12話 『夢の中 後編』
「アルくん、久しぶり」
黒ずくめの女性は、俺に向けてニッコリと微笑んだ。
……どこかで見覚えがあるような。
すごく懐かしい感じがする。
「あれ? もっと喜んでくれるかと思ってたんだけど……」
黒ずくめは困惑した表情をしながら首を傾げた。
やっぱり、絶対にどこかで会ったことがある。
ある、はずなんだけど……。
「聖女様……あの、こちらの方は?」
「えっ」
酷くショックを受けたような声が聞こえた。
身を乗り出した黒ずくめは、自分の顔を指差して、
「あ、アルくん? 僕だよ僕っ!」
……うん、美形だ。
ここまで来ると、世の女たちは嫉妬を感じないだろうし、男たちは情欲を覚えることがないだろう。
そんな俗っぽいレベルなんて超えていて、ほとんど美術品の域に達している。
髪の毛の一本一本から、肌のきめ細かさ、全体の造形――何一つとして、不完全な部分が見当たらない。
この世界は平均点が高いとはいえ、ここまでの美人は、他にイーナくらいしか会った記憶がない。
……そういえば、この人ってどこかイーナに似てる――
「――っ」
一度思い当たると、もう他の人には見えなかった。
上手く声が出ない。
それでも俺は……震える声で、
「……ロンデルさん?」
「やっと思い出してくれた?」
嬉しそうに言って、ロンデルさんはホッと胸を撫で下ろした。
……胸を、撫で下ろした?
俺はロンデルさんの程よく膨らんだ胸を、困惑しながら見つめて、
「えっと、本当にロンデルさんですか?」
「ん?」
ロンデルさんは俺の視線に気づいて、悪戯っぽく笑った。
「見ての通り、僕は基本的に女性の姿をしてるよ。そもそも、一度だって自分が男だなんて言ったことなかったでしょ?」
「それは、そうですけど……でも、ならどうしてわざわざ男の姿を?」
「大した意味はないよ。単に便利だっただけ」
ロンデルさんとそんな会話をしつつも、俺の頭はほとんど働いていなかった。
再会できただけでもいっぱいいっぱいなのに、それに加えて突然そんな告白をされても処理しきれるわけがない。
どこか夢見心地の頭で、俺の視線は周りに向けられた。
いつの間にか、隣にいたはずの聖女様がいなくなっている。少し視線を動かすと、すぐに聖女様の姿は見つかった。
俺の視点から見て右側――壁沿いのソファーの真ん中にマオさんがちょこんと座っていて、聖女様はその隣に立っている。
どうやら、ここはマオさんの部屋らしい。
そのことに気付いて、俺の頭はさらに混乱する。何というか……校長室に呼ばれて行ったら親がいた、みたいな、酷く場違いな感じがした。
「あの、ロンデルさん? また会えたのは凄く嬉しいんですけど……」
何から言ったらいいのか分からない。
今までどこにいたのか?
どうしてこんな所にいるのか?
なんで突然消えたのか?
何がどうなってるのか?
分からないこと、聞きたいことばかりで、逆に分かってることの方が少ない。
そんな中、最初に俺の口を突いて出たのは、
「どうして、そんな服を着てるんですか?」
ロンデルさんは漆黒の芳を着ていた。華においてこの色は、黒狼しか着ることのできない神聖な色だとされている。
ロンデルさんは自分の服を見下ろして、
「これ? あまり深くは考えてなかったけど、気付いたら着てたよ。単に、その場に則した服を着せられただけじゃないかな?」
「でもその服はイーナしか着れないはずじゃ?」
「……ああ、なるほど。そういうことか」
ロンデルさんは一人頷いて、
「だって、僕は黒狼だからね。漆黒の芳を着ていても、それが自然なことなんだよ」
俺はどんな表情をしていたのだろう? ロンデルさんは俺の顔を見て、小さく吹き出した。
「その顔を見るに、やっぱり狐帝はアルくんに何も伝えてないみたいだね」
「……その言い方だと、ロンデルさんは何かを聞いたんでしょうか?」
「色々とね」
苦笑いをしたロンデルさんは、
「楽しそうに話してたよ。聞いてる僕は全く楽しくなかったけど」
……つまりのところ、やっぱり稲荷様が俺のお願い事を叶えてくれたってことでいいんだろうか? 実際、ロンデルさんがここにいるわけだし。
どこかにいたロンデルさんを、稲荷様が連れ戻してくれた……?
「――ロンデル、時間がないの」
ここで、ずっと黙っていたマオさんがロンデルさんに話しかけた。ロンデルさんはチラリとマオさんに視線を向けてから、再度俺の方を向いて、
「ごめん、アルくん。ゆっくりと説明してあげたいところだけど、実はあんまり時間がないんだ」
「……どういうことですか?」
もしかして、またすぐに消えちゃうなんてことは――
「まず、最低限のことだけ伝えるよ。さっきも言ったけど、僕は黒狼だ。けど、アルくんが知ってる黒狼は僕じゃないよね?」
「……えっと、まぁ、はい。イーナがそうだって聞いてますけど」
ロンデルさんは頷いて、
「そう。そのはずだ。だけどね、一つの存在は一つしか存在できないんだよ。だから、僕が黒狼である以上、イーナが黒狼であることはあり得ない」
「ちょっと待ってください。意味が――」
「分かるはずだよ。すごく単純な話だ」
俺の言葉を遮って、ロンデルさんは続けた。
「僕は黒狼として華で目覚めた。本来はイーナがいたはずの場所でね。それじゃあ、僕に場所を奪われたイーナはどうなると思う?」
「どうなるって……」
俺は少しの間考えて、
「ロンデルさんがいたはずの場所で目覚める?」
「そうだね。その通りだ……それじゃあ、次の質問。僕はついこの間までどこにいたかな?」
……そんなの、俺が聞きたいくらいだ。
ロンデルさんは忽然と消えた。それどころか、俺以外の記憶から消滅してしまった。どこにいるか以前に、全部俺の妄想だったんじゃないかと一時期は疑っていたぐらいだ。
「アルくんは知ってるはずだよ。なにせ、一度再会してるんだから。それも、そんなに昔のことじゃない」
再会?
あの日以来、一度もロンデルさんとは――
「……イーナの中で、ロンデルさんと会いました」
イーナの精神世界の中で、確かに俺はロンデルさんに会った。
そうだ。そうだった。マオさんに相談しようと思ってたんだった。
あの後すぐに朝国での任務に駆り出されたから、任務が終わった後にでも聞こうかと思ってて――そのまま、すっかり忘れていた。こんな大事なことを。
「そういうこと。そして、イーナは僕がいた場所にいるんだよ。――つまり、僕の中にね」
真剣な表情で、ロンデルさんは自分の膨らんだ胸元に手を添えた。
……どういうことだ? 理解が追いつかない。
俺が稲荷様にロンデルさんを取り戻したいと願って――結果として、ロンデルさんが戻ってきた。
けど、ロンデルさんとイーナが入れ替わって、イーナはロンデルさんの精神世界にいる?
そもそも、どうしてイーナとロンデルさんが入れ替わらないといけないんだ? 別に、俺はそんなことを稲荷様にお願いしていない。
「アルくん。たぶんだけど、今の状況がどれくらい深刻か分かってないよね」
俺はロンデルさんに視線を向けた。
「もちろん、それは仕方ないことだよ。だって、アルくんに伝えられてないことは沢山――それこそ、言葉で伝えてたらどれだけ時間があっても足りないくらい沢山あるから……」
ロンデルさんは続く言葉を探すように中空を見つめて、
「アルくん。僕がアルくんの傍からいなくなってから、何が起こったか覚えてるかな?」
覚えてるに決まってる。
口を開こうとして……俺は気づいた。
今の言い方。
それじゃあ、まるで。
「……ロンデルさんは、自分の意志で消えたんですか?」
俺が真っ直ぐに見つめながら聞くと、ロンデルさんは視線を逸らした。
「……まぁ、そういうことになるのかな」
「なんで! どうしてそんなことを――」
「アルくん」
言い寄ろうとした俺に、ロンデルさんは手のひらを向けた。
「ごめんね。だけど、それを僕の口から説明する時間はないんだ。それよりも先にアルくんに伝えないといけないことがある」
俺は……納得はできなかったけど、ロンデルさんの表情を見て口を閉じた。ロンデルさんはそれを確認して、
「さっきも言ったように、イーナは僕がいた場所にいる。それが何を意味するのかーーつまり、イーナは皆の記憶から消えてるんだよ」
「……何を言ってるんですか?」
理解ができず聞き返すと、
「僕の時と同じってこと。アルくんはイーナのことを全く問題なく覚えてるんだと思う。僕と――マオさんも、今のところはまだ覚えてる。だけど、それ以外の皆は違う。
ウスラもクレアさんも、他のエンリ村の人も、黒衣衆の皆も、教会の関係者も……これまでイーナが会った全ての人、イーナのことを知ってる全ての人が、もうイーナのことを覚えてないんだよ」
「……は?」
ちょっと待て。意味が分からない。
覚えてないって……。
俺は同意を求めるようにマオさんと聖女様の方を向いた。
マオさんは悲しそうな顔で首を横に振っていた。
聖女様は、淡々とした口調で言った。
「アル聖官。黒狼の言っていることは事実です。私はイーナ・エンリという人物のことを全く知りません。
イプシロンやオメガ、プサイなどの白服、それとサラ聖官にも確認してみましたが、いずれも同じ回答でした」
俺は聖女様の言葉を聞いて……目を閉じた。
暗くなった視界の中で、気持ちを整理する。
――この感覚には覚えがある。
一度味わったことのある、この感情。自分だけが置き去りにされてしまったような、吐きそうな感情。
二度目ともなれば、少しだけマシだった。
目を開ける。
「それで、私に何ができますか?」
ロンデルさんは驚いたような顔をした。
「時間がないってことは、まだ時間があるってことですよね? 何かをする時間が」
「……そうだね。そういうことだよ」
ロンデルさんはニコリと笑って、
「やることは前とほとんど変わらない。前にイーナの中に入ったみたいに、今度は僕の中に入ればいいだけだ」
「ロンデルさんの中に……」
俺はマオさんに目を向けた。
マオさんがここにいるのは、前みたいにマオさんの『能力』で精神世界に入るためってことか。
「……それで、ロンデルさんの中に入って具体的に何をすればいいんですか?」
「アルくんは――」
ロンデルさんは数秒の間、声を詰まらせてから、
「……アルくんは成すべきことを成せばいいよ。そうしたら全て丸く収まる」
「成すべきこと?」
「そう、成すべきこと。その時になれば、自分が何をすべきか分かるはずだ」
それだけ言うと、これで話は終わりだとでも言うように、
「それじゃ、マオさん。頼んだよ」
「……うん」
マオさんはコクリと頷いた。
ロンデルさんはソファーへと向かって、マオさんの右隣に腰掛けた。
「ちょ、ちょっと待ってください! 分かるはずだって言われても……もっと、具体的に――」
「アル」
俺の名を呼んだマオさんは、ぽんぽんと自分の左隣を叩いた。
「座るの」
マオさんの声は冷たかった。いつもは温かい雰囲気のマオさんが、今は全く別物だった。マオさんの小さな体から、強い圧迫感を感じる。
俺は背筋に汗が伝うような感じがして、黙ってマオさんの左隣に腰掛ける。すると即座に、マオさんの手が俺の右手を握りしめた。
ついさっきの様子が嘘だったみたいに、その手つきは優しい。マオさんの手のひらから、柔らかくて温かい感触が伝わってくる。
「……アル」
マオさんが囁くのが聞こえた。
「どっちを選んでも……アルは悪くないの」
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17話まで週一で更新します。




