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pro- 『神様に願うことは 後編』



 ――『何卒、何卒ッ……』――



 鳥居の向こう側で、襤褸(ぼろ)を着た人々が地面にへばり付いているのが見える。先頭で土下座をしている重役らしき老人をはじめ、その後ろに並ぶ者たちは老若男女問わず、骨と皮を残して枯れていた。


 我はその様子を横目に見ながら、


「全く……我にこのような物を献上するくらいなら、そこの童に食わせてやればいいものを」


 神饌台(しんせんだい)に供えられた油揚げを手に取って、一口齧り付く。……見た目から分かってはいたけれど、正直なところ美味しくはない。貴族らが惜しげなく供える特上品と比較すれば、とても食えたものではない。


「――とはいえ、これが我たちが用意できる最大限なのもまた事実。今回ばかりは目を閉じて、我の御手を煩わせる対価として認めましょう」


 煌々と輝く天道へと指先を向けると、しばしと待たずに変化が現れた。


 どこからともなく雨雲が湧き出でて、日差しを遮ってゆく。突然暗くなったことに、鳥居の向こうで村人たちが騒めく中――ポツリと、一滴の雨粒が石畳の上に落ちた。


 一滴は十滴に。十滴は万の雨となって、激しく石畳を打つ。


 その雨音に負けず村人たちがあげる歓声を聞きながら、我はもう一口油揚げを齧った。



 ――



 千年の長きにわたって、我は人と共にあった。

 崇められ、時には畏れられ――しかし、いずれの時であっても、我の身に宿る力は天地でさえ自由に操ることのできる、絶対の力だった。それが――


「………」


 半ば無意識にため息が出た。けれども、自分ではその音は聞こえない。というのも、濁流のような数多の人々の『お願い事』が意識へと流れ込んでいるからだ。


 今日は正月。一年の内で、最も多くの人々が神社を訪れる日。都合、『お願い事』を聞く側の我としては、一年の内で最も忙しい日となる。


 とはいえ、『お願い事』を聞くこと自体はそれほど苦痛でもない。正月で気が滅入るのは、軽薄な『お願い事』が多いからだ。


 正月しか参りに来ないような者たちが、やれ金持ちにしろだの、(つが)いが欲しいだの、大した対価を払うつもりもないにもかかわらず吐き捨てて行く。


 そのような雑音を絶え間なく聞かされているから、気も滅入ろうというものだ。


「……まぁ、我には、そのように偉そうなことを言う資格はないのですけれどね」


 自嘲気味に呟いた時――



 ――『お願いします』――



 と、澄んだ声が聞こえた。

 興味が引かれて、声が聞こえた方に目を向けると、鳥居の向こう側に十ほどの女子(おなご)が立っていた。女子は両手を合わせて目を閉じていた。



 ――『神様、どうかお母さんを助けてください……私のことはいいから、お母さんの病気を治してください。お願いします』――



 『お願い事』を終えてからもしばらくそのままの姿勢で手を合わせていた女子は、最後に我へ向かって一礼してから人混みの中へと消えた。


 その姿を何をするでもなく見送って、我は鳥居へと背を向けた。



 ――昔なら。


 実際に手を差し伸べるかどうかは別として、取りあえずあの女子の母の様子を確認していたところだろう。けれど、我にはそれをすることができない。やらない、のではなく、できない。


 今の我は、天地を自由に操るどころか、ごく簡単な――我が軽薄と切り捨てた、昔なら小指の爪の先を少し動かすだけで叶えられた『お願い事』でさえ、叶えることができない。


 いつの頃だったかは分からない。人の世は目まぐるしく移り変わり、急激に我へ対する信仰が失われ――それ以上の勢いで人の数が増えた。


 本来であれば、総体的に見た時に我へと流れ込む力は増えていたはずだ。にもかかわらず、我へと流れ込む力はほとんど零と言ってもいいほどに減少した。


 その原因は考えるまでもなく明らかだった。


 そもそも我に流れ込む力の源泉は、人の身に生まれながらに宿る物。人がその生を終えた時、身に宿る力は解放され信仰の対象たる我へと流れこむ。


 つまり、源泉の量が減れば、当然我へと流れ込む力も減る。


 源泉の数は問題ない。源泉の内我へと流れ込む割合もさして問題ではない。問題は、一人一人の源泉の量だ。


 かつては当然の様に持っていた力を、今の人たちは全くと言っていいほどに持っていない。稀に力を持つ者もいるが、せいぜいが万に一人だろう。



 どうしてこのようなことが起きたのか。原因は我には分からない。……思うに、分かるものは誰もいない。


 我も含め、交流のあった仲間たちは何をすることもできなかった。そして、一人、また一人と姿を消していった。


 分かることは一つだけ。我は、すでに崇拝される価値などない。『お願い事』を叶えられない神など、それは既にただの霞のような物なのだから。



 ○○○



 正月が終わると、人々はそれぞれの()の日々へと戻る。


 応じて、我の元なぞに来るのは神主と律義なごく一部の者どもだけとなり……我は、これからまた一年の間、緩やかな日々を過ごすことになる。


 しなければならないことも、心惹かれることも、一つもありはしない。我にできることと言えば、日がな一日呆と鳥居の向こう側を眺めるくらい。


 そんな日々も、やはり苦痛ではない。千度も四季を繰り返していれば、朝夕など瞬きほどの間に過ぎ去る。



 そんなある日、鳥居の向こう側に人影が見えた。

 もちろん、その程度のことを普段は気にも留めない。


 我が殊更反応したのは、鳥居から感じる力が大きなものだったからだ。


 大きい、とは言っても常軌を逸して大きいわけではない。万に一人――正月になら数百と出会う程度の、かつての人にとっては標準的な量の力を宿している。


 とはいえ、正月ではないなら話は違ってくる。微睡みの中にあった我が目を覚まして、そそくさと鳥居の傍まで寄ってみようかと思う程度には珍しい。


 鳥居から見える空は、鈍色に重く染まった雪雲に覆われている。おそらく季節は冬。正月から幾日が経ったかなど我は知りもしないが、そう大した時間は経ってないように思う。


 こんな中途半端な時期に神社を訪れるのは年寄りと相場が決まっているけれど――


「――あら、若い」


 鳥居の向こう側に見えたのは、童と大人の境目辺りの(おのこ)だった。



 ――『願い事は……と』――



 男は目を閉じてから、思い出したように考え始めた。どうやら、手を合わせるまでに『お願い事』を考えていなかったらしい。


 つまり、叶える必要のないもの。心の奥底から湧き出した、何を対価に支払ってもいいと思っている『お願い事』ではない。


 そう認識して、我はどこか気楽に男の声を聞いていた。



 ――『受験生だから、ベタに学業成就か?』――



 少し不快に感じて、眉がつり上がる。

 ため息をついて鳥居に背を向けた時――



 ――『いやいや、そういうのを神頼りにするのは嫌だな』――



 男がそう呟いたのを聞いて、おや? っと我は振り返った。鳥居の向こう側に、目を閉じたまま両手を合わせている男の姿が見える。



 ――『――もっと、こう……自分ではどうにもならないような……事故とか、病気から守ってください!』――



 男の『お願い事』が我の中へと流れ込んでくる。切迫感のない、叶えてもらう気なんてサラサラないような『お願い事』。


 おそらく、この男は神の存在など信じていないのだろう。神に何かを叶えてもらわないといけないほど、思い悩んでいない。だから、神など――我などを必要としていない。


 これはこの男だけではない、典型的な近年の人の姿だ。この間の正月にもたくさん来ていた。中には賽銭を入れ、手を合わせ、目を閉じているにも関わらず、『お願い事』を全くしていない人さえもいた。


「……」


 ふと、どこかが……針で刺すように痛むのを感じた。気のせいなのかそれはほんの一瞬の痛みで、痛みが消えた次の瞬間には意識の彼方へと消えていた。


 我は、鳥居のすぐ目の前に立っていた。数十年ぶりか、一歩前へと踏み出して――



「――その願い、叶うといいですね」



 後ろから声をかけると、はたと驚いたように男は振り返った。……驚いた。この男、それほど大きな力を持っていない割に、我の姿が見えるらしい。――それは、あまり宜しくない。


 我は即座に身を翻して、黒い道の上を走り去った。



 ――



 勢いに任せて出てきたはいいものの……。


 足を止めて、空を仰ぎ見る。彼方の雲からはヒラヒラと真白な雪が舞い落ちている。


 手のひらを上に向けると、その上に雪の欠片が落ち、溶け消えた。


「……」


 想定はしていたけれど、刻々と身体の中から力が溢れ出てゆくのを感じる。


 人の世を満たす力が以前に出てきた時よりずっと少ない。布袋から水が漏れ出るように、我の力が空間へと拡散してゆく。


 もちろん、すぐにどうということはない。けれど、このまま数日の間人の世に留まっていたら、我は自分の身体の形を保つことができなくなって消滅してしまうだろう。


 逆に言えば、その前に神社に戻れば大きな問題はない……今のところは。


 あの殻の中ならば、力は満たされている。けれど、それもいつまでだか分からない。


 殻の中でさえ力で満たすことができなくなれば、後はこの雪と同じように溶け消える他に選択肢はない。


「……案外、それほど遠い未来ではないかもしれませんね」


 今生まれた人がこの世を去るよりも、我がこの世から消滅する方が先かもしれない。


 そして、それでも――我がいなくなっても……人々は変わることなく、よりよい明日へと進んでゆくのだろう。


 細く息をはいて、歩みを進める。

 カラン、コロン、と下駄が黒い地面とぶつかる度に音が響く。



 ――誰も我のことを求めないのなら。



 感情のままに、足を動かす。

 久しい感覚。

 はるか昔。我がまだ、野の中を駆けまわっていた頃。

 その感覚を思い出して、我は足を動かしていた。



 誰も我のことを求めないのなら、我がここにいる意味は既にない。


 ならば、最期の時は山の奥でひっそりと……人が一人もいない場所で、溶け消えたい。


 このまま人の世を走り抜けて、我自身の意志で生を終えるのも、また乙なものだろう――



 ――パッと、視界が開けた。どうやら、小路から大通に出てきたらしい。



 眩しく感じて足を止めると、すぐそこに巨大な何かが迫っていた。鼻ずらには灯りが付いていて、その光が我のことを照らしていた。


 初めて目にする珍妙な物体に興味を引かれて観察していると――突然、背後から何かに突き飛ばされた。


 状況が上手く飲み込めないまま、顔だけで振り返る。そこにいたのは――


「――あなたは」


 必死な形相を浮かべてそこにいたのは、つい先ほど我に『お願い事』をしていた男だった。



 ――



 巨大な物体は、甲高い音を響かせながらその勢いを留めようとしていた。しかし――止まらない。止まらない。止められない。今の我の力では、この物体を止められない。


 我を押しのけた姿勢のまま宙を舞っていた男の身体は、小枝のように弾き飛ばされた。手足をあらぬ方向に向け、赤い線を引きながら、真っ黒な地面の上を回転する。


 我は、地面の上に転がっている男の、顔の傍まで小走りで向かった。


「……これは」


 無理だ。今の我の力では、とても治せない。

 既に身体はその機能をほとんど停止していて、内から力が漏れ出そうとしている。


「馬鹿なことを……」


 この男が何をしたかったのか。思うに……我のことを助けようとしたのだろう。我には肉の身体がないから、この物体にぶつかった所で痛くも痒くもない……そんなことも知らずに。


 地面に膝をついて、男の頭を両手で包み込む。

 ――やはり、触れる。普通なら、我に触ることなどできないのに。


 手に真っ赤な血が付くが、そんなことは今は気にならない。そんなことよりも大事なのは――この男がした『お願い事』。


「災いや病から……護る」


 我はこの男の『お願い事』を叶えるどころか、我のせいでこの男の命が失われようとしている。



 そんなことは、あってはならない。



 我は人の願いを叶えるもの。断じて、人の願いを壊すものではない。



「我は……最期にあなたの『お願い事』を叶えます」



 ○○○

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