10話 『作戦考察』
夕食を食べ終わると、日はすっかり沈んでいた。
雪が降り、息が白くなる。
食事中にフレイさんに聞いたんだが、この森は一日で季節が一巡するらしい。
夜明けまでが春、昼までが夏、日没までが秋、深夜は冬。
どう考えても変だが、それをあまり変だと思わなくなってきた辺り、俺もだいぶ毒されてきたのかもしれない。
――
サラが風呂に入った。
フレイさんと居間で二人きりという状況。
昨日はものすごく居心地が悪かったけど、今日はそれほど悪くない。それはたぶん、よくも悪くも、俺の中でのフレイさんに対する評価が変化したからだろう。
フレイさんは意外と家庭的だ。
生肉に噛り付きそうな見た目のくせに、家事全般をそつなくこなす。
料理に掃除、洗濯――サラはからっきしダメなので、フレイさんが全部やってるらしい。
今も、今朝フレイさんのせいでボロボロになった俺の一張羅を、針を片手になんとか直そうとしてくれている。
「フレイさん」
「あ?」
「確認しておきたいんですが、僕ってもう……死ぬ心配は無いんですよね?」
フレイさんは顔を上げると、手に持っていた服と針を机の上に置いた。
「ま、そうだな。溜まってる魔素を消費できさえすれば、問題はねぇはずだ」
「そうですか……よかったです」
とりあえず、俺はホッと安堵の息をついた。
「だが、まだ自分の『能力』は分かってねぇんだろ? そんなことじゃ、俺には勝てねぇぞ」
ニヤリと笑うフレイさんに、俺はジト目を向けた。
「今更になって思うんですが、フレイさんって僕のこと見捨てるつもりだったんですか?」
「なんだ、やぶからぼうに……」
「確か、フレイさんに初めて会った時に渡した手紙には……僕の世話をしばらく見てくれ、って書いてあったんですよね?」
バツが悪そうに、フレイさんは視線を逸らした。
……俺がなぜか持っていた、フレイさん宛ての手紙。
その手紙の書き主は、俺の状態――自分の魔素によって死ぬ直前、という状態を知っていたのだろう。
だからこそ、その状態をどうにかできる人物――フレイさんの元に俺を送って、フレイさん宛てに『世話を見てやってくれ』という手紙を書いた。
で、その手紙を読んだフレイさんは、翌日に俺を森の出口まで案内してくれる予定だった。
つまり、俺を見捨てる気満々だったと、今になって理解したわけだが……まあ、それは別にいい。
「フレイさん。その手紙って、誰からの手紙だったんですか?」
「あ?」
「昨日ははぐらかされましたけど、教えてくれません?」
とたん、昨日と同じように、フレイさんの機嫌が急降下するのが分かった。
予想していた通りの反応だ。
とはいえ、昨日と違うのは、この話題に入る前に――わざわざ、前置きを挟んでいたこと。
俺の小細工のおかげか、フレイさんは機嫌悪そうにしながらも、重い口を開いた。
「何度聞かれても、小僧に教えることはできねぇ」
「……え、どうしてですか?」
「教えないように、そいつに言われてるからだ」
机の上に頬杖を突くと、フレイさんは怠そうに続けた。
「そもそも、そいつの正体を知って、どうしようってんだ?」
フレイさんは、よっぽど手紙の主のことが嫌いらしい。
そんな相手に言われたことに、フレイさんがキチンと従うなんて……何か、上下関係みたいなものがあるのか?
「僕には探してる人がいて……たぶん、その手紙の主が、何か手掛かりを知っているからです」
「探してる?」
フレイさんは眉をひそめる。その表情を見ていると、ふと、俺はあることに思い至った。
「……そういえば、僕がここに来たいきさつとか、フレイさんに一度も言ってなかったですね」
――
フレイさんなら何か分かるかもしれない。そんな期待を込めて、俺はこれまでのいきさつを語った。
「――というわけで、ひとまず、どこかの教会に行こうかと思ってるんですが」
「いいんじゃねぇか?」
興味なさげに、裁縫をしながらフレイさんは続けた。
「小僧が言ってることの十の九は意味不明だったが……まあ、教会に行くってのは悪くねぇ」
「そうですか!」
「おう。教会でとりあえず、一番偉そうな奴をぶちのめせ。そしたら、何とかなるだろ」
……あれっ?
ひょっとして、フレイさん……適当なこと言ってないか?
「あの、どうして神官様をぶちのめさないといけないんですか?」
「俺の時は、そうやったら……ああー、金髪っつってたか? そいつに会えたからな」
「……はい?」
まじまじと、フレイさんの顔を見つめる。フレイさんは顔を上げることなく、ちくちくと針を動かしていた。
……フレイさんが言うと、冗談かどうか分かりづらいな。
それはまあ、置いといて……フレイさんにいきさつを語ったことで、幾つかの成果を得ることができた。
一つ目。フレイさんに昨日聞いた時、金髪のことを知らないって言ってたけど……さっき話してみたら、あっさり手紙の主と金髪が同一人物だったってことが判明した。
単に、蝙蝠に変身できるってことを知らなかったらしい。
最初から金髪って伝えといたら、こんなややこしいことにならなかったのに……と思うと、ちょっとばかしガックリ来た。
二つ目。金髪と知り合いのフレイさんは、俺の『教会に行く』ってプランを否定しなかった。
ということは、俺のプランは正しい、ということになる。
結局、俺の元々のプランに変更はないけど……それに根拠が加わったってことは、精神的に大きな成果だ。
予想外の嬉しいことに、俺は少し気が大きくなっていたのかもしれない。
「……ぶちのめすかどうかはともかく、取りあえず教会に行ってみることにします」
「おう」
「フレイさんをぶちのめしたら、出発します」
フレイさんは針の動きを止めて、深紅の瞳を持ち上げた。
「サラと約束してしまったので。サラをフレイさんに勝たせるって」
「……俺が爺になっておっ死ぬまで、出発できねぇかもしれねぇぞ?」
ニヤリと、獣のようにフレイさんは――
「上がったわよ!」
バンッと、サラが扉を開けて現れた。
髪の毛からは、白い湯気が昇っている。
サラは深紅の瞳で、俺とフレイさんを不思議そうに見つめた。
「ふたりとも、ナニしてるの?」
〇〇〇
「ん」
ポツリ、と降ってきた雨滴に、サラは空を見上げた。
「降ってきたから、ちょっときゅーけいするわよ」
それだけ言うと、一人さっさと巨木の陰へと向かった。
幹を背もたれに座るサラを追いかけて、俺はその正面に座る。そんな俺を、サラはジーッと見つめていた。
「……なに?」
「アル、さっき『能力』つかってたでしょ?」
語尾は疑問形だが、サラは確信しているようだった。
俺の『能力』は磁力じゃない――昨日、鉄片が弾け飛んだのを見て、俺はそのことに気が付いた。
で、夕飯を摂ってる最中に、うっすらとその正体に思い至って、風呂に入りながら実験をした。
さっきまでのサラとの模擬戦では、実際に戦闘に応用してみたわけだけど……サラも、俺が昨日よりも手強くなっていることに気付いたらしい。
「なあ、サラ」
「ん?」
「少し、作戦を立てないか?」
「さくせん?」
「ああ。フレイさんを倒すための作戦」
――
観察しろ。
父上が口を酸っぱくして言っていたことだ。
相手の動きを、周囲の環境を、自身の状態を、全てを観察しろ。
観察して、そこから得た情報を総合して、最適な戦略を立てる。
父上との修練でみっちりと叩きこまれた教えは、今では俺の深くに根付いている。
まずは、観察。
今日の俺の仕事は、フレイさんを観察することだ。
俺の視線の先では、フレイさんとサラが戦っていた。
昨日と比べると、フレイさんは少しやりづらそうにしている。
俺が、サラに一つアドバイスをしたからだ。
頭、胸、腹、腰、左腕、左腕、左太腿、右太腿、左脛、右脛――計十か所を、意識して攻撃すること。
フレイさんとサラは、物心ついた頃から、毎日模擬戦をしているらしい。
それはつまり、フレイさんはサラの戦闘の癖を熟知しているということ。
攻撃部位を分散させることで、サラの動きはいつもと違うものになる。
そのせいで、フレイさんはこれまでの経験に引っ張られて、動きがややぎこちなくなっている。
動きがぎこちないということは、当然、サラの攻撃を回避できない場面も多くなってくる――それが、俺のアドバイスの目的だ。
回避ができない時、フレイさんは『能力』を使う。
それを観察して、フレイさんの『能力』が何なのか、少なくともそれだけは、今日の模擬戦で解き明かさないといけない。
もちろん、フレイさんの『能力』は、サラから聞いている。
氷を作る『能力』。
……本当にそうなんだろうか?
昨日のサラとの模擬戦で、フレイさんは三つの不思議能力を使った。
一つ目、氷を作る。
これは、まんまだ。
二つ目、拳の軌道をちょっとだけ逸らす。
腕がちょっとヒンヤリした、とサラは言っていた。
三つ目、サラの拳を受け止める。
昨日見た時、手のひらに氷が張ってるのが見えたが……薄い氷であんな衝撃を受け止められるわけがない。
これら三つの全てを氷だけで説明できるのか――少なくとも俺には、その原理が分からない。
もしも、フレイさんの『能力』が別のもの、あるいは俺と同じように複数持ってるのだとしたら……それを把握せずに挑むのは、それなりのリスクがあるだろう。
――
フレイさんの腹目掛けて、サラが右ストレートを繰り出した時だった。
危なげなく避けたフレイさんに、サラがかなり無理な姿勢で追撃する。
地面に突いた左手を軸に、フレイさんの左肩に回し蹴りをしようとしているらしい。
サラの右足は、午前の雨でぬかるんだ地面を削り取った。
「おっ……」
飛んできた泥に、思わず目元を手で隠したフレイさんは、一瞬サラの動きを見失っていた。
サラの左拳が、フレイさんの顔面に入る――
その様子を、俺は観察していた。
ずっと、形にならない違和感はあったけど……さっきのは、かなり露骨だったな。
案の定、サラの拳はフレイさんに当たらなかった。
毎度のことに、サラの拳の軌道が逸れたからだ。
その、サラの拳の軌道が逸れる直前。
サラの腕の上下の風景は……歪んでいた。
――
「はぁっ……はぁっ……はぁっ……」
フレイさんが終了を告げた瞬間、サラは地面に倒れ込んだ。
相変わらず、フレイさんは余裕の表情だ。
フレイさんはサラを捨て置き、俺に近付いてきた。
「サラに入れ知恵でもしたのか?」
「さあ、どうでしょう?」
ふんっ、とフレイさんは鼻を鳴らして、俺の額に軽くチョップをした。
「明日、楽しみにしてるぞ」
ニヤリと笑ったフレイさんは、昨日と同じようにどこかへと消えてしまった。
――
「それで、ちゃんと分かったの? パパの『能力』!」
さっきまであんなに疲労困憊してたのに、どこからこんな元気が出るんだろうか?
数分と経たずに復活したサラは、わくわくした様子で近づいてきた。
「……たぶん、だけどな」
「ほんとっ!?」
嬉しそうな顔で、サラは身を乗り出した。
……サラは距離感が近いから、ちょっと困るんだよな。今だって、ぶつかりそうなくらい近い。
俺は一歩後ろに下がりつつ、腕を組んだ。サラは、キラキラした瞳で俺を見上げている。
「フレイさんの『能力』は、水を作ることだ」
「水? ……氷とは、ちがうの?」
「氷を作るのはあくまで『能力』の一部ってことだな」
フレイさんは氷だけでなく、水や水蒸気も作れるのだろう。
俺の乏しい理科知識だけでも、ものすごく応用のきく『能力』ってことが想像できる。
きょとんとした顔のサラを見下ろつつ……俺は、ちょっと不安を感じていた。
……勝てるかな?
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