06話 『再会 前編』
二〇一九年前。
大陸西部の島国――かつて大国の一つに数えられていた国が滅亡した。一匹の、魔物の手によって。
魔物が報告された当初、周辺国はほくそ笑んでいた。自身のライバルが弱体化する様子は、最上の見世物だった。
だが、わずか数年であっけなく一つの国が消滅した途端、世界の人々は恐慌に陥った。
いつしか魔王と呼ばれるようになっていたその存在が、次は大陸へと侵略の手を伸ばすのではないかと思ったからだ。
常にはいがみ合い、殺し合いばかりを続けていた各国も、ことここに至ってようやく危機感を抱き、一時的な協力を結んだ。
人類の最高戦力を取りそろえた、討伐隊が結成されたのだ。
一人一人が一騎当千の猛者ばかり。全員が世界中にその名を轟かせていた、二十四名。
結果から言うと……討伐は成功した。
討伐隊のほぼ全員が死亡する、という甚大な被害を出しつつも、魔王を打ち倒すことに成功した。
唯一生き残ったのは、一人の女性。小国の将軍を張っていた女傑だ。
魔王との戦いを通して不老不死となったこの女性は、二〇一九年経った今も、まだ生きていると言われている。
かつて魔王が出現した島。
今は聖国と呼ばれる場所。
そこにある、中央教会――世界数千の教会の総本山の中から、人類を見守ってくれている。
聖女様と呼ばれて。
……という昔話は、小さい頃から耳がもげるほど聞いてきた。
エンリ村の人々はこの話を心の底から信じていたが、生憎と信心深くない俺は全く信じていない。
昔話は所詮、昔話。
強力な魔物が大昔に誕生したというのは正しいのかもしれない。それを女の人が倒したというのも正しいのかもしれない。
だけど、不老不死はありえない……というふうに思っていたのだが、
「それでは、聖女様にご挨拶に行きましょう」
クルーエルさんが淡々と告げた。
固まっている俺の脇腹を、突いてくる感触がある。
「ねえ、アル。せーじょさまって、だれ?」
「……聖女様は」
昔話の登場人物、のはずなんだけど。
「クルーエル様、聖女様って……実在するのですか?」
「何か、哲学的な問いかけですか? 興味深くはありますが……今はあまり時間がありません。聖女様は、既に待機していらっしゃるようです。急ぎましょう」
クルーエルさんは当たり前のようにそう言うと、俺に背中を向けて歩き出した。
困惑しつつ、俺は背中を追いかけて……しばらく歩くと、青色の空間から抜け出ることができた。
この場所は、全てが純白で構成されているらしい。
鏡のように磨き上げられた床も。
継ぎ目の全くない、コロッセオの壁も。
観客席に座っている女性たちも。
扉の両脇に立っている、二人の美女も。
クルーエルさんが一メートルほど手前に寄ってくると、二人の美女は同時に頭を下げた。二人とも白髪だが、左はツインテール、右はポニーテールだ。
クルーエルさんは足を止め、直後に二人の美女は頭を上げた。
美女は二人とも……メイド服のような物を着ている。白を基調として、アクセントに青色が使われている。
そして、どちらの胸元にも、青色の刺青が刻まれていた。
広大なツインテール平原には、キレイな『Ε』。
俊嶺なポニーテール山脈には、歪んだ『Ψ』。
ツインテールが口を開いた。
「お疲れ様でした、クルーエル聖官。聖女様は執務室でお待ちです」
「分かりました」
頷くと、クルーエルさんは再び歩き出す。
二人のメイドの脇を抜ける時、ポニーテールの方が、ニコニコしながら小さく手を振ってくるのが見えた。
挨拶を返そうかと思ったけど……ツインテールが鋭い瞳でポニーテールを睨んでたので、俺は会釈だけを返すことにした。
――
扉を抜け、階段を昇ると、コロッセオの観客席に出た。階段はさらに上へと続いているらしく、クルーエルさんは迷いのない足取りで上っていく。
その後を付いていく前に、俺は一度振り返った。
円状にズラリと椅子が並んでいて、そこには先ほどのメイド服を着た女性たち数十人座っていて、何やら作業をしていた。
前方に設置されている……パソコンのキーボードのようなものを高速で叩きつつ、ブツブツと呟いている。
彼女たちの目は、眼下の光点の集合体に向けられていた。巨大な青球から放射された、幾千、幾万の光線の終着点。
ついさっき見たのは、ヨルムガルトの地図だった。
じゃあ、この巨大な青球は何を描くのか――それを確認したくて、俺は振り返った。
上から見ると、点描は予想通りに地図を描いていた。
ヨルムガルトの地図ではない。
これは……世界地図。
いや、正確には大陸の西半分の地図だろう。
母上から地理を習った時に、王国の簡易的な地図を見たことがあるが、大陸の西半分を描いた地図なんて、未だかつて一度も見たことはない。
けれど、俺には分かった。
なぜなら……前世では、何度も見たことがあったからだ。
そこには、ヨーロッパの形が刻まれていた。
○○○
クルーエルさんが簡素な扉をノックすると、すぐに扉は開いた。
扉を開けたのは、一人のメイド。胸元には『Β』の刺青。クルーエルさんと一緒に部屋の中に入ると、他に『Γ』のメイドがいるのが見えた。
そこは、これまで通ってきた荘厳な廊下と比べると質素な部屋だった。
入り口正面には大きな机。広辞苑くらいの厚さに書類が積まれていて、そのうち一枚がちょうど手に取られたところだった。
手の主は、鋭いまなじりを僅かに下げ、つまらなそうな顔をしていた。赤い瞳はぼんやりと書類を眺めていて、やる気がないのがありありと分かる。
その割に手は高速で動き、流麗な文字を綴っていた。
膨大な量を僅かな時間で書き上げた金髪の女性は、手に持っていた羽ペンをインク壺に突っ込むと、ようやくこちらへ顔を向けた。
その動きで、青ローブの胸部が揺れる。
「聖女様。お忙しい中、お時間を取っていただきありがとうございます」
クルーエルさんが頭を下げた。
聖女様の姿を見て――唖然としていた俺も、クルーエルさんに少し遅れて頭を下げた。
驚くべきことに、サラも頭を下げている。巨木の森を出てすぐの村での失敗から、サラに『俺が頭を下げたら、サラも頭を下げるように』って言ってたんだけど……珍しく、覚えていたらしい。
「クルーエル聖官。毎回言っていますが、私は堅苦しいのが好きではありません。そちらの二人も頭を上げてください」
聖女様の言葉に、俺たち三人は顔を上げた。
「それで、こちらが推挙したいとの二人ですか。確か……クルーエル聖官が候補者を連れてくるのは、初めてでしたよね。それだけ、優秀な人材ということでしょうか?」
「はい。私の討伐対象だった魔物も、この二人が先んじて独力で殲滅したようですし、実力の面では十分かと」
「そうですか。そういうことなら……」
聖女様が立ち上がった。
「……あとは、人格のみということですね」
赤い瞳は、俺を捉えている。
「あなた、付いて来なさい」
――
聖女様に連れられて、俺は別の部屋に連れて行かれた。
メイドのうち『Β』だけが付いてきて、椅子の脇で聖女様を警護するかのように立っている。
俺は聖女様の対面に座っていた。
やけにフワフワした椅子は、固い椅子に慣れた俺にとっては座り心地が悪い。その上、目の前から真っ赤な眼光が注がれていては、リラックスなんて無理だ。
唾を飲むのも我慢しつつ、一枚板の机を見つめていた俺に、
「……アル・エンリ、でしたか。思っていたよりも早かったですね」
聖女様が話しかけてきた。
というか……聖女様と呼ばれている金髪巨乳は、どこからどう見ても俺の知っている人物だった。
銀髪と一緒にいた蝙蝠。
「聖女様、だったのですか」
「そうですね、改めて名乗りましょうか。確かに私は聖女と呼ばれ、私自身も聖女と名乗っています。昔は別の名前も持っていたのですが」
金髪はなんのためらいも無く『聖女様』を名乗った。
何の気負いもなくそんな大それたことができて、どうやら高位の神官様だったらしいクルーエルさんの、あの態度。
……この金髪が聖女様だということは、一応信用してもいいのだろう。
色々と聞きたいことはあるけれど、最初に質問するのは当然――
「あの女の子は、どこにいるのですか?」
「女の子ですか?」
聖女様は白々しく言った。
「……銀髪で瞳の青い、これくらいの身長の女の子です」
右手で床上百数十センチの高さを示す。
「さあ、知らないですね」
「聖女様が蝙蝠の姿になって、肩に留まっていた女の子です」
「よく意味が分かりませんね」
「――聖女様は嘘つきだったのですか?」
自分でもゾッとするくらい、冷たい声が聞こえた。
とはいえ、俺程度の覇気で、聖女様が動じるわけもなかった。だだをこねる子供に対するように、小さく溜息をついて、
「これから私の言う言葉を復唱してください。――マオ様は世界で最も可愛らしいお方です」
「……」
「マオ様は世界で最も可愛らしいお方です」
俺が押し黙っていると、聖女様は繰り返した。
「どうして私がそんなことを言わないと――」
「マオ様は世界で最も可愛らしいお方です」
聖女様は三度繰り返した。
どうやら、従わないと、話を先に進めるつもりはないらしい。
「……マ――」
喉がへばり付く。
別に風邪気味だということもないが……痰でも絡んでるのか?
無理やり、俺は言葉を紡いだ。
「マオ様は、世界で、最も、可愛らしい、お方です」
小刻みに言い切るのと同時、嘘のように喉の不快感が消え去る。
「やはり……」
深刻そうな顔で呟いた聖女様から――強烈な、殺気が向けられた。
「本来なら、あなたのような危険因子は、塵も残さず消してしまうのですが」
初めて会った時にも向けられたこの殺気。今なら、魔素の塊だと理解できる。
『能力』で変換されていない、ただの魔素は人体に無害だ。けれど、これだけ膨大な量を叩きつけられると、本能で恐怖を感じてしまうものらしい。
……本当に、膨大な量だ。
もしも俺が同じことをしたら、一瞬で生命活動に必要な魔素まで枯渇して、干からびてしまうだろう。
けれど、聖女様は額に汗一つかいていない。つまり、この程度の魔素は聖女様にとって……ゴミみたいなものなのだろう。
俺は、聖女様の足元にも及ばない。
その事実を、嫌というほど身体に叩きこまれる。
俺は身体に最大量の魔素をまとわせて、どうにかこうにか意識を保っていた。
額から汗が一筋垂れ落ちるころ――聖女様の魔素が引いた。
「あなたには二つの選択肢があります」
疲労でぼんやりする頭に鞭を打ち、俺は耳をそばだてる。
「一つ目は、全てを忘れ以前までの生活に戻ること。魔素操作の基礎は習熟できているようですし、問題なく生活できるでしょう。望むなら、私がハインエル王国エンリ領まで送っても構いません」
そこまで言って、聖女様はいったん言葉を切った。
赤い瞳で睨みながら、俺の言葉を待っている。
それでも、無言で聖女様の瞳を見つめ返していると……聖女様は細く息をはいた。
「あなたには、大切な存在はいますか?」
突拍子もないことを聞いてくる。
話を逸らそうとしてるのかと思ったが……そうではないらしい。聖女様は、真剣な表情をしていた。
俺にとっての大切な存在。
父上、母上、イーナ、討伐隊の面々、そして……ロンデルさん。
「はい」
「私にとってのマオ様は、あなたにとってのその方たちと同じなのです。だから危険な存在を近付けたくない。理解できますか?」
危険な存在……というのは、俺の事だろうか?
聖女様が本気を出さなくても、一瞬でぶっ殺されちゃう自信があるんだけど……でもまあ、大切な人を守りたいって気持ち自体は、理解できる。
俺が頷くと、聖女様は真剣な面持ちのまま続けた。
「どうしても会いたいと言うのなら……あなたが信用に足る人物だと、私に納得させてください」
聖女様は腕を組んだ。
「二つ目の選択肢です。あなたには、聖官となってもらいます」
「……『せいかん』?」
聞き覚えのない単語だ。
「『せいかん』とやらになれば、聖女様は私のことを信用できる、ということですか?」
「聖官となり、実績を積めば、その可能性があります」
「その時……私を、マオ様に会わせてくださるのですか?」
聖女様は、無言を返した。
保障はしない、ということらしい。
けれど……それ以外の選択肢は用意されていないのだろう。
俺が口を開こうとした時だった――
「前もって、警告しておきます」
俺の身体は……抑えきれないほどに、震えていた。
「あなたがマオ様に害成すものだと判断した時には……コテイの眷属だろうと関係ありません。あなたを処分します。そのつもりで、選んでください」
さっきのような、魔素の放出ではない。
たぶん……これは、本物の殺気。
喉元に刃を突き付けられているような、鋭い気配が俺を襲っていた。
震える身体を、意地で押さえつける。
聖女様の、真っ赤な瞳を見つめ返して……俺は、口を開いた。
「二つ目の選択肢を選びます。私を『せいかん』にしてください」
○○○




