11話 『ラスボス退治』
翌日。
朝っぱらから、俺とサラは二人きりだった。
巨木の陰で、俺はサラの両肩に手を乗せている。
「ねえ! ホントにこんなコトで、パパに勝てるの?」
「大丈夫、大丈夫。俺に任せとけ」
大丈夫という言葉は、半ば自分に投げかけてるようなものだ。正直、作戦通りにフレイさんに勝てるかどうか分からない。
もしも勝てなかったら……サラには申し訳ないけど、俺はこの森を出ていく予定だ。
そもそもサラとの約束には、期日の設定は無かった。二十年後くらいに、子どもに家督を譲った後に戻ってきて、年寄りのフレイさんを倒してもいいわけだ。
「アル? どうしたの?」
サラが深紅の瞳で俺の目を覗き込んでくる。俺は慌てて目を逸らしながら、
「い、いや……何でもない」
「そう?」
「ああ。それより、時間もないから――やるぞ!」
「うんっ!」
サラはぎゅっと目を閉じた。
……気は乗らないが、サラには耐えてもらわないといけない。
身体の魔素を両手に集める。
「――ッ!?」
サラが突然、ビクリと体を震わせた。
喉からは、声にならない音が漏れている。
「……どうだ?」
「……う、ん。まだ大丈夫」
○○○
「パパ! きょーこそは勝つわよ!」
自信満々に胸を逸らして、サラはフレイさんに人差し指を突き付けた。
呆れた眼差しをサラに向けた後、フレイさんは俺に近付いてきた。
「今日は、お前も参加するんだよな?」
「はい、そのつもりです。あっ、それと」
俺は右手に持っていた木の棒を、フレイさんに見せた。
「これ使っても構いませんか?」
「ああ、別にいいぞ」
言いながら、フレイさんはニヤリと笑う。
視線は、俺の木棒に向いている。
なにか細工でもしてあると思ってるんだろう。ただの木棒だけどな。
フレイさんの思考を少しでも無駄遣い出来るのなら、しめたものだ。
――
「てりゃッ!!」
掛け声とともに、サラがフレイさんの胴部へと左フック。
やっぱり、サラの拳の軌道はズレる――それが見えた瞬間、俺は木棒を振り下ろした。
傍から見ていたら、意味不明な行動に見えるだろう。
なぜなら、俺が攻撃した方向には何もないからだ。
フレイさんには、絶対に当たらない。
だが――
「ちッ……」
舌打ちをしたフレイさんは、数センチ左へと避けた。
フレイさんが動いた直後、俺の木棒の軌道が歪み始める。
通過するのは、さっきまでフレイさんがいた位置。
種が割れてしまえば、対策はそれほど難しくなかった。
フレイさんのこの『能力』。蜃気楼だろう。
蜃気楼は海で見られる自然現象。遠くの景色が近くに見えたり、空に浮かぶ街が見えたりする現象だ。
フレイさんは、高温と低温の水蒸気を絶妙に操作して、人工的に同じ現象を起こしているのだ。
目に見えるフレイさんの姿は、虚像。
馬鹿正直に攻撃していたら、攻撃なんて当てられない。
対策は簡単。
さっき俺がやった方法だ。
まずサラが攻撃して、俺が軌道の変化を観察する。
それを参考にして、俺が攻撃を加えればいい。
いくら見える物が歪んでいたとしても、歪める方向は一つだけだ。
最初から歪みを計算にして攻撃すれば、本体に当たるのが道理。
とはいえ……フレイさんに、俺の攻撃は当たらない。
単純に、俺の基礎能力が劣っているからだ。
サラの速度に慣れてるフレイさんからすれば、俺の木棒の動きなんて亀の如しだろう。当たるはずがない。
「そんなことじゃぁ勝てねぇぞ? 今日、俺をぶちのめすんじゃなかったのか? オラッ!!」
「おわッ!?」
フレイさんが発射した氷ミサイルを、俺はすんでのところで避けた。
「な、なんで攻撃するんですか!?」
「模擬戦なんだから、当然だろうがッ!! 死ねぇッ!!」
フレイさんが容赦なく、俺にだけ攻撃を加えてくる。
どうやら、攻撃を加えないのはサラ限定らしい。
というか、模擬戦にかこつけて、俺に対する私怨のようなものを感じるんだけど……。
フレイさんの氷ミサイルを必死に避けつつ、俺は一枚目のカードを切った。
「――ッ!」
俺の攻撃が、フレイさんの身体まで数ミリの空間を通過した。
突如、さっきまでよりも攻撃の速度が上がった俺に対して、フレイさんは獣のような笑みを向けてくる。
サラのように、動きそのものが早くなるわけじゃない。
俺の『能力』は、動きの開始を早くする。
目で捉えて動き出すまでのコンマ数秒――人間では避けられない空白を、俺の『能力』は塗り潰す。
俺の攻撃の速度が上がったことで、フレイさんも余裕が無くなってきたらしい。氷ミサイルを打って来る頻度は、だいぶ下がった。
そもそも、今日のフレイさんは、サラへの対応だけでも結構大変なはずだ。
昨日の模擬戦を観察していた俺は、フレイさんが胴体への攻撃を苦手にしていることを見抜いた。
特に、左足――軸足へ攻撃された直後に胴体を責められると、身体の安定が少し、ほんの少しだけ乱れる。
俺の指示で、サラは左足と胴体を中心に攻撃している。
そこに俺の攻撃まで加わっているわけだから、さすがのフレイさんと言えど、表情から余裕が――
フレイさんは、笑っていた。
爽やかな笑顔ではない。
獲物を見つけた虎のような、獰猛な笑顔。
余裕はないはず。そのはずなのに……どんどん、フレイさんの動きが洗練されていく。
ゾワリと、悪寒が背筋を駆け上がった。
このままだと……マズい気がする。
本当は、もっとフレイさんを追い詰めるつもりだった。
疲労を溜めさせたうえで、最後の数分。
模擬戦の終わりが見えてきて、フレイさんの気が抜けるタイミングで仕掛けるつもりだった。
だが……それは全て、フレイさんの側からは攻撃してこない前提のもの。
その前提が崩れたいま、俺はそれまで耐えられるか?
「サラッ!!」
叫びながら、俺は木棒を手放した。
ちょうど切りかかろうとしてた所なので、木棒はフレイさんに向かって飛んでいく。
その木棒を、フレイさんの右手が掴み取った。
瞬間、木棒は真っ白に変化する。
爛々と光るフレイさんの瞳。
無防備な俺を見て、にぃっと笑う。
本能的な恐怖で身がすくみそうになるが――
フレイさんの後ろ。
そこにいるサラと、目が合った。
同時、俺の腕に魔素が凝集する。
――放電。
金色の線が走る。
大部分は地面に逃げたが、一部は近くの物体へ。
フレイさんの身体へと向かう。
金色の線は、道標だ。
蜃気楼の中を、幻影をものともせず突き進む。
雷撃はフレイさんを貫き――サラの身体も、容赦なく貫いた。
けれど、サラは止まらない。
訓練の成果だ。
上手く、自分の魔素で中和できたのだろう。
蜃気楼を保てなくなって、フレイさんの実体が露出する。
すでに、サラの拳が衝突する直前。
身体を動かせないまでも、フレイさんが必死の形相を浮かべたように見えた。
サラの拳がぶつかる。
手加減ゼロ。
全力の一撃。
氷片が飛び散る。
ギリギリ、フレイさんは氷を腹に作り出せたようだ。
だが、生半可な盾では、サラの拳は止まらなかった。
フレイさんが――
吹っ飛んだ。
――
きりもみ回転しながら吹っ飛んだフレイさんは、近くの巨木の幹に衝突し、そのまま木の中にめり込んだ。
……死んでないよな?
最初に浮かんだ感想が、それだった。
……いや、大丈夫のはずだ。見ただろ、フレイさんが腹に氷を張っていたのを。
結局、あの氷がどういう仕組みで衝撃を吸収してるのか謎だけど、サラの拳を幾度も受け止めてきたのは事実だ。かなりの衝撃吸収能力があるのだろう。……完全に作れれば。
最後の瞬間に見えた、フレイさんの表情を思い出す。
これまで見たことのない、すごい必死な表情をしてたけど……ちゃんと作れたのか?
心配して、フレイさんがめり込んだ穴を眺めていた俺に、
「やったー!!」
「うぼっ……」
腹にトラックがぶつかったかのような衝撃。
地面に後頭部を強打した俺の上に、何かが飛び乗ってきた。
「アルっ!! やった、やったー!!」
サラが手足四本で俺に抱き着いてくる。
柑橘のような、サラの香り。
「やったわ!! やっと、パパに勝てた!!」
サラは興奮のあまり我を忘れているようで、でかい声で叫び続けている。
俺は命の危険を感じていた。
ほんの数分の攻防だったけど、今の俺は疲労困憊。魔素なんてほとんど残っていない。
そんな状態の時に、サラに全力で抱き着かれたら……下手したら、圧殺されかねない。
もちろん、サラに抵抗する体力なんて残ってるわけもない。
俺は、サラにされるがままにされていた。
視界の下半分には、深紅の髪の毛。
上半分には、青い空と、濃緑の葉、茶色の幹。
さっきフレイさんがめり込んだ巨木も見えている。
巨木に開いた穴からは、パラパラと木片が落下していた。
穴の中から二本の腕。
ガッシリと穴の円周を掴むと――続いて、深紅の髪の毛が見えた。
あっ、生きてた。
案外元気そうなフレイさんが、ひょっこりと穴の中から現れた。
フレイさんはキョロキョロと首を回し、俺と目が合った。
その瞬間、フレイさんの体が、石化でもしたかのように固まる。
……つい先日、同じような光景を見た気がする。
額から脂汗を流しながら……立ち上がることもできない俺は、金剛力士がやってくるのを、見ていることしかできなかった。
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