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08話 『夢の中 前編』



 至福の時というのは、今のような時間を言うのだろう。


 私のすぐ側の寝台ではマオ様が寝息を立てながら気持ちよさそうに眠っている。もうかれこれ三刻ほど、私はマオ様の寝顔を眺めていた。


「はぁ……マオ様」


 幾度目か分からない吐息を漏らして、私は幸せを噛み締めた。


 実の所、マオ様は私がこうやって寝顔を見ることを恥ずかしがってあまり好まない。なので普段はチラチラ見る程度に留めているけれど……そう、これはご褒美だ。


 もう、何年になるか。

 馬鹿のせいで、王国は崩壊した。


 それを立て直すために私は忙殺される羽目になった。いつもならベータに仕事を丸投げするところ、今回は私が責任を取ると自分で言ってしまったせいで実務のほとんどを私が担うことになった。


 その結果として、私とマオ様の憩いの時間が犠牲になってしまった……。


 信じられないほどの悲劇だ。私とマオ様を引き離すだなんて、太陽と月を引き離すに等しい。


 けれど、私は耐え切った。歯を食いしばって、涙を拭きながら、退屈な作業をやり切った。

 

 だから、少しくらいご褒美をもらってもいいはずだ。そう……ご褒美をもらっても、いいはず。


「……」


 私はマオ様の寝顔を見つめながら、ゴクリと喉を鳴らした。息を潜めたまま椅子から立ち上がる。


 寝台に手を乗せると、微かに軋む音がした。少しの間体の動きを止めて、私は再度動き始める。


 腰を屈めて、片方ずつ、靴を脱ぐ。布団に手をかけて……そろり、そろり、と布団をめくって――


「うみゅ……」


 マオ様はゆっくりとまぶたを開いて、


「あ……セージョ。おはよぉ……なの」


 寝ぼけ眼で、マオ様は自分の上に覆い被さるようにしている私を見た。


「ん……セージョも眠たいの? 一緒に寝る?」

「……いえ。マオ様は私の主。そのような失礼なことはできません」

「もぉ……そんなこと気にしなくていいって、いつも言ってるの」


 マオ様は不満そうな顔をしながら寝台から身を起こす。私は慌てて靴を履いて寝台から少し離れた。


 マオ様も靴を履いて寝台から立ち上がって、気持ちよさそうに伸びをした。窓に目を向けて、


「今日もいい天気なの」


 窓の外には雲一つない橙色の空が広がっている。


「はい、そうですね。どうしましょう、散歩でもされるなら人払いをしておきますが」

「んーん、大丈夫。ありがとうなの」


 マオ様はニコリと笑った。


 その純真な姿に私が声も出ないでいると、


「そういえば、セージョがこんな時間にいるのは珍しいの。今日のお仕事はもう終わったの?」

「はい! 今日はもう終わっているので、ずっとマオ様と一緒にいられます!」

「ご苦労様なの! なら、せっかくだから今日はセージョがやりたいことを一緒にやるの」

「私がやりたいことですか……」


 どうしよう。


 マオ様とお話したり、庭の手入れをしたり、ちょっと遠出してみたり……やりたいことは沢山ある。そこから選ぶとなるとかなり難しい問題だ。


 私は散々熟考したうえで、


「マオ様、どうしましょう」

「……ん?」


 私が考え込んでいる間にボンヤリしていた様子のマオ様は、少し遅れて反応した。


「私はマオ様と一緒にいられるだけで幸せなので、やりたいことと言われても……選べられませんっ! 言ってしまえば、どんなことでもやりたいです」

「……えっと。じゃあ私が決めたのでいいの?」

「はい。そうしていただけると」


 私が大きく頷くと、マオ様はちょっと首を傾げてから、


「うーん。なら、ちょっとセージョに手伝って欲しかったことがあるから、今日はそれを頼みたいの」


 マオ様は青色の絨毯の上を歩いて、少し離れた場所にある机に向かった。


 机の上には魔石が三個ほど置いてある。かなりの魔素が込められているようで、自然に放出される魔素で僅かに宙に浮いている。


 マオ様はそのうちの一つを手に取って自分の顔に近づけた。真剣な眼差しで魔石を見つめる。


「……うん、よさそうなの」


 顔を綻ばせて私の方を向いた。


「今日は魔石をくっつける実験をしたいから、できるだけ安全な場所で結界を張って欲しいの。大丈夫だと思うけど、もしかしたら爆発しちゃうかもしれないから」

「……それくらいなら全く問題ありませんが……あの、マオ様。一つ聞いてもいいでしょうか?」

「どうしたの?」

「そのような実験をなんのためにするのでしょうか?」


 もちろんマオ様がやりたいと言うならどんなことでも私は最大限協力するけれど……マオ様に高純度の魔石を作るような用事があるようには思えない。


 マオ様が全力を賭すことと言えばトマトの栽培……もしや、この魔石を肥料代わりにでもするのだろうか?


 それならそれで全く問題ないけれど、マオ様の膨大な魔素なんて注ぎ込んでしまったら、トマト――それがトマトと呼べる存在なのか怪しいが、勝手に動き出して魔物化する可能性がある。


 笑い話ではなく本当に可能性があるから笑えない。実際、聖国の大地はマオ様の魔素が染み込んでしまったことで、二千年以上経った今でも魔物として活動している。


 マオ様もそれくらい重々承知だと思うけれど……トマトのことになると少し視野が狭くなってしまう所もあるので、もしもそうなら事前に諫言しておく必要がある。



 マオ様はキョトンとした顔をして、


「あれ? セージョには前に言ったと思うの。魔石が濃い方が加護を与えるのに効率的だから、時間のある今のうちに色々試して濃くする方法を見つけよう、って話だったの」


 ……そんなことを話した記憶はない、と思う。


 けれど、マオ様があると言うならそれが正しいわけで……そして、私がマオ様としたお話を忘れることなんてありえない。


「……そうでしたね。すみません、うっかり失念していました」

「別に謝るようなことじゃないの! ……それよりセージョ、やっぱり今日はこの部屋で一緒にゆっくり過ごす? 少し疲れてるかもしれないの」


 マオ様が心配そうな顔で覗き込んでくる。


「いえっ! 私は全く快調ですから大丈夫です!」


 そもそも肉の身体があるわけではないから、肉体的な疲れは発生しえない。精神的な疲れだって些細な問題だ。伊達に二千年も生きていない。


 そう私は思っているけど、マオ様は私の顔を覗き込むのを止めなかった。


 そのまま幾つか数える間、ジィッと私の瞳を見つめていてーー突然、私の頭を両手で掴んだ。


 マオ様は両手で持っていた魔石を離してしまったので、慌てて魔石を机に転移させる。


「マオ様っ、どうされ――」

「じっとしてるの」


 有無を言わせぬ口調に私は口を噤んだ。


 ……突然どうしたのだろう?


 マオ様の魔素の動きを確認してみると、どうやら私の頭の中を探索しているらしい。


 私の頭に、何かマオ様が深刻な表情をするようなことが起こっている?


 どんなことなのか全く見当もつかないけれど……不安になってくる。


 身動きをしないようにマオ様に身を任せていると、四半刻ほど経ってようやくマオ様は私の頭から両手を離した。


 私は恐る恐る曲げていた腰を伸ばして、


「マオ様……どうでしたか?」


 依然として難しい顔をしたままのマオ様は、


「セージョ、最近狐帝と会ったの?」

「こ、狐帝ですか……」


 狐帝なら、ここ最近は会う機会が多い――。

 ……いや、それほど最近でもない、ような?


 最後に会ったのは確か、


「数年前に、マオ様と一緒に会ったのが最後だと思います」



 ――



 どうやら、私はまた狐帝に何かをされたらしい。

 らしい、と言うのは、私自身には全く自覚がないからだ。


 マオ様曰く、私の記憶は改竄されている。


 そのことに気づいたマオ様は私を寝台に座らせて、すぐ隣に自分も座って根掘り葉掘り色々と聞いてきた。


 私としてはかなり充実した時間を送れて満足……ではなくて。


 マオ様に色々と聞かれた結果として、数年前からの記憶が改竄されていることが分かった。


 ちょうど、アル聖官が中央教会に転移してきた後――狐帝が久しぶりに出現した頃からの記憶だ。


 全部が全部の記憶が改竄されているわけではなくて、一部の記憶に関してマオ様との齟齬がある。特に、ある特定の人物に関する記憶――


「やっぱり……イーナと関係のあることを全部忘れちゃってるの」


 マオ様は呆然とした面持ちで呟いた。


 イーナ・エンリ。

 アル聖官の妹で……黒狼らしい。


 黒狼と言えば、大陸東端の大国ーー華を根城とする古き魔物だ。


 狐帝、マオ様と同格の魔物であり、場合によってはマオ様を害することも可能な存在。


 当然のことながら、はるかの昔から黒狼のことは警戒している。


 向こうには特にこちらに楯突く意思はないようだから、こちらからも手出しはせず放置していたが――


「マオ様……その。アル聖官の妹が黒狼というのは本当なのでしょうか? しかも、黒狼が中央教会に頻繁にやって来ていて、マオ様直々に薫陶しているなど……どうにも私には信じられないのですが」


 黒狼は千年以上を生きる魔物。

 たかだか二十年弱しか生きていないアル聖官の妹だなんて道理に合わない。


 加えてそれ以上に奇妙なのは、黒狼がマオ様に接近することを許していることだ。黒狼のように危険な存在がマオ様に近づくことを、私は簡単に許しはしない。


「イーナがアルの妹って言うのは、私にもよく分からないの。でも私が見た限りでは二人とも嘘は吐いてないと思うの。イーナがここに来てるのは私から言ったこと。イーナが魔物として自分の力を使うことができてないみたいだったから、私が教えることにしたの」


 ……マオ様が嘘を吐いていないと言うなら、そうなのだろう。けれど、


「黒狼が力を使えていない、ですか?」

「……それは、私も変に思ったの。でも、イーナが黒狼なのは絶対。イーナは力を使えてないけど、黒狼としての力はちゃんと秘めてるの」


 マオ様は真っ直ぐ私の瞳を見て言ってきた。


 ……マオ様にこんな顔をして頼まれたら、たとえ危険があったとしても私は黒狼の接近を許すかもしれない。


 私にとってマオ様は、全力を賭して守らなければならない対象で、同時に主でもある。


 マオ様を守るために支障があるとしても、主の意志は私の意志に優先される。


 私は目を閉じて、しばしの間考えこんだ。


「……黒狼に関する私の記憶が改竄されていることは分かりました。そして、私に干渉できる存在は狐帝くらいしかあり得ません。けれど、どうして狐帝はそんなことをしたのでしょうか?」


 アル聖官にも言ったことだが、狐帝は基本的に気紛れに行動しているように見える。


 けれど、黒狼に関する記憶を消すだなんて、流石に何かしらの意志を持ってやっているとしか――


「あ」


 思い至って、私は声を漏らした。


「そういえば、昨日アル聖官が妙なことを言っていました」

「アルが?」

「はい。確か、記憶がおかしいと」


 私はマオ様にアル聖官から聞いた話を端的に伝えた。

 マオ様は私の話を聞き終わって、


「たぶん、アルの記憶の方が正しいの。私もアルに聞きたいことがあるけど――アルは今、お仕事中?」

「はい。現在アートリアでの任務に。帰還命令を出しましょうか?」


 マオ様は羽をパタパタしながら考え込んで、


「どれくらいで帰ってくる予定なの?」

「おそらくは遅くとも三、四日で帰還すると思います」

「……それなら、帰ってきてからお話ししたのでも大丈夫なの」

「分かりました。ひとまず任務を終えしだい、急ぎ帰還するように命令を出しておきます」

「ありがとうなの」


 マオ様は生真面目な表情で、


「それと……イーナのことが心配なの。人を送ることはできるの?」

「送るとなると、華にでしょうか?」

「そうなの」


 マオ様が頷くと同時に、私は聖官拘束で走査した。

 華に一番近い場所にいる聖官は……。


 ――『はい。どうされましたか、アルファ?』――

 ――『サラ聖官に繋げてください』――

 ――『承知しました。少々お待ちください』――


「マオ様、手配しているので少しお待ちください」

「分かったの」


 マオ様に声をかけつつデルタの反応を待つ。


 ……十拍ほど経ち私がやきもきしてきた頃、『通信』が繋がるプツン、という音が聞こえた。


 ――『サラ聖官、緊急の任務です。現在の任務を中止し――』――

 ――『アルファ』――


 デルタの声が聞こえてきて、私は口を噤んだ。


 ――『サラ聖官と『通信』が繋がりませんでした。死亡あるいはそれに類する状態に陥っているか、魔素的に隔離された空間に位置している可能性があります』――


 ……繋がらない?


 聖官拘束で確認する限り、サラ聖官の反応は共和国に位置している。生きてはいるはずだ。


 ということは位置が悪いということになるが……サラ聖官の状況がよく分からない。


 ともかく、サラ聖官に任務を発出できないとなれば別の聖官を選ぶ必要がある。


 サラ聖官以外で言えば、最寄りの教会よりも華の近くに位置している聖官はいない。となれば、現在聖石の近くにいる聖官の誰か、となるだろう。それでいて、移動速度が速く信頼に足る聖官……。


 ――『デルタ。では、風音聖官に繋げてください』――


 今度はすぐに『通信』が繋がり、風音聖官に緊急任務を発出した。


 任務内容は、最速で華に向かうこと。それ以降の指示は追って行うこととした。


「マオ様、手配が終わりました。一、二日で聖官が華に到着します」

「うん、ありがとうなの」


 マオ様は細く息をついて、


「こういう時こそふらっと現れてくれたら直接聞けるのに……探しても、狐帝が見つかるような気がしないの」

「私もそう思います」

「もしも聞いてたら、私のセージョの記憶を元に戻してほしいの」


 言って、キョロキョロとマオ様は室内を見回した。

 シンと静まり返った部屋には、窓から月光が差し込んでいた。



 ○○○

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