03話 『深紅の親子 前編』
「で、あんたダレ?」
……ちょっと前にも、似た質問をされた。
忘れようにも忘れられない。この質問に上手く答えられなかったせいで、殺されかけたのだから。
背中に、気持ち悪い汗が流れる。
見たところ、少年に敵対心のようなものは感じられないけど……。
「アル・エンリと言います」
自分よりも年下の相手に敬語なのは、俺がビビったからだ。機嫌を損ねて殺されたくはない。
俺の言葉に何の反応も示さずに、少年は俺に近寄ってきた。
……近寄ってきた。
胸と胸が触れ合いそうな距離まで、少年は近寄ってきた。
俺は堪らず一歩後ろに下がったが、少年がさらに一歩踏み出してくる。
少年の服装や髪型からは、あまりオシャレに気を使っているようには見えない。
けれど、少年からは、柑橘のようないい香りがした。
野郎の匂いなんて吸い込みたくないので、息を止める。
「もしかして、そとから来たの?」
「……外?」
「そう、そと!」
でかい声で答える少年。深紅のアホ毛が、ピョコリと跳ねる。
「……この森ではないところから来ましたが」
「やっぱり!」
嬉しそうな顔で言うや否や、少年は俺の右手を勢いよく掴んだ。
「さっさと行くわよ!」
「は? えっ――」
訳の分からぬまま、少年に腕を引っ張られる。
下手に逆らったら、引きずってでも連れて行かされそうな勢い。
「ちょ、ちょっと待って! 行くってどこに?」
「ワタシんち!」
……家? 泊めてくれるってことか?
「と、とりあえず……お互いの名前さえ分からないと不便ですし、自己紹介を――」
「もうっ、うるさいっ!」
少年が立ち止まった。むすっとした顔をして振り返る。
「ゆきが降るまでに帰らないと、パパにおこられるの! ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと行くわよ!」
「ゆ、雪? 雪が降るんですか? 今は夏ですよね?」
「いまはアキよ!」
「は? ……えっと、そうですか。……あの、それより、お名前を聞かせてくれませんか?」
「オナマエってなに!」
「え……」
ひょっとしてコイツ、秘境に住む謎の部族ってやつか?
言葉が通じてるから、少なくとも、教会語圏の人間のはずだけど……。
考え込んでいると、グイッと腕を引っ張られた。
「さっきから、うるさいっ!」
突き出された俺の顎を、何かが掠った。
〇●〇
目が覚めると、辺りは薄暗かった。
柑橘のような、いい香りがする。
あと、なぜか顎がジンジンする。
……どういう状況?
何があったんだっけ?
湧き出る疑問への答えを探そうと、キョロキョロと周囲へと目を向ける。
「持ちにくいから、うごかないでっ!」
前方から誰かの声。同時に、太腿のあたりがギューッと締め付けられる。
……誰かにおんぶされてるのか?
意識が覚醒してくると、現在の状況が、何となく分かってくる。
そうだ、俺は……紅髪の少年と話してて――顎を殴られたのか?
たぶん、そうだ。だって、顎がジンジンするし。
で、気絶した俺を、コイツは背負って運んでいる、と。
周りの景色を見ると、巨木がものすごい勢いで動いている。
コイツの走る速度は……見た感じだと、時速六十キロくらい。完全に人間の限界を超えている。
ちなみに、俺も身体能力は高いほうだと思う。でも、この半分くらいの速度しか出ないだろう。
「……」
文句の一つでも言おうかと思ったけど、止めた。
大人しく、少年の背中にしがみ付く。落とされたら怪我するしな。
――
遠くに灯りが見えてきた。
最初は暗闇の中の点でしかなかったそれは、俺たちが近付くにつれて、徐々に大きくなってくる。
少年は、その灯りの根本で立ち止まった。
「ふぅ、とーちゃく!」
少年の背中から、俺は灯りを仰ぎ見た。
灯りの正体は、今日一日だけで、何十、何百本と見てきた巨木だった。
その巨木の、地上十メートルくらいの所に、大きな穴がある。
他にも何か所か、巨木のあらゆる所に穴が開いている。
光は、それぞれの穴の中から漏れ出ていた。
「ん、降りて!」
少年が俺の太腿を放したので、俺は少年の背中から降りた。
「あんたはここで待ってなさい! すぐにもどってくるから!」
言うが早いか、少年は巨木に飛びついた。
上まで木登りをするのか、と思ってたら――よくよく見ると、巨木の表面には、溝が彫り込まれている。
縦十センチ、横五十センチくらいで、かなり深い。
どうやら、その溝は梯子代わりらしい。
少年は手足を溝に突っ込んで、ゴキブリのような速さで巨木を登っていく。
あっという間に少年の姿は小さくなって、一番大きな穴から、巨木の中へと消えた。
……俺は巨木から視線を外して、周りを包み込む闇へと目を向けた。
ただでさえ雲が出ているのに……この森の空は、巨木の腕で覆われている。
吸い込まれそうな闇の中、魔物が蠢く気配がする。
それほど近くはない。でも、遠くでもない。俺の感じることのできる範囲だけでも、何匹かの魔物が潜んでいる。
そんな小さな範囲でこれなら……この森全体では、夥しい数の魔物を抱え込んでいることになる。
まるで、魔物の楽園だ。
こんな場所、俺の知識にはない。
普通、魔物が発生すれば、地方騎士が対応する。それで手が負えないなら中央騎士。それでも駄目なら、教会から神官様が派遣されるはずだ。
そのはずなのに、この森には魔物が闊歩している。
……こんな場所が放置されてるなんて、教会は何をしてるんだ?
「いいわよ、上がってきなさい!」
上の方から、少年の声が聞こえた。
見ると、小さな穴の一つから、少年の頭が飛び出している。
俺は暗闇へと背中を向けて、巨木の溝に右足の先を突っ込んだ。
土踏まずの真ん中くらいまで、ずっぽりと入る。
万が一にも転落しないように、慎重に巨木を登ると……一分くらい時間がかかった。
光の漏れる穴へとたどり着く。
穴は、一メートルくらい奥まで続いていた。そこに、扉が付いている。
扉をノックすると、内側から扉が開いた。
「おそい!」
一言怒鳴ると、少年は扉の奥へと消えた。
……入ってもいいんだよな?
少年に続いて、恐る恐る中に入ると――そこには、家があった。
床も壁も天井も、一か所の切れ目もなく滑らかに繋がっている。
蟻の巣のように、巨木の内側をくり抜いて、家を作っているらしい。
部屋の中には、大きな木製の机と、椅子代わりの丸太が置いてあった。
丸太の一つに、金剛力士のような男が座っている。
一升瓶のように太い腕。
無造作に切られた、深紅の髪の毛。
同色の瞳が、俺の姿を捉えている。
「こいつがさっき言った人! 帰るとちゅーで見つけたの!」
金剛力士の正面に座っている少年が、俺を指差しながら言った。
「アル・エンリと言います」
なんとか声を震わせずに名乗ることに成功して、俺はペコリと頭を下げた。
……頭を上げると、金剛力士は、無言で俺のことを睨んでいる。
お、怒ってるのかな? ピクリとも表情を変えないし……。
「で?」
野太い声が部屋に響いた。
……で?
で、で、
「で、その……自分でも何がどうなってるのか分からないのですが、気付いたら森の中に倒れていて……そこを息子さんに助けてもらって――」
必死で言葉を紡いでいると、それまではクスリともせずに俺のことを凝視していた男が、ニヤリと唇を歪ませた。
本能的に恐怖を覚える、肉食獣の仕草だった。
直後、金剛力士が立ち上がった。
「サラ! お前はさっさと風呂入ってこい!」
ビリビリと、空気が震える。
俺は本能的に、身体を縮めていた。
一方、少年はビビった様子も見せず、壁の扉の一つを開けて、消えてしまった。
たぶん、その扉の先に風呂があるんだろう。
こんな木の上に風呂があるのも驚きだが、今はそれどころじゃない。
少年が消えてしまったことで、金剛力士と二人っきりになってしまった。
「おい、お前。こっちに来い」
金剛力士が、俺を見据えながら言った。
命令されたら、拒否できる訳がない。
膝が笑いそうになるのを堪えながら……俺は金剛力士の元へと向かった。
「お前の上着の左側。中に入ってるものを渡せ」
金剛力士が突然、変な命令をしてきた。
上着の左側って、別に何も……。
そう思いながらも、言われるがままに、左ポケットに手を突っ込んだ。
指先に、何かが当たる。
不思議に思いながら取り出すと――指先には、紙が摘ままれていた。
四つ折りの羊皮紙だ。
金剛力士が、俺に向けて手を差し出してくる。
渡せ、ということらしい。
断る理由も、断る度胸も持ち合わせてなかった俺は、大人しく羊皮紙を手渡した。
金剛力士は無言で羊皮紙を受け取ると、それを広げて読みだした。
……手紙、か何かだろうか?
そんな物、ポケットに入れていた記憶は――
その時、俺は一つ心当たりがあることに思い至った。
『儀式』の直前。イーナから何かを手渡されて、俺はそれをポケットに入れたはずだ。
結局あれが何だったのか、一度も確認してなかったけど……少なくとも、羊皮紙ではなかった。
もっと、固くて滑らかな……手の中に納まるサイズの物だったと思う。
「チッ、俺は尻ぬぐいってわけか……」
無言で手紙を読んでいた金剛力士が、突然不機嫌そうに吐き捨てた。
手紙をクシャクシャに丸めると、それを放り投げる。
紙玉はキレイな放物線を描いて、壁際に置かれていたゴミ箱らしき物の中に消えた。
「おい、お前!」
「はいっ!」
紙球を目で追っていた俺は、ちょっと裏返った声で返事をした。
「名前、アルって言ったよな?」
「はい!」
「俺はフレイだ。で、さっきのがサラ。しばらくお前のことを預かることになった。名前くらいは覚えておけ」
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