06話 『三色法』
ペットボトルロケットをイメージして欲しい。
ペットボトルの中に水を少量入れ、ひっくり返す。
そこにポンプで空気を入れて、中の気圧を高め――栓を外した瞬間、ペットボトルは空へ飛んでいく。
……だけど、もし栓を外さなかったら?
栓を外さないまま、どんどん空気を詰め込んでいったら?
ペットボトルは破裂する。
……これが今の俺の状態らしい。
ペットボトルの代わりに、俺の体が爆発四散するのも秒読み、だとか。
もちろん、この世界にペットボトルなんてないので、牛の膀胱だとか、イメージしづらい例えだったんだけど……フレイさんは今の俺の状態を、懇切丁寧に説明してくれた。
俺はその事実を受け入れざるを得なかった。
何より、実感として、納得してしまう自分がいる。
フレイさんに素点を突かれた時――その時に感じた、痛み、苦しみ。
ちょっと負荷がかかっただけで、あれだ。
完全に崩壊した時、一体どれほどの苦しみが襲ってくるのか……。
……あの少女のとこに早くたどり着きたいけど、死んでしまったら元も子もない。
魔素だとか、素点だとか、今初めて聞いたことばかりで、俺にはどうすればいいか分からない。
だが、幸いにして、目の前に専門家がいる。分からないことは聞けばいい。
「……僕の素点にかかってる負荷って、取り除く方法はあるんですか?」
フレイさんはニヤリと笑う。
……思えば、俺に状況を説明する間、フレイさんは終始気楽な雰囲気を出していた。
もし、俺の状態が既に手遅れで、手の施しようもないのなら……いくらフレイさんでも、もうちょっと深刻な表情をするんじゃないか?
俺の予想は当たっていた。
「もちろん、あるぞ。お前の場合、魔素の量が突然増えたから、いっぱいいっぱいになってる状況だ。だったら、余計な魔素を捨ててやればいい」
「……つまり、どういうことですか?」
「例えば――」
フレイさんが俺の右手を取った。傷の一つもない綺麗な手だ。
ついさっきまで、擦り傷がたくさんあったのに。
「傷の治癒。これにはかなりの魔素が消費される。あとは、激しい運動をするのでもいい」
……つまり、ひたすら走ったりすればいいのか?
自分でわざと怪我をするのは……あんまりやりたくないし。
それくらいなら何とかなりそうだ。
「分かりました。それではさっそく外で運動してきます」
俺がそういって椅子を立つと、
「まあ、待て」
フレイさんが、俺の肩に手を置いた。
「なんですか?」
「普通に走り回る程度じゃあ、消費できる魔素なんてたかが知れてる。今のお前は、そんな悠長なことをしてる状態じゃない」
「じゃあ、どうしたら?」
「さっき説明しただろ。魔素は、自分の意志で使えるんだ。訓練すればな」
つまり、ラインハルトや蝙蝠と同じように、不思議な力を使えばいいってことか? そんなの、たった三日でできるわけが――
「俺が、何とかしてやる」
フレイさんが、力強い声で言った。
……あれ? どうしてだろう?
フレイさんが、段々と頼もしく見えてきたんだけど。
俺は手のひらで目をこすった。
目が合った瞬間、フレイさんが力強く頷いた。
……さっきまで、俺の中でのフレイさんの評価は、ほとんど底値だった。
殺されかけたんだから、当然だ。
でも、考えてみれば、昨日は寝床とご飯をくれたじゃないか。
一回殺されかけたからって、なんだ。
……そんなことは水に流してしまえばいいじゃないか。
俺はフレイさんに右手を差し出した。
フレイさんはニヤリと笑って、俺の手を――
「ワタシがやるわ!」
俺の手を、サラが掴んだ。
「は? ……さ、サラ? 突然どうした?」
「だから、ワタシがやるわ!」
サラがもう一度宣言した。
若干不機嫌そうな声だ。
「ちょ、ちょっと待て! 駄目だ」
フレイさんが俺の心情を代弁してくれた。
俺は深く、何度も頷いた。
フレイさんも一度『何とかしてやる』と言ったんだから、その責任を取ってくれ。
「イヤよ! ワタシがやるの!」
「い、いや……だが。こいつには時間が無いんだ。ここは俺が――」
「ワタシがやるの!」
「……と、言ってもな」
「ワタシが――」
――
「と、いうわけで……サラに任せようと思う。サラの言うことには従うように!」
フレイさんが、腕を組みながら言った。
「そうよ! ワタシの言うことには、したがうように!」
サラがフレイさんの隣で腕を組んでいる。
……どうするんだよ。
俺が視線を向けると、フレイさんは目を逸らした。
「心配しなくても大丈夫だ。サラには一通り、教えるべきことは教えてあるからな。何とかなる……と、思うぞ?」
本当にそう思ってるなら、せめて語尾を疑問形にしないで欲しい。
「じゃあ、さっそく行くわよ! 付いてきなさい!」
サラは一人で宣言すると、玄関から飛び出していった。
――
「それじゃー、モギセンをするわよ!」
サラが腕を組んで宣言した。
まわりの巨木に反射して、サラの声が木霊する。
周囲は、既に見慣れた巨木の風景――ではない。
妙にボロボロだ。
折れている木こそないが……どの木も、何かしら傷がついている。
表面が陥没していたり、深く、長い亀裂が入っていたり。
ちょうど、俺のすぐそばにある巨木にも、大きな陥没が出来ていた。
直径は一メートルほど。
円錐状に抉れている。
家木から走って半刻ほどのこの場所は、サラいわく訓練場らしい。
普段から、ここでサラとフレイさんが模擬戦を繰り広げているんだとか。
「その前に、一ついいか?」
「なに?」
「模擬戦をすれば、俺の中の魔素が消費されるのか?」
「そうよ!」
「だけど、フレイさんからは、そんなのじゃ足りないって言われてるんだけど……」
サラは不思議そうな顔をした。
「ちゃんと魔素をつかって動けばいいじゃない」
「……まずは、その、魔素を使う方法を教えて欲しいんだけど」
「そんなの、フツーにするだけよ。――ほら」
傍らの巨木に右拳を突き出すと――巨木が破裂した。
サラのちっちゃな拳を中心として、巨木全体が振動している。
サラが拳を引き抜くと……傍らの木には、新しい陥没が出来ていた。
ちょうど、他の木にも数えきれないほどあるのと、同じものだ。
……なるほど、これが魔素をちゃんと使うということか。
莫大なエネルギーだ。
走り込みだけで、これと同量のエネルギーを消費するのは、現実的ではない。
「どう? 分かったわよね!」
サラがニコッと笑顔で言ってきた。
……分かりません。
俺には、サラの細腕のどこからあんな量の力が発生したのか、皆目見当がつかない。
そんな俺の内心を、サラは全く忖度しなかった。
「それじゃあ、モギセンを始めるわよ!」
サラは再度宣言した。
もちろん、こんな化け物と模擬戦なんてしたら、俺の体は木っ端みじんだ。
一発受けただけで、人生終了だろう。
「あっ、ちょっ……どこ行くのよ!」
俺は、逃亡した。
――
「……イイワケを聞いてもいいわよ」
俺の腹の上に、小さなお尻を乗せた状態で、サラが言った。
俺は力尽き、地面に大の字になっている。
……息が苦しい。
それに、心臓も。
……これは、完全にあれだな。
素点に負荷がかかったからだ。
逃げ回れた時間はせいぜい数分だったが、一生分走った気がする。
サラの拳や足が頭をかすめるたびに、生きた心地がしなかった。
俺が言い訳も言えずに、ただゼーゼーと酸素を吸ってると――サラが立ち上がった。
「アルって、魔素つかえなかったのね」
……最初から俺はそう言ってたはずだが、ようやくサラにも分かってもらえたようだ。
俺はコクリと頷いた。
「――で、『色』は赤よね?」
と、当然のように続けた。
何のことだ?
知らない。
首を、フルフルと振った。
「じゃあ、何色?」
首を小さく傾げた。
「えっ、それも知らないの?」
首を縦に、コクコクと動かす。
「もうっ! それならそうと、はやく言いなさいよっ!」
「ぐえっ!」
サラに腹を踏みつけられて、変な声が出た。
「ここで待ってて!」
サラは一言いい捨てて、どこかへと消えていった。
――
サラは二十分ほどで帰ってきた。
地面に座ってぼんやりしていた俺の目の前に、サラがしゃがみこむ。
サラが手のひらを開くと、大量の魔石が地面に落ちた。
赤、青、緑。
三色全てがそれぞれ二、三個ずつ。合計七個だ。
「いい? 一度しかやらないから、よく見てて」
何の説明も無しに、サラはそれだけ言った。
訳分からないが、とりあえずサラを注視する。
サラは、赤色の魔石を一つ手に取った。小さめの魔石なので、サラの手のひらの中に、すっぽりと収まる。
サラがギュッと拳に力を入れると……再び開かれたサラの手のひらの上には、赤い粉末が乗っていた。
「いや、無理だって」
俺にそんな馬鹿力はないのだ。
「はあ、しょうがないわね……ここはワタシがやってあげるわ!」
サラは、赤魔石の粉末を地面に落とし、小山を作った。続けて、青魔石、緑魔石でも同じように小山を作っていく。
最終的に、三色の山が正三角形の頂点となるように、サラの目の前に配置されていた。
同じように、俺の目の前にも、サラの正三角形と鏡対象になるように、三つの小山が作られた。
「これで、準備はかんりょーよ!」
「何の準備?」
「もちろん、『色』を見るための!」
……だから、『色』ってなんだよ。
「『色』っていうのは、魔素のせーしつのことよ!」
「魔素の性質って?」
「えっと……魔素を使ったときに、どんな効果があるかで分けられてて……赤・青・緑の三種類あるわ! えっと……それぞれの色によって、しゅぎょーほーほーが違うから、ちゅーいしないといけない……らしいわよ!」
なぜか棒読みなのが気になるけど……どうしたんだ急に?
サラがマトモな説明をしてるぞ。
「『色』を判定するのはカンタン。ワタシがやるから、同じようにすること!」
そう言うと、サラは膝立ちになった。両手を、正三角形の中央にかざしている。
俺もサラの格好を真似る。
――ワクワクする。
もしかして、魔石が光ったりするんだろうか?
俺が期待に胸を膨らませて、その姿勢のまま待っていると……サラの方には変化が起きた。
俺が想像していた通り、赤・青・緑の小山が、光を放ち始めた。
一方、俺の方の魔石は、うんともすんとも言わない。
自分の魔石とサラの魔石を交互に見ていると、サラの側には、さらなる変化が起き始めた。
三頂点の山から、魔石の粉が中央に移動していく。
風なんて吹いてないし、もちろんサラが触っているわけでもない。まるで生きているみたいに、魔石の粉末が動いている。
どの山からも魔石粉は移動しているが、その比率は違う。
赤色の山から、一番早い勢いで魔石粉が正三角形の中央へと流れている。それと比べると、青山と緑山からの流入はわずかだ。
三色が混じり合い、中央には赤色の山が完成した。
「どう? アルは何色だった?」
ずっと下を向いていたサラが顔をあげた。
「……ナニしてるの?」
何の変化も起きていない、俺の前の三つの山を捉えて、サラがぽつりと言った。
「魔素を手にしゅーちゅーさせるの! はやくして!」
「いや、だから……やり方が分から――」
「いつもやってるでしょ!」
サラが、俺の言葉に被せてきた。
いつもやってるって……そんなことをした覚えはないんだが。
無自覚に、魔素の操作をしてたのか?
……うーん、分からん。
気合込めたらいいのか?
さっそくやってみる。
――動け!
――動け!
……当然ながら、魔石の粉は微動だにしない。
何だか馬鹿らしくなってきて、集中が途切れてきた時――魔石が光り始めた。
慌てて集中し直すと、途端に魔石の発光が止まった。
……あんまり集中し過ぎたら、駄目なのか?
じゃあ、ちょっとボーっとする感じで?
――魔石が光り始めた。
反射的に集中しそうになるが、グッと耐える。
そうしているうちに、ゆっくりと魔石粉が動き始めた。
サラと比べたらやたらノロノロした動きだが、着実に魔石粉は中央に集まっていって――
「んー? ……『青』と『緑』みたいね!」
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