06話 『胡蝶の夢 一』
「――から金貨約二百枚を盗んだと思われます」
聖女様の視線は机の上に向かっていた。羽ペンで何かを羊皮紙に書いている。
「とはいえ、完全に間違いがないかと言われると、そうではありませんので、アル聖官の判断で確かめて構いません。もちろん確認をせずに処分を下しても問題ありませんのでお好みで」
羽ペンをインク壺に挿して、聖女様は顔を上げた。
「現在、マイセントはアートリアに向かっているようです。到着はおよそ二日後。アル聖官には先んじてアートリアに待機していただきます。今日、明日を目処に準備をしてください。入用の物があれば黒服に」
聖女様が話している最中、俺の頭の中に地図が浮かんだ。アートリアーー帝国の街の一つで……確か、芸術が盛んだったはずだ。その街に青色のマーカーが、その少し離れた場所に赤色のマーカーが置いてある……。
「……アル聖官、何か質問でも?」
「んっと……あの、いえ。すみません。ちょっと頭が追いついていなくて」
聖女様は怪訝そうな表情を浮かべた。
俺は周りを見回して、自分が今立っているのが中央教会にある聖女様の執務室だということを認識した。……さっきまで神社にいたはずなのに。
「稲荷様は……」
「イナリ様?」
「あっ、狐帝様です。ついさっきまで――」
「いるのですか?」
食い気味に被せてきて、同時に椅子から立ち上がった。聖女様は機敏な動きで部屋の中を見回して、
「部屋のどこにいましたか? 気配は感じませんが」
「いえ、この部屋ではなく、全く違う場所で。招待状で呼ばれた先です」
「招待状……」
聖女様は眉をひそめ、
「アル聖官、どうにも理解ができないのですが。まず……狐帝はこの部屋にはいない、ということでいいでしょうか?」
俺が頷くと、聖女様は露骨にホッとした顔をして椅子にお尻を落とした。
「そうですか……それでアル聖官、私に理解できるように話してください」
――
狐帝から招待状を受け取ったこと、つい直前まで狐帝と話していたのに気付いたらここにいたこと……前世のこととか幾つかを伏せながら聖女様に話した。
机の上で指を組みながら俺の話を聞いていた聖女様は、
「なるほど。正直、全く理解できませんが……私の知っている限りでは、アル聖官はここ数日中央教会にいたはずです。招待状というのも覚えがありません」
「そう、ですか」
「私の話が退屈すぎて、立ったまま長い夢でも見ていたのではありませんか?」
……夢。
あれが、夢?
そんなはずは――
「なんていうのは冗談ですが。ありうるとするなら、長い夢を見せられていた、ということかもしれませんね」
「見せられていた?」
「狐帝がアル聖官にちょっかいを出したのかもしれません」
「……そんなことしますか? なんのためにそんなことを」
「意味なんて必要ありませんよ。ほんの気まぐれに行動していますから。自分の眷属ともなれば、充分ありうる話です」
聖女様は勝手に納得しているみたいだが……夢、とは到底思えない。
仮に夢なんだとしたら、招待状をもらった時――つまり、何日も前からの体験全てが夢になってしまう。
一昨日食べた桃も、眠ったことも、今朝トイレに行ったことも、もちろん共和国に転移してからも、全部が全部リアルな記憶だ。
「そういえばアル聖官」
聖女様が思い出したように呟いた。
「つまりのところ、先ほどまで私が説明していた任務について、全く聞いていないということでしょうか?」
任務って言うと、さっきゴチャゴチャ言ってたやつか。アートリアの。
「はい。頭が回ってなかったので……」
聖女様はため息を吐いて、
「では、もう一度同じ話をしないといけないわけですか」
「すみません」
「いえ。……とはいえ、今すぐとなると流石に気が乗らないですね。アル聖官もしばらく一人で考えをまとめる時間が必要でしょう。また、二刻後に来てください」
○○○
聖女様の執務室を出て、鏡のように磨かれた廊下を歩く。
中央教会は基本的に閑散としている。聖官も白メイドも百人以下。黒メイドの総数は分からないけど、そこまで大量にはいないと思う。
それに対して中央教会は馬鹿みたいに巨大だから、必然的にこういうことになる。今日も、ここまで誰とも会っていなかったけど、珍しく――
「あ、アル聖官!」
廊下を曲がった先にイプシロンがいた。
俺は軽く会釈をして、
「しばらくぶりです」
「ですね! 前に会ったのは帝都……あれ? あまり久しぶりでもないですね」
「……そういえばそうですね」
色々あったから、随分と昔のような気がする。
たぶん、イプシロンも同じだろう。イプシロンって基本忙しそうにしてるからな。『能力』が便利なのも困りものだ。
「実は一刻ほど時間が空いてるんですが、どうですかお茶でも?」
労うつもりで提案すると、イプシロンは申し訳なさそうな顔をしながら、
「すみません、聖女に呼ばれていて」
「あ、そうですか」
残念。
俺が道を譲ろうと脇に避けると、イプシロンはふと思い出したように、
「……そういえば、アル聖官は王国の貴族なんでしたよね?」
「? はい、まぁ貴族とは言っても地方騎士なので末席も末席ですが……」
「実は、最近は朝国が落ち着いてきましたし、王国の復興に取り掛かっているんですよ。それで、それにあたって幾つか街を新しく作ることになりましてね。私は今それを担当しています」
真面目な表情で続ける。
「街を作るとなれば、当然色々と必要なものがありますが、何よりもまず信頼できる管理者が必要です。ずっと私が治めるわけにもいきませんから」
イプシロンはそこで少し溜めて、
「どうです? アル伯爵になっちゃいますか?」
「……勘弁してくださいよ。礼儀作法とかもうほとんど覚えてませんし、今の仕事が性に合ってますから」
イプシロンは楽しそうにひとしきり笑ってから、
「冗談です。アル聖官のような優秀な人材を王国になんて渡しませんよ」
「優秀……ありがとうございます」
俺が苦笑いしながら言うと、
「お世辞ではありませんよ。サラ聖官のような強い聖官の方が目立ちはしますが、アル聖官のように色々な任務をそつなく熟せる聖官はすごくありがたいんですから」
「……そこまで言われると、任務を頑張らないといけないですね」
「そうですよ。確か、アル聖官には懲罰任務が出ていましたっけ。大丈夫だとは思いますが、気をつけてくださいね」
懲罰任務ーーやらかした神官に処分を下す任務だ。何度かやったことがある。さっき聖女様が説明してたアートリアの任務ってのが、それらしい。
「死なない程度に頑張ります。イプシロンも王国の復興頑張ってください。王国貴族として頼みます」
「はい、頼まれました」
イプシロンは神妙な顔で頷いて、直後に微笑んだ。
「それでは失礼しますね。互いに忙しいので次に会えるのがいつになるか分かりませんが、次はゆっくりお茶でもしましょう」
「上物の菓子を用意しておきます」
「それは楽しみです」
イプシロンは頭を下げて俺が来た道へと向かっていく。すれ違って数歩進んだ時、ふと思いついて俺は振り返った。
「イプシロン!」
「っ、はい?」
ちょっと肩を跳ねさせてからイプシロンは足を止めた。
「イプシロンって、聖官がどこにいるのか把握してるんでしたよね?」
「はい、そうですが……」
「サラが今どこにいるのか教えてもらってもいいですか?」
「サラ聖官ですか?」
頷くと、
「サラ聖官なら、共和国で魔物の討伐任務に就いていますよ」
……共和国。
「帰ってくるのにしばらくかかるでしょうか?」
「……どうでしょう。魔物を探すのに少し手間取っているようですが、見つけたら一瞬で倒してしまうでしょうから、早く帰ってくる可能性もありますね。何かサラ聖官に伝えたいことでも?」
「まぁ、はい」
「であれば、今連絡しますか?」
イプシロンがしれっと言った。
「え、できるんですか?」
「本当は上席の聖官でないと駄目なのですが……少しくらいなら。私を経由してサラ聖官と『通信』を繋げられます」
「っなら、お願いしていいですか!」
「はい。少し待ってくださいね」
イプシロンが手招きする。
すぐ前まで近づくと、
「私の肩に手を置いてください」
「……こうですか?」
イプシロンは目を閉じたまま無言で頷いた。
しばらく、なんとなく俺も静かにしながら待っていると、
――『アル! 聞こえる?』――
頭の中に直接流れ込んできた。
聖女様からの連絡に似た感覚だ。
「ああ、聞こえる」
「アル聖官、口に出すのではなく頭の中で話す感覚です」
「……えっと、」
――『こう、ですか?』――
――『おぉ! アルの声が聞こえる! どうしたの!』――
どうやら上手く行ったらしい。
――『サラは今共和国にいるのか?』――
――『そうよ! きょーわこく! アナのなか!』――
穴の中?
「洞窟の中です」
イプシロンが小声で注釈してくれた。
――『……なあ、サラは最近変わったこととかなかったか?』――
――『変わったこと?』――
――『そう。例えば、気付いたらさっきまでとは全然違う場所にいたとか。なんと言うか、どうにも変な感じというか』――
――『……』――
声はしないけど、考え込んでる気配が伝わってくる。
――『むぅ……分かんない。アルにはなにかヘンなことがあったの?』――
――『……まぁ、なんというか色々あった気がしてるけど。自分でもよく分からないな』――
――『……ワタシ、アルのそばにいた方がいい?』――
――『いや、別に危険ってことではないから。サラは自分の任務に集中してくれ。邪魔して悪い』――
――『分かった!』――
元気のいいサラの声が聞こえた直後、プツンと糸が切れるような音がした。
「アル聖官、何かあったのですか?」
イプシロンが灰色の瞳で俺を見つめてくる。
「なんと言うか……自分の記憶と実際のことが食い違っていると言いますか」
「記憶喪失ということですか?」
「どうなんでしょう。喪失と言えば喪失かもしれないですが……聖女様が言うには、私はここ数日中央教会にいたらしいんですけどその記憶は全くなくて、その代わりに任務に向かっていた記憶はあるんです」
「つまり……記憶を植え付けられたということでしょうか?」
「自分ではそのつもりはないんですけど……」
イプシロンは困った顔をして、
「ですが、私の記憶でもアル聖官は中央教会にいたはずです。聖女と私両方の記憶が誤っていることも、可能性としてはありますが……」
だよな。
さっきサラと話した時も、別に変なことはないって言ってたし。
イプシロンは少しの間目を伏せて考え込んでいたが、
「ですが、記憶を改竄するということは、アル聖官に干渉していることになります。……そのようなことができる存在がいるかと言うと、よく分からないですね」
干渉……稲荷様の『能力』なら容易にできるだろう。
俺は稲荷様の眷属なんだから、聖官拘束と同じ塩梅に『能力』の対象とすることができるはずだ。
だとしたら……あれは夢なのか?
稲荷様が俺に干渉して記憶を改竄した?
でも、何のために――
「……ちょっと、一人でしばらく考えをまとめてみます。イプシロンは聖女様に呼ばれてるんですよね?」
「っ、そうでした」
「呼び止めてすみません」
「いえっ、それでは失礼します! 何かあれば相談に乗りますから、気軽に声をかけてくださいね!」
――
中央教会の自分の部屋に戻って、俺はソファーを窓際に移動させて空を眺めていた。
――あの時。
記憶が途切れる最後の時。
俺は稲荷様にお願い事をした。
ロンデルさんを取り戻したい、と。
……もしもあれが夢なのだとしても、それは稲荷様が俺に見せた夢に違いない。ならそれは、実質稲荷様と直接会ったのと同じじゃないか?
だとしたら……俺のお願い事は叶ったんだろうか?
「……」
俺は椅子から立ち上がって、ベッドに投げていた神官服を手に取った。
もしも、叶ってるんだとしたら……つまり。
○○○




