨日も。三日連続でこんな遅くまで散歩とは。よっぽど楽しいんでしょうな。……その散歩道、良ければ私にも教えてくれませぬか?」
微笑んでいる表情を崩さずに、ジジイは言い放った。
ひょっとして、ジジイ……気づいてるのか?
だとしたら……マズイ。
かなりマズイ。
ここで、初めてジジイの顔を真面目に見てみたが……何を考えているのか分からない。染みだらけの顔を見ていると吐き気がしてきたので、すぐに目を逸らす。
「……それなりに険しい散歩道なので。ちょっと難しいと思いますよ」
「そうですか、それは残念ですな……」
ジジイの声を耳に捉えつつ、早くも俺の頭はどうやってジジイの口を塞ごうか考え始めていた。
●○●
次の日。
カンカン照りの日の熱さに目覚めた俺は、教会から抜け出して街中を歩いていた。こうやって、良さげな女を物色するのが俺の日課だ。
最近は仕事も少ないからこの日課も捗っていたのだが、今日はどうにも集中できない。
頭の中を占めるのは、女のことではなくてジジイのことだ。染みだらけの顔を思い出すだけで吐き気がするのだが、何度頭から振り払おうとしても消えてくれない。
……ジジイはどこまで気付いているんだ?
これまで数えきれないほどヤッてきたことに後悔は無い。
十五の時、『儀式』を受けるまで、俺は田舎の冴えない餓鬼だった。顔があまり良くなかったから、いつも村の女たちから笑われていた。
面と向かって何かを言われたことは無いが、数人でコソコソと集まって、俺を指さして陰口を叩いていたことは知っている。
だが、『儀式』で選ばれてから俺の人生は変わった。
村の女たちが俺を見る目が変わった。
親が決めた俺の婚約者も、『儀式』を受けるまでは蔑むような目で俺を見ていたのに、選ばれてからは媚びるような目に変わった。
他の女どもも、数人で集まって、俺を称えるようになった。
もちろん、今さらになって田舎の女なんかを相手にするわけがない。
意気揚々と村を出た俺は、思わぬキツイ訓練を何とかやり遂げて、美人が多いと噂のマエノルキアを配属先に選んだ。
噂は本当だった。街行く女は概して美人ばかり。俺は目についた女を手あたり次第に食った。
美人とは言っても、こいつらは所詮はただの庶民にすぎない。俺が使い捨てにしてもなんら問題はないはずだ。なんてったって、俺は天下の神官様だからさ。
それなのに、神官には意味の分からない規則がある。
意味も無く人を殺してはならないだとか、『能力』を悪用してはならないだとか。
全く、頭の悪いことだ。
なってみて改めて分かったが、これだけの力があれば、世界を全て支配するのも不可能ではないだろうに。
どこかで聞いたが、朝国には上位者が下位者を支配するための奴隷とかいう仕組みがあるらしい。それを見習えばいいのにさ。
この考えは俺だけではなくて、多くの神官も同意するものだと思っている。口ではご立派なことを言っているが、どうせ陰では色々やってるんだろう。
……とはいえ。
陰でやっている分にはいいが、表沙汰になるのはマズイ。それは俺も分かっている。
世間の奴らは善人面して耳あたりの良いことばかり言ってるからさ。そいつらにとって、俺がやってることは格好の獲物だろう。
代表例は……あのジジイだ。
足をゆっくりと進めながら、辺りを見回す。
俺がヤッてることを知ってるってことは、あのジジイがどこかで俺を見てるってことじゃないか?
――ほら、やっぱりいた。
右後方、青い姿が見えた。俺が目を向けた瞬間に姿を消したが、あれはジジイだろう。
たしか……ジジイの『能力』は一瞬だけ姿を消すことだったはずだ。まさに盗み見にはとっておきの『能力』だ。
頭を前向きに戻す。
――青服。
左前方、雑踏の中に紛れている。発見した瞬間に姿は消えた。だが、あの染みに塗れた顔はジジイに違いない。
……どういうことだ?
ジジイの『能力』は一瞬姿を消すだけのものだと聞いている。さっきの場所から今見た場所まで、一瞬で移動したりなんかは出来ないはずだ。
だが、確かにジジイはあそこにいた。事実がそうだ。
……つまり、ジジイは嘘の『能力』を教会に登録していたってことか?
もしそうだとしたら、完全な教会典範違反だ。いつも散々俺に対してガミガミ言ってるくせに、やっぱりジジイも不正をしていたってことだな。
どんな仕組みかは分からないが、ジジイは姿を消すだけでなく、別の場所に現れることもできるらしい。
そう思って周りを見回してみると、ジジイはあらゆる場所にいた。すれ違う人の十人に一人は全部ジジイの顔をしている。
両親に両手を繋がれている子どもジジイ。
筋肉が盛り上がっているジジイ。
禿げ散らかしているジジイ。
腰が曲がっているジジイ。
女装をしているジジイ。
俺を見ているジジイ。
俺を見ているジジイ。
俺を見ているジジイ。
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