03話 『赤熱の宿屋』
「……は?」
呆然と炎を見つめていた俺は、ハッと我に返った。
「サラっ! 水、水を持ってきてくれ!」
サラに指示を出して、俺自身は着ていた服を脱いだ。
それを使って、炎を消そうと試みる。
……くそっ、消えない。
やっぱり、水か何かが必要だ。
サラが、持ってきてくれるはず――
顔を上げると、サラの背中が見えた。
立ち止まっている。
視線の先には、男の姿。
この子を燃やしたのは……あいつだ。
腹の奥から、どす黒いものが溢れてくる……が、今はそれどころじゃない。
この子を助けるのが先だ。
「サラっ! 早く、水を持ってきてくれ! そいつのことはいいから! たぶん、宿の台所に――」
「そいつ、とは失礼ですね」
地面を歩く音がする。
男が近付いてくる。
「それに、ナニを助けるつもりなのですか?」
男が、地面を指差した。
つられて、俺の視線も下に落ちる。
「……あれ?」
いない。
炎は消えていた。
少女の代わりに、そこにあったのは……小さな、黒い塊。
白い煙が、真っすぐ伸びている。
その黒い――を掴み取ると……俺の手の中で、崩れた。
立ち上がる。
ヒョロリとした、色白の男へと目を向ける。
それで気付いたが、その男の後ろにも、二カ所。
地面が黒ずんでいる。
俺のすぐ傍の地面と同じように。
……ああ、ダメだ。
父上から、みっちり仕込まれたのに。
感情のまま動いたら、死ぬと。
男へ向けて突進したサラを、俺が止めるべきなのに……どうして俺も、サラと同じことをしてるんだ?
――男の目の前に、突如サラが出現した。
腰を使って、無言で蹴りを放つ。
男の頭へ吸い込まれる。
「ほう……」
一歩、男は後ろへ下がった。
靴先は、男の鼻先数ミリを通過する。
少しでも掠ったら、男の顔は吹っ飛んでいたことだろう。それくらい、サラの蹴りには、渾身の力が込められていた。
けれど、男の表情は変わらなかった。
微塵たりともビビる様子を見せず、虫でも見るかのような目をサラに向けている。
「中々、早いですね」
無機質な男の声を、俺は男のすぐ傍で聞いていた。
サラは正面から、俺は背中側から男に攻撃する。
手のひらを、男の背中に伸ばすと――
「汚い手で触らないでくれますか?」
背中に目が付いているかのように、男は俺の腕を避けた。
――放電。
紫電が走る。
雷撃は、男の背中を貫いた。
「――っ!?」
ピシリと、男の全身の筋肉が硬直するのが分かった。
そこへ――
「りゃッ!!」
サラの拳が、男の腹にめり込んだ。
フレイさんでさえ、まともに食らったら耐えられないのだ。
それがヒョロイ体なら、なおの事。
男の身体は、小枝のように吹っ飛んだ。
吹っ飛んだ先は……あの、宿屋。
木製の壁が壊れ、その向こう側に男の身体は消えた。
……まだ、終わっていない。
穴の奥で、気配が爆発的に膨らんでいる。
サラと一緒に、固唾を飲んで観察していると……煙。
穴の奥から、煙が漏れてきた。
少し遅れて、真っ赤な炎が、チラチラと。
次の瞬間――炎が、穴の中から噴き出した。
炎はあっという間に燃え広がり、宿屋の全てを包み込む。
宿屋の中からは、木が弾ける音や、陶器か何かが割れる音が聞こえてくる。
……かなりの距離離れているのに、肌が熱い。
焼けるようだ。
ここでこれなら、炎の中はどれほどの熱さか。
けれど……灼熱の中で、動く姿がある。
ほっそりとした影が、炎の中に浮かんでいる。
その影は、熱さなんて全く感じていないらしい。
ゆっくりと、こちらへと歩いてくる。
そして、炎の中から……男は、再び現れた。
ヒョロリとした体に、色白の顔。
神経質そうな顔は無表情――ではない。
男の目は見開かれ、血走っていた。
固く結ばれ、紫になった唇が……二つに裂ける。
「き、き、貴様らぁっ!! これを見ろ!!」
絶叫とともに、男は上着を両手で掲げる。
光の反射を見るに、かなりいい生地のようだ。
その服には、一か所だけ汚れが付いていた。
お腹の部分。
サラの拳がぶつかった場所だ。
たぶん、小石を集めた時に、手が砂で汚れたんだろう。
俺としては、そこ以外に全く汚れが付いていないのが不思議なんだけど……どこを見ればいいんだろう?
困惑を覚えて動きを止めた俺と違って、サラは止まらない。
男が叫んだ時には、すでに動きだしていた。
直線的に、男へ迫っている。
男の口が動いた。
「――燃えろ」
火球が発生した。
直径一メートル。
サラの目の前。
サラは、すんでの所で回避した。
上へ跳ぶ。
「――燃えろ」
サラが跳んだ先へ、新たな火球。
「あっ……」
サラの口から、吐息が漏れる。
空中に跳んだせいで、回避できない。
炎へ、突っ込む。
――直前、俺がサラの足首を引っ張った。
「むぎゅっ……」
サラは、顔から地面に落下した。まあ、燃やされるよりはマシだろう。
今度は腕を引っ張って、サラを立たせる。
いつ新しい火球が生まれるか分からない。即座に回避できるようにしとかないと。
……風が吹き、燃え尽きた宿屋の廃材が、カタリと音を立てた。
男に、追撃するつもりはないようだった。
なぜか、いつの間にか上半身裸になっていた男は、俺とサラへ静かに視線を向けている。
さっきまで着ていたはずの衣服は、足元に落ちていた。右手には、さっきまで無かった青い布が握られている。
最初の印象の通り、ヒョロリとした体だ。筋肉なんて全く付いていなくて、肋骨が浮き出ている。
そして、男の顔は無表情に戻っていた。
「お恥ずかしい、少々取り乱しました」
言いつつ、男は右手に持っていた――ローブを身に着けた。
青色のローブ。
肩には、銀、いや……金?
金三環? の刺繍。
初めて見るが、同じことを意味するのだろう。つまり――
いまだに殺意を隠そうともしないサラの肩に、俺は手のひらを置いた。
サラが俺の顔を見上げてくる。
男が、素肌の上に青ローブという格好で、優雅に言った。
「私は、教会のものです。まずは、少しお話をしませんか?」
○○○
宿屋には地下室があった。
そこへ繋がる扉には金属板が仕込まれていたようで、炎に晒されてもキレイに残っていた。
――信じたくない。
信じられないから、俺とサラは神官――クルーエル・シンナーという名前らしい――の後ろに続いて、地下室へと足を踏み入れた。
地下室は暗い。
クルーエルさんが、手のひらの上に小さな火球を発生させる。
地下室の壁や床は、石を組み合わせて作られていた。中は食糧庫として使われていたようだ。食べ物の詰まった土陶器や袋が、壁に沿って置いてある。
そして、壁の一部が崩れていた。壁の奥には、土があるはずなのだが……さらに地下へ向かって、穴が開いていた。
底が見えない。
深くて、暗い。
「……穴が開いてますね」
「そうですね。無理に来る必要はありませんよ?」
「いえ、行きます」
クルーエルさんの提案に、俺は否を答えた。
サラに目を向けると、サラは頷いた。
クルーエルさんを先頭に、さらに深く……潜る。
――
壁も床も天井も、木の根っこで覆われた、明らかに普通ではない通路を抜けると、広大な空間に繋がっていた。
学校の、体育館程度の大きさはある。
この部屋も、全てが木の根っこで覆われている。ただ、ここまで通ってきた通路と違うのは……
部屋の中央、そこの天井から、木が生えている。
木の根っこが絡み合い、一本になってできているようだ。富士山を逆さまにしたように、天井に近いほど太く、床に近付くほど細くなっている。
先端には、いくつも実がなっていて、その高さは、ちょうど俺の視線の高さと同じだった。
……実、と表現するしかない。
「り、リナ……レナ……」
呟きながら、サラが実の一つへと歩み寄った。
頭から茶色の枝が伸びる、少女。
サラはそれを、抱きしめた。
周りには、似たような実がたくさんなっている。
実の種類は、三種類。
二人の少女と、一人のおっさん。
服は着ておらず、生まれたままの姿で目を閉じている。
「――それでは、燃やしますか」
クルーエルさんが呟くと、空間のあらゆる場所に、数十の火球が発生した。
「だ、ダメッ!!」
実を腕に抱えて、サラは叫んだ。
クルーエルさんの表情は、寸分も変化しない。
「ソレは、魔物ですよ? 何をされるか分かりません。サラ殿、危険ですから離れてください」
「ちがう! この子たちは、リナとレナ! ワタシの……ともだちよ!」
サラがギューッと、実を抱きしめる。
腕が、実の肌に食い込んでいる。触感は、生きている人間と同じなんだろう。やっぱり、何度確認してみても、眠っている少女とおっさんにしか見えない。
ただ、頭頂部から枝が生えている。
「サラ」
俺が声をかけると、サラは俺に潤んだ瞳を向けてきた。
縋り付くように、俺を見ている。
……俺はゆっくりと、首を左右に振った。
それを見て。
サラは目を見開き……
下を向き……
力なく、両腕から二人の少女を解放した。
トボトボと、俺の傍まで歩いてくる。
俺の隣で立ち止まると、俺の服の裾を左手で摘まんだ。
「クルーエル様、お願いします」
俺が言うと、視界が真っ赤に染まった。
――
火に巻かれては堪らないので、クルーエルさんが火を放つと、俺たちは早々に地下空間を脱出した。
サラはずっと元気がない。自律的に歩こうとしないので、俺が半ば引きずるようにしてサラを地上へ連れ出した。
地下室へと繋がる扉からは、黒い煙が高速で噴き出している。
ちなみに、クルーエルさんの炎は『能力』によるものなので、酸素は必要ないらしい。
「私はもう一つ仕事が残っているのですが、よければ一緒に来ませんか?」
俺の隣に立っていたクルーエルさんが、煙を見据えながら言った。
「仕事、とは?」
「言うなれば、この宿屋は餌です。獲物を自分の口へ誘導するための。ですから、口の方も駆除しなくてはなりません。場所はすでに分かっているのですが……」
口? それって……。
「ここから西へ向かった時に、最初の分かれ道を右に行ったところですか?」
「はい、そうですね」
「……それなら、僕とサラで既に倒しました」
クルーエルさんが俺に視線を向けたのが分かった。
「気持ちの悪い、赤い花でしたか?」
「はい」
クルーエルさんは、マジマジと俺のことを眺めながら、
「実は、あの花……見つけたのは良いのですが、あまりにも醜悪で、見たくなかったのですよ。アル殿が処理して下さって、助かりました」
……クルーエルさんに感謝されても、嬉しくない。
俺たちがあの花を討伐したのは――二人の少女と、その父親の笑顔を見るためだった。
たぶん、俺たちと同じ気持ちで、何人もの旅人が魔物の討伐に向かって……そして、食べられてしまったのだろう。
まんまと、俺たちは罠にかかったってわけだ。たまたま俺たちの方が強かったから、生きてるだけで……。
「――して、アル殿たちは、この後どこに向かうのですか?」
無言で黒い煙を睨む俺に、クルーエルさんは話題を変えることにしたらしい。
……どこへ向かうか。
俺の当初の目的は、教会へ向かうことだった。それは、神官様に質問をして、銀髪と金髪に関する情報を得るため。
俺の隣には、神官様が立っている。
「僕は、ある人を探してるんです。ひょっとしたら、クルーエル様のお知り合いの方かもしれません」
「ほう……それは、どのような方ですか?」
「探しているのは二人で、どちらも神官様です。片方は、銀髪の幼い女の子で、もう片方は金髪の……胸の大きな、二十代くらいの女性です」
数瞬の沈黙の後、
「銀髪の幼い女の子、というのは、どの程度の年齢でしょうか?」
「おそらく、五~八歳程度だと思います」
「そうですか……」
クルーエルさんは、数秒の間考え込んでいる様子だった。俺の方へ身体を向けて、無機質な瞳で見下ろしてくる。
「金髪の方の名前は、何というのですか?」
「それが……名前は分からなくて」
「知人ではないのですか?」
「知人……というわけでは。四半刻程度の間、言葉を交わしただけですので」
クルーエルさんは俺から視線を逸らした。再び、扉から噴き出す煙へと目を向ける。
「それだけの情報では、何とも言えませんね。私が知っているのは、教会の一部の人間だけですから、アル殿の言う女性と、私が思い浮かべる女性が、同一人物かどうかの判断はできません」
「そう、ですよね……」
「私が思うに、アル殿自身の目で、判断すればよいのではないでしょうか?」
クルーエルさんが続けた言葉に、俺は困惑する。
俺自身の目? それって――
「アル殿、そしてサラ殿も――教会に入る気はありませんか?」
○○○




