12話 『巣立ちの時』
「ほら、これもやるよ」
「あっ、ありがとうございます!」
フレイさんが麻袋を手渡してきた。手のひらに乗るくらいの大きさだ。
受け取ろうとしたら、フレイさんが麻袋から手を離さない。
「……一つ、忠告だが」
フレイさんは無表情になっていた。麻袋をつかんでいない方の手を、俺の右肩に置いてくる。
反射的に、体が震えてしまう。
フラッシュバックするのは、昨日の――途切れ途切れの記憶だ。
「な、なんでしょうか……」
震える声で俺は言った。
それを聞いたフレイさんは、ニヤリと笑みを顔に貼り付ける。
「サラに手ぇ出すなよ?」
「はい! も、もちろんです!」
敬礼をしている気持ちで、背筋を伸ばして俺は答えた。
分かる、フレイさんの気持ちは痛いほど分かる!
もしも逆の立場だったら、俺みたいな餓鬼と娘を、たとえ数時間だけでも、二人っきりになんてできない!
それなのに、フレイさんは寛大な心でそれを許してくれている! 俺はその信頼に応えないといけない!
俺の返事は、フレイさんの心配を吹き飛ばしてくれたらしい。満足げな表情を浮かべたフレイさんは、麻袋から手を離した。
手のひらに、そこそこの重量感が生まれる。ここで中身を確認するわけにもいかないので、俺は上着のポケットの中に麻袋を突っ込んだ。
俺が着ているのは、『儀式』の時の晴れ着だ。あんなにボロボロだったのに、破けた痕も分からないほど綺麗に修繕されている。
本当に、フレイさんは素晴らしいお方だ!
俺が感動のあまり、フレイさんを見つめながら目を潤ませていると、
「ねぇ、はやく行くわよっ!」
家木の玄関で、サラがイライラした顔をしていた。フレイさんは、俺の肩から手のひらを下ろすと、
「また会うことがあるか分からんが、達者にな」
「……その、お世話になりました」
これまでの人生で、一番濃厚な三日間だったと思う。
サラに殴られたり、フレイさんに殺されかけたり、風呂に入ったり、『能力』の修行をしたり――色々なことがあった。
たぶん、一生忘れられないだろう。
俺は真面目な顔で、フレイさんに深く一礼をした。
サラの元へ小走りで向かうと、
「パパ、ワタシ行くから」
「おう、気を付けてな」
俺と違って、サラは俺を森の出口まで案内したら帰ってくる。フレイさんに聞いた話だと、片道二、三時間だという。昼過ぎにはこの場所に戻って来てるだろう。
それにふさわしく、簡単なやり取りだった。
サラはとっとと家木の玄関から出て行った。
俺も後に続く。
玄関を抜ける途中に、俺はチラリと目の端で後ろを見た。深い意味があったわけじゃない。ただ……何となく名残惜しくて、視線を向けていた。
家の中には、フレイさんが一人ポツンと立っていた。いつもは獣のようなフレイさんは……すごく、穏やかな顔をしている。
俺と目が合うと、フレイさんの穏やかな表情は一瞬で消え去り、迷惑そうな顔になった。「とっとと行け」という風に、手の甲を向けてヒラヒラと振っている。
その反応があまりにもフレイさんらしくて、俺は苦笑いしつつ家木を出発した。
○○○
「ふーん、ふーん、ふーん♪」
やけに上機嫌のサラは、ずっと鼻歌らしきものをしている。リズムなんて高尚な物はない。気分のまま、適当にやっているだけなのだろう。
そんなサラのことを、俺はビクビクしながら観察していた。
「――ねっ、アル!」
言いながら、突如サラが俺の腕を掴もうとした。
華麗に回避。
サラの手は空気を掴む。
サラはちょっと不機嫌そうな顔で俺を睨んでいたが――すぐに、パッと花が咲くような笑顔を見せた。
「みてみてっ! アレっ!」
サラが斜め上方を指差している。
その方向に視線を向けると、
「あれって、トリってやつよね! 本にかいてあった!」
サラの指差した普通の木の枝の上には、普通の鳥がいた。
名前は知らないが、人面だったりしないから、普通の鳥だと思う。
サラの声に驚いたのか、飛んでいってしまった。
サラは残念そうな表情を浮かべる。
だが、そんな顔もすぐに上機嫌な顔に塗りつぶされ、再びサラは調子はずれな鼻歌を歌い出した。
――家木を出発して早二刻。
歩いていくうちに巨木は大木となり、とうとう普通の木になっていった。
木だけでなく、魔物ではない普通の動植物も見られるようになり、それらが珍しいのか、見つけるたびにサラは興奮していた。
すでに周りの風景は、エンリ村の森と大して変わりない。
出口が近いのだろう――と思っていたら、とうとう森の切れ目が遠くに見えてきた。
水……の音も聞こえる。
足がすくむ俺をよそに、サラが突如として走り出した。
それは、一陣の風のようだった。
目にも止まらぬ速さで、サラは俺を置き去りにした。
慌てて俺も追いかける。
……サラは、森を抜けたところで仁王立ちしていた。
「すごい……」
隣に追いついた俺の耳に、ポツリと呟くサラの声が届く。
「すごいっ! すごいっ!」
はしゃぐサラが抱き着いてくるのを華麗に回避しながら、俺はそこに広がる景色に視線を向けていた。
そこには広がるのは、俺が飽きるほど見慣れた景色。
一番手前には、大きめの……川。
幅五メートルはあるだろう。
水量も見合って多い。
そのさらに奥には、一面の麦畑。
緑の穂先が、風に揺れている。
畑の合間にはあぜ道が通っていて、人が何人か歩いているのが見て取れた。畑の中で作業している人もいる。
俺とサラの存在には、まだ気づいてないようだ。
「……ここまで、ありがとな」
「む?」
俺が生暖かい眼差しを向けながら、心からの感謝の言葉を述べると……サラは、俺から少し距離を取った。
「……きもちわるい」
失礼な……せっかく、最後だから殊勝にしてやったのに。
ちょっとだけイラッとしながら、俺はサラに背中を向けた。川に沿って、堤防の上を歩いていく。
俺の現在の目的地は、最寄りの教会。そもそもここがどこかも分からないから、まずはそれを誰かに聞く必要がある。
この村の住民……そうだな、村長に話を聞けばいいだろう。
普通の村人だと村の周り以外の地理には疎いが、村長は近隣領を含めた地理を知っている。より有用な情報が聞けるはずだ。
そんなことを考えながら、歩いてたんだけど……後ろをカルガモのように付いてくる足音に耐えかねて、俺は振り返った。
「……サラ」
「なに?」
「もう、案内は大丈夫だから……帰っていいんだぞ?」
サラはキョトンとしていた。
そんなサラを置いて、俺はまた歩き出す。
サクサク、とサラが付いてくる足音が聞こえる。
振り返ると、サラは立ち止まった。
「えっと……ひょっとして、付いてくるつもりか?」
「そうだけど」
サラは当然のように答えた。
「え?」
「それより、アルはどこ行くつもりなの? ワタシ、はやくあっちに行きたい!」
――
俺は頑張った。
頑張ってサラを説得しようとした。
だって、フレイさんに無断でサラを誘拐なんてしたら……フレイさんは地の底まで俺のことを追いかけて、なぶり殺しにするだろうから。
「だいじょーぶ!」
サラは自信満々に続けた。
「だって、パパとやくそくしてたから!」
「約束?」
サラはコクリと頷くと、
「パパに勝ったら、ここを出てもいいって!」
……そんな話、初耳なんだが。
その後、サラに詳しく話を聞いてみると、どうにかこうにか状況が理解できた。
数年前、誕生日に本をプレゼントしてもらったサラは、それを読んで――この森の外の世界を、初めて知ったらしい。
というか、どうやら、サラは生まれた時からこの森に住んでいて、この森から出たことがないんだとか。
外の世界を知ったサラは、それを自分の目で見たいと思った。
で、フレイさんにその話をしたところ――条件が出された。
それは、模擬戦でフレイさんに一発入れること。
外の世界は危険だから、それくらいできないと話にならない……とかいう大嘘を、フレイさんに吹き込まれていたらしい。
その話を聞いて……俺は静かに溜息をついた。
サラの言う通り、このままサラを連れて行っても、フレイさんは怒らないだろう。怒らないどころか、たぶん……それが、フレイさんの思惑通りの行動だ。
思えば、フレイさんの行動には不自然な部分が多かった。
最初は、フレイさん自身が俺を訓練してくれるつもりだったのに……その数刻後には、教えるつもりは無いと言ったり。
そのはずなのに、俺にアドバイスをしてくれたり。
フレイさんの『能力』のヒント――俺は、物心ついた時から人よりも少しだけ汗かきだった――を、わざわざ教えてきたり。
そして……フレイさんが森の出口まで案内したらいいのに、わざわざサラに案内をさせたり。
幾つかの疑問への答えが、ようやく分かった。
――フレイさんは、サラに巣立ってほしかったのだろう。
でも、親バカなフレイさんのことだ。サラと離れるのは嫌だろうし、サラを一人で世に出すのが不安だったのだと思う。
というか、俺もサラを一人で世に出すのは不安だ。本能だけで生きてる猛獣を檻から出したら、トラブルを起こしまくるのは目に見えている。
そんな中、ある人物がやってきた。
多少は腕の立つ……サラのお守りにうってつけの人材。
つまり、俺だ。
――
俺はサラを引き連れて、森の中を歩いていた。
隣には川が流れている。川の向こう側には草原が広がっていて、草の生えていない道が線を引いている。
だいぶ前に、村の範囲は出てしまった。
「……ねっ、はやく向こうに行かない?」
痺れを切らしたサラが言った。
「いや、もう少ししたら橋があるかもしれないし……」
「そんなこと言って――ずっと、ないじゃない!」
サラの言う通り、俺が橋を探そうと言ってから、すでに一刻が経っている。
「それに、ハシ? がなくても、これくらい跳べるわ!」
サラはそう言って俺の腕を掴み、川岸まで引きずる。
眼前には、幅五メートルの川。
普通の人ならこんなの跳び越えられないが、確かに俺とサラなら問題ない。余裕さえあるだろう。
それに、川の流れはそれほど早くない。子どもが川遊びをしても安全なレベル。なんなら、一般人でも靴を脱いで渡れると思う。
「……アル、どうしたの?」
地面にへたり込んだ俺に、心配そうにサラが声をかけてくる。
俺は……冷や汗を流しながら、蚊の鳴くような声で言った。
「……怖い」
「えっ?」
「水が……怖いんだよ」
サラは、パチパチと大きな瞳を瞬かせた。意味不明、という顔をしている。
自分でも、俺の身体に起こった変化が理解できない。
でも……水が、怖い。その音を聞いただけでも、足がすくむ……ましてや、川の上を跳び越えるなんて、無理だ。
この変化の原因は、分かっている。
昨日、フレイさんとの模擬戦の後、俺は『教育』を受けた。その内容はハッキリとは覚えていない。でも……苦しかったことだけは覚えている。
たどたどしい言葉で、俺は自分の状況を語った。
俺の説明を聞いたサラは……満面の笑みを浮かべる。
嫌な予感がした。
「ワタシにまかせなさい!」
「あっ……な、なにを」
お姫様抱っこをされた俺は、恐怖で顔が青くなっていたと思う。
俺を抱えたまま、サラは川岸へと向かった。
「えっ、ちょっ――」
「いくわよ!」
サラの声が、上から降ってきた。
「きゃっ……!?」
可愛らしい悲鳴だけが、森の中に取り残された。
○○○




