09話 『胡蝶の夢 三』
結局、昨日は夜の八刻ごろまで冒険者組合を張っていたが、ビビアナさんと一緒にいた金髪以外に『能力』持ちは見当たらなかった。
これなら、仮に冒険者以外に『能力』持ちがいたとしてもせいぜい数人に絞られる。マイセントを捕捉できなくとも、しらみ潰しに探し出すことが可能な数だ。
今のところの感じだと、最悪でも数日中には任務完了できるだろう。
内心、俺はホッとしていた。
というのも、昨日聖女様から突然、任務が終わり次第至急帰還するようにとの命令が下ったからだ。俺に用件があるらしい。
聖女様がわざわざそんなことを命令するだなんて……正直嫌な予感しかしない。けれど逃げられる物でもないし、ならばできるだけ早急に帰還して用件を済ませてしまうに限る。
現在の時刻は朝の五刻。
街の中央の鐘が鳴ると同時に、六つの門が開いた。
――
アートリアはそこそこ有名な街ということもあって、人の出入りがそれなりにある。一番多いのは商人。ついで観光客といった感じだ。
それらの人々に概して言える特徴は、裕福であること。
魔物が跋扈しているような世界で芸術にかまけていられるのは、衣食住の足りている人々だけという構図だ。
そんな裕福な人たちだから、もちろん徒歩での旅なんてしない。大抵は馬車に乗っている。
旅人たちは馬車に乗ったまま門をくぐって、六芒星の出っ張りの中に入る。そこでようやく馬車から降りて、後はしっかりと舗装された道をストレスフリーに歩く。もう一つの門を悠々と抜けると、芸術の街アートリアだ。
旅人たちが降りた後の馬車は、六芒星の出っ張りの中で整理して並べられる。そんな馬車の中は、隠れるのに絶好の場所だった。
俺はちょうどいい場所の馬車に入り、フカフカのシートに座りながら窓から一つ目の門の様子を伺っていた。
馬車はひっきりなしに門をくぐる。
減速しているとはいえ、十秒に一台のペースで『能力』持ちの気配がしないか確認するのはなかなか骨が折れる。
『能力』持ちが乗っていれば明らかに気配が違うからすぐに分かるけれど、逆に乗っていない馬車を乗っていないと判断するのは神経を使うのだ。
現在の時刻は朝の九刻。見張りを始めてから既に四刻が経った。
多少の疲れはあるけれど、まだまだ余力はある。黒衣衆としての経験の賜物だな。
マイセントを示す赤丸は八刻ごろから既にアートリアの青丸と重なっている。赤丸の大きさに幅があるから時間としては数刻以上のブレがあるが、いつマイセントが入ってきてもおかしくはない。
というより、別の門から既に街の中に入ってる可能性もあるわけで、そうなると俺が今していることは骨折り損……そういう所もけっこう精神に堪える。
マイセントのためにも、俺はマイセントがすぐにこの門をくぐることを祈っている。そうすれば、俺の下す処分は多少甘いものになるかもしれない。逆に別の門をくぐろうものなら……。
半ば本気でそんなことを思っていた時、門を豪華な馬車が通過した。
「……やっとか」
呟いて、馬車を降りる。
一つ目の門から入ってきた馬車は派手派手しかった。他の馬車の中でも一際目立っている。悪い意味で、だが。
惜しげなく黄金や宝石が使われているが、それが過剰すぎて……率直に言うと下品だ。
鴻狼ならよく馴染むだろう。けれど、アートリアのような街にいる人たちには刺激が強い。ちょうどすれ違ったどっかの貴族らしき老人も、眉を顰めて馬車のことを振り返っている。
馬車はアートリアの役人に先導され乗降所まで移動する。
気配を絶ち、人混みに紛れていた俺は、馬車から数十メートル離れた場所にいた。万が一にも悟られたら困るので、遠くから目に魔素を集めて馬車を観察する。
馬車の扉が開き、中から出てきたのは――キラキラした服に身を包んだ気の強そうな少女だった。
「……」
役人に対して何やらガミガミと言っているマイセントを見ながら……俺は額に手を当てて溜息をついた。
マイセント……あいつはどうやら馬鹿らしい。
おそらくあの馬車や服は盗んだ金で買ったものだろう。
当然足が付くし、あんな目立つ服装をしていたらその足取りを追うのは容易だ。
そんなことにも思い至らない馬鹿が相手なのに、ここまで慎重に用意してきた自分がアホらしい。
とはいえ……若干苛立つところはあるが、あいつを捕縛するのは楽だろう。その点だけ見れば悪いことではない。
そんなことを思っているうちに、マイセントは役人にクレームをつけるのに飽きたらしい。どこかからやって来た年配の役人に連れられて二つ目の門へと向かっている。
アートリアの街に入ると、マイセントは役人と別れて一人で大通りを歩きはじめた。
道行く人たちはキラキラした服装をしているマイセントにギョッとした視線を向けるが、本人は全く気にしていないらしい。堂々と胸を張って風を切っている。
その三メートルほど後ろを歩いていた俺は、注意深く周囲の様子へと目を向ける。
本来なら、マイセントが宿に泊まってるところを襲撃する予定だったが、聖女様から早く帰還するように命令が出ている。下手したら夜になる作戦は立てづらい。
あわよくば、人気の無い場所に連れ込んでさっさとことを済ませたいが……こんなに目立ってちゃな。
気配が消せると言っても姿そのものが消えてるわけじゃない。十中八九騒ぎになるだろう。
まあ、極論を言えばマイセントさえ捕まえたら後はどうとでもなる。警邏なんか簡単に無力化できるし、そうこうしているうちに教会が俺の身元を保証する声明を出してくれるはずだ。
とはいえ、そんな騒ぎを起こすのはスマートじゃないし、一般市民が怪我をするかもしれない。できれば穏便に済ませたいんだが……。
「――もし。そこの美しいご婦人」
若い男が、頭を下げながらマイセントに話しかけた。
なかなか洗練された所作だ。服装も合わせて考えると、どこかの御曹司か何かだろう。
「あら、何かしら?」
「申し訳ありません。花のようにお美しいあなたを一目見て……失礼を承知で思わず話しかけてしまいました。……よろしければ、お名前をお聞きしても?」
「マイ……マインよ」
偽名を使う知恵はあったらしい。
「マイン様! ああ、魅力的なあなたに相応しい高貴なお名前だ! お会いできて光栄ですマイン様。私はレオナルドという者です。絵画商をしております。お時間が許せば、ご一緒にお茶でも。……いかがでしょうか?」
「……ふーん、そう。ちょっと大袈裟なところはあるけど、まあまあね。どうしてもって言うなら、少しだけ付き合ってあげてもいいわよ」
「どうしても、お願いします。マイン様」
レオナルドが頭を下げると、マイセントは満足そうに頷いた。
……くそ。数が増えた。
これで路地裏にマイセントを連れ込むのがいよいよ難しくなった。
それに、あの二人がお茶してる最中、俺も隠れてその会話内容を聞き続けていないといけないかと思うとウンザリしてくる。
どうしようか。適当に騒ぎでも起こして、そのゴタゴタに紛れてマイセントを拉致るか? でも、どんな騒ぎを起こせば……。
悶々と考えている間に――いつの間にか、人通りが少なくなってきたことに俺は気づいた。若干道幅も狭い。
どうやら、大通りからちょっとだけ細い道に分岐したらしい。道に並ぶ店も、観光客向けの店から市民向けの食料品店とかに代わっている。
「私はアートリアに長くいましてね。穴場のお店を知っているんですよ」
レオナルドはそんなことを言っている。
へぇ……穴場の店か。これはなかなか役得だな。いい店だったら一人で行ってみるのもいいかも知れない。任務が終わった後に時間があればだが。
「あっ、こちらです」
レオナルドが足を止めた。マイセントは眉を寄せて、
「……ここ?」
レオナルドが指差していたのは薄暗い路地裏だった。
「穴場のお店ですからね。あまり目立つ場所にあると人がたくさん来てしまいますから、敢えてこのような場所に店を構えているそうですよ。特別なお客しか来れないように」
「特別……へぇ、そう」
「もうすぐですよ。少し足元が暗いですから――」
レオナルドがマイセントに手を差し出す。マイセントはその手を無視して、先んじて路地へと入った。
レオナルドは苦笑しながらマイセントに続く。
「……」
その様子を少し離れた場所から見ていた俺は、少々急ぎ足で路地裏へと向かった。
――
「金目の物を全て出しな。そしたら命だけは助けてやるよ」
俺が路地裏に入って角を幾つか曲がった時、既に修羅場は始まっていた。
腕を組んで仁王立ちするマイセントを三人の男が取り囲んでいる。
マイセントの正面には、巨漢の男と手にナイフを持った細身の男。マイセントの後ろにはニヤニヤした顔のレオナルドがいた。
「あなたたち、こんなことしてタダで済むとでも思ってるの?」
全くビビった様子のないマイセントは、呆れたような口調で言った。それを聞いた男たちは、
「くははっ! お前まだ自分の状況が分かってないみたいだな?」
「分かってないのはあなたたちよ。私をこんな汚い場所に連れてきて、本当に腹が立つわね。貧民風情が」
「……あんまり調子乗んじゃねぇぞ? お前はこれから俺らに身包み剥がされて、楽しんだ後にそこらに捨てられるんだよ。ちょっとはしおらしくしてたら、楽に死ねるかも知れねぇぞ?」
細身の男が真顔で言った。見た感じ、あいつがリーダーみたいだ。
ナイフの持ち方に多少の慣れが見られるから、衛兵や冒険者崩れなのかもしれない。まぁ『能力』持ちでもなんでもないからマイセントが遅れをとることはないだろう。
それにしても……レオナルドたち、グッジョブ。
俺の代わりにマイセントを人気のない場所に連れ込むだけに飽き足らず、マイセントと戦ってくれるらしい。『能力』の概要は知ってるが、戦い方を見ることで俺の安全性がより高まる……。
物陰に隠れてほくそ笑んでいた俺は……近づいてくる気配に気づいて表情を固めた。
走る足音が聞こえてきたことで、他の者たちも接近に気づいた。全員の視線が路地の入口側の曲がり角へと向かい、
「――っ!」
剣を構えた黒髪、続けて金髪が登場した。
……昨日、ビビアナさんと一緒にいた二人だな。
「なんだお前ら!」
巨漢の男が大声で言った。とはいえ、その顔にはマズいことになったと書いてある。
「冒険者。投降を勧める。あなたたちでは勝てない」
「……まぁ落ち着け、お前ら」
リーダーが残りの二人に向けて言った。その声音に、焦った様子だった巨漢とレオナルドは見るからに落ち着いた。
「お前ら、銀級だろ? その年でそこまで行けるならご立派なことだよ。優秀だ。だが、上には上がいるってことを知った方がいい」
リーダーはナイフをゆらゆらと揺らしながら、
「今ではこんなことをしてるが、俺は冒険者をしていた。二級まで上がったところで、ちまちまと依頼をこなすよりもこっちの方が手っ取り早いと気付いてな。……お前、剣なんて構えてるが、人を斬ったことはあるのか?」
「ない」
黒髪は片手だけ剣から離して……マイセントを指差した。
「あなたたちが勝てないのは私じゃない。そこの女の人」
男たちはマイセントへと目を向けた。マイセントは暇そうに欠伸をして、
「終わった? 誰もあなたのつまらない昔話なんかに興味ないわよ。さっさと消えて」
「――ふげっ!?」
リーダーが変な声を出した。
俺には見えたが、地面の端に転がってた拳大の石がリーダーにアッパーを食らわしていた。
マイセントの攻撃の位置は的確だった。白目を剥いたリーダーはなすすべもなく地面に倒れる。
「えっ……シオルさん?」
何が起こったか分からないのか、レオナルドが呆然と呟いた。巨漢も目をまん丸にしている。
それに対して黒髪と金髪は動いていた。黒髪は巨漢の首を峰打ちして昏倒させ、金髪は――
金髪は……何をした? レオナルドの背中を指でツンと軽く突くと、それだけでレオナルドは気絶した。……そういう『能力』なのか?
そんな二人の様子を無言で見ていたマイセントは腕を組んだまま、
「で、あなたたち。どうしてここに来たの? 私が強いって知ってたなら放っておけばよかったでしょ」
「強くても万が一ということがある。分かっていて見過ごすのは好きじゃない」
黒髪の答えを聞いて、マイセントは「ふーん」と呟いた。
「そう、なるほどね。……あなたたち、さっき冒険者って言ってたわよね」
黒髪は表情を変えずにコクリと頷いた。
マイセントは満足そうに笑みを浮かべて、
「気に入ったわ。あなたたち、私の依頼を受けなさい!」
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