00話 『招待状』
「じゃ、まずは魔石の生成からやってみるの」
マオ様の言葉に頷いてから、私は両手を机の上にかざした。……目を閉じて、身体の中を巡る魔素の流れに意識を集中する。
魔素が身体の中を一巡するごとに、少しずつ魔素を圧縮する。
圧縮すればするほど魔素は反発するけど、それを押さえ付けて……その圧力がある大きさに達した瞬間――フッと抵抗がなくなるのを感じた。
瞼を開けると、私がかざす手のひらの下に、直径十センくらいの球形の石が転がっていた。
「うんっ、やっぱりイーナは飲み込みが早いの!」
マオ様がぱぁっと花が開くみたいに顔をほころばせた。背中で二枚の黒い羽がパサパサと閉じたり開いたりしてるのが可愛い。
「ありがとうございます。マオ様に教えてもらったおかげです」
「私は別に何もやってないの。イーナがすごいだけなの」
マオ様はそうやって褒めてくれるけど、本当に私はすごくも何ともない。というのも、昔に魔石を作る練習をしたことがあるからだ。
三年前。私はアルさんが『儀式』で選ばれないようにするために、小さな石を作成したことがあった。
『儀式』用の青石を参考にしながら作った、『魔素を吸収する石』。当時の私はそんなこと全く分かってなかったけれど、あれは魔石だったらしい。
魔石は魔素が凝縮して結晶化したもの。魔物を倒した後に残る赤や緑、青色の石だ。
マオ様によれば、低位の魔物は魔石を一個しか持ってないけれど、高位になればなるほど体内の魔石の数が増えていき……極一部の最上位の魔物は、魔石を自由に生成することができるとか。
つまり、魔石を作れちゃう私って……最上位の魔物ということになるらしい。やっぱり、全然ピンと来ないけれど。
私が微妙な心境で眺めていた球形の魔石を、マオ様が「うんしょっ」と言いながら持ち上げた。トテトテと絨毯の上を五メルほど歩いて、私の方を振り返る。
「イーナ、次は転移なの!」
「はい!」
少しだけ緊張して私は返事をした。
上手くできるかな……練習ではある程度できるようになったけど、こうやってかしこまった状況でやるとなると、少し自信がない。
すー、はー、と深呼吸をして目を閉じる。
魔石を生成する時は、自分の身体の中を流れる魔素に集中したけど、今度は逆。自分の身体の外に存在する『自分の魔素』へと意識を向ける。
体内の魔素と違って明瞭な感覚ではなくて、もっとボンヤリとした……何となく引き付けられるような感覚。
その引き付けられる感覚に身を委ねて、全身から力を抜いて――
「――はい、よくできました」
旋毛のあたりを撫でられた。
「……」
私は身を固めたまま、すぐ正面でびっくり顔をしてるマオ様を見つめていた。
私の隣に何の前触れもなく現れた弧帝は、数拍してから私の頭を撫でるのを止めて、
「しばらくぶりです、マオ様、黒狼様」
「……ついこの間来たばっかりなの」
「あら、もしかして我は歓迎されていないのでしょうか?」
マオ様の顔には『歓迎してないの』って思いっきり書いてある。こんなに優しいマオ様にここまで嫌われるって……狐帝って、いったいマオ様に何をしたんだろう?
狐帝は歓迎されてなかろうと帰るつもりはないようで、我が物顔で椅子の上に座って、机の上に置かれてたトマトジュースをグラスに注いだ。
「いつも、突然来るの止めて欲しいの……びっくりす――」
「やっぱり、いつ飲んでもこれ美味しいですね」
「――ありがとうなの」
唇を尖らして文句を言おうとしてたマオ様は、狐帝に誉められた途端、にへら、と表情を緩めた。
片手にグラスを持ったまま狐帝がちょいちょいと手招きをするので、私とマオ様は顔を見合わせてから狐帝の方へと向かう。狐帝の対面の椅子に並んで座ると、
「今日は黒狼様にお伝えしたいことがあり、お邪魔したのです――」
言いながら、弧帝は袖口から折り畳まれた紙を取り出した。それを私に差し出してきて、
「どうぞ」
「……私に、ですか?」
「はい、そうですよ。受け取ってくださいまし」
弧帝は微笑みながら言ってくるけれど……正直、こんな禍々しい魔素を放ってる物に触りたくない。
見た目は何の変哲もないただの紙。けれど、表面には墨で『封』――おそらく何かの文字が書かれていて、その『封』から濃厚な魔素が放たれていた。
「怖がらなくても黒狼様が開ける分には何もありませんよ。黒狼様以外が開けると大変ですけれどね」
躊躇してる私を見て弧帝がそんなことを言ってきた。
それを聞いて、恐る恐る紙を受け取ると……特に何も起こる気配がなくてホッとする。続けて、慎重に紙を開くと、
「これは?」
私は、『招待状 黒狼様』から始まる文面から顔を上げた。
「そこに書いてある通りですよ。どうも、つい先日完成したようなので、せっかくなら黒狼様もご招待しましょうかと」
「……完成?」
「さて、どう言えばいいのか……。古の言葉で言うならてぇーまぱーく……今の言葉で言うなら――そうですね、闘技場のような娯楽施設でしょうか」
「私を闘技場に招待してくださる、のですか?」
「いえいえ、闘技場ではありませんよ。闘技場のような……闘技場よりも、もっとずっと楽しい場所です」
困惑しつつ弧帝の笑顔を見ていると、隣から袖を引かれた。
「イーナ、行っちゃ駄目なの」
「あら。マオ様酷いですね。せっかく遠路はるばる来ましたのに、隣から邪魔をするのですか?」
マオ様は私の袖から手を離して、両拳を握りしめると、
「どう考えても、楽しい場所じゃないのっ! 弧帝がそんなふうに笑ってる時で、ろくなことになった試しがないの!」
「ふふ。マオ様はご冗談がお上手ですね。話せないように、お口を糸で縫って差し上げましょうか?」
言いながら弧帝が右手を持ち上げると、そこには金色の糸が通った針が握られていた。
風が吹いているわけでもないのに糸はユラユラと揺らめいていて、その端は空気に溶けて消えている。
私は震えるマオ様を腕の後ろに隠して、
「マオ様を虐めるのは止めてください。怒りますよ」
キッと弧帝の黄金色の瞳を見つめ返す。
弧帝はちょっとつまらなそうな顔をして、
「冗談ですよ、冗談。我が可愛いマオ様に危害を加えるわけないでしょう」
ポイッと放るように、針を宙に放り投げる。針は机上に着地することなくどこかへと消えた。
「そもそも、マオ様に手を入れるのは我としても流石に骨が折れますからね。遊ぶなら、やっぱり聖女様くらいが手軽でちょうどいいです」
「……セージョでも遊ばないでほしいの」
「ふふ。まぁ、それは置いておきましょう。それよりも、今は招待の件です。どうですか? 黒狼様は来られますか?」
私は隣に目を向けた。マオ様が力強く頷き返してくる。
「……せっかくのお誘いですが、遠慮させていただきたいと思います」
「あら、そうですか」
拍子抜けなことに、弧帝はそれだけ言うと椅子から立ち上がった。
「それは残念です。でも、黒狼様がそう言うなら無理に誘ってもいけませんね……では用は済んだので、我はそろそろお暇いたします」
さっきの糸と針と同じように、いつの間にか弧帝は手に赤色の葉っぱを握っていた。
「ああ、そうそう。危うく忘れるところでした」
クルリと赤色の葉っぱを回すと、葉っぱが消えて、代わりに私に渡してきたのと同じような紙が手に握られていた。
さっきと少し違うのは、紙が若干緑がかっていて、『封』の文字も墨色ではなく金色に輝いていること。
「これを我の眷属に渡していただいても構いませんか?」
弧帝が差し出す紙を、マオ様が嫌そうな顔で受け取った。
「これもイーナのと同じなの?」
「はい。なるべく早くお願いします。あまり時間が経つと、よろしくないことが起きますので。もちろん、我としてはどちらでも楽しめるのですけれど」
「むぅ……できるだけ急ぐの」
マオ様が渋い顔で頷いたのを確認して、弧帝は意味ありげに私の方をチラッと見た。
「……ちょっと待ってください。その眷属っていうのは、アルさんのことですか?」
狐帝の流れに乗るのは少し嫌だったけど、私は堪えられずに聞いていた。
「ええ、そうですよ」
「その、アルさんも弧帝様の作った場所に招待するんですか?」
「はい、それはそうです。そもそも我の眷属のために作ったのですから、来てもらわないと困りますからね」
「アルさんのために作った……」
「おやおや、黒狼様……先ほどは行かないと言っていたのに、興味津々という顔ですね? それほど気になるのなら、どうです? 来られますか?」
狐帝は人好きのよい微笑みを浮かべている。……なんだか不気味だ。どうして狐帝はここまで私のことを誘おうとするんだろう? 害意があるのかどうなのか……。
そもそもの話、本当に私のことを連れていきたいのなら、無理やり連れていけばいい。狐帝ならたぶん、簡単にできると思う。
それなのに、わざわざこうやって『誘う』なんて回りくどいことをするのは、どうしてなんだろう? 意図が見えない。
私が思案に暮れていると、
「我としては、どちらでも構いませんよ。やはり気になるということなら、歓迎いたしますので」
ペコリと狐耳で会釈をして、弧帝の姿はフッと消えた。
◯◯◯
「失礼します」
扉を開けると、不機嫌そうな顔をしている聖女様と目が合った。
「任務ご苦労様です。アル聖官はつくづく迷子になるのがお好きなようですね」
開口一番皮肉を言われると、ちょっとカチンと来る。まぁ、確かに俺がしょっちゅう迷惑をかけてるのは事実だけども、今回ばかりは俺のせいではない。
「聖女様こそ意地が悪くありませんか? 何をしたいのか分かりませんけど」
「……何のことですか?」
「先ほどまで任務で向かっていた森のことです。帝都の近くの」
言いながら、俺は困惑していた。
聖女様の表情……これは、心当たりがないのか?
「……てっきり、聖女様が嫌がらせをしているのかと思ってたんですが」
「だから、何のことですか?」
「先ほどまで任務で向かっていた森が、聖女様の魔素で充満していたので。実際、森の中は不規則に転移するようになっていて、そのせいで完全に迷いました」
「……どういうことです?」
「私に聞かれても」
聖女様はしばらく何やら考えていたようだけど、
「まぁ、そのことについてはイプシロンから報告があるでしょうし、後でいいでしょう」
聖女様は椅子から立ち上がって、ツカツカと俺の方に向かって歩いてきた。
「どうぞ」
「……何です、これ?」
聖女様が差し出してきた……得体の知れない物を見つめる。
ほんと、何だこれ。この、禍々しい魔素は。
「あなたへのお届け物だそうですよ。いいから早く受け取ってください。こんな危険物、持っておきたくないので」
「え、ああ……」
聖女様に無理やり押し付けられたので、思わず受け取ってしまう。
どうしよう、これ。
聞き間違えかもしれないけど、さっき危険物とか言ってたよな?
なんなの? 爆発でもするのか?
紙を放り投げようかどうか迷っていると、突如として紙が緑色に輝き始めた。
「ちょっ、ちょ、聖女様っ! これっ、どうしたら!?」
「止めてくださいっ、近付かないでくださいっ!」
聖女様が悲鳴のような声を出しながら、俺から距離を取る。
上下に円陣が出現したところを見るに、転移で一人だけ逃げるつもりらしい。
聖女様のビビり具合が半端ない。
こんなに慌ててるのを見るのは初めてだ。
慌てるあまり一人で躓いている。
そんな聖女様を見てると、逆に冷静になってくる俺がいた。
「聖女様、窓を開けてください!」
「え? あ、は、はい、分かりましたっ!」
聖女様は素直に返事をして、窓へと右手を向けた。
手のひらから何か青色の物が射出される。
俺の目でも捉えきれないほどの高速で射出された何かは、窓ガラスにぶつかると抵抗もなく空の彼方へと飛んでいった。
窓ガラスには直径三センチくらいの綺麗な円い穴が無数に開いている。
どうやら、高速すぎて窓ガラスにヒビさえ入らなかったらしい。
仕方ないので、閉まったままの窓に向けて全力で紙を放り投げる。
緑の光が窓ガラスを粉微塵に砕いた。
「……ふぅ、これで大丈夫です」
「よくやりました、アル聖官。褒めてあげましょう」
さっきまでの醜態が嘘のように、聖女様はすまし顔で乱れた服を整えている。
けど、額に輝く汗は隠しきれてない。
顔がニヤつきそうになるのを堪えていると……パサリ、と小さな音が聞こえた。
俺と聖女様は、二人して音が聞こえた方へと目を向ける。
そこには、緑色に輝く紙が当たり前のように落ちていた。
部屋の中を光が満たす。
――
「……アル聖官も疲れているでしょうから、一日だけ休息日としましょう。英気を養っておいてください」
「はい。聖女様もお疲れ様です」
「どうも」
聖女様は疲れ切った様子でヒラヒラと手を振った。
俺は軽く会釈をして聖女様の執務室を後にした。
……にしても。
周りに誰もいないことを確認して、廊下の途中で立ち止まる。
左手に持っていた例の紙へと目を向ける。
全く、ほんと人騒がせだったな。
爆発でもするのかと思ってたら……確かに爆発はしたけど、物凄くショボかった。
ボスンと爆竹くらいの音と一緒に大量の煙が出てきただけ。騒いでた俺らが馬鹿みたいだ。
ため息を吐いて、紙を両手で広げた。
さっきも見たけど、今一度中の文面に目を通す。
――『招待状 ―― ―― 様
楽しみにお待ちしております
御稲荷倭帝』――
それだけ。
場所とか時間とか、何一つ書かれていない。
この御稲荷倭帝とかいう人騒がせな人は、聖女様曰く弧帝という人と同一人物らしい。
弧帝というと、事あるごとに聞く名前だ。
緑――聖女様の認めた、世界最高の緑『能力』の使い手。元だけど。
そして――これがもっと大事なことだけど、俺には弧帝の加護が付いているらしい。
少なくとも俺の記憶では一度も会ったことないのに。
ずっと気になっていた。
気になってたけど、コンタクトを取る手段もないし放置してたんだけど……向こう側から来るとは思ってなかった――
「――どこか行くの?」
「うおっ!?」
突然ひょこりと深紅の髪の毛が目の前に現れた。
「ウオに行くの?」
サラがキラキラした瞳で見上げてくる。
「いや……というか」
どうして、サラがここにいるんだ? サラの気配なんて数百メートル離れてても気付けるのに……。
――あっ、そうか。
この紙の魔素のせいか。放出してる魔素が濃厚すぎて、サラの気配が上塗りされてる。
「というか?」
「いや、何でもない。聖女様によると共和国のどこからしいぞ」
「きょーわこく……きょーわこくってあそこよね? 華に行くとちゅうにある?」
「そうそう」
「ふーん。いつ行くの?」
「明日だな」
「分かった! じゅんびしとくわね!」
「ん?」
ニコッと笑うと、サラはタタタと廊下の向こうへと消えていった。
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