04話 『深紅の親子 後編』
「俺はフレイだ。で、さっきのがサラ。しばらくお前のことを預かることになった。名前くらいは覚えておけ」
金剛力士――もといフレイさんは、一方的にそんなことを言ってきた。
「……あの。さっきの手紙? に何か書いてあったんですか?」
「ああ。しばらくお前の世話をみてやれってな」
……フレイさんへ宛てた手紙が、俺のポケットに入っていた?
そんなことができるのは、俺がフレイさんに会うと知っている人物だけだ。
つまり――
「実は僕、人を探してて……蝙蝠に変身できる女性と、背中に翼の生えている女の子です。どちらも、神官様だと思います。心当たりはないですか?」
俺をここに送ったのは、あの二人だ。
あの二人しか、俺がここに来ることを知らない。
つまり、フレイさん宛ての手紙を書けるのも、二人だけということになる。
もしフレイさんが、その正体を知ってるなら……わざわざ教会を探すまでもない。
既に、俺はゴールの直前に立っていることになる。
「なんだそりゃ? そんな気持ち悪いやつら、知らねぇぞ」
と、思ってたけど、フレイさんの反応は期待外れな物だった。
「え、でも……それなら、さっきの手紙は誰からのものだったんですか?」
「あ? なんでそんなこと、お前に言う必要があるんだ?」
「す、すみません」
「そんな詰まらねぇ話、どうでもいいだろ。アイツのことを話されると気分わりぃしな。――付いてこい」
吐き捨てるように言うと、フレイさんはドシドシ歩いて、サラがさっき消えていった扉を開けた。
奥には廊下が続いていて、左右に二つずつ、奥に一つ扉がある。
フレイさんはズンズンと廊下を歩いて、一番奥の扉を開けた。
「便所の隣だから、臭ぇがな。まあ、これぐらい我慢しろ」
中は物置になっていた。何かが詰まった袋や、食べ物らしきものが置かれている。
とはいえ、部屋の大部分は空っぽ。ごろりと大の字になっても、問題のないスペースがある。
……たしかに、フレイさんの言う通り、部屋の中は微かに匂いがする。でも、我慢できないほどじゃない。
「後で毛布を持ってくる」
それだけ言って、フレイさんは部屋を出て行こうとした。
「あの、フレイさん」
「……なんだ?」
「泊めてくれるんですか?」
フレイさんは呆れたような顔をした。
「さっきからそう言ってるだろ」
「でも、えっと――」
「言いたいことがあるなら、さっさと言え」
俺はちょっとビビりつつ、フレイさんの顔を伺った。
「あの、先を急いでいて。できれば、森の出口を教えていただけないかな、と」
「……それでいいなら、別に構わねぇが」
「本当ですか! ありがとうございます!」
……フレイさんが、深紅の瞳で見下ろしてくる。
「取りあえず、今日は泊ってけ。明日案内してやる」
それだけ言って、パタンと扉を閉めた。
――
フレイさんから毛布とパンを受け取って、俺は今朝ぶりの食事を摂った。
すると、今度は眠たくなってきた。
毛布をかぶって、目を閉じ――
「あっ、いた!」
扉が勢いよく開いて、サラが部屋の中に入ってきた。
「パパが、ふろに入りなさいって!」
見ると、サラの髪は湿っていた。白い湯気が立っている。
「分かりました」
立ち上がりながら返事をする。
睡眠を邪魔されたのには、ちょっとイラッとしたけど……風呂と言われたら、起きざるをえない。
なぜか、サラは腕を組んだまま、廊下で俺を待っている。
俺が扉の外に出ると、サラは右隣の部屋を指差した。
「ここ、ワタシの部屋。ふろのあと、来て!」
――
浴室は、居間から廊下に入って、最初の右側の部屋だった。
小さな脱衣所があって、そこからさらにもう一つ扉を抜けると、浴室があった。
浴槽も排水溝も、全てが一木削り。奥の壁には、大きめの窓がある。湯船に浸かったら、露天風呂気分を味わえそうだ。
……浴槽からは、湯気がもくもくと立ち昇っている。
あったかい湯気に包まれながら、浴室の入口で立ち止まる。
……前世では、ボタン一つで風呂を沸かせたけど、人力でやろうと思うと大変だ。
まず、数百リットルの水を川から汲んでくる。それから、大量の薪を割って、火をつけて、ふいごで炎を大きくする。
風を送るのを止めたら炎が小さくなってしまうから、風呂が沸くまで――数十分間、ずっと風を送り続けないといけない。
普通の平地でもそうなのだ。
まして、こんな木の上に水を運ぶ労力なんて計り知れないし……そもそもここは木の上だ。どうやって火を焚いてるんだ?
浴槽には、なみなみとお湯が張られていた。
それどころか、絶えずお湯が加わっていて、それと同量が、常にこぼれ出している。
お湯は壁を伝って――天井から落ちてきている。
近くに寄って見ると……天井に、深い裂け目がある。その裂け目の中から、お湯が湧き出しているようだ。
「……」
まあ、お湯の出どころなんて、どうでもいいか。というか、さっさと湯船に浸かりたい。
そのまま湯船にドボンと行きたい衝動にかられたけど……元日本人として、マナー違反をするわけにはいかない。
かけ湯をして、全身を洗って……満を持して――
「んっ……はぁ…………」
我ながら、色っぽい声が出た。
でも、それも仕方がない。
だって、十五年ぶりの風呂だ。
今世では、濡れた手巾で身体を拭いたり、夏だったら川で水浴びをしたり……そんな感じだった。
もちろん慣れはしたけど、ずっと物足りなさを感じていた。
「……ふぅ…………」
お湯をすくって、顔にかける。
目元にかかった髪の毛をかき上げて、窓から外の風景を眺める。
木の上だからか、巨木の葉っぱは、地上から見るよりだいぶ疎らだ。
雲の隙間から、三日月が見える。
月光を背景に、何かがパラパラと降っている。
……雨? でも、それにしては……雨音は聞こえない。
疑問に思って、俺は湯船から立ち上がった。
窓から顔を出すと――冷たい風が吹いた。
お湯に濡れた身体に直撃して、慌てて湯船の中に浸かり直す。
窓からは、風に乗って何かが吹き込んでいた。
……ひらひらと落ちてくる、白い綿。
手のひらで受け止めると……雪は、溶けて消えてしまった。
――
木の扉を二回ノックすると、すぐに扉が開いた。
「おそいっ!」
扉が開いた瞬間怒られた。
「すみません。遅くなりました」
サラはむすっとした顔をすると、部屋の奥に消えた。
……フレイさんと比べると、サラへの恐怖が和らぐような気がする。
というか、サラは見た目小学生くらいだ。顔だって、フレイさんのフの字も無いほどに中性的。某アイドルグループにいそうな感じ。
熊をぶっ飛ばすのを見たせいで、若干の恐怖心を感じるけど……それもかなり、小さくなってきた。
おずおずと、サラの部屋の中に入る。
部屋の構造は、俺が泊めてもらっている部屋とほぼ同じ。
ただ、俺の部屋に置かれている諸々の荷物が無くなっていて、代わりに木のベッドがスペースを取っている。
このベッドも木を削って作ったものらしく、下の部分はそのまま床へと繋がっていた。
サラはベッドの上に座っていて、じーっと、俺のことを深紅の瞳で見つめている。
「……どうしました?」
「きもちワルイ」
突然罵倒された。
俺は、自分の顔が引きつるのを感じながら、スルーすることに決めた。
「……それで、どのような用件でしょうか?」
「それ、止めて」
サラは不機嫌な表情をしたまま、ベッドから立ち上がった。
いつかと同じように、胸と胸がぶつかりそうな距離まで近づいてくる。
身をのけぞらせる俺を、サラは下から睨みつける。
「しゃべり方!」
「は?」
「ました、とか! でしょうか、とか! ゾワッとするの!」
「……えっと、敬語を止めろってことか?」
試しに話してみると……ふんっ、と鼻を鳴らして、サラはベッドへと戻った。
ベッドの上に座って、その左隣りをポンポンと叩いている。
若干躊躇しながらサラの隣に座ると、サラは俺の太腿に両手をついて、身を乗り出した。
「あんた、そとから来たって言ったわよね!」
「そ、そうだけど」
「じゃあっ――」
サラは嬉しそうな顔をしながら、身を翻した。
見ると、ベッドの奥の方に薄い本が置かれていて、それに手を伸ばしているらしい。
サラはその本を両手で持つと、パラパラとページをめくった。
見えるページに文字は少ない。イラストばかりが描かれている。
サラは一つのページで手を止めた。
俺から見えやすいように本をひっくり返すと、両手で本を持ちながら、そのページを俺に見せてきた。
「――この、『海』っていうの、見たことある?」
見開きいっぱいに、海のイラストが描かれていた。
端っこの方には、海についての説明が教会語で書かれている。
……海か。
前世では海沿いの街に住んでたけど、今世では一度も見てないな。
「見たことない」と答えようかと思ったけど……瞳をキラキラ輝かせてるサラを見ると、正直に答えづらい。
俺は本に書かれている『海』についての説明を一読し、俺の記憶にある『海』と大きな違いはないことを確認した。
「……何度かあるよ」
「ほんとっ!」
俺が答えた瞬間、サラは興奮した声を上げながら、身を乗り出してきた。
「ほんとーに、しょっぱいの?」
「う、うん」
「おいしかった?」
「いや、美味しくはなかった」
「でも、パパはおいしいって言ってたわよ!」
「そ、そうなのか?」
……俺の知ってる『海』は美味しくないけど、こっちの『海』は美味しいのか?
「あっ、それとね。これ! この『砂漠』っていうのは――」
どうやら、サラはこの本について質問するために、俺を部屋に呼んだらしい。
正直、身体は疲れ切っている。今日は色んなことがあり過ぎて、身も心もヘトヘトだ。
でも、サラの嬉しそうな顔を見ていると……ちょっとだけ、頑張ってみようかなと思った。
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