01話 『灰色の街 前編』
「ようこそー!」
転移した瞬間、大声をあげながら迫って来る人影が見えた。反射的に臨戦態勢を取る。
「ふぇ?」
碧霧の中でキョトンとした顔をする――白髪と灰色の瞳を持つ少女を認識して、雷撃を流すのを直前で停止した。
胸元を見ると、そこには『Ψ』の文字。
……ということは、白メイドの一人か。
俺が何事も無かったかのように碧霧を片付けていると、ハッとしたような顔で『Ψ』が再起動した。
「ようこそー、お二方とも! お待ちしてました!」
「だれ?」
サラが尋ねると、『Ψ』は嬉しそうに顔を輝かせて、
「私は白服のプサイって言います! 以後お見知りおきを!」
「おぉー、よろしくね!」
「よろしくお願いしますっ、サラさん!」
プサイが手を差し出すとサラは戸惑うこともなく手を握った。ブンブンと繋いだ手を何度か振って、プサイはいい笑顔を俺に向けた。
「アルさんっ。アルさんもよろしくお願いします!」
「……はい」
どうにもこういうのは苦手だ。グイグイ来られると、どう反応していいか分からない。
戸惑いながらプサイにブンブンと手を振られていると――部屋の中にプサイ以外にも人がいることに気が付いた。
青色の神官服を着ていて、背筋を伸ばして姿勢よく椅子に座っている。
「あっ、イーナ!」
俺とほぼ同じタイミングで存在に気付いたサラが、ぴゅーっと飛ぶような勢いでイーナへと迫った。イーナは若干身を仰け反らせながら、
「サラさん、お久しぶりです」
「ひさしぶりー!」
「――うわっ、ちょ、ちょっと! くっつかないでください!」
サラがイーナにむぎゅーっと抱き着いた。
イーナは必死にサラを引き剥がそうとしていたが、少しすると諦めたのか、サラに抱きしめられたまま、
「アルさんも……その、しばらくぶりです」
「ああ。……えっと、イーナはここで何を?」
イーナの目の前の机には、ゴチャゴチャと色んな物が散らかっている。何かよく分からない木の塊、カード、針金が折れ曲がったもの、コイン……。
「あ、これは、プサイさんが」
イーナがどこか睨むような視線をプサイへと向けた。プサイは未だに俺の手を握ったまま、花開くような笑みを浮かべて、
「お二人が来るまで時間があったので、私とイーナさんで遊んでたんですよ! もー、イーナさんが強くて強くて完敗でしたっ!」
「……?」
まあ、遊んでたのは見れば分かるんだけども……質問の仕方が悪かったらしい。
イーナの方を見ると、サラに頬ずりされていた。逃げようとしてるけど、がっちりホールドされているのか、びくともしていない。
……なんで、サラはこんなに懐いてるんだろう? 二人ともほとんど面識はないはずだけど。
というか、イーナの顔が若干青くなってる。
俺はため息をついて、サラへと向かって碧霧を放出した。首筋の辺りを包んで軽く電気を流す。
「わっ」
サラがビクッと身体を縮めた隙に、イーナが俊敏な動きでサラの腕の中から抜け出た。乱れた髪と服を整えつつ、俺の後ろに隠れる。
「はぁはぁ……助かり、ました……ありがとうございます」
「二人って、いつの間に仲良くなったんだ?」
「別に仲良くはないですっ。いつも、サラさんがいきなり襲ってくるだけで」
……いつも襲われてるのか。
「まあ何というか、嫌だったらちゃんと言えよ」
「……別に嫌ってわけではないですけど」
続けてゴニョゴニョと何か言ってたが、俺には聞き取れなかった。
……というか、イーナがすぐ傍に近づいてきて今更ながら分かったが、
「イーナ、何か持ってるか? イーナから強烈な魔素を感じるんだけど」
「あ、それはですね」
イーナは神官服の中から一枚の紙を取り出した。同時、魔素がよりいっそう濃くなる。
その魔素は俺の胸ポケットから放出されてるのと同じもの。両方が重なり合ったせいで、気付くのが遅れた。
「私もアルさんと同じように弧帝様から招待されたので」
「なんでイーナが?」
「……どうしてでしょう? 弧帝様はアルさんを招待するついでに私もって言ってましたけど……」
「――ん? あれ? イーナって弧帝と会ったことがあるのか?」
イーナは微妙に渋い顔をして、
「はい。いちおう……何度か」
初耳だ。
確かイーナの記憶の中には、狐帝らしき人と会ってるものはなかったはず。ということは最近――。
もしかしたら、教会で会ったのかもしれない。イーナはマオさんに訓練をつけてもらってるらしいし、その時に。マオさんは狐帝と面識があるみだいだからな。
「――あのっ!」
声をかけられてプサイの方を向くと、
「サラさんが一人で行っちゃいましたけど……」
プサイは困り顔で開いた扉を指差した。
――
扉を抜けて外に出ると、数メートル離れた所にサラがいた。仁王立ちで、前方へと目を向けている。深紅の髪を風にたなびかせながら、
「キレイね」
前方の光景を一言で言い表した。
見渡す限り、緑色だった。
俺たちが立っている場所から遠くに見える山脈の峰まで、全てが濃い緑色に染まっている。
「これ……は?」
そんなことしか言えない。
俺の許容範囲を超えている。
「ほんとビックリですよね! 私も最初見た時は驚きましたよー。朝起きて、外に出たらいきなりこれですもん」
プサイがニコニコしながらその場にしゃがみこんだ。
「これ、全部魔石らしいですよ。狐帝さんって方が持ってきた。聖女様が言ってました!」
「魔石?」
これが?
下を見ると、透き通った結晶の遥か深くまで見通せる。そこではホンノリと緑の光が灯っていて、その光が俺らの姿を下から照らしていた。
この全てがもしも魔石なんだとしたら、それは石というよりも山だ。……いや、山どころか山脈。
呆然と立っていると、胸元が熱くなるのを感じた。取り出してみると、招待状が発熱している。
「アルさん」
イーナが招待状を指に摘まみながら声をかけてきた。
「これ、何だか熱くなってきて……アルさんもですか?」
「ああ。そうだな」
「もしかして、早くしなさいっていう意味でしょうか? ……急ぎませんか? 変なことになったら嫌ですし」
イーナの顔色は若干悪い。その表情を見ていると……ふと、慌てふためいていた聖女様の姿を思い出した。
イーナに話そうと口を開いた時、横から、
「あっ、案内なら私がしますよ!」
プサイが背伸びするように手をあげた。ポヨヨンと、意外と大きめの胸が揺れる。
「アルさん?」
冷え冷えとした声に目を向けると、イーナは口元に笑みを浮かべていた。……目が笑ってない。
「……い、いや、うん。それじゃあ、案内お願いします」
――
歩くこと、半刻ほど。
緩やかな魔石の丘を登ると、広大な平野が広がっていた。
「ここですっ!」
プサイが元気よく伝えてくれるが、わざわざ伝えてくれなくても目的地に着いたのだと一目見て分かった。
平野には等間隔に杭が打ち込まれていた。杭と杭の間は青色の縄が繋いでいる。
杭は緩やかにカーブを描くように並んでいて、ずっと遠く――おそらくキロ単位先で両端が出会っていた。上空から見たら円形になっているだろう。
そして、縄の円の中心。そこには――
「あのヘンなの、なに?」
サラがイーナにくっつきながら、遠くを指差した。イーナは半ば諦めたような顔をしながら、
「……何でしょうか、私も見たことがないものですけど」
二人の視線を向けられたプサイは、ブンブンと首を振って、
「いえっ、私もあれが何なのか、サッパリ分かりません! 聖女様も知らないって言ってましたよ?」
「聖女様も知らないですか……でも、明らかに怪しい建物ですよね――」
イーナは俺の表情を見て、言葉を途切れさせた。
「アルさん、どうかしましたか? 何か気になることでも……」
「……いや」
俺はイーナの視線から逃れるように数歩前へと進んだ。
円の中心。そこには、真っ赤な人工物が建っていた。
二本の支柱と二本の横木で構成されたシンプルな造り。全体は鮮やかな朱色で塗られている。
――鳥居だ。
――
緑の大地の上に、ポツリと鳥居が建っている。
うん、普通の鳥居だ。
大きさは、そこらにある……いや、この世界ではないけど、前世ではそこらにあった神社の鳥居と同じくらい。幅三メートル、高さ四メートルってとこかな。
全体的に真新しい。
漆の朱色と黒色は、つい昨日塗ったみたいにむらの一つもない。注連縄も、新しいものが下がっている。
……おっかしいな。
ここって異世界じゃなかったっけ?
魔物とか出ちゃうし、聖女様とか偉そうにしてるし、魔法とかあっちゃう世界観だったはずだ。こんな物がシレッと建ってると、場違い感甚だしい。
招待状に書かれてた『封』――漢字といい、弧帝とやらはもしかすると……。
「ね、アルっ! 見て!」
考えに耽っていた俺の思考を、サラの元気いっぱいの声が呼び戻した。鳥居の根元に目を向けると、サラの生首が空中に浮いている。
「――きゃっ」
プサイが小さな悲鳴をあげて、腕に抱き着いてきた。
おおっ、やっぱり意外と大きい。
若干混乱気味の頭でそんなことを考えていると、
「さ、サラさんっ。それ、えっ? だ、大丈夫なんですか?」
「うーん、ちょっとヒンヤリするわね」
「ヒンヤリって、アルさん、あれって……」
俺へと視線を寄こしたイーナは、プサイに抱き着かれてる俺を見てピシリと動きを止めた。
「……プサイさん、アルさんから離れてくれませんか?」
「え? わっ、ごめんなさい! 思わず」
プサイが俺の腕から離れた。イーナはなおも冷たい瞳をプサイに向けていて、
「ちょっと危機感が足りないんじゃないですか? ここは弧帝が作った場所ですよ? 何が起こるか分からないんですから、しっかりと気を張って――」
「――イーナ、こわいかお」
後ろから迫っていたサラが、イーナの両頬を摘まんで横に引き延ばした。
横に伸びたイーナの顔を見て、プサイは軽く噴き出す。イーナは真顔を微動だにしていない。
なんか、イーナが怖いんだけど……。
ともかく話題を逸らそうと俺は鳥居を指差した。
「と、ところで、さっきのは何だったんだ?」
サラはイーナの頬から手を離すと、
「なにって、ワタシはなにもしてないわよ?」
「んー、まぁ、そうだろうな」
サラに首を切り離すような『能力』はない。となると、怪しいのは――
「プサイ。あの赤いのって、どういう物ですか?」
「ぇ、えっと……?」
「あれ? 調べたりしたのでは?」
俺が聞くと、プサイはブンブンと首を横に振った。
「聖女様が危ないから近付かないようにって言ってたので、三メル以内には近付いてないですよっ!」
……危ないのか?
そう言われると、鳥居に近付くのが怖くなってくる。
俺が神官服の内ポケットから聖金貨を一枚取り出すと、プサイはキョトンとした顔でそれを見つめた。
鳥居へと向かって聖金貨を投げつける。真っすぐ飛んだ聖金貨は鳥居を潜ると――忽然と消えた。
「……」
四人してしばらく無言で見ていたが……特に、何も起きないな。
「たぶん、大丈夫じゃないか? 呼び出しといて俺らをここで殺したって、何の意味もないわけだし。どっちにしろ調べてみないとどうしようもないしな」
俺の言葉に、イーナは眉をハの字に寄せた。
「意味がなくても、弧帝様なら何かしそうですけど……でも、危ないってことはない……ない、と思いたいです」
そんなに不安そうに言われると、逆に不安だ。……とはいえ、ここで立ち往生してても仕方ない。
鳥居に近付いて……恐る恐る手を潜らせると、想定通り指先が消えた。スッパリと真っ直ぐ、まるでそこで切断されてるみたいだ。
痛くはない。見えないけど指先の感覚はちゃんとある。サラがさっき言ってたけど、確かにちょっとヒンヤリとしている。
「アルさん、どうですか……?」
イーナが心配そうな顔で聞いてきた。
「……特に危ないことは、なさそうだな。この先、どこかに繋がってるみたいだ」
「というと、転移するということでしょうか? 身体の一部だけ?」
「じゃないか?」
いったん手を引き抜くと、消えていた指先が大事なく元に戻った。俺はちょっと離れた場所に立っているプサイの方を向いて、
「プサイも一緒に来るんですか?」
「いえっ、私はここでお別れです! ほんとはちょっと気になるんですけど……駄目って言われてるので。皆さん、お気を付けてっ!」
ピシッっと頭を下げてるプサイから視線を外して、
「それじゃ――」
「――行くわよ!」
サラが俺とイーナの腕を引っつかんで、鳥居へと飛び込んだ。
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