05話 『余命三日』
……暑い。
身体の上の何かをどけようとすると、手のひらが食い込んだ。
柔らかくて、温かい。
「……ん?」
ぼんやりとした頭で周りを確認してみる。
まず、俺の上に乗っているもの。
目と鼻の先に、サラの顔があった。スースーと、気持ちよさそうに寝息を立てている。
気持ち悪いので、とりあえずサラをベッドに転がした。
ようやく自由の身になった俺は、ベッドの上で身体を起こす。
額の汗を拭う。
それにしても……暑い。服が汗でぐっしょりと湿っている。
窓の外を見ると、すっかり日は登っている。太陽の位置を見るに……朝の七刻くらい。
日光を浴びていると、肌から汗が噴き出してくる。
もう一度、腕で額の汗を拭っていると――
「サラ! そろそろ起、き……ろ……」
ノックもなしに、フレイさんが入ってきた。
「あ、フレイさん。おはようございます」
「……」
フレイさんは、扉を開けたままの姿勢で固まっていた。
「うー、あつい」
フレイさんの大声で、ようやくサラも目を覚ましたらしい。
俺と同じく、汗でびしょびしょになってる服を、指先で摘まんでいる。
俺と目が合うと、サラはパッと笑顔になって、
「あ、アルっ! おはよー!」
「ああ、おはよう」
「とちゅーで寝ちゃダメでしょ! つづきは今晩だからね!」
サラは四つん這いで近づくと、額の辺りをチョップしてきた。
「――おい」
後ろから、地の底から響くような声が聞こえた。
全身に鳥肌を立てながら振り返ると、フレイさんがすぐ後ろに立っていた。
無表情に俺のことを見下ろしている。
「お前、覚悟はできてるんだろうな?」
「え? あ、あの……フレイさん?」
フレイさんの、丸太のような腕が伸びてくる。
「――ぐぇっ」
首を掴まれて、持ち上げられる。
全体重が首にかかる。
息が……できない。
フレイさんの腕を両手で掴もうとするけど……太すぎて、掴めない。
赤く染まる視界の中央に、金剛力士の顔が見えた。
「俺の娘に、なにしとんじゃあッッ!!」
フレイさんが、小枝のように俺の身体を振り回す。
全身の血液が、一瞬で足の方へと落下した。
〇●〇
ふと気づくと、俺は空を飛んでいた。
巨木の葉っぱの隙間から、青空が見える。
足元の方へと視線を向けると――フレイさんの姿が見えた。
……どうやら、俺は窓から放り投げられたらしい。
微妙に縦回転がかかっているようで、徐々に地面の側が見えてくる。
茶色い地面には、ところどころに水たまりがある。
地面までは、五メートルくらい。
……あれっ?
これって、マズくないか?
もしかして、このままじゃ――
……死ぬ?
無我夢中で、身体をダンゴムシのように丸める。
同時――
「がはッ!!」
尋常でない衝撃が背中を襲った。
肺の中の空気が、一瞬で全部出てしまう。
丸めていた身体も、解けそうになる。
けど、俺は耐えた。
歯を食いしばって、俺をバラバラにしようとする力に抵抗した。
胸が痛い。
胸の中央。
そこが、刺すように痛い。
その痛みにも耐えていた俺は――全身を、固いものに叩きつけられた。
回転が止まる。
……遠くの方で、緑の葉が風に揺れているのが見えた。
「……」
生きてる……のか?
全身が痛いけど……胸が一番、痛い。
でも、痛いってことは……生きてるってことだ。
――視界の中央に、ぴょこりと深紅の髪の毛が見えた。
サラが、傍から俺のことを見下ろしている。
「だいじょーぶ?」
軽い調子で聞いてきたサラの顔を、まじまじと見つめる。
俺は、さっきフレイさんが叫んでた言葉を、思い出していた。
確かに、言われてみたら……そう見えなくもない。
髪の毛が短いし、初対面の時の印象があったから、気付かなかった。
……サラって、女の子だったのか。
――
「いやあ、ほんと悪かった。俺の勘違いだったみたいで」
ハハハッ、と笑いながらフレイさんは言った。
俺とは机の反対側に座っている。
ちなみに今の俺が着ている服はフレイさんのものだ。
さっきまで着てた服――母上が『儀式』のために用意してくれた一張羅は、ボロボロになってしまった。
なので、フレイさんの服を借りている。身体の大きさが倍以上違うので、ダボダボだ。
「構わないです。僕にも悪い所はあったので」
朝に娘の部屋に行くと、男と一緒に汗だくになって眠っている――そんな場面に出くわしたら、怒るのも無理はない。
……まあ、そんなことで人を殺すのは、どう考えてもおかしいが。
俺が頑丈だったから、幸いにして五体満足だけど……地上十メートルから、しかもミサイルのような速度で放り出されたら、普通は死ぬ。
フレイさんも多少は反省してるらしく、居心地悪そうにソワソワしている。
「……本当に大丈夫です。それより、昨日約束してくれましたよね? 今日、森の出口まで案内してくれるって。そろそろ出発しませんか?」
「ん? ああ、そうだったな」
俺が椅子から立ち上がっても、フレイさんは立ち上がろうとしない。
代わりに、フレイさんの隣に座っていたサラが立ち上がった。
「えっ……アル、出て行っちゃうの?」
「ああ。先を急いでるからな」
「昨日のつづきは?」
「続きは……自分で見に行ったらいいんじゃないか? サラなら、どこにだって行けるだろ」
むすっと、サラは口をへの字に曲げた。
俺はサラから視線を外して、フレイさんの方を向いた。
「フレイさん、早く行きましょう」
「……なぁ、小僧。俺もな、ちっとばかし、やり過ぎたような気がしてる。だから、お詫びと言っちゃなんだが――」
フレイさんが椅子から立ち上がった。
「しばらく、お前を預かることにする」
「……は?」
意味が分からず、俺は声を荒げた。
「ちょっと、待ってくださいよ! 森の出口を教えてくれるっていうのは、どうなったんですか!」
「まあ、なしだな」
「なしって……急いでるんです! たとえフレイさんが道を教えてくれなくても、勝手に出て行きますよ!」
フレイさんは、無言だった。何も言わず、机をまわってこちらへと歩いてくる。
「な、なんですか……」
「ここか?」
俺の胸に、フレイさんが右手の親指を突き立てた。
胸の中央に、ソーセージみたいな指が食い込む。
瞬間――
「がっ、は……!?」
心臓に激痛が走った。
――刺された?
あまりの痛みに、立っていられない。
自分の胸に手を当てながら、俺は椅子の上に倒れ込んだ。
「あ、アル……?」
サラが不安そうな声で俺の名前を呼んだ。
俺とフレイさんの顔を、交互に見ている。
俺は胸を押さえながら、フレイさんのことを見上げた。
フレイさんは、冷徹な瞳で俺のことを見下ろしながら、
「ほれ」
軽い調子で言って、さっきと全く同じ点を指先で突いた。
「……あれ?」
嘘のように、心臓の痛みが消えた。
……訳が分からない。
呆然とフレイさんの顔を見つめていると、
「思ってたより、ギリギリだったんだな」
なんて言いながら笑っている。
「何をしたんですか?」
「ん? 素点を突いただけだが」
……素点?
「パパ、素点って何?」
サラが、首を傾げながら言った。
「……サラには説明したことがあるだろ」
「そうだっけ?」
サラを見つめるフレイさんは、渋い顔だ。フレイさんは俺に視線を向けて、
「で、お前はどこから知ってるんだ?」
どこから、って言われても……。
「魔素、色、三色法――聞いたことのある単語はあるか?」
「あっ! それなら、ワタシ知ってるわよ!」
サラが嬉しそうな声をあげた。
「えっとね――」
――
サラの説明は意味不明だったけど、隣からフレイさんが補足――というか、ほとんど全部説明してくれたので、どうにかこうにか理解できた。
まず、全ての人間の身体には魔素と呼ばれる、不思議な力が流れている。
魔素は流れを作って循環してるんだけど、身体の中には魔素が滞る場所――素点があるらしい。
ちょうど、リンパ、リンパ節、って感じだと、俺は理解した。
で、この魔素が何をしてるのかと言うと、身体能力や治癒能力を向上させる効果を持っているんだとか。
ここまでが、人間全てに当てはまる話。
一部の、魔素の力を引き出せる人間は……不思議な力を使える、らしい。
前情報なしにこんなことを聞かされたら、眉唾ものだろう。けど……俺はたぶん、実例を何人も知っている。
影の中から手を出せるラインハルトや、蝙蝠に変身できる金髪。常人離れした身体能力を持つサラもそうだし……たぶん、フレイさんもそっち側なんだろう。
そこまで話を聞いて、久しぶりに中二魂が刺激されるのを俺は感じていた。
……とはいえ、本題を忘れてはいけない。
「それで、どうして僕の素点を突くと、激痛がするんですか?」
「素点が腫れてるからだ。小僧の場合、いきなり魔素の量が増えたせいで、素点に負担がかかってるんだろうな」
思うに、病気でリンパ節が腫れてる時に、指でグリグリ刺激した感じ、かな?
そりゃぁ、痛いだろう。
「痛いって分かってるんなら、やらないでくださいよ。あのまま死ぬかと思うくらい、痛かったんですけど」
「おお、悪い悪い。まさか、あそこまで痛がるとは思わなくてな」
フレイさんは全く悪びれずに、ヒラヒラと手を振った。
「でもまあ、良かったじゃねぇか。ほんとに死ななくて」
「……は?」
「三日ってとこだな」
フレイさんは、明日の天気でも話してるかのような、軽い口調で続けた。
「このままだと、死ぬぞ。お前」
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