02話 『妄想と現実と』
「どうしたっ! そんなことじゃ、すぐ死ぬぞ! したぁああっ!」
「――ぐっ!」
俺の無防備な腹に、容赦なく父上が蹴りを入れる。
だが、その程度で怯んではいられない。
ここで気を緩めたら、立て続けに木剣で殴打されるだろう。
冷静に、父上の重たい木剣を受け止めていく。
――木剣の嵐は突如止んだ。
「……よし。今日はここまでだ。明日は『儀式』だからな、今晩はよく身体を休めなさい」
「ありがとうございました!」
父上が家の中に入っていくのを見送って、俺は地面に大の字になった。
息が苦しい――緊張で呼吸ができなかったからだ。
身体中が痛い――父上に全身をぶたれたからだ。
だが、それはいつものこと。とっくに慣れた。
別に父上は虐待をしてるわけじゃない。俺の為にやってくれているのだ。
魔物は危険だ。少しでも油断したら、即座に命をかすめ取る。実際、地方騎士で天寿を全うする人は少ない。
それが嫌なら――泥にまみれ、血を吐くような修練を、小さいころから続ける必要がある。
俺は地面に転がったまま、右手を茜色の空にかざした。
父上には及ばないが、ゴツゴツとした、見るからに硬そうな手だ。
前世の俺の曽祖父は漁師だったが、その手と似ている。
これが七歳児の手だとは、とても思えない。
最初は、素振りのやり過ぎで肉刺ができた。無視して続けると、破れて血が滲む。それでも構わず続けると、新しい肉刺ができる。
それを五歳の時から二年間、俺はひたすら繰り返した。
おかげで今では、多少のことでは傷つかない、頑強な皮膚を手に入れている。
……なんか思ってたのと違う。そう思っていた時期もあった。
けれど、文句を言っても仕方がない。
俺は死にたくない。
地面から起き上がった俺は、すぐ近くに転がっていた剣を拾い上げた。
――
「アル、お疲れ様! もう夕飯にしちゃうから、着替えてきなさい」
「はい、母上」
自主修練の後、家の中に入ると、母上がそんなことを言ってきた。
確かにいい匂いがする。食卓を見ると、夕飯が湯気を立てていた。
母上が台所と居間を往復してご飯を用意していく一方、父上は食卓の椅子に座っていた。隣の老人と話し込んでいる。
この老人は、昨日の夜から家に泊っているお方だ。肩の三円印の刺繍が特徴的な、青色のローブを着ている。
ただの老人に見えるが、実際は地方騎士なんかとは比べ物にならない高位のお方――神官様だ。失礼をするわけにはいかない。
汗まみれ泥まみれの俺は一つ礼をして、さっさと自室に避難した。
――
「騎士殿。して、今年は何人が『儀式』を受けるのだったか?」
「我が領からは、五人が新しく成人を迎えました」
父上と神官様の会話を邪魔しないように、静かに食事をする。
何が面白いのか、父上は時折大きな笑い声をあげている。俺に修業をつける時の、厳しい表情は想像できない。
どこの世界でも大人は大変だなと他人事のように思うが……あと数年で、俺が代わりに接待しないといけなくなる。胃が痛い。
「アル殿と言ったかの、今年でいくつだ?」
神官様が突然、俺に話を振ってきた。
「今年で七歳です」
「ほっほっ、そうか。だとしたら『儀式』を受けるのは八年後となるの。いずれ、自分も受ける時に粗相の無いよう、明日はしっかりと学ぶのだぞ」
「はい、学ばせていただきます」
去年も一昨年も同じことを言われたなと思いながら、全く同じ返事をする。
俺の回答に満足したのか、神官様はまた父上と話し出した。
……『儀式』か。
いつもより豪勢な食事に舌鼓を打ちつつ、初めて『儀式』を見た日のことを思い出す。
あれは、俺がまだ二歳になる前だったか……母上の腕の中で、見た記憶がある。
水晶玉に手をかざす少年少女を、村人全員でジッと見守っている光景は、すごく不気味だった。
後になって知ったのだが、あれは年に一度行われる、簡単に言えば成人の儀式のようなものらしい。
何事もなければ良し。無事に大人の仲間入りだ。
ただ……。
酒のせいだろう、顔を少し赤く染めている神官様に目を向ける。
稀に『選ばれる』と、神官様になれるらしい。
これまで見た六回の儀式では、何も起こらなかった。なので、『選ばれる』というのが具体的に何なのか、俺は知らない。
まあ、少なくとも、俺が『選ばれる』ことはないだろう。
そんな期待は、とうの昔に捨ててしまった。
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